河崎 徹
第六回 「平和ボケ

前回、前々回と「私の人生この程度」と開き直って、この先景気がよくならなくても自分の身ぐらいは何とかなるだろう(飢え死にしないだろう)、さらに人間だれもが本来持っている五感を働かせて危険を避けてやっていけるだろう、と書いた。そうは言うものの、サイフの中をのぞいてタメ息をつき、五感を働かせたつもりの釣りがサッパリで、ついつい他人の情報をあてにして、結局釣れずに「他人をあてにしなければよかった」とグチっている今頃である。
それでも、やはり飢え死になんかすると思っていないし、又今度こそ記録に残る大物釣りを、と思っている。日本人は平和ボケしているとどこかのエライ人が言っていたが、ボケと言われようがナマケモノと言われようが、平和である事に越した事はない。平和であるから、サイフの軽さを嘆いたり、魚の薄情さをウランだりと、笑い話に毛のはえたような事ですませる事ができる。これが、今のアフガニスタンの一般人のように、今日一日どうして食べものを手に入れるか、どこへ逃げて行けば命が助かるか、となると事は深刻である。日本でも私のように「平和ボケ結構」などと言ったら、この大変な時期に「何を言うか」と袋ダタキに会いそうである。今や、世界のどこの地域で起きた重大事件でも、いつ日本にふりかかってくるかわからない、国をあげて対処しなければならない、と政府のきつい御達しである。「そのくせ、狂牛病が英国等で大問題になっていたのに、いざ日本で狂牛病が発生すると、対応の送れた農水省は、まさか日本で起きると考えていなかった」と、どうも今回のテロ事件の対応の意図は外にある様だ。やはりこの際、釣りにだけ五感を働かせるのでなく、自分の身を守るため五感を働かせなければいけないようだ。
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現代は情報の時代と言われている(私のきらいな言葉の一つである)。しかし、もうそうなっているのだから仕方がない。そしてその情報が正しいものであるか、まちがっているものか、重大な情報かそうでないものか、あるいは、それがどの様な意図でなされているかを敏感に読み取らなければならない。それが、己の身を守る事に通じるからである。数年前、東海村であわや核爆発になりかねない重大事故が起きた。その時、日本の国営放送は、だれの目にも「これは単なる放射能もれ事故ではない。もっと危険なもの」と感じていたにもかかわらず、「放射能もれ事故」とかなり長時間報道していた。これは、明らかに作為的な報道で「無知な国民に動揺を与えないため」という事だったろう。それ以来、私は重大事故(主に原発)の報道にはこの国営放送は疑ってみる事にしている。
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ところで、日本では今日でも、ものの例えに「大本営発表」というのがある。私は戦争体験者でないので、くわしい事は知らないが、要は「自分の方に都合のよい、あるいは真実をねじ曲げて報道し、不都合(真実でも)な事は報道しない」という情報操作である。たぶん、多くの日本国民が「なんだか変だ」と思いながらだまされ続けてきた、国が国民を一方向に向わせるための手段であった。
ところが、これは何も日本に限られた事ではない。あらゆる国で「戦争」という局面で国民に対して行われる情報操作である。自由の国(ブッシュ大統領が言っている)だって、ベトナム戦争でやっていたのを私も経験した。ベトナム戦争で現地で何が行われているかをひた隠し、ウソの情報を流し、何も知らない若い兵士が「国の為」と思って出兵し、そこで実態を知り、絶望し、多数の若者がムダに死んでいった。実態が明らかになった時には、すでにアメリカの敗戦は決まっていた。旧ソ連にしたところで、今のアフガニスタンでアメリカがベトナムで犯したことと同じ事をやり、多くの若者が現地でその実態を知らされ、麻薬におぼれたり、逃亡したりという凄惨な事実を知っている。大本営発表は自由国(?)アメリカだから起こり得ない、共産圏だから起こった、というものではない。これは戦争につきものである。
