「電話ボックス」第1話


 11時30分まであと10分。
 今日十数回目になるが、腕時計を見た。
 針が動くのがものすごく遅い。止まっているようだ。
 この電話ボックスに入って、20分待っている。目当ての電話はまだ来ない。
 暗い目をした男が、電話ボックスの中の私を見た。
 私は受話器を取って電話をする振りをした。フックは押さえたままだったが。
男は不審そうな顔をして去っていった。
 と、ベルが鳴った。
 私は一瞬凍りついた後、つばを飲み込んでフックを離す。

 「もしもし」
 「たかし、ごっめーん、おくれちゃって」
 「は……」
 「ねえ、今からどこ行く?なんか食事してさ、映画でもみて」
 「あの、電話、間違えてますよ。どちらにおかけですか?」
 「え、たかしじゃないの?」
 「ええ。人違いです。しかもこれは電話ボックスの電話なんですよ。」
 「うっそー、やだぁ。」
 ガチャン。

 電話は一方的に切られた。
 耳が少し痛い。最近の若い女は……。
 私は受話器をにらみ付けた。しかし大人気ない。それよりも大事な電話があるのだ。
 受話器をフックにかける。
 と、同時に電話が鳴りだした。
 今度こそはと思い、緊張感が背筋を走る。

 「もしもし」
 「……助けて」
 「は?」
 「切らないで。誰か知らないけれど、私を助けて」
 「どうしたの?」
 「私、今一人なの。浴室に一人。お風呂につかっているの」
 「はあ」
 「……右手にナイフを握っているのよ」
 「ナ、ナイフ?」
 「私、生きていくのが嫌になったの。生きていてもいいことは何もない。だから自分で死ぬわ」
 「そんな、自殺だなんて……」

 針が動いた。見ていなかったが、私はそれを感じた。
 腕時計に目をやった。11時30分だ。
 約束の時間。犯人からの電話が来る時間。

 「とにかく死んじゃだめだ。これからいいこともあるさ」
 「そんな言葉じゃ、もう、私を止められないわよ。」
 「悪いんだが、私は今別の電話を待っているんだ。また後でかけてくれないか?とても大切な
電話なんだ。」
 「私の生き死によりも大切だというの?」
 「……いや、そんなことはない。ただ5分程待ってくれないか。5分後にもう一度電話をくれ。
きっと相談にのる」
 「5分後にはもう手首を切っているかも……」
 「そんなことしちゃだめだ。わかった。住所を教えてくれ。きっと駆け付けるから」
 「でも電話の後なんでしょ?」
 「……誘拐なんだ。大切なヒロシが誘拐されて、私はここで犯人の電話を待っているんだ。
君のことも大切だ。でも今は、ヒロシの誘拐犯からの電話を取らなければ、殺されるんだ。
頼む、5分だけ待ってくれ……」
 「…………」
 「頼む」
 「ヒロシ君て、あなたの子ども?」
 「……私の子どもではないが、実の子以上に実の子らしい。愛情一杯に育ててきたんだ」
 「奥さんは?」
 「……妻は私に愛想をつかせて、出ていった」
 「そう。……わかったわ。じゃあ、5分後に電話するから。それまでは、死なないから……」
 ガチャン

 11時40分。予定の時間を10分過ぎていた。
 誘拐犯人は予定どおりに、電話をかけたのだろうか?10分間話し中だったことを、
どう思っているだろうか?約束を破ったと考えて、まさかヒロシを……。
 電話が鳴った。犯人か?受話器をとる。

 「もしもし」
 「やっぱりあんたは、冷たい男さ」
 「……香那子か?」
 「自殺しようとしている女よりも、あんなのヒロシの方が大切なのね」
 「お、お前がヒロシを誘拐したのか!」
 「そう。冷たい男に愛想つかした元妻がね」
 「なんで自殺しそうな女のことを知ってる?」
 「私の友達の芝居よ、本気にした?でも冷たいわね。5分後にかけなおせですって?」
 「ヒ、ヒロシはそこにいるのか?」
 「ここよ。か細い首には、私の指が絡みついているけどね」
 「ま、まさか。おい、やめろ」
 「首、絞めてるの。気持ちいいわよ」
 「ヒ、ヒロシ……」
 「口から泡を吹いているわよ」
 「ヒ・ロ……」
 「泣いてるの?ふん、人間よりも猫の方が大切なんだから。猫のヒロシがね」

第2話へ(近日後悔?公開)