南蛮菓子の年表 (参考にして下さい。)

安土・桃山時代
1549年 天文18 宣教師ザビエルがキリスト教を伝える。
1551年 天文20 南蛮貿易で堺、平戸、長崎栄える。
1560年 永禄 3 南蛮文化が伝わる。
1569年 永禄 12 ルイス=フロイスが織田信長にコンペイトウを献上。
1571年 元亀 2 南蛮菓子輸入される。信長が延暦寺を焼き打つ。
1575年 天正 3 前田利家越前府中城主になる。
1582年 天正10 南蛮菓子の輸入盛んになる。本能寺の変で信長が自殺。
1588年 天正16 高山右近が加賀藩に仕える。金沢城修築、高岡築城を行う。
江戸時代
1600年 慶長 5 有平糖がヨーロッパから伝わる。関ヶ原の戦い。
1603年 慶長 8 徳川家康が征夷大将軍になる。
1609年 慶長14 平戸に商館を開き、オランダと貿易を始める。
1613年 慶長18 長崎にカステラ製法が伝わる。
1614年 慶長19 高山右近等を国外に追放。大阪冬の陣がおこる。
1623年 元和 9 徳川家光が3代将軍になる。イギリスが商館を閉じる。
1625年 寛永 2 太閤記「下戸には、かすていら、ぼうる、かるめひる、あるへい糖、こんぺい糖・・」
1629年 寛永 6 長崎で踏絵が始まる。
1634年 寛永11 長崎に出島が出来る。
1635年 寛永12 日本人の渡航と帰国を禁止。参勤交代制が始まる。
1638年 寛永15の頃 有平糖が京都に伝わるか。島原の乱が終結。
1639年 寛永16 ポルトガル船の来航禁止。
1641年 寛永18 オランダ商館を出島に移転。
1680年 延宝 8 綱吉が5代将軍になる。文治政治
1682年 天和 2 浮世草子・好色一代男六・四、あるへいたう、生貝のふくら煎を」
1688年の頃 元禄 1の頃 金平糖が大阪で造られるか。 元禄年間(1688〜1703)
1688年 元禄 1 浮世草子・日本永代蔵五「砂糖を吹き出し、自から金平糖(コンヘイタウ)となりぬ」
1689年 元禄 2 松尾芭蕉「奥の細道」に出発。
1703年 元禄16 赤穂浪士が切腹する。
1709年 宝永 6 大和本草八「陶器に入れ、ひやし堅まり、浮石の如く成たるを果に充て食す。・・」
1711年の頃 享保 2 浄瑠璃・大職冠二「・・こんへいあるへい花ぼうる、かすてらかるめらやうかんかん」
1717年 享保 2 書言字考節用集六「浮石糖カルメイラ」と載っている。
1742年 寛保 2 金平糖が江戸で造られるか。公事方御定書が成る。
1789年頃 寛政 1 酒落本・讃極史 「これは妙だ、雲片香かるめらよりはよっぽどいいの」
1822年 文政 5 金沢で「金花糖」が造られるか。   前田斉泰が加賀藩主になる。
1823年 文政 6 シーボルトが長崎に来る。
1823年の頃 文政 6の頃 金平糖の製法が江戸に伝わるか。文政年間(1818〜1829)
1825年 文政 8 外国船打払い令を出す。
1837年の頃 天保 8 随筆 守貞謾稿二八 「・・号けて金花糖と云。寛永に至り江戸にも伝へ製す」
1841年 天保12 菓子話舟橋に 「生姜糖 煎じ詰たる氷砂糖を二合ほど銅鍋へ取分・・」
1850年の頃 嘉永 3の頃 江戸で「金花糖」が造られるか。嘉永年間(1848〜1853)
1853年 嘉永 6 ペリーが浦賀に来る。
明治時代
1868年 明治 1 五ヶ条の御誓文
1874年 明治 7 小学読本 「浮石糖、糸氷糖、糖毬は皆天正年間其製を外国より伝へたる・・」
1912年 明治45・大正1 舶来語便覧「カルメル下等の砂糖を煮て泡を立たせそのまま凝らせたるもの」
1913年の頃 大正 2 銀の匙<中勘助> 「・・みせる。きんか糖、きんぎょく糖、てんもん糖、微塵棒」


  ●参考文献  日本国語大辞典 第二版      株式会社 小学館   佐藤憲正
           新和菓子大系              製菓実験社       石崎利内    1972 
 
 *このページに興味のある方は上記の本を読んでみて下さい。
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