―― NORA ――



梅雨の奔りだろうか。
ここ数日、しとしとと雨が降り続いていた。
なんとなく気分も晴れないヒイロの元に、濡れ鼠と化した彼がやって来た。
「よう、ヒイロ!」
おどけたように挨拶をした彼の手にはキャリーが握られている。
その姿にヒイロは眉を顰め、問う。

「…何故そんなに濡れている?傘は?」
「いやぁ〜持ってたんだけど、ちょ〜っとアクシデントがあって……取敢えず上がっていいか?」
「あぁ。だがまずはバスルームに行け。そのままでは風邪をひく」
そのヒイロの言葉にデュオは目を瞠り、やがて破顔し、
「お前も丸くなったなぁ〜。さすがに2年も経てば少しは変わるか・・・」
―これならもしかしたら旨くいくかも?
と呟きながら促されるままにバスルームへと向かった。


現在ヒイロは在宅で、プログラミングや解析などを請負っていた。
プリベンターからの依頼も少なくなった最近では、元GP達と会う事も少なくなっていた。
特に稼業のジャンク屋も忙しいデュオとはここ2年程は会っていなかった。
そんなデュオから「預かって欲しいモノがある」と連絡を受けたのは5日前のことだった。
「モノ」の詳細を尋ねたが、「詳しい事は現物を見てから」と言われ、今日に至った。
そして、この現状…

バスルームの外に置かれたキャリー。
この中身が件の「モノ」なのだろうが、どう見ても中身は生き物だ。
ヒイロがどうしたものかと思案していると、デュオが出てきた。
「はぁ〜、生き返ったぜ!サンキュ、ヒイロ♪」
「…デュオ、これは何だ?」
とヒイロはキャリーを指差し、普段よりも数段低い声を発した。
「何って…それが今回預かって欲しい『例のモノ』なんだけど?」
「これはどう見ても生き物じゃないのか?」
「ご名答〜♪ということで、明後日から4日間、よろしくなvヒイロ!」
「・・・・・・・」
まだOKを出した訳でもないのに、デュオの中ではすっかりヒイロが預かる事になっているようだ。
「何故俺なんだ?」
その質問にデュオが答えようとした瞬間、デュオの持っていたバスタオルからか細い鳴き声がした。
――みぃ〜・・・
ピクッとヒイロの右眉が動いた。
次第に険悪なモノに変わっていくヒイロの雰囲気に、デュオは焦る。
「あ、あ〜…これは…」
「どういうことなのか、初めから全て説明してもらおうか?」
吹き荒れるブリザードを背負ったヒイロに、デュオは笑いを引き攣らせながらも話し始めた。


キャリーに入っていたのは生後半年位のオスの(見た目は)ロシアンブルー。
バスタオルから出てきたのは生後2ヶ月位の茶色のメスのトラ猫だった。
オスの方は3ヶ月前に仕事帰りに拾ったと言う。
捨てられていた状況から判断するに、どうやら雑種らしい。

かすかに聞こえる鳴き声に、デュオは道端に置かれていた箱を覗いた。
他の兄弟達は既に息絶えていたが、この猫だけが辛うじてか細くも鳴き続けていた。
『生』を主張するその姿に思わず手を差し出し、連れ帰った。

デュオは仕事で数日留守にする事もある為、ヒルデやカトル達に預かって貰ったりしていたのだが、何処へ預けても懐く事はおろか餌さえも殆ど食べないという気難しさでお手上げ状態だった。
数回預けても状態は改善されず、最後に白羽の矢が立ったのがヒイロだった。
いきなり預けることには不安もあった為、次の仕事の前の休暇を使って連れてきたという。
「カトルが言ってたんだ。戦時中に地球に二人で降りた時にヒイロは犬達ととても上手に接していたって。だからコイツとももしかしたらってさ」
そう言いながらニッコリと微笑うデュオとは対照的に、ヒイロは額に手を遣り、カトルに対し心の中で「余計なことを!」と毒づいた。
そしてもう一つの疑問についても説明を求めた。

