『ゆめを見ない』


                


 「ねえ、ゆめって見る?」
 観覧車に乗っていたら、急に男の子が現れて、聞いた。
 「ゆめか……」
 聞かれて考えた。そう言われれば、最近夢を見ない。
 悪夢のような現実の毎日で、すっかり夢を見ることを忘れてしまった。
それどころか眠ることさえもできない。

 ゆめ。将来のゆめ。
 子どもの頃のゆめは、パイロットになることだった。鳥のように空が飛びたかった。
 しかし大人になって会社勤めをすると、ゆめは忘れ去られてしまった。ただしゃにむになって働く
だけだった。働いて退職したら、退職金で海外旅行でもする、それが唯一のゆめだったのだろうか……。

 しかし59歳という定年間近の、会社の倒産ははっきり言って堪えた。
 倒産してしばらくは残務整理に追われてそうでもなかったが、一段落ついた今は、心にぽっかりと
大きな穴があいたようだ。
 妻子をかかえて、どうしたらいいのか。
 ローンをたくさん抱えて退職金も出ない今、頭に浮かんだのは保険金だった。ビルの屋上から飛び
降りよう、と考えた。
 しかし死を考えたら、足がなぜかこの観覧車にむいたのだった。

 「ねえ、ゆめを見ようよ」
と男の子は言った。「死んだら、見られないんだよ」

 そうだった。すっかり忘れていた、死んだ君のことを……。
 「忘れていたよ、君の分まで生きるって約束したよね」
 横を見ると、少年は消えていた。
 私には弟がいた。遠い昔に彼は、この観覧車の事故で亡くなってしまったのだった。
 彼の分まで生きなくては。生きていれば、何でもできる。
 ゆめを見ることも……。