■大城先生からメッセージをいただきました。
■第5回 公開仏教講座(2006年9月)

「親鸞聖人を憶う」

縁あって大谷大学に入り、「親鸞」という人を知りましたが、長らく「宗祖」という言葉は使えませんでした。正直に言えば、今でもそうです。「親鸞」「親鸞聖人」「宗祖親鸞」「宗祖親鸞聖人」「宗祖聖人」「宗祖」「聖人」「祖師聖人」「祖聖」等と数多ある中で、私が使えるのは「親鸞聖人」までが正直なところです。なぜか私の中で「宗祖」と呼ぶと、「親鸞聖人」が遠くなってしまうのです。『歎異抄』の著者は「故親鸞聖人御物語の趣、耳の底にとどまるところ、いささかこれをしるす」と内面の促しに正直になって、教えをいただいている自分を静かに披瀝しています。本文の中では「故聖人」と呼び、親鸞聖人の教えを噛みしめています。しかし、時には「故親鸞」「親鸞」と言って確かめているところもあります。
 このたび、「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌」にあたって、18歳のときから今日まで導いてくださっている『歎異抄』の語りかけをいただきながら、私にとっての「宗祖親鸞聖人」についてお話したいと思います。

 
 ■第6回 公開仏教講座(2007年5月)

「宗祖親鸞聖人を憶う」

私には、「宗祖」という言葉は馴染めない言葉でありました。正直に言いますと、今でも馴染めません。宮城先生が『宗祖聖人 親鸞』()の中で、「なぜ〈親鸞〉と呼ばなくて〈宗祖親鸞聖人〉と呼ぶのか」ということを懇切に述べてくださっていますが、そのようにおっしゃられることはわかっても、私自身の中からは〈宗祖〉という言葉が出てこないのです。決して避けているわけではありませんが、まだ身についていないのです。それは、私の中に、「型」としての宗教へのとらわれがあるからかもしれません。〈宗祖〉と呼ぶと、〈宗派の祖〉のように思ってしまう自分がいるのでありましょう。そのことはそのまま、「私において〈宗〉が不明確であること」が表れているのかも知れません。

そのように自分を振り返るとき、なぜか『歎異抄』の著者の声が聞こえてくるのです。

「ひそかに愚案をめぐらして、ほぼ古今を勘ふるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑あることを思ふ。」

「幸に有縁の知識に依らずば、いかでか易行の一門に入ることを得んや。全く自見の覚悟を以て他力の宗旨を乱ることなかれ。」

「よって、故親鸞聖人の御物語の趣き、耳の底に留まるところ、いささかこれをしるす。ひとえに同心行者の不審を散ぜんがためなりと。云々」

ここには、本当に〈宗祖親鸞聖人〉にお会いなさっている〈人〉の活きた声があります。〈宗祖親鸞聖人〉に待たれている、〈宗祖親鸞聖人〉は待ってくださっている、その一点を伝えようとしてくださっている『歎異抄』の著者の語り掛けに、私はただ頭をたれるばかりであります。『歎異抄』に歎異されている私自身を静かにみつめ、〈親鸞聖人〉がいらっしゃるところに思いを致したいと思います。

『歎異抄』の語りかけは、時間と空間を超えて、〈宗祖親鸞聖人〉に出会わせてくださることを思う今日この頃です。

私も〈宗祖親鸞聖人〉にお会いしたい、それが今の正直な気持です・・・・・・・。

 ■第7回 公開仏教講座(2008年5月)

宗祖親鸞聖人を憶う

大城邦義

このたびも又「宗祖親鸞聖人を憶う」という講題でお話させていただきたいと思います。

縁あって「大谷大学」に学び、早三十数年が過ぎてしまいました。この三十数年間、私は何を求め、何をしてきたのでありましょうか。ただ自分の内面の促しに正直に生きてきたと言えば、よく聞こえるでありましょうが、「必ずしもそうではないだろう・・・」という声が、自分の中に聞こえてまいります。

「宗祖親鸞聖人」・・・・・・私には、本当に頭が下がるお方であります。

大学で学生さんたちに、釈尊の教え、仏教というものについて語り、親鸞(『歎異抄』)について語ってまいりましたが、いつも私は〈何かに見られている・・・〉という感じがどこかにありました。私を見つめている眼差しは、もちろん目の前に座っている学生さんたちのそれでありますが、その場を通してかなたから静かにじっと私を見据えている〈沈黙の眼差し〉があるのです。私は、学生さんたちに語りながら、時にその眼差しを意識し、時におののき、自分を省みさせられるのでありました。学生さんたちをはじめとする人の目も気にならなくはありませんが、同時にその場において感じられる〈沈黙の眼差し〉が私には気になるのでありました。その〈眼差し〉は私の心根を見つめ、「・・・そうかな?・・・それでよいのかな・・・?本当にそうかな・・・?・・・」と私に問いかけてくるようで、私を促してくださっているようでもありました。

大谷大学に入った当初から1年間ほど、〈親鸞〉は私にはわからない、受け入れられない人でありましたが、なぜか気になる方でありました・・・。やがて2年生になった4月下旬、あるお寺でなされていたある先生の講義を聞き、私が暗中模索しながら過ちを犯しつつ19年間生きてきたことが間違いではなかったことに気づかされたのでありました。そのとき以来〈親鸞聖人〉に根っこから手ごたえを得た私は「浄土の真宗」をこの身にいただく以外に私の人生が満つることはないという確信が深まる一方で、やがて3年生になって迷うことなく〈真宗学〉を専攻し、〈教え〉を聞くという営みに専念することになったのであります。その意味で、私にとって大谷大学を中心とする京都の地は聞法の場であり、学問研究の場ではありませんでした。もはや〈浄土真宗〉〈親鸞聖人〉は研究の対象ではなく、私を導き促してくださる〈教え〉であり〈人〉でありました・・・。

それにもかかわらず、まだ〈宗祖親鸞聖人〉と呼べない私の〈業〉があります・・・。それはいったい何なのでしょうか・・・。その〈業〉を憶いつつ、ただ今の私は、「他力の悲願はかくのごときのわれらがためなりけり」と語られ、自ら「愚禿親鸞」と名乗られ、「愚身が信心におきてはかくのごとし」と静かに語りかけてくださっている〈親鸞聖人〉のお姿に、ただただ頭を垂れるばかりなのであります。