植木雅俊博士の「珍説・トンデモ法華経論」を味わう
法華宗檀家による破門覚悟の告発。
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文体は簡潔明瞭にして、最大の効果を発揮するよう心掛けている。
また、文面や、タイトルそのものを変える事がある。
文面やタイトルそのものが一つの作品だからである。
私は信仰としてではなく特許として法華経を見ている。
吾輩は法華経にこだわっていたわけではなく、密教ファンであるが、植木論に遭遇し、
沸々と怒りが込み上げてきたという次第である。
学者ともあろうものが何を言っているのか?という事である
宗派別信者数
さて、文化庁がまとめた平成28年版(平成29年2月発表)の「宗教年鑑」によると、
主な仏教教団の寺院数と信者数は以下の通りとなっています。
この統計によると、寺院数で一番多いのは曹洞宗で14,716寺になります。
また信者数では浄土真宗本願寺派が792万人でナンバーワンです。
教団(宗派)名 | 寺院(団体)数 | 信者数 |
1 浄土真宗本願寺派 | 10,196 | 792万2823 |
2 浄土真宗大谷派 | 8,540 | 791万8939 |
3 真言宗各宗派総合 ※AI による概要2025 |
719万 |
|
4 浄土宗 | 6,913 | 602万1900 |
5 高野山真言宗 | 3,626 | 383万1300 |
6 曹洞宗 | 14,716 | 351万1798 |
7 日蓮宗 | 4,659 | 348万6041 |
8 天台宗 | 3,337 | 136万3553 |
9 臨済宗妙心寺派 | 3,357 | 36万9893 |
『末法大曼荼羅御本尊』
法華経(妙法蓮華経)の文字数は、6万9千384文字
浄土三部経の総文字数は約2万6千700文字
植木雅俊:仏教思想研究家
1951年長崎県島原市生まれ。島原高校卒。九州大学卒。同大大学院修士課程終了⇒修士(理学) |
東洋大学大学院文学研究科仏教学専攻 2001年東洋大学大学院博士前期課程修了⇒修士(文学) 2002年東洋大学大学院博士後期課程中退 |
お茶の水女子大学大学院 後期ジェンダー学際研究専攻で、論文博士号 取得。⇒博士(人文科学:男性初)専攻は仏教ではない。
○国立大学法人お茶の水女子大学学位規則 第6条 1 博士の学位は、本学大学院の博士後期課程 を修了した者に授与する。 2 前項に定めるもののほか、博士の学位は、本学大学院の博士後期課程を経ない者が学位論文 を提出して、その審査及び試験に合格し、かつ、専攻学術に関し本学大学院の博士後期課程 を終えて学位を授与される者と同等以上 の学識を有することを確認(以下「学力の確認」という。)された場合には、授与することができる。 3 本学大学院の博士後期課程 に所定の修業年限以上在学し、所定の単位を修得しただけで退学した者が、再入学しないで博士の学位の授与を申請するときも、前項の規定による。 |
大学院の標準修業年限は、修士課程が2年、博士課程が3年です。ただし、大学や研究科によっては、これより短い在学期間で修了できる制度もあります。 修士課程:2年(博士前期課程とも呼ばれる) 博士課程:3年(博士後期課程とも呼ばれる) |
序文
仏教思想研究家の植木雅俊博士は「私は、中村元先生の教えに導かれ、仏教を信仰としてではなく、思想としてとらえ直すことを目指しております」と発言しているが、植木雅俊博士は、法華経について非常に信じ難い説を説いています。彼は法華経が行動のお経、現実的なお経であると主張しています。これは世界最古のSF小説である法華経に対する妬みであり、密教との繋がりを否定したいという黒い腹もちょっとだけ見えているのである。法華経の菩薩行とは布教の事であり、体育会系の修業とは程遠い。五種法師・十種供養と呼ばれるご供養も然りである。法華経における地中から出現する仏塔や菩薩、釈尊の眉間から放たれる威光。鬼子母神や膨大な架空仏、呪文、バラモン教の人間ではない信者たちのどこが現実的なのか?植木博士に言わせればこれは法華経の本意ではないと言うだろう。しかしそうなってくると本意ではない部分が法華経の大部分を占めていることになる。残念ながらこれが法華経の本意なのである。また、雑蜜(ぞうみつ)、いわゆる初期密教は法華経の模倣であり、ダーラニーなどの呪文から生まれたものである。また法華経は分身化身思想の先駆的な経典であり、観世音菩薩はその中の一人に過ぎない。