『順教寺 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌お待ち受け法要』での作家五木寛之氏の講演の感想を書いてもらいました。
■荒谷都さん
 大切な人が苦しみの中に居る時、私達は何も出来ないと思っていませんか?出来るのです。私にも、その事を先日教えて頂きました。五木寛之さんの講演を拝聴致しました。毎年三万人以上の人が自分自身の命の時を終えています。生かされている命と気付かず、周りも心が乾き人より自分という風潮。もう一度考えてみましょう。自分の無力さを知りつつも黙って傍らで悲しみを共有する事で相手が慰められる事を。何故私達は神仏に祈るのでしょう。声をかけて貰う訳でもないのに。私の傍らに居る事を、決して見捨る事はないと知っているからです。私にもできる事がありました。相手を思いやる心、命を与えられた感謝。生きている事は役目があるのです。先日母を亡くしました。寝たきりでしたが無条件に与えられる愛を教えられました。「人の手本にはならないが見本にはなるでしょう。」高光大船さんの言葉だそうです。知謝一つ感謝。
■白尾誠一さん
 何ヶ月か前から、副住職さんに「ご縁があって五木寛之先生に来て頂いてお話をしてもらえる。」と聞いて、夫婦で行くのを楽しみにしていた。
 当日、昔懐かしい浅野川線の電車に真新しくなった金沢駅から乗って、開演1時間前に順教寺さん到着。お話が始まる頃にはお堂が満席となった。
 その日、印象に残ったことは、お話の中で数多くあったが特に「東北地方の自殺率の高さ」「悲の意味」それと「疎外感」。数日後、新聞でも日本の自殺の多さが記事になっていて、世界で多いのは旧ソ連のロシア以外の国々だと報じていた。東北地方とロシア以外の旧ソ連邦の国々の共通点は何か?それは「疎外感を感じる環境になっていること」そこに「慈の心」を感じさせるものが無いことではないかと思った。
 参列者のほとんどが熱心な女性信者の方々(親鸞聖人と五木先生の)だった。親鸞聖人はまだ身近に感じられない。五木先生は遠い昔、高校時代の「青春の門」の大作家である。私はそこに「疎外感」を感じた。最後に皆さんで歌(恩徳讃)を歌われたとき、私の「疎外感」は頂点に達し、その場から消えたくなった。しかし、私の横には「カミサン観音」がいてくれた。「カミサン観音」いつまでも私を疎外感から守り、慈悲の心で接していてください。
念仏 合掌
■杉山嘉子さん
 お寺参りとは、なかなか縁遠い私ですが、この度「親鸞聖人七百五十回御遠忌お待ち受け法要」に五木寛之先生のご講演とお聞きし早速喜んで拝聴に参加させて頂きました。
 穏やかで分かりやすい口調で慈悲の心を語られました。近年、自殺が特に多くなっているのは、生活が科学の発展と共に潤いが無く心の中も簡素化されて渇ききっていると説かれた。
 夫婦二人だけの生活になり、いつまでも健康でありたいのですが現実はそうもいかず、身体が痛いとか、痺れがある等、慈悲の心どころか、愚痴や投げやりの言葉が出ますが、その都度「自分の無力さを知って相手を思いやる心が大切」と話された事を思い起こしています。
 与えられた命を大切に、これからの残された人生を二人仲良く生活出来るようにと思っています。
■平松希維子さん
 此度は、順教寺様の御厚志により、親鸞聖人七百五十回御遠忌お待ち受け法要に、私の人生最後の機会と思い参列いたしました。小さい子供さんの読経に驚き、成る程と感心し乍ら、ご唱和いたしました。
 五木寛之氏の記念講演では、超満員の参列者に向って、先生は笑顔でご入場され、「楽な姿勢で聞いて下さい。」との心配りをされて気持も和みました。九十分以上もの間起立の姿勢で中休みもされず、ユーモアをまじえながらご講演されましたのには、流石にご高名な先生と聞き入っておりました。
 生き難い今の世相は、人の心の渇きが根元で有り、情のある人間関係が大変大切であるとのお話、本当にその通りと納得し、心に深く染み入りました。
 とてもお忙しい五木先生を遠方よりお招き下さって、誠にご苦労様でございました。
 お蔭様で貴重なご講演を間近で拝聴出来まして、有難く心からお礼申し上げます。
■西川節子さん
 いつもダンディで素敵な五木先生の講演は、「論学会」以来でしたので、娘や友人達と首を長くしてお待ちしておりました。
 順教寺さんとは、娘を亡くしてからのご縁で丸九年たちました。そしてこの度、五木先生とお寺さんのご縁を伺い、なんだか不思議で嬉しい気がします。
 九年前に突然訪れた娘の死に、生きたここちもせず、只々涙していた私を立ち直らせてくれたのは、一緒に泣いてくれた友人の慰めでした。それこそが先生の話された慈悲の心だったのですね。自分の力ではどうしようも出来ない事を思い知らされ、日々家族が元気で帰宅する喜びに感謝して、法然様、親鸞様、蓮如様の教えを「わがはからいにあらず」と解釈なさった見えない力におまかせして生きていけそうです。
 五木先生の心に沁みる講演をお聞きして、先生は平成の蓮如様では・・・と思ったのは私だけでしょうか。来年も楽しみにしております。 
■小林玲子さん
 御先祖様のご縁で順教寺さんとは深い繋がりがある我家です。その順教寺さんのお御堂で五木さんの御講演を間近でお聞き出来大満足でした。たんたんとした物静かな語り口に引き込まれ九十分を越す時間があっという間に過ぎて行きました。テーマ「慈の心と悲の心」の「悲」の持つ意味に心が動かされました。悲は無力さを感じるほどの情に近い愛であること。人が悲しんでいれば深い理解を持ち同じ立場になってただ黙って側にいてあげるだけ。これ以上の優しさがあるでしょうか。二年半前夫を亡くし悲嘆に暮れていた私を回りの人達は正にこの悲の心で支えてくれたと感じました。沢山頂いた悲の心を忘れず胸に確りと持っていたいと思います。「情が大切。愛情、感情という言葉がある。情報とは心を伝えることなのだ。」マスコミで働く娘に言ったら本当に心が大切だねと感心していました。誠に幸せな一時でございました。
■光森茂之さん
 
五月二九日、順教寺で五木寛之先生は、慈のこころ、悲のこころをテーマに講演されました。受付では先生の著書である蓮如の贈呈もありました。
 講演の中で先生は、慈悲の視点から現代の乾いた人間関係を見直す必要があると話されました。私は家に帰って、早速蓮如を読み始めました。この本は、親鸞と蓮如を対比させながら筆が進められており、あとがきでは、親鸞に慈を感じ、蓮如に悲を見るのは、私の実感ですとのべられています。
 広辞苑を引いて見ると、衆生に楽を与えることを慈といい、苦を除くことを悲というと書いてあります。今回の講演も、慈悲という仏教の根本問題をとおして人間関係を話されたものと思っています。
 私は、仏壇にお参りするごとに蓮如の御文を読んでいます。蓮如はこの中で、親鸞の教えに忠実に、しかも当時の民衆は勿論のこと現代のわれわれにも通用するわかり易いことばで浄土真宗の教えをひろめました。
 私は五木先生の今回の講演や著書を通じ、又御文を通じて、親鸞と蓮如という偉大な人物に慈のこころ、悲のこころを味わっています。