河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日の五十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第十回 「今だから言える学校の悪口 ― 国語」

 「おもしろきかな 昨日 消したる初雪の朝」
私の句としてはいい方である。(誰れもほめてくれないので自分でほめる) 今回はこの句がいかにすばらしいか、という話ではない。「おもしろき」についての話である。簡単に解説すれば、初雪の朝は昨日までの景色が一変して、昨日まで見たくないもの(私の池の周りのごちゃごちゃしたものなど)がすべて雪でかくされ、丁度版画の世界の世界のようで、この景色を「おもしろい」と思ったのである。この私が使った「おもしろき」という意味の中に「趣がある」という意味を含んでいると読んだ人にも、くみ取ってもらえるのではないかと思うが。
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さて、話は今から三十年、いや四十年(どっちでもいいか)、ほど前にさかのぼる。国語のテスト(古文)で「いとおかし」の意味を現代語に直せ、という問題が出た。私の答え、「大変おもしろい」、もちろん不正解であった。ところが私と同じ答えを書いた者がいた。(クラスで不正解は二人だけだったと思う) その彼が答え合わせの時に教師に異議を訴えた。正解は「大変趣がある」であったが、彼氏曰く、「美術(絵画、書道、風景)に関して"これはおもしろい"という言い方をして、そこには"趣がある"という意味が含まれるのでは」と。実は私は「おかし」という意味が「趣がある」とは知らなかった。ただ彼は、私とちがっていつも成績が良かった。「さすがトップクラス、うまい事を言う。これで私の点数も増える」と喜んだが、融通のきかない教師で「テストでは言葉は正確に使うべし。"おかし"という言葉が現代語で"おもしろい"と書いた辞書があったら持って来い」と。一瞬「もうけた」と思った私の思いはどこかへ吹っ飛んでしまった。結局辞書にはない、という事で「我ら(二人)に理アリ」と思いつつも異議は却下された。周りの奴(学生)に「お前ら"趣がある"なんて言葉、使った事があるか」、みんな(周囲の学生)「生まれてこのかた一度も使った事がない」と。私も生まれてこのかた今回の原稿がはじめてである。
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時代はそれから三十年、いや三十五年(どちらでもいいか)、我家の三人兄弟の末っ子の娘が高校に入学した時、上の二人に関して、私が子供の通っている高校の悪口(?)ばかり言っていたので、今回(末娘)は「父さんの教育方針に異議アリ」という事で、経済の実権はもちろん子供の教育に関する実権も母方(母親)に移ってしまった。ところが、「柔軟路線」を取るはずの母親が娘の仮入学の時から「今の学校(高校)は何を考えとるんじゃ」と過激な言葉が飛び出した。その怒りのテンマツはこうだ。
仮入学で娘ガ教科書等を購入するに際して、古語辞典は我家に何冊(私もほとんど使っていないのを持っている)もあるので買うつもりがなかったが、学校側の指定された古語辞典を全員が買う様にとの学校の御達しであったので「どうしたもんか」との娘からの電話で「それはおかしい。家に何冊もあるのに、高い辞書を買う必要があるのか」と母親が学校側に電話したところ、学校側の返事「みんなが同じ辞書を持っていれば、教師がその言葉の意味を教える時に何ページのどこそこにある、と言えば、みんな一斉にそこを開いて、すばやく意味を調べられ、授業が円滑に進みスムーズな授業ができ、そして他の父兄からの苦情もない」との話であった。
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この話を母親から聞いた時、何十年か前の私の「いとおかし」の「辞書の答えが"趣がある"それ以外はダメ」を思い出した。「今の高校も昔とちっとも変わってないな」と実感した。いや学校側に異議を唱えない分だけ悪くなっているようだ。私の高校時代からも、そして現代も教育に必要なものとは「個性を伸ばし、創造性豊かな子供達をつくる」とカッコいい言葉が言われ続けて久しい。しかし現実は生徒が使った事がなくても試験の正確のための言葉を頭にただインプットし、みんなと同じ答えであるが故に、何の疑問も持たず、そればスムーズな授業と考える教師、そろそろ「早くてみんなと同じ答え」が、個性豊か、とか創造性豊か、とは一致しないという事に気づいて欲しいものである。

追伸
今年、目出度く娘は高校を卒業しました。親としては何だか人質が開放された気分です。それ故に、今回の表題を「いまだから言える学校の悪口」としました。

      春なれど、なぜ咲き急ぐ 桜まで
      老木なれど、まだやり直す気か、芽吹きの頃

 

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