法華経は釈迦仏の死後500年以上も経って成立した経典であり。法華経が書かれた当時、釈迦仏はすでに伝説的な人物でした。法華経の作者は、おそらく霊鷲山がどこにあるかさえ知らなかったでしょう。法華経の開祖である教主釈尊は、歴史上の釈迦仏を歪曲した超人です。神仏の加護を愛するインド人は、歴史に無関心であり、恣意的に釈迦を創造し、超人に仕立て上げました。それがインド人というものなのです。植木博士は法華経が釈迦の直説であるとは言っていない。今時そんな馬鹿な事を言っている者はいない。しかしながら一部の日蓮宗は次の一手を思いついた。それは法華経は釈迦の直説ではないが、原始仏教に戻れというメッセージが込められているという実に往生際の悪い主張である。潔く法華経が密教と似たものである事を認めればよいものを、法華経原始仏教説を展開している頭の悪い学者、往生際の悪い日蓮宗僧侶は自らを崖っぷちに追い込んでいる。断っておくが、法華経の中に原始仏教と共通する部分が無いわけではない。しかしながら法華経の大部分を占めるのは徹底的なSFであり、残りの部分は密教であり、わずかに残された原始仏教らしき一点に光明を見出そうとしているかのようである。その一点というのが植木博士の専門であるジェンダー論、男女平等思想なのであるが、植木博士は法華経の後半六品にある阿弥陀思想にそれがある、或いは観世音菩薩にそれがあると主張している、しかし法華経には平気で男女差別があり、五百弟子授記品にも男女差別がある。また、法華経段階成立説というものは、全く考古学的エビデンスがない仮説であり、大いに学者の願望、仏教界のリクエストに答えようとする態度が垣間見える。これらの学者、僧侶は法華経の序品ですら第二期に分類しているが実に腹黒い。序品には観世音菩薩が登場したり、いきなり派手なSFが登場するからであろう。しかし植木博士ですら法華経の派手なSFに対しては認めざる負えない状況である。植木博士の師匠は浄土真宗の中村元教授である。中村元教授の菩提寺は松江市奥谷町の真光寺(浄土真宗)で、葬儀は築地本願寺で行われた。学者であれば宗派を公表すべきだが、植木博士は創価学会への所属を公表していない。また、キリスト教徒の可能性もある。植木がどのように中村博士と出会ったのか、中村博士はサンスクリット語の権威であるにもかかわらず、理系出身である植木雅俊氏に翻訳を任せたのは何故か?中村博士がなぜ自ら法華経を翻訳しなかったのか?など、不可解な点は多い。博士号を取得する事を薦めたのは中村教授である。植木氏は東洋大学大学院文学研究科後期仏教学専攻を中退している。東洋大学を中退し、お茶の水女子大学大学院後期ジェンダー研究専攻科で男性として初めて論文博士号を取得した。論文のタイトルは「仏教におけるジェンダー男女平等の研究:インド仏教から法華経まで」であり、仏教に関する内容ではあるものの、お茶の水女子大学大学院には仏教に関する専攻科はない。植木博士は法華経の後半六品の思想は異なると主張しているが全く理解できない。呪文の導入に関しては法華経が大乗仏教の先駆経典であり、如来体系においても法華経によって明かされたものである。法華経における化身の概念はバラモン教に由来し、法華経全体を通して貫かれており観世音菩薩だけでなく、釈迦牟尼仏や妙音菩薩も化身である。植木博士が称賛する常不軽菩薩品にすら現れています。植木博士は、法華経に観音信仰が追加されたと述べている。しかし、考古学的な証拠は全く無い。事もあろうに植木博士は、観音経と法華経を切り離そうとしています。その理由はおそらく観音信仰に関係する寺院の働きかけ或いは、創価学会では、法華経が上行菩薩によって実行されるという信仰によるものであろう。法華経は「現世利益経典」であり、観音菩薩は法華経の行者の守護神である。そして、民間信仰であった観音信仰を仏教に取り入れたのが法華経なのである。法華経は「観音信仰の中心経典」であり、「マントラを導入した先駆経典」である。学者ともあろう者が法華経が架空の仏を皮肉っているなどというイカサマ論法は激しく糾弾されなければならない。架空の仏を生み出したのは法華経である。植木博士は事実と真逆の事を言っている。法華経は御利益聖典として作られ、外敵に対する防御(守護神や陀羅尼)まで装備されている。ほかにも植木博士は法華経が小乗仏教と大乗仏教の偏見をなくすために作られたとも述べている。しかし、法華経より古い大乗経典は初期の般若経典か阿弥陀経など非常に少ない。