『テーマ館』 第25回テーマ「孤独の影」


影の幸せ 投稿者:しのす   投稿日:02月15日(月)21時09分22秒
 
 
      朝6時。
      この時間になると目が自然と覚める。
      彼は起き上がるとこたつの上のノートパソコンを開いて、電源を入れた。
      内蔵されたモデムはすでにモジュラーで電話回線とつながっていた。
      プロバイダーにつなぐとともに、ネットスケープナビゲーターを立ち上げた。
      ホームは「フレンズパーク」というページだった。
      ネットスケープの右下のメールに!がついているのを確認して、すかさずクリック
      する。20通のメールがあることをしめし、彼は満足の溜息を吐く。
      昨日は10通だったけど、今日はまあまあだな。
      トモから来ていたらいいけど。
      20通のメールに一つずつ目を通す。
      入らない物は即削除していく。
      返事は今は書かない。会社の休み時間に書くのだ。
      トモからは来ていなかったな。
      彼はちょっとがっかりしたが、すぐに「フレンズパーク」のページを見る。
      いろんな話題の掲示板とチャットが用意されていて、彼は常連だった。
      彼の「シャドウ」というハンドルネームを知らない者は、「フレンドパーク」には
      いなかった。
      いくつかの掲示板に書き込んだ後、チャットに入る。
      「シャドウ:おっはよ〜」
      「キム:ハーイ>シャドウ<今日も元気かい?」
      「シャドウ:元気、元気。キムこそ、風邪は直ったの?」
      「DQF:おひさ>シャドウ<例の本読んだぜ」
      出社までの時間、彼はチャットをしながら、コーヒーとパンをばくついた。

      会社ではいつも通りの仕事。
      パソコンに向かってデータの打ち込み、情報の管理。
      仕事中にインターネットにつなぐ人もいるというが、彼の会社では御法度だった。
      昼食時、彼は通勤途中でコンビニで買った弁当をぱくつきながらノートパソコンを
      開いてメールの返事を書く。
      「ななこさん、最近僕もよく夢を見ます。でもあなたのような…」
      「ただし、思い出すよな、あのアニメ。はまったもんなあ。でも…」
      「Yock、あのテレビに関するお前の分析は、すごいぞ。僕は…」
      「玉王子、君の悩みは贅沢すぎるよ。何と言っても…」
      彼は次々とメールに返信をつけて、保存していく。
      その顔は、恍惚としていると言ってもよい。
      20通全てにレスをつけると、電話ボックスでプロバイダーにつないで、送信した。

      退社時刻が近づくと、彼はそわそわしだした。
      今日はとても大切な日だったのだ。
      「あのー、影山さん」
      ためらいがちな女性の声に、振り向くと同僚の高田清美が立っていた。
      ショートカットの女性で、彼もかわいいと思っていた。
      「今晩ひまですか?」
      彼はそんな言葉を女性から初めてかけられて、どぎまぎした。
      「実はみんなで飲みにいくんですけど、影山さんもたまにはー」
      「行かない」と彼は即座に断った。「悪いけど、僕用事あって」
      「……そう、ですか。ではまたの機会に」彼女は視線を落として去っていった。
      「……だから、無理だって」
      「人間嫌いなんだ、あいつ。大体あんなヤツ誘っても」
      「しっ、聞こえるよ」
      彼は同僚たちのそんな陰口を聞いても何とも思わなかった。
      人間関係なんて、わずらわしいだけだった。

      家に帰る。留守電の電気が点滅していた。
      彼は一瞬躊躇したが、留守電のボタンを押す。
      「ひろし、手紙も電話もくれんけど、元気でやっとるか?かあちゃんや。前に話し
      た見合いの件やけど…」
      ブチ。留守電を止めた彼の顔は怒りで真っ黒だった。
      流しで水をコップに入れて一気に飲む。
      気を静めてから、モジュラーをノートにつないぐと早速「フレンズパーク」を開く。
      今日は例会チャットの日だった。
      すでになじみのハンドルネームがチャットしていた。
      その中にトモの名前を見つけて、彼はうれしそうな笑い声を立てた。
      そしてすぐに彼の指先はキーボードの上で舞った。
      「シャドウ:はろはろ〜。トモーー、会いたかったぞー」
      「トモ:おーひさ>シャドー<ちょっち、旅してたんだ」
      彼はいきいきとした顔でノートに向かって、キーボードを叩いた。
      親しい友達とチャットは彼を幸せにしてくれた。
      メールとチャットの友達がたくさんいて、彼は幸せだった。