ヒイロがディーを飼い始めて半年、季節は秋から初冬へと移ろうとしていた。
この半年の間にヒイロがデスを預かったのは4回。反対にヒイロがディーを預ける事は未だなかった。
回数こそ多くはないが、一回の預かり日数は長く、1週間〜1月程であった。
(もっとも、デュオの仕事の性質上2〜3日留守にすることは多々あったが、短期間であれば餌と水を置いておけばデスは大人しく待っていたらしい)
そして今回は3週間の予定で預かっていた。デュオが帰って来るまであと2日。
デュオはいつも予定通りか1〜2日早くやって来ていた。
早ければ明日にでもやって来るかも知れない。

ヒイロはいつものように端末に向かい、請けていた仕事の最終チェックをしていた。
リビングのソファではデスがいつものクッションの上で丸くなって眠っている。
そのデスに寄り添うようにディーも隣で丸くなっていた。
初めはディーの事を全く無視していたデスだったが、何度か預けられる内に少しずつディーの存在を受け入れるようになっていた。
ヒイロに対しては相変わらず素っ気ないのだが、ディーには気が向けば毛繕いをしてやったり遊び相手になったり。
そのおかげで、最近ではディーの「遊んで♪」攻撃にもあまり遭わなくなり、仕事も順調にこなせるようになったヒイロだった。
今チェックしている仕事の納期にはまだ余裕があったが、これを送ってしまえば明日から暫くの休暇となる。
そうなれば、突然やって来るであろう彼にも十分対応出来る。
そんな事を考えていたヒイロの表情はとても柔らかなものだった。



******



デュオの帰還予定の日、ヒイロへ一本の通信が入った。
「お久しぶりです、ヒイロ」
画面には金髪碧眼の青年、カトルが映し出されていた。
何事か起こったのかと危惧したヒイロだが、カトルの穏やかな表情と続けられた言葉にフッと力を抜く。
「実は、今回のデュオの仕事は僕が依頼したものだったので、慰労も兼ねて2〜3日こちらでゆっくりして貰おうと思ったのですが、デュオは猫を預けているので帰ると言い張るんです」
――なので君に了承を得ようと思って。いいですよね?
そう言ってニッコリと微笑むカトルに、特に反対する理由もないヒイロは頷いて答えた。
「デスも落ち着いているし、偶にはゆっくりと過ごすのもいいだろう」
「ありがとう、ヒイロ。ではデュオには僕から伝えますので、あと2〜3日、お願いします」
「了解した」

通信を切ってリビングに視線を戻すと、デスがこちらをジッと見ていた。
まるで「デュオに何かあったのか?」と問うているような瞳だ。
「帰りが2〜3日遅くなるそうだ。もう暫く我慢してくれ」
そう言うと、デスはフイっと顔を背け、再び丸くなってしまった。
「お前も寂しいのか」
そう呟いてから、ヒイロは自分の発した言葉に驚く。
――一緒に居る事など殆どないというのに、帰って来るのが延びたのを残念に思うなど…
そう考え、ふと自分の中で彼の存在が大きくなっている事に気が付いた。
『帰って来る』
そう思う事自体、既に心の中に彼の「場所」が出来ているということだ。

ヒイロは自分の想いを思わぬ事で自覚した。



******


その頃、ウィナー家ではカトルがヒイロの了承を得られた事をデュオに伝えていた。
「…やっぱりアイツ、変わったよなぁ〜…」
そう呟くデュオの表情は心なしか沈んで見えた。
「なぁ、カトルはこの2年の間もヒイロとは何回か会った事あるんだろ?アイツ、何時頃からあんなに変わってったんだ?」
「2年前もかなり穏やかになってましたよ?確かに今程ではありませんでしたが」
そう言ってカトルは紅茶の香りを楽しみながらカップを口にする。
「そうかぁ〜?…まぁ最近はプリベンターからの要請も減ってるからな。荒事から離れたのもあるんだろうけど……」
何か言いたげにしながらも、デュオは言葉を切った。
「そう。プリベンターからの要請も殆どなくなってきてますよね。それならリリーナさんと会う機会も減っている訳ですから深く考えない方がいいですよ?」
口に出さなかった考えを見透かされたような台詞に、思わず飲んでいた紅茶を喉に詰まらせ噎せるデュオ。
「確かにあの二人は恋愛関係になりかけた事もありましたが、何かが『違う』事に彼は気付いたようでしたよ。リリーナさんには気の毒でしたが…」
更に続けられた意外な言葉に、涙目になりながらもカトルを仰ぎ見る。
「ただ彼も、自分の感情でありながら具体的には掴めていなかったようで今まで掛かったようですが、ようやく解ってきたみたいですね」
先程の通信でデュオの帰りが延びる事を伝えた時、ヒイロは極僅かではあったが、残念そうな表情をしたのだ。
尤も本人にその自覚があったとは思えなかったのだが、そろそろ自分の想いに気付く頃だろう。

