『鉱物王子』コレクション


☆石のチケット

Special Event Graphics
___ 世界のイベント・グラフィックス ___
P・I・E BOOKS  Page 156


Art Director : Atsushi Minami
Designer : Hideaki Toda
Art : Atsushi Minami
Design Firm : Blue
Client : Kanazawa Butoh Kan

 デザイナーの戸田秀昭 がこの本に応募したところ、選ばれて載りました。1991年、金沢公演会場で " 石のチケット " は好評で、当日精算用の紙のチケットの方も石のチケットに切り替えてお渡ししました。なお、お土産として氷砂糖も付けました。


☆最初のチラシ

 1988年 瀬戸市公演にて『鉱物王子』が初めて誕生する。地元の陶芸家、寺島裕二が舞台美術を担当、瀬戸焼の土を塗りたくった壁面を背景として舞台はおこなわれた。壁面パネルを裏で地元の青年達が動かす協同作業の舞台でした。プロデュース : 松永 耕治

 「何気なく足もとの石を見つめていると、人間の歴史よりもさらに以前、岩だらけの地球を思い巡らします。岩、鉱物は私たちの知らない永い時間をかけて出来上がる歴史を持っていたはずです。その時代、鉱物は鉱物自身の時間の中で躍動的に生きていた。いや、今も彼等の息吹が結晶となってどこかに残っているはずです。その閉じられた結晶の被膜をそっと剥がしてみると、太古からの生命が今も生きているのではないか ! ・・・。私はそんな思いを込めて『鉱物王子』とタイトルを付けました。」山本 萌


☆アメリカ公演

 ロサンゼルス・ニョーヨークとつづけて公演しましたが、受け入れる規模がまったく違っていました。ロサンゼルスではロクサーヌ・スティンバーグ個人が私達の舞台をプロデュースしてくれました。日本から比べれば広めのギャラリースペースに集まった客席からの暖かいまなざしと、力強い拍手、私達のこれからの海外公演を勇気づけてくれるステージでした。

 ニューヨークでは斎藤洋の「染め布」の大きなイベント展にゲスト出演でした。聖ヨハネ大聖堂はハトバスで観光客が立ち寄るほどの名所で、アメリカで一番でかい教会、舞台の天井はミサが反響するように何十メートルもの高い吹き抜けでした。観客は私達の踊りを見ながら、さらにその背景に雲のように浮かぶ斎藤洋の染め布を見上げているのでした。他にも3 組のステージがありました。

LOS ANGELES
ACE Contemporary Exhibition Space
Roxanne Steinberg of Dance Diner presents


NEW YORK
"THE ELEMENTS OF THE EXODUS"
an EXHIBITION and PERFORMANCE of DYED ART WORK by HIROSHI SAITO
THE CATHEDRAL CHURCH OF ST. JOHN THE DIVINE


☆鉱物王子の出演者

■山本 萌 ( やまもと もえ )
1953年 石川県野々市町生れ。1974年より土方巽のもと暗黒舞踏派・白桃房連続公演に参加。芦川羊子の脇を固めた男性郡舞の中で異才をはなち、認められるところとなった。特に仁村桃子と山本萌の数回のデュエットは一連の作品の中で重要な位置をしめ好評を博した。76年東京にて" 金沢舞踏館 "を主宰して、『正面の衣装 』( 演出/土方巽 )をもって土方巽のもとより独立。77年より金沢に戻り本格的に活動を始める。

■白榊 ケイ ( しらさか けい )
1958年 石川県金沢市生れ。1979年より金沢舞踏館に参加。いくつかの舞台をへて、85年よりソロ活動も始める。86年ー 白榊ケイ舞踏会 ー『遅れ雛』にて主演、東京・金沢・富山・大阪で公演する。89年『シヴァとカーリーが踊るとき』の強烈な「カーリー」の踊りが話題になり金沢・京都・大阪・奈良・能登にて踊る。奈良の神沢モダン・ダンス研究所/ 神沢和夫氏の目に止まり、彼の振り付けによる作品展『動きの声を聴く』( スタジオ200 ) に出演。海外公演に参加後、95年同じく創作舞踊を金沢で続けるガネー舎の山下喜代美と、女性二人の会「Hannya」を作り活動の場を広げている。

■第三の舞踏手
△芝崎 博敏 ( しばざき ひろとし)
△町田 宗昭 ( まちだ むねあき)

□金沢・富山公演チラシ・デザイン
△秋山 稔


1996年製作

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