「コイツはイレギュラーなんだ」
そう言いながら茶猫を抱いたまま、ポリポリとこめかみの辺りを掻く。
「ココへくる途中、小さな女の子がコイツを抱えて泣きながら雨宿りしてたんだ。どうしたのかと訊いたら…」
―捨て猫を見つけて連れ帰ったが家族に反対され、元の場所に返しに来たものの、どうしても手放せず立ち尽くしていたという。
その内にまた雨が降り出して、帰るに帰れなくなったらしい。
少女も子猫も体が冷え切っていたので、見かねたデュオは持っていた傘をその子に渡し、子猫を引き取ったという。

それを聞いたヒイロは、再び額に手を遣り、そのお人好しぶりに溜息を吐いた。
「それで?まさか2匹とも預かれなどと戯けた事を言うわけではないだろうな?」
底冷えするような低音で紡がれたヒイロの言葉に、デュオは内心冷や汗を掻きながらも明るく答えた。
「さっすがはヒイロ!またまたご名答〜♪」
「…おい!…」
「いや、だから出発までは俺も居るし茶猫の飼い主も見つけてくるから、4日間だけ頼む!!」
手を合わせ、頭を下げるデュオ。だがヒイロは冷たく言い放つ。
「・・・つまりはお前もココに泊まるつもりだと?・・・こちらの都合はお構いなしか?」
「あ!…悪ィ…お嬢さんとでも約束があったり…とか?」
上目遣いに訊いて来るデュオに頭痛を覚えながらヒイロは答える。
「何故そこにリリーナが出てくる?お前も知っている通り、あいつは忙しい身だ」
「じゃあ、予定はないのか?」
「ない訳ではないが、然程急ぎのモノもない。ただ、動物を飼うなど経験がないからな…」
意外なヒイロの言葉にデュオは目を瞠り、そして柔らかく微笑んだ。
「へぇ〜、天下のヒイロ・ユイでも戸惑うことがあるんだな。ホントに人間らしくなったな。お前♪」
ヒイロはその言葉にやや引っかかりを感じながらも、デュオの笑顔に言葉を忘れてしまった。
「俺が居るのは明後日の朝までだ。それまでに預かれるかどうか考えてくれないか?」

どうあってもココに居る気のデュオに、ヒイロはとうとう折れたようだ。
「好きにしろ」と言ってしまったのだから。(笑)



ヒイロには動物の飼育方法も知識としてはあったのだが、実際の生き物はマニュアル通りの接し方では対応し切れる筈もなく。
茶猫の方はまだ小さい上に何かと手もかかる。その上、気難しいといわれるオス猫もいるのだ。
思わず溜息の出てしまうヒイロだった。

オス猫は取敢えず『チビ』と呼んでいるらしい。
(いつまでもその呼び名では通用しないだろうから飼うのなら早急に名前を決めるように忠告を受けたデュオだった)
兄弟でもない2匹の対面は予想通り穏やかにはいかなかった。
チビは幼いながらも茶猫に対し警戒心を顕にし、威嚇した。
茶猫の方は事態が飲み込めないのか初めはキョトンとしていたが、あまりの威嚇に怯えデュオの後ろに隠れた。

その様子を見ていたヒイロは先を思い、再び溜息を吐く。
そんなヒイロに茶猫を預け、デュオはチビを抱き上げ宥めながら話しかけた。
「なぁ、お前もまだガキだけど、アイツはもっと小さいし女の子だ。男の子なら守ってやってくれないか?」
そう言うデュオの瞳をジッと見つめていたチビは、やや不機嫌そうに「みゃ…」と鳴き、茶猫への威嚇を止めた。
「よ〜し、いい子だ♪それじゃあもう一つ。俺が居ない間、あのヒイロが世話をしてくれるから、ちゃんと餌を食っていい子にしててくれないか?」
デュオの言葉にチビは、ヒイロをジッと見つめてから、仕方ないなというようなそぶりで「にゃ」と短く鳴いた。
「お!珍しく聞き分けがいいな♪これなら大丈夫そうだな!」
デュオの脳天気な台詞に、再び頭痛を覚えるヒイロだった。



翌日、茶猫用に餌などの必需品を買い、2匹の様子を見ていた。
決して仲良く…とはいかないが、なんとかなりそうだとは思える雰囲気で、結局ヒイロは2匹を預かる事となった。



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