第40回テーマ館「三日月」



三日月のメッセージ しのす [2001/08/15 07:36:54]


自宅でT大学の教授が左胸をナイフで刺されて殺された。死体のそばには
三日月のような絵が被害者の血で描かれていた。たまたま現場には教授が
顧問をしているミステリサークルのメンバーがいた。

「つまり現場には三日月の絵が描いてあったということですね」と太田さ
んが確認した。
冷たい感じのする銀縁眼鏡のフレームをかみながら太田さんは部屋の中を
歩き回った。
「死者が死ぬ直前になんらかの手がかりを残していくこと、これをダイイ
ングメッセージと言います」太田さんはうれしそうに解説した。
「つまりその三日月は被害者から我々へのメッセージなのです。このメッ
セージはダイレクトに我々に犯人を告げているのです」
「では三日月、これが何を意味しているのか。もうおわかりですね」
太田さんにそう言われても僕はさっぱりわからなかった。
「被害者の関係者の中で、妊娠していたのは被害者の愛人だけです。そう
ですね」太田さんはそう確認した。
愛人という言葉に、教授の息子は息をのんだ。知らなかったのか…
「つまり犯人は彼女だ。三日月、つまり、三ヶ月、妊娠三ヶ月の彼女が犯
人だと、被害者は告げたかったのです」
太田さんは我々を見回すと小声で「QED」とつぶやいた。

「でも、被害者は彼女が妊娠していたことを知らなかったんですけど」と
父親が警察関係でいろいろと情報を持っている中村が言った。
「彼女は隠していたそうですよ」
「そんなの被害者は知っていたんですよ」太田さんはぶすっとした顔で言
った。
「知っていたとしても、彼女は妊娠5ヶ月でした。つ・ま・り、あなたの
推理は間違いです」中村はそう言い切った。
太田さんはふっと鼻で笑うと
「データ不足だ」と吐き捨てるように言った。

「おっほん」と悪魔的な外見の多々良が咳払いをした。「いいですかな、
太田さんの推理はなかなか面白かった。しかし残念ながら被害者の思いを
きちんと受け止めてはいなかったのじゃ」
多々良はまだ20のはずなのにえらく年寄りぶった話し方をしていた。
「いいですかな、被害者の描いた絵を三日月ととらえると三ヶ月などとい
う推理もでてきましょうぞ。じゃが、そもそも出発点からまちがっていた
のじゃ」
一体こいつは何者だと僕は多々良の推理以前に思った。
「いいですかな、被害者の描いた絵は三日月などではなかった。確かに三
日月の形をしていたが、あれは」と多々良は我々の顔を見回した。
「バナナの絵だったのじゃ」
バナナ、そんなバナナって何人かが心の中で言ったはずである。
「いいですかな、被害者はバナナの絵を描いて犯人を我々に告げているの
じゃ。すなわち」多々良は息をひゅーっと息を吸い込んでから
「犯人は、猿」と言った。

「被害者が飼っていた猿が被害者を殺したのじゃ。しかる後に窓から逃げ
たした。それ故に現場は密室となっておったんじゃ」
おお、バッカもん、と誰かがつぶやいた。
「被害者は猿なんて飼っていませんでした。しかも」と中村。
「現場は密室でもありませんでした」
「ほほー、それを最初から言ってくれれば」と多々良はわざとらしくため
息をついた。「密室でないならわしの出番はなかったのじゃ」 

「ボンジュール」橋田が言った。
「こんな単純明快な事件はないあります」
橋田は奇妙なアクセントと日本語で言った。
しばらくフランスに留学していたらしい。
「三日月と言えば、クロワッサン、あんたおっさん、シルププレ」
意味不明である。
「黒は犯人、トレビアン、よもぎあん、わっかりますかぁ」わからない。
「犯人、ワッサンということよ、モナミ、ミナミ。わつという名の人物が
いたら、その人、犯人でーす」

僕は思わず言った。「僕、和都って書きますが、わとですけど」
「わとさん?ちがいまーす、わつさんが犯人です。くろ、わつさん、ね〜」
「…わつなんて人いません」中村が言った。
「わっ、驚いた、なんてね。オールボワール」 