カトルがそんなことを考えていると、ようやく我に返ったデュオが言葉を発した。
「アイツが何をどう理解したって言うんだよ?カトル、お前、何でそんなこと…」
「だって、彼は『宇宙の心』なんですよ?」
そう言ってニッコリと微笑むカトルに、デュオは言葉を続けることが出来なかった。
「とにかく、今日までお疲れ様でした。おかげでウィナー家のセキュリティは格段に改善されました。どうかゆっくりして行ってくださいね!」
天使の微笑でそう言われ
――これ以上カトルに訊いてもまともに答えてくれそうにないな。しょうがねぇな。
と先程までの考えを頭の隅に追いやり、デュオは素直に好意を受けることにした。



******



その日の夜、グラスを傾けながらカトルが訊く。
「ねぇデュオ、このままここで仕事を続けてもらえませんか?ここでならデスを預けなくても済むでしょう?」
「…その事については前に断った筈だぜ?時々ならこうして請負うけど、専属でってのはちょっとな…俺には今の方が性に合ってるんだ。悪ぃな」
以前にもあったカトルからの勧誘をやや申し訳なさそうに断るデュオ。
「それにデスもヒイロんちに慣れてきたしな。ディーに懐かれてまんざらでもないって感じなんだ。ディーもなかなか可愛いしな♪やっぱ猫同士気が合うんだろうな」
そういうデュオの表情は、まるで父親のようだ。
「そうですか、それなら仕方ありませんね。まぁペットは飼い主に似るって言いますからね。でもこの場合、相手の飼い主に似たと言うべきなのかな」
残念そうにそう言いながらも、カトルは含みのある微笑をみせる。
「なんだよソレ?それじゃまるで俺がヒイロに懐いてるみたいじゃねぇか??」
「あれ?違うんですか?それにヒイロだって最近は嫌がってないみたいですし?」
背後に悪魔の尻尾が見えそうなカトルの微笑みに、デュオは次第に自分が不利な状況に追い込まれて行くのを感じる。
「な、何言ってんだよカトル!ヒイロと俺は男だぜ?!」
「いやだなぁデュオ、そんなこと十分知ってますよ。でも今の時代、同性でも問題ないでしょう。それに何も恋愛感情じゃなくても仲がいいに越したことはないでしょう?」
「…う、まぁ、そりゃそうだけど…」
カトルの言葉にしどろもどろに答えるデュオ。
「僕は君が好きだし、僕達だって仲はいいと思ってるんだけど、君はそうは思ってないの?」
と、やや寂しげな表情で伺うような視線を向けるカトルに、デュオは慌てて答えた。
「そりゃ俺だってカトルが好きだぜ?でなきゃ、こうして一緒に酒なんか飲んでねえって」
「それは嬉しいな♪じゃあ僕達は両想いですね!」
「……って?!ちょっと待て、カトル?!なんか話がずれてってないか??」
「え?だって、僕は君が好きで、君も僕を好きなんでしょ?何もずれてませんよ」
そう言ってニッコリ微笑うカトルに、デュオは口をパクパクさせるだけで言葉を継げなかった。


「…カトル〜、俺で遊んで楽しいか?」
暫くして、半ば拗ねたような顔でデュオが口を開いた。
「やだなぁ、人聞きの悪いこと言わないでよ、デュオ」
そう言うカトルはクスクスと楽しそうに笑っている。
「君があんまり素直じゃないから、ちょっとからかってみただけだよ。そろそろ自分の気持ちに正直になったら?」
「自分の気持ちって、何だよ??」
そう言うデュオの表情は何の事だかわからないという顔で…

「デュオ?君、本当に気が付いてないの?」
はぁ〜、と盛大な溜息を吐くカトル。
「ねぇデュオ。一度真剣に考えてみてよ。自分にとって大切な人は誰なのか」
「俺にとって大切な人?」
「そう。ちゃんと考えればわかる筈だよ?…平和になったとはいえ、『明日の保証』はどこにもないんだよ。伝えられる時にちゃんと伝えないと苦い後悔しか残らないよ?」
そう告げるカトルは哀しげで、その言葉の意味はデュオ自身にも痛い程憶えのあるモノだった。

「はぐらかさずに、自分の心にしっかり目を向けてくださいね」
カトルはそう言って自室へ戻っていった。
「はぐらかさずに…か。痛いトコ突くぜ。何とか誤魔化したつもりだったけど、流石はカトルだな。…さぁて、どうすっかな…」
グラスに残ったブランデーを飲み干して、ソファに体を預け、デュオは目を閉じた。




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