ブッシュ大統領が「これは戦争である」と発言した時から、「大本営発表」が始まったのである。「戦争が始まった」からには、国民が一方向に向って団結し、事にあたらなければならない。みんな同じ方向に向かなければいけない。私のように「平和ボケ結構」なる者がいては困る訳である。であるから、まず最初の段階で、世界中の国々に「正義のアメリカの味方か、テロの味方か、二つに一つ」と迫り、その場はしぶしぶでもアメリカの味方と言わせ、世界中がアメリカの味方と報道し、国民に団結を呼びかけた。これも戦争の常套手段である。時間が経って、みんなが冷静になる前に政府、マスコミ、国民が一致団結して戦争に向って走る(ただ一人国会議員で戦争に反対した女性がいた。男はダメだな)。いま頭に血の登った大統領に、一度はアメリカ万才と言ったものの、平和ボケしていない世界の国々は、自国が生き延びる(自国の損得を考え)ための策を考え、一筋縄ではいかない。そこでアメリカは、アメとムチの攻勢をかけている。
これが、五感を働かせて得た私の情勢分析である(十月五日)。ここで問題にしたいのは、まず日本(政府、主に国営放送を主としたマスコミ)が、アメリカ大本営発表に対してあまり疑っていない、という事である。前記したベトナム戦争の時も、アメリカ側の情報で私自身、アメリカが負けるとは思っていなかった。もしあの時、別の情報(共産圏)からの情報を得ていれば、私の判断も違っていたかもしれない。逆にアフガニスタンへの旧ソ連の進行は、早くからソ連は「危ない」というニュースで、いずれはベトナムの二の舞になる、という感がしていた。このように、戦争当事国からのニュースは、まず疑ってかかるべきであろう。アメリカ大本営発表では「本当の所」を見あやまる事になる危険がある。
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ところで、現段階(アメリカがアメとムチで各国におどしをかけている段階)で、我が日本のいきり立った小泉政権は「自衛隊の派遣」を大々的に言い出した。「それ、来たぞ」という感じである。日本は、憲法により紛争解決には武力を用いない(他国の戦争には参加しない)となっているから武力行使はしない。そのかわり、安全な所でアメリカ軍の後方支援をする、との事。第2次大戦で、日本はアメリカに敗れた。最前線の兵士はよく戦った。しかし、後方支援(弾薬、食料の支給)がなかったのである。最前線の日本兵のすさまじさにアメリカ兵が恐れをなし、取った作戦が、後方支援をつぶした(輸送船を沈めて食料、弾薬の補給を絶つ)。そのため多くの日本兵が最前線で撃つ弾もなく、食料もなく、死んでいったのが実態である。かように戦争においては、後方支援が大切で、それ故危険でもある。そこへ自衛隊を送ろうというのだから、日本は他国の戦争に参加しないという約束で入隊した自衛隊員は、これでは約束が違うと家族共々困っているだろう。今、日本はアメリカ大本営発表をそのまま鵜呑みにし、世界の各国がいかに自国の利害に結びつくか考えている折、又自衛隊員一人一人が何を考えているかわからないのに、政府は「日本がアメリカ軍の後方支援を」と言い出すあたりは、私の平和ボケ以上に、始末の悪い平和ボケと言われても仕方あるまい。
日本が敗戦により、もう二度と武力によって紛争を解決しないと誓ったその中味(憲法九条)というのは、自衛隊が合憲違憲ウンヌンよりもっと崇高な理念があるのだと思う。それは、日本の外交というものが、紛争時に政治家は体を張って事にあたるべし、という事をいっていると思う。今の日本の政治家は高い給料と我々一般人にない特権を与えられている。だからこんな時こそアメリカの御機嫌をうかがい、すぐ自衛隊を出すような事を考えず、体を張ってアフガニスタンでも、中東でも出かけていって、問題解決に努力すべきである。今の政治家は、なぜか二世議員が多い(特に自民党)。よほど議員とは旨味のある職業なのだろう(親はしんどい、危険な職業は子供に継がせたくない、というのが一般的な考え)、親の七光りで議員になった人たちに体を張って外交にあたれ、という方が無理な話なのか。
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最後に、もし数百万人とも言われているアフガニスタンの難民に危害が及べば、その人達(子供達も)は、それを一生恨むだろうし、逆にその人達に救助の手をさしのべればそのことを一生覚えていてくれるのではないか、と平和ボケの私は考えるが、考え方が甘いだろうか。

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