[5話] 金沢のシンボル「尾山神社
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 尾山神社神門


 三層の神門(重要文化財)
 慶長4年(1599)閏3月3日に大坂で亡くなった前田利家は、遺言どおりに金沢の野田山に葬られました。
 その後二代藩主利長によって、金沢城の鬼門の方角(東北)にあたる卯辰山麓に卯辰八幡宮(現在の宇多須神社・東山1丁目)が建立され、利家の霊は加賀藩を守護する存在として祀られました。

 明治4年(1871)の廃藩で、藩主前田家は華族となって、東京に移ることになりました。元重臣の前田直信を代表とする旧藩士たちは、藩祖の偉功を守ることを希望し、さびれていた社殿を再興する運動が起こされました。
 新たな社殿は、卯辰山麓ではなく、金沢の中心部金沢城の出丸金谷御殿跡地が選ばれ、現在地に明治6年(1873)に本殿、拝殿が建てられました。卯辰八幡宮から御神体が遷座され、尾山神社と称されました。

 明治8年(1875)建立の神門は三層のアーチ型楼門で、屋根には日本最古といわれる避雷針、最上階の三層目の窓にはステンドグラスがはめ込まれています。夜には灯りが点され、その灯りは海をゆく船からも見え、灯台がわりにもなったといわれます。
 神門のデザインは、現在では斬新と評されますが創建時は「醜悪」と言われて不評だったとか。不評の声は昭和10年(1935)に価値が認められて国宝(現在は重要文化財)に指定されるまで続いたそうです。
 神門の設計は加賀藩の大工だった津田吉之助。

 拝殿の右側の神苑(かつての金谷御殿の名残を伝える庭園の一部)にはアーチ型石橋の図月橋(とげつきょう)があります。
 また、裏門にあたる東神門は金沢城の二の丸殿舎にあった唐門を移したもので、旧金沢城の現存する建造物として貴重なものとなっています(平成15年7月、登録有形文化財指定)。
 現在の尾山神社は、平成10年(1998)に利家の妻まつも合祀され、金沢の総鎮守的な神社として市民に親しまれています。


 本殿

 歴代藩主を祀る金谷神社

 神苑にあるアーチ型石橋の図月橋(とげつきょう)。
この庭園は神社が建てられる以前の金沢城出丸金谷御殿に付属するもので、図月橋が造られたのは寛永19年(1642)前後だといわれています。
 神門の三連アーチのデザインは、この橋の意匠に基づいて設計されたといわれています。

 神社の裏門にあたる東神門。旧金沢城二の丸殿舎の入り口にあった唐門を移築したものです。
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