また、植木氏は法華経が密教と無関係であるかのような発言を連発しているが、密教は法華経なしには存在し得ない事は、学者ともあろう者がわからぬ筈が無いのである。近松門左衛門の菩提寺である広済寺(元禅宗の日蓮宗)曰く、「密教は素晴らしい仏教である。歴史的には仏教発展の最終モデルともいえなくはない。しかし、その密室の相承や秘密の教義は時として危険な教義の発生や儀礼を実践することも可能にしてしまった」などと密教の凄さをアピールしているが、危険性があるのはむしろ法華経の方なのである。法華経には正しい教えという謳い文句とは裏腹に、鬼子母神や羅刹が言うように、「法華経の信奉者に邪魔をすれば、頭が七つに破裂する」という言葉に代表されるカルト経典でもあるのです。法華経には法華経やその信奉者に邪魔をする者は「頭が七つに破裂する」と、まるで北斗の拳のような事が書かれています。これは創価学会の曼荼羅にも書かれています。日本仏教界は恣意的に法華経が釈迦の真実の教えなどという建前論を展開しているが、実際の法華経は密教に絶大な影響を与えた呪術経典という側面を持っている。 Wikipediaでは、般若経が密教への橋渡しとしての役割を無視できないとされているが、これは事実ではない。般若経は7世紀頃に密教化されたが、大乗仏教の密教化には関与していない。密教への橋渡しをしたのは華厳経なのである。日蓮を信仰する多くの宗教団体は、法華経が釈迦牟尼の教えであるとして、密教との関連性を黙殺しています。これは観音信仰に関わる寺院にとっては都合が良いだろう。しかし、信仰を抜きにして考えると、法華経こそが密教の源流であることは明らかなのです。法華経は「如来体系」を説く経典であるため、不必要な現実を省き徹底的なフィクションが施されています。法華経が華厳経、そして密教へと発展した理由は、華厳経の冒頭に「毘盧遮那仏の眉間から威光が現れる」という表現があり、これは明らかに法華経の模倣である。ほかにも華厳経には法華経の模倣が至る所に見られます。そのため、華厳経は法華経を超えようとして作られたのです。法華経は、釈迦牟尼仏自身を大胆に虚構化しています。しかし、華厳経では、毘盧遮那仏は、釈迦牟尼仏を超える法(宇宙の真理そのもの)の化身である法身仏として紹介されている。つまり、毘盧遮那仏を立てることで法華経を超えようとしたのです。しかし、法身仏は説法ができません。法の化身が説法できるはずがありません。衆生が凡夫であれば、人間の体を持つ釈迦牟尼仏だけが、衆生に聞こえるように説法することができます。このため、『華厳経』では、毘盧遮那仏は沈黙の仏と呼ばれています。その代わりに、『法華経』に登場する普賢菩薩の別名である金剛乗菩薩に毘盧遮那仏と釈迦牟尼仏の間を取り持つ役割を持たせたのです。しかし、『大日経』では、毘盧遮那仏が沈黙を破って、金剛乗菩薩に説法する物語に変わっています。『大日経』の冒頭の「如是我聞」は、普賢菩薩である金剛乗菩薩を指しています。では、誰がこの会話を聞いていたのでしょうか。そのため、真言宗では、龍樹(ナーガールジュナ)が南インドの鉄塔で金剛乗菩薩から経文を授かったとされています。こうして密教は困難を乗り越え、『法華経』から『華厳経』、『大日経』へと発展し、密教が完成しました。真言宗の『未解決文書』には、奈良時代の僧、徳一が『大日経』の冒頭の「我聞」の「我」とは誰なのかと問いかけています。徳一が問いかけた空海は、『広付法伝』の11 番目の疑問「鉄塔の疑」のみに言及し、残りは無視しました。その結果、真言宗だけでなく後世の天台宗からも繰り返し反駁されました。また、阿弥陀仏は、仏教が西に向かい、ゾロアスター教の光明神アフラ・マズダーと遭遇した際に、それに対抗するために創始した新たな仏です。仏国土の極楽浄土を訴えることで現地の人々を仏教に引き寄せるために創始され、現世利益よりも死後の救済を説いています。浄土真宗だけが一神教であり、一向宗とは一神教を意味します。また、浄土真宗寺院だけが「御朱印」を発行しません。浄土真宗は、占い、呪術、超能力、護符、祈祷、念力、修行など一切を禁じています。そのため、どの浄土真宗寺院に参拝しても御朱印はいただけません。浄土真宗では、善知識(仏の教えをよく理解している者)の説法を聞く事だけが許されます。般若経は「空」を説き、法華経はいわば「のれん分け」を説きます。例えば、「如来」というラーメン店があるとします。店主は如来です。弟子たちはそこで修行し、店の味を再現できるようになれば、店主は彼らに「のれん分け」を許可します。 |
