じゅんきょうじ 夏のつどい〜お寺であそぼう〜


 [にちじ] 2010年11月 日(土) 午前10時より

 [ばしょ] じゅんきょうじ

※お母さん・お父さん・おばあちゃん・おじいちゃんもごいっしょにどうぞ。
  みんな、おともだちといっしょにあそびにきてね。 

2009 じゅんきょうじ こども報恩講 プログラム  
・あいさつ
・おつとめ 【正信偈(しょうしんげ)】
・絵本のよみきかせ

キッズ・なかよしコンサート
バイオリン 四藤 薫子さん、浅香 京子さん
【プログラム】
「ちいさい秋みつけた」
「夕焼け小焼け」
「蘇州夜曲」
「ジュピター」
「威風堂々」
「峠のわが家」
「草競馬」
「ラ・クンパルシータ」
「ハバネラ」

・おやつタイム
     
《四藤薫子(よつふじ・かおるこ)さん プロフィール》
開進堂楽器バイオリン講師、 
ブライダル奏者(ホテル日航金沢 全日空ホテル等で演奏)、
金沢交響楽団団員、 弦楽合奏団エコ・アーミ代表、
金沢ポップスオーケストラ団員
〜キッズ・なかよしコンサート〜
■報恩講(ほうおんこう)
 宗祖親鸞聖人(しゅうそしんらんしょうにん)は1262年11月28日に、90歳(さい)で亡(な)くなられました。その後(のち)、本願寺(ほんがんじ)(だい)3代(だい)、覚如上人(かくにょしょうにん)が1294年、聖人(しょうにん)の33回忌(かいき)にあたって、その法要(ほうよう)に誦(じゅ)する讃文(さんもん)として『報恩講私記』(ほうおんこうしき)を作(つく)られ、聖人(しょうにん)の念仏(ねんぶつ)のみ教(おし)えに縁(えん)を結(むす)ばれた人々(ひとびと)が相集(あいつど)い、ご命日(めいにち)である11月28日に、その遺徳(いとく)を偲(しの)び法事(ほうじ)をつとめたことから「報恩講」(ほうおんこう)がはじまったようです。
 真宗門徒(しんしゅうもんと)は、報恩講(ほうおんこう)を1年間(ねんかん)の始(はじ)まりとし、また総(そう)まとめとして、もっとも大事(だいじ)な行事(ぎょうじ)として大切(たいせつ)にしてきました。
(「同朋新聞」から)
■恩徳(おんどく)−ありがたいということー
 いまから750年(ねん)ほど前(まえ)の11月(がつ)28日(にち)、親鸞(しんらん)さまは90年(ねん)のご一生(いっしょう)を終(お)えられました。
 その親鸞(しんらん)さまがご生涯(しょうがい)をかけてあきらかにしていただいた教(おし)えを聞(き)き、「ありがとうございます」と感謝(かんしゃ)するのが報恩講(ほうおんこう)のおつとめです。
 私(わたし)たちが「ありがとう」と言(い)うのはどんな時(とき)でしょうか。自分(じぶん)の欲(ほ)しいものが手(て)に入(はい)った時(とき)、自分(じぶん)の願(ねが)いごとがかなったときなど、自分(じぶん)が何(なに)か得(とく)をした場合(ばあい)だけではないでしょうか。自分(じぶん)の損得(そんとく)をものさしにして、ありがたいか、ありがたくないかを判断(はんだん)しているのです。
 ところが、このものさしほど当(あ)てにならないものはありません。状況(じょうきょう)によってコロコロと変(か)わるからです。欲(ほ)しくてたまらなくて買(か)った物(もの)でも、時間(じかん)がたってみれば部屋(へや)の片隅(かたすみ)にゴミのようにほったらかしにされている、ということがよくあります。買(か)ってくれた人(ひと)に「ありがとう」と言(い)ったことなどは、とっくに忘(わす)れてしまっています。
 自分(じぶん)にいのちが与(あた)えられたことを「ありがたい」と感(かん)じたことのある人(ひと)は、どれほどいるのでしょうか。多(おお)くの人(ひと)は、自分(じぶん)が生(い)きていることをあたりまえのように思(おも)っているのではないでしょうか。しかし、自分(じぶん)で心臓(しんぞう)を動(うご)かすことができる人(ひと)は一人(ひとり)もいません。また、いやなことがあっても、心臓(しんぞう)は黙(だま)って打(う)ち続(つづ)けてくれています。
 そのような、私(わたし)たちが日(ひ)ごろ考(かんが)えたこともないようないのちの意味(いみ)を教(おし)えてくださったのが親鸞(しんらん)さまです。すべてのものが平等(びょうどう)に尊(とうと)いいのちを与(あた)えられていることを示(しめ)され、傷(きず)つけ合(あ)うことがどんなに悲(かな)しいことであるかを教(おし)えてくださいました。
 親鸞(しんらん)さまは、私(わたし)たちが欲(ほ)しがっている物(もの)を与(あた)えてくださるわけではありません。私(わたし)たちが損得(そんとく)のものさしを超(こ)えた世界(せかい)に生(い)きることを願(ねが)っておられるのです。報恩講(ほうおんこう)をおつとめするのは、親鸞(しんらん)さまの教(おし)えを聞(き)いて、そのような世界(せかい)に生(い)きる者(もの)となるためです。
《小松教区(こまつきょうく) 一楽 真(いちらくまこと)
(『ほとけの子 秋のしおり 報恩講』(東本願寺)より)
■2009年の写真(しゃしん)です。
正信偈のおつとめの後、
ひとりずつバラの花をおそなえしました。
バイオリンの演奏はとっても素敵でした。