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林 茂雄





木山捷平と濡れた下駄

 どう形容したらいいだろうか。いい言葉が見つからない――。下駄履きの作家といえば、木山捷平ファンに怒られるだろうか。靴を履いた正統派ではなく、かといって裸足の異端派というわけでもない。果敢に闘うでもないが自暴自棄になるでもなく、衒わず飾らず、恨みも嘆きもしない。普通の庶民の生活感覚がそのまま言葉に実直に表われている。そんな着流し下駄履きの雰囲気をそう呼んでみたまでなのだが――。
 木山捷平は岡山県笠岡市出身。はじめ詩人として出発し、やがて小説も書き始めた(太宰治とも親交あり)。父親は漢詩人の岩渓裳川に入門して永井荷風と同期だったが、その後村役場に長く勤めた。その父親の反対を押し切っての上京。木山は二度芥川賞候補になるも落選し、それでもその不器用で地道な文学姿勢を変えることはなかった。
 ひっそりと市井の片隅に生きる庶民の姿を、飄々としたタッチで温かく淡々と描いた木山捷平を、読んでみる気にさせたのは亀鳴屋主人勝井氏である。勝井氏の口から、内田百フや武田百合子と並んで木山捷平の名前が出たと記憶している。そんな縁がなければ、歪んだ性格の私が木山を読むことはなかっただろう。
 世間からあまり光を当てられなかった木山だが、代表作『大陸の細道』は芸術選奨文部大臣賞を受けた。この小説は、大戦末期に満州に赴任した主人公が、酷寒の地で喘息と神経痛に悩まされながら、戦時の混乱に巻き込まれ翻弄される姿を描いたものだ。「満州時代は一年が百年にも思えた」と後に語った木山自身の体験にもとづく作品だが、ここには、戦争の悲惨や国家への怒りといったテーマがあるのではない。特異な体験記ともいえない。たいしたストーリーがあるわけでもない。あるのはただ戦時下を生きた一人の人間のありのままの生態だ。
 主人公木川正介は、満洲でくたばっても来る必要はない、と本土で妻に話している。「おれの死体はおれが始末する。骨はちゃんと小包にして送ってやる」という正介に、妻はそうなったらどんなことをしても迎えに行くという。「いや、よしてくれ。おれは小包で帰る」という正介の言葉には、妻を優しく思いやる気持ちと共に、独特のポエジーがある。
 「死んで一片の白骨となって、小包紐でしばられ、未知の郵便配達夫の手で汽車に積まれたり、降ろされたり、空高くクレーンで船に投げ込まれたり海風に吹かれたり、時には箱の中でコツコツ音をたてて鳴ってみたりする光景を思うと、自分ながら何か清涼で微笑ましい詩的な感じが湧いてくるのだ。」
 この文について吉本隆明はこう言う。作家がユーモラスに書いている割には、読者は微笑ましくも詩的にも感じないけれど、こうした発想は「理念や覚悟ではなくて、生活の仕方の次元に死を埋め込んだ特異なものだ。逆ないい方をすれば生活感性を死の自然さのなかに埋め込んだ、といってもよい」と。別に異論はないのだが、むしろ端的にこう表現してみたい――人間からあらゆる飾りを削ぎ落とした骨というものに、木山が清貧のポエジーを託したのだと。
 「死に場所は/火葬場の中がいい。/火をつければ灰だ。/きれいなものだ。/白い骨だ。」(「死に場所」)。
 常人とは異なった視点や感性を持っているのが作家や芸術家というものかもしれないが、木山の場合は違う。言葉をあまり持たない庶民を代弁するというほど大げさなものではないが、平凡で小さな生活から目を離さず、気取らない姿勢で等身大の言葉を紡ぐ。その点こそ、その存在が文学史上において地味でもあり、また逆説的に特異でもあるのだろう。「思想なんてものがいちばん駄目。照れ屋で、ひっそりと町の片隅に生き、人前にしゃしゃり出ない。なにかとうまく世を渡る、そんな器用なことができない。といって清廉高潔という人柄ではない」と作家の岩阪恵子氏は木山を評している。
 木山捷平のそんな人間くさい質朴なポエジーが窺われる一篇の詩を引用する(「五十年」)。

 濡縁におき忘れた下駄に雨がふつてゐるやうな
 どうせ濡れだしたものならもつと濡らしておいてやれと言ふやうな
 そんな具合にして僕の五十年も暮れようとしてゐた。

 いい詩だ。素直にそう思った。心の中に何かが投げ込まれた。それは意外にもズッシリとして心のかなり奥深くまで届き、さらに奥へと沈んでゆくようだった。誰もが知っているような情景。誰もが思い当たるような感情。そして誰も書けなかった詩。下駄と雨、そして時間。どうってことのない小さなありふれた寸景が、大きな深い感慨につながるのは不思議だ。
 作者と作品とは別物であるというのが私の基本的な文学観だが、木山捷平は別かもしれない。その文学は氏の人柄とズレがないようだ(そういえば亀鳴屋主人の人柄も木山捷平に通じるところがある)。その世界を形容するには、消去法に頼らざるを得ない。飾らず、逃げず、闘わず、器用でなく、泣かず、笑うでもなく、威張りもせず、恨まず、怯まず、云々‥‥。こうした消去法の後に残るものこそ、おそらくは人間の硬い本質なのであろう。たとえ、それがただの下駄に象徴されようとも、あるいは灰の中の白骨に似ていようとも。
 ああ、かくして私は最初の出だしに戻るのである。――どう形容したらいいだろうか。いい言葉が見つからない――。




木山捷平/生年1904年、没年1968年。享年64歳。代表作『大陸の細道』。



はやし しげお  金沢生まれ。
前回の藤枝静男に続き私小説作家を取り上げたが、おそらく三度目はない。
龜鳴屋第3冊目『稚兒殺し』上梓を記念してこの拙文を謹んで献上したい。
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