01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | × | 25 | 26 | 27 |
※サンスクリット語で翻訳しにくい時は、ヒンディー語でやってみるとよい。
ヒンディー語は、現代のインド人が話している言語である。
しかし全く現在のAIは、使い物にならないレベルです。今後の進化を期待する。
仏教用語ぐらい翻訳できるようにならないと、ダメですな。
サンスクリットは文法がしっかりしているんじゃなかったか(笑)
【法華経に対する様々な評価】
法華経の成立はBC50年からBC150年の間と推定されており、釈迦の没後からほぼ500年以上のちのことである。したがって法華経の教えは、他の大乗経典と同様、歴史上のゴータマ・シッダールタ(釈迦)が直接的に説いた教えではない。しかし、この経典は、編纂した教団の置かれていた社会的状況を示唆しているという説があるが、それによれば、この教団は社会の底辺に苦しむ人たちで構成されていたと考えられ、白蓮華(泥中に咲く)、二乗作仏(声聞・縁覚の小乗でさえも、人間でなくとも成仏できる)などを力強く主張し、経典(法華経)自身を絶対的に讃える姿勢などが、ごく自然に理解でき、般若経などのように理論的、思想的な面がほとんどないのも肯ける。ただし、このことが経典の相対的価値を表すのでないことはいうまでもない 。 |
法華経の「序品第一」の説法に集まっている者の総数は京(万兆)(10の16乗)という天文学的な数である。その殆どは目に見えないヒンズー教やリグ・ヴェーダ時代以来の神霊や鬼霊の大群である。原始仏典では説法をする人はゴータマ・ブッダでありそれを聞く人はブッダの弟子である出家修行者であった。しかし、法華経の説法の場に集まっている者の中心は仏弟子ではない。その99.9%以上は目に見えないヒンズー教やリグ・ヴェーダ時代以来の神霊や鬼霊の大群である。説法の内容も物語や比喩を用い分かりやすい。普通法華経は菩薩や仏塔信仰を中心とした教えを説いた大乗経典の典型であると見なされてきた。しかし、説法の場に集まったリグ・ヴェーダ時代以来の神霊や鬼霊の大群を見る限り法華経はヒンズー教(インド伝統の土着神崇拝宗教)の影響を受けて成立したことを示唆している 。 |
1907年、成田山東京別院深川不動尊監院渡辺照叡の子として生まれる。
1930年(昭和5年)3月に東京帝国大学文学部インド哲学科を卒業する。
卒業と同時にドイツに留学し、エルンスト・ロイマン(Ernst
Leumann)らに師事し、
1933年5月帰国。 1935年(昭和10年)3月に東京帝国大学大学院を修了する。
それは法華経が「一本経」だからです。
法華経は典型的な北伝仏教であり、地域仏教である。
インド全域というよりは局地的に流行したもので、シルクロードを伝って日本に到着した。
阿弥陀経も同じである。
『金剛頂経』『般若経』『華厳経』『宝積経』等は「経典群」と呼ばれ、
つくられた場所、時代が違うお経の寄せ集めであり、地域仏教ではない。
しかも『金剛頂経』と『般若経典』はダブっている。
法華経
観音菩薩
観世音菩薩普門品
ダーラニー(陀羅尼)
真言
鬼子母神
十羅刹女
日蓮宗
真言宗
薬王菩薩(英語)
成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌
葛城二十八宿
予定
善光寺と立石寺など予定
千日回峰行(予定)
十二年籠山行(予定)
日本人は、
「岩」を拝んでいた!
「岩崇拝」(予定)
瞑想とは深く考える事。
無の境地は嘘
-----自己紹介-----
日本仏教界の闇を暴露する喧嘩腰仏教研究家。オカルト仏教。
密教マニア。宗教改革者。ASD研究家。教育評論家。ひきこもり。
【自己紹介】 giki(仏教研究家)
●キリスト教系幼稚園を卒業。3歳児教育。
●法華宗檀信徒。
●好きな仏は「お地蔵さん」です。かわいいからです。何と法華経にでていました。うれしいです。
●自閉症スペクトラム、うつ病(二次障害)、通院中。 病人。障害あり。
行動力が無い。波乱万丈人生。自殺願望。 寒い所が苦手。 なめられている男。
●平家の子孫(平清盛のグループ)。祖父の家が蝶の家紋。4メートルの槍。
●母方の先祖は、地主或いは網元であり、豪邸に住んでいた。現在も存在する。
愛読書 勝呂信静博士『法華経の成立と思想』
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