戦国大名と忍者  

忍者といえば伊賀甲賀が有名ですが、各大名家でも独自の組織を持っていたようです。
まだまだ物足りないページですけど、今後も追加してゆく予定です。

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大名家の忍者組織
加賀前田家  加賀前田家には「偸組(ぬすみぐみ)」という忍者組があったそうです。伊賀者50人で組織されていたようですが、元和偃武(げんなえんぶ・大坂の陣後の泰平の世)の頃には解散されたといわれます。幕府に疑いを持たれるのを避けるためでしょうか。
 マンガ「花の慶次」には加賀忍軍(頭領・四井主馬)として登場。前田慶次の命を狙って、コテンパンにやられます。
 越中富山といえば「薬売り」で有名ですが、彼らは加賀前田家のスパイだという説があります。前田家の分家、富山藩が藩財政の足しにする目的で全国に行商する「薬売り」を始めました。約二千人の行商人が二十二組に分かれて全国を回りました。経費がかかるわりに利益が少ない商売だったそうで、それでも継続されたのはなぜなのか?。情報収集のための組織だったといわれる所以です。
仙台伊達家  伊達政宗が用いた忍者組は、黒革の脚絆(きゃはん)を着けていたことから「黒脛巾(くろはばき)衆」といいました。どのような組織かは不明ですが、奥州の敵対勢力に対して情報収集をおこなったようです。
甲州武田家  武田家には「三ツ者」と称する諜報・謀略・監察に任ずる者たちがいたそうです。部将の甘利備前、飯富兵部、板垣信形の三将に10人ずつを与えて諜報活動をさせたといわれます。 
 また武田信玄は、望月千代女という女性を巫女頭に任じて、信州小県郡禰津村古御館に200〜300人の少女を集め、巫女養成所を作らせたそうです。女性による諜報組織で、巫女として忍びの訓練を受けた少女たちが、「歩き巫女」となって全国を回り、情報を収集したといわれます。
越後上杉家  上杉謙信は「軒猿(のきざる)」という忍者集団を使っていたそうです。「軒猿」というのは、乱破や透破(すっぱ)と同じような忍者を指す名詞だともいわれます。
 彼らが活躍したのは、武田信玄と雌雄を決した「川中島の合戦」の時だそうです。
 妻女山の上杉勢と海津城の武田勢が膠着状態になり、武田勢は二派に分かれて、一派が妻女山を夜襲。追われて山を降りてくる上杉勢を本隊が待ち受けて撃滅するという作戦を立てました。この時、上杉方の忍者たちが武田勢の動きを察知し、報告したようです。武田軍の意図を知った上杉勢は密かに山を降り、濃霧の中、粛々と千曲川を渡河。展開して待ち受ける武田勢に猛攻をしかけました。霧の中では、川中島の前哨戦として上杉対武田の忍者どうしの戦いが繰り広げられていたのかもしれません。
小田原北条家  北条氏といえば「風魔」。風間谷という所に住んでいたので、その地名をとって風間衆と称したそうです。正しくは「風魔」ではなくて「風間」なのですね。
 北条氏の家来ではなく、「乱破(らっぱ)」といわれる傭兵集団で、風魔小太郎を首領として、戦場での諜報や攪乱工作に従事したといわれます。特に夜間の活動を得意とし、武田勝頼の軍をさんざん悩ませたそうです。
 風魔小太郎は身長2.2mの巨人で、福禄寿のような長い頭で口には牙が4本あったそうですが、すごい形相ですね。