「隣の奥さん」


                
 隣の奥さんがいなくなった。
 別にいつも見ていたわけではないし、親しいわけでもなかったけれど、最近見かけない。
 そこである光景が、僕の記憶の中で蘇った。

 僕の部屋の窓から、隣の家の庭が見える。そこで隣の男が、何かを埋めていたのだ。
 真夜中で暗くてよくわからなかったけれど、何か大きなゴミバケツのような物だった。
 スコップで埋めてしまった後、泥だらけの手で額の汗を拭った。
 その時の顔を見て、僕はぞっとした。邪悪な笑みだったのだ。
 その笑みと奥さんの失踪が、僕の頭の中で結びついた。
 きっと奥さんを殺して埋めたに違いない。そう言えば前にすれ違った時に、奥さんは青ざめた顔を
していた。毎日少しずつ毒を飲ませて、殺して埋めたんだ。

 土曜で学校は休みだった。
 僕はこっそりと、入口から庭に入った。
 隣の男が何かを埋めていた場所に近づき、地面をよく見てみる。
 そこは他の部分よりも、少しへこんでいるようだった。直径50pほどの円形のように見える。
 足元の雑草の中に、何か光る物があった。僕は手を伸ばして取り上げた。
 それは茶色い長方形の、女の人が髪をとめる物だった。内側には、名前が彫り込んである。泥がつ
いている。気のせいか赤い物も……。
 
 「何をしている!」
 突然の男の怒鳴り声。隣の男が、家のドアの前で怖い顔をして僕をにらみつけていた。
 僕は髪どめを握りしめたまま、走って逃げた。
 家に入ると、ドアに鍵をかけて、2階の自分の部屋に駆け上がる。
 ベットにもぐりこんで、ふとんをかぶる。
 男の顔が思い出されて、ぶるぶると震えが止まらなかった。

 ……気がついたら眠っていた。時計を見ると7時だった。下から声が聞こえる。
 そっと階段を降りていくと、あの男が玄関にいた!
 隣の男は、おかあさんと話をしている。僕に気づくと、むっとした顔をした。
 おかあさんも僕に気づいて、呼んