「入学式」


「けんた!けんた。待って」
着物を着た母親が新品のランドセルをかついだ男の子の後を追いかけていた。
男の子はうれしいのか、母親の呼び声も耳に入らないようですたすたと歩いてい
く。
周りを見回すと、同じように着物を着た母親とその子どもたちがたくさん歩いて
いた。
どの子も真新しい服に身体よりも大きいのではないかと思えるランドセルを背負
っている。
「今日は、入学式か・・・」
子どもと親たちを見送りながら僕はつぶやいた。

今日が入学式だなんて知らなかった。
28歳、未婚の私立探偵には全く縁のない事だ。
入学式といえば、僕の入学式は父親が一緒だった。小・中・高とずっと父親と行
った。
さすがに高校の時は恥ずかしくて、来なくて良いと言ったのだが、「俺の義務
だ」の一言で
父親は強引にやってきた。大学は遠いところだったのと仕事の関係で、父親は来
なかった。
今思えば小さい時から母親のいない僕を気づかっていたのだろう。

着物姿の母親と一緒に入学式へ行くというのに、ある種憧れを抱いてしまう。
小さい時から母がいないので、なおさらその気持ちは大きい。
28にもなってとんだセンチメンタルディティクティヴだ、と笑われるかもしれ
ないが・・・

母は僕がまだ小さい時に失踪したらしい。詳しい話は誰もしてくれない。
父親も、親戚もその話題には一切触れない。
で、僕らもその話題を口にしてはいけないのだ、と思うようになった。
でも一体何があったのか、知りたい気持ちは今でも強い。
それが探偵の仕事を継いだ理由の一つでもあるのだが。

今僕らと書いたけど、僕には2つ年下の妹がいる。名前はアカネという。
彼女は短大を出た後、しばらく証券会社に勤めていたが、女性蔑視の職場に失望
し、退職した。
今では特にこれといった仕事もせずに、僕の仕事を手伝ってくれている。
頑固なところがあるが、根はかわいいやつで、ルックスも悪くないから
(母親似なんだろう。ちなみに僕は父親似だ)僕と違って小さい時からもててい
た。
今も記者の彼氏がいる。

前にも書いたけど僕は私立探偵だ。
こんな町で仕事があるのか不思議だけど、仕事はある。
素行調査やペット探しばかりだが・・・。
浮気調査はあまりこない。浮気調査の依頼で来た人は、若い僕を見てことごとく
退散していく。
ましてやアカネが一緒にいたりしたら、椅子に座るまでもなく帰っていく。
腕には自信があるのだけど、外見の若さはカバーできない。

この仕事は、父から受け継いだ。
大学卒業後、都会でフリーターをしていた僕は、父から興信所をやめるという話
を聞いた。
もう年だし、美術館の警備員の仕事の誘いもあったからだ。
で僕はこの町に戻ってきて、私立探偵事務所を受け継いだわけだ。
最初父は猛反対したが、最後には折れた。
当然探偵の仕事だけではやっていけないので、コンビニでもバイトしている。
用心棒兼従業員として重宝されている。

三條探偵事務所は、駅の近くの4階建ての雑居ビルの2階にある。
1階は薬屋、2階は三條探偵事務所と歯科、3階は整体師と占い師、4階はモデ
ル事務所とタウン誌の
編集室と、なんだか得体の知れないものばかり集まっているようだ。

「お帰りっ」
三條探偵事務所と書かれたドアを開けると、元気な声が迎えてくれた。アカネ
だ。
入口を入るとすぐについたてがあって、その向こうに机と応接セットがあるのだ
が、
そのついたての上からアカネは顔を出している。
「よ。どうして僕だと思った?」
「足音でよ、ワトスン君。昼間から足を引きずるような疲れた歩き方をしている
のは、探偵長だけだから」
とアカネはいたずらっぽく言った。
「その探偵長はやめろよ。で、客は?」
「それが、心臓麻痺で死なないでね、仕事の依頼なのよ」アカネは待っていまし
たとばかりに手帳を開くと言った。
その一言で僕は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
「中学校の校長から電話が一本。壇上の日の丸が、夜のうちに盗まれたから探し
出してほしいと」
僕はあっけにとられた。「そんなの警察に言えよ」盗難なら警察だ。「いや、待
てよ。警察に言わないということは」僕の灰色の脳細胞が働いた。「おおかた日
の丸反対の教師の仕業だろう。だから警察には通報できないのさ。身内を警察に
売れないからな」
「いい線かもね。とにかく騒ぎにしたくないんだって。今日は入学式でもある
し。それにね」アカネはくすっと笑った。「校長ってヘラブナなのよ」
「国語のヘラブナか」僕はヘラブナを思い出した。フナのように死んだ目をして
いた国語教師。今は校長か。
「でどうするの?今日の依頼はこれだけよ」アカネは派手な音をたてて、手帳を
閉じた。
「っうか、今週の依頼はこれだけだろ?行って来るさ。家賃のためにも」
「あ、思い出した。大家さんからも電話あったよ。家賃2ケ月分、早くくれっ
て」
黒縁眼鏡の大家の顔を思い出すと、ブルーな気持ちになった。とにかく仕事だ。
「アカネ、留守頼む。ちょっと中学に行ってくる」
「入学式かあ。私も行きたいな」アカネは、遠い昔を思い出すような目つきをし
た。
しかしアカネの入学式に行ったのも、父だった。
「自分の子どもの時に行けよ。じゃあな」
僕は中学へ向かった。