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林 茂雄





デリダとアポリア

 ジャック・デリダがその生涯を終えたのは2004年10月8日深夜から9日未明にかけてだった。すい臓がんのためだったという。私はデリダを読んできた。その読書はほとんどいつも、とても刺激的なものだった。彼の言葉(エクリチュール)によって、哲学というものに新しい決定的な魅力が加えられたと感じられたものだった。その読書体験はまるで推理小説を読むようにスリリングだったし、その興奮はいつも作品の難解さを脇に追いやるほどだった。
 1930年アルジェリアでユダヤ系の家庭に生まれたデリダは、用意周到で緻密な読解に基づいた作品を1960年代後半から矢継ぎ早に送り出してきた。「脱構築(デコンストリュクシオン)」という造語は圧倒的な影響力を持ち、世界各国の辞書に登録させてしまったほど。彼が相手にしたのは西欧哲学全体であり、その驚くべき大胆かつ繊細な手つきにはもう脱帽するしかなかった。哲学をこんなに面白くエキサイティングなものにした人間を私は知らない。
 ここに『アポリア』と題された1冊の本がある。他のデリダの多くの著作同様に、この死をテーマにした本のなかでもハイデガーの著作を主な参照としている。「私」は自分の死を経験できないが、経験不可能であるがゆえに「死」は「私」に深く関わる。それを「不可能性の可能性」と呼んだハイデガーの思考を批判的に掘り下げてゆく。「不可能性の可能性」――これはパラドックスでありアポリアだ。しかし、さらにデリダはこう語るのだ。「究極的なアポリアとは、アポリアそれ自体の不可能性である」と。
 今ここで、彼の言葉を引用しながら、その思考の一端にでも触れようとすることはできないし、あまりにも無謀な試みになってしまうだろう。今ここで、私にできるのはデリダを読んできたことの喜びをかみしめることだけなのだ。デリダをどこまで理解しているのかということ、デリダからどんな影響を受けてきたのかということ、そうしたことはさしあたって、今の私にとってはどうでもいい。デリダを読んできたことの意味を再確認することが無意味ではないにしても、そうしたことに改めて時間を費やすには、私はあまりにも長く、夢中でデリダを読んできてしまったのだから。




ジャック・デリダ/生年1930年、没年2004年。享年74歳。
代表作『エクリチュールと差異』『時間を―与える』ほか。




はやし しげお  金沢生まれ。
死に場所は未定。
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