舞踏をみたのは実に久しぶりだった。かつて自分が接した数々のシーンを思い浮かべながら 「剥製にされた夏2011」を。それはいくつかのシーンに分割されていた。まず出だしは舞台 右端のみの使用で黒の雰囲気。衣装も黒。比較的かろやかな音楽を背景に小気味よい動きで、 その後の展開を期待させるに十分な導入部であった。続いて踊り手は黒い布で目隠しし、衣装も 白っぽいものに変わった。同時に音が急激に大きくなり、もはやそれは音楽の範疇を通り越して 辛かった。耳が適応できないのか、それとも自分が歳を取って許容範囲が小さくなってしまった のか、耐えがたく轟音に近かった。15分位も過ぎただろうか、ようやくそれがおさまった。この間 舞台を楽しむ余裕などほとんどなかった。
轟音で思い出すのは北陸線のトンネルだ。どこかに吸い込まれて行くような音の真っ只中で、意識が次第に変化してゆくあの瞬間は、何度通っても変わらぬ感覚だ。いま踊り手は何も見えず、ただ真っ暗な中にいるのか、それともわずかに見えるのか。動きは相変わらず激しい。目隠しでどう変わるのか変われるのかと瞬間頭を掠めはしたが、そこまで。やはり余裕なんてない。トンネル内の轟音と言えば、それは肉体は侵害されつつもどこかで別のところに連れていかれるような
摩訶不思議な感覚。決して不愉快なだけでもなく、それはいくらか微かな期待さえ伴い、常態が剥がし剥がされていく過程で、意外な言葉がふいに浮かんできたりするのだ。
舞踏手はもしかしたら観るものの肉体を侵害しようとしているのだろうか。舞踏とは犯し犯される関係が何よりも明確になる芸術。彼女はそのとき、観客にとっては加害者であったのかもしれない。そう、あえて自らを盲目化することにより被害者の相貌を帯びつつもだ。やがて黒い布が外され、なぜかほっとした。不安は去ったのだ。とそのとき、これからは踊り手のほうが観客から侵害されるのではなかろうかと感じた。観客のほうが舞台の上の一人を剥製化しようとしているのかもしれないぞと。それぐらい激しくて当然だろう。そこには言葉がないのだから。言葉を介在させないところに舞踏は在るのだから。だからこそ演劇をはじめ他のジャンルからは触発されない直接性を舞踏に期待するのではないか。
土方巽、大野一雄、麿赤兒、天児牛大、この地を訪れたカルロッタ池田、芦川羊子、室伏鴻、田中 眠、和栗由起夫などの数々の暗黒舞踏手と言われた人たち ー ー あのころは何よりも先に舞踏だった。 そこには ”原初” という言葉でしか言えない何かがあった。少なくとも言葉を拒否することによって、 言葉では言い表せないなにかを激しく訴えようとしたのが、舞踏ではなかったか。さて後半わたしが 感じたのは “原初” というより、ある種の “覚悟” のような感覚ではなかったろうか。原初へ攫(さら) われていくのではなくて、剥製になってでも張り付くというか、したたかさのようなものであり、 それはそれで美しいシーンであった。さて、あれらの動きが構成されるとき,どんな言葉が介在したのか。 それともしなかったのか。言葉の世界を突き抜けていくことを期待するものにとっては、それらしき 言葉の裏付けがないことを願うのだが。しかし、だが言葉を無くしてものを考えることはできない。 現にわたしは、このタイトル「剥製」に強く引かれ、何を意味するのだろうとあれこれ考えているでは ないか。剥製はpelts?と疑問にさえ思っているではないか。いやそこは感性の領域なんだ。とまで 思いついたとき、舞踏と詩はようやく肩を並べたような気がするのだった。そうだ、感性が同調できる もっともダイレクトな存在が舞踏であったと。圧倒的な力でジャンルの壁を乗り越え心をつかまれて しまったのが舞踏であったと。
アスベスト館の舞踏手・山本萌さんが金沢に戻って30年はとっくに過ぎた。あのころなにかに憑かれた ように舞踏をみてまわっていた自分だが、いま、それに接したものも接しなかったものも同じような存在で あるのが不思議でならない。このごろはよくそんなことを思う。なぜ、みな同じように歳とってしまうの だろうと。いや、きっと違う。根のところで、あの激しさを知っているのとそうでないのとは大違いだと、 思うのだが。
肉体の感じた記憶はいつでも新しい。白榊ケイさん。肉体のつづくかぎり阿修羅のごとく踊ってくだ さい。剥製にされるのではなく、剥製を装うことによって。
公演後の記事として読売新聞に新田さんが簡単にまとめて書いてくださいました。
地元の雑誌にも載りました、ザウスというファションと食べ物紹介の雑誌です。