「絵を三日月ではないという多々良の前提は正しいと私は思う」高見が重
々しく言った。
「そもそも三日月とは月の満ち欠けを基準とした三日目の月のことを言う。
太陽光が部分的にあたるために三日月の形に見えるわけなのだが、お、い
かんいかん」
高見は頭をふった。「よけいな話よりも事件についてだった。私は現場の
絵は、三日月に似てはいるが、違ったものであったと思う。三日月の形で
連想するものは、なんだ?」
「クロワッサン」「バナナ」
と多々良と橋田が同時に叫んだ。
「ノン。ブーメランだ」と高見は叫んだ。
「オーストラリアの原住民であるアボリジニが狩猟する際に使っているブ
ーメランが三日月のような形をしている。アボリジニはブーメランを狩猟
だけではなく祭りにも使っている。しかしブーメランはオーストラリアで
だけあったものではないのだ。エジプトや、ヨーロッパ、インドや、アメ
リカなどでも古くからブーメランの原型になっているものは発見されてい
る。しかもなんとツタンカーメンの墓からもブーメランは発見されている
のだ。ブーメランの名前の由来はキャプテンクックがアボリジニに「これ
は何か」と尋ねたところ「ブーメラン」と答えたことから来ている。現在
ではスポーツとして使われており、大会も開かれている、おっ、いかんい
かん、また知識をひけらかしてしまった」高見は頭をふった。
「つまり被害者はブーメランで殺されたということをしめしたかったわけ
だ。現場には凶器もなく、密室だったということで、犯人は開かれた窓か
らブーメランを投げて被害者を殺したのだ」

「だから、密室ではなかったんです」と中村があきらめたように言った。
「凶器はナイフで、現場にちゃんと残っていました」
「ありふれた事件ではなあ。もっと頭を使う事件でなくてはな」高見はぼ
そぼそと言った。 

「ちょっといいですか〜」と紅一点の柴田が言った。
「犯人、わかっちゃったんですけど」お前は、柴田純か…
「ダイイングメッセージのミステリを読むといつも不思議に思うんですけ
ど、何でわけわかんないことを書き残すんですかね。死ぬ直前のガイシャ
が複雑なこと考えるはずないじゃないですかー。単純にホシの名前を書き
残したと考えれば事件は解決です」
「だから、クロ、わつさん〜」と橋田。
「ちがいます。三日月と考えるからダメなんです。あれは『か』の字だっ
たんです。ガイシャはホシの名前を書こうとして途中で力つきたんです。
『か』という字が三日月のように書かれてしまったのです。で、右横の線
を書く前に死んでしまったため、皆さん、誤解されたんです。つまり、か
で始まる人物がホシです」

「お前ら、いい加減にしろよ」その時教授の息子が叫んだ。
「ミステリサークルだかなんだか知らないが、一体どんな頭、してんだ。
『か』をどう書いたら三日月になるんだ?バナナにクロワッサンにブーメ
ランだと?いい加減にしろよ。あれは三日月で、犯人の名前を指している
に決まってるだろ。みか・つき、なんだよ。月美香、父は母が殺したって
告白してんだよ」

一瞬の沈黙後、中村が静かに言った。
「つまりは、あなたがお父さんを殺したということですね。我々はそれに
気づいてでたらめな推理を聞かせてみた。不謹慎でしたが、それに対して
被害者の家族であるあなたは全く怒りもしなかった。変ですよ。あなたは
ミステリ好きで我々の顧問をしてくれている月教授の息子さんだから、ダ
イイングメッセージのことはご存じのはずです。ガイシャがホシを告白す
るメッセージだって。それであなたがお母さんに罪を着せようとして残し
たんですね」
中村はミステリサークルのメンバーを見回した。その場の一同も大きく頷
いた。
「だって、左胸、すなわち心臓を刺された教授は即死でダイイングメッセ
ージなんか書けたはずないんですよ」


戻る