[6話] 大久保利通暗殺事件
歴史よもやま TOPへ
|
■明治11年(1878)5月14日朝、東京の紀尾井坂から赤坂御門に至る北白川宮邸と壬生邸にはさまれた、通行人のない閑静な路上で事件は起きました。 |
金沢市野田山麓にある島田一良、長連豪たち6人の 墓所。 |
![]() 島田一良らが集った三光寺。 (金沢市野町) 島田たち不平士族はここで会合を持ち「三光寺派」と よばれました。 |
| ■彼らが掲げた暗殺理由(斬奸状) 「薩長藩閥の専制独裁」 「法令の乱用による政府官吏の私利私欲」 「国費の乱費と憂国の士の排斥」 すなわち、大久保らの専制政治は民権を抑圧して国費を浪費し、政府官吏の私利私欲。さらに外交の失敗により国権の失墜を招いたというものです。 言論の自由がない当時の社会では、自分たちの意見を表現するには暗殺以外にないと考えたのでしょうか。 ■襲撃後、官に名乗り出て死刑になるなら、いさぎよくそれを受ける。人を害して我が身のみ逃れることをしないという彼らの態度は(狂信的な面もあり、もちらんテロリズムは許されない行為ですが)、現代のまったく関係のない人を標的にして殺し、自分は隠れるという卑劣なテロリストとは違うと思うのです。 襲われた時に、刺客を制して冷静に書類を風呂敷に包み、馬車から降りた大久保利通とともに、彼ら刺客たちも「武士」だったのだな・・・と思います。 |
| ←前ページ・次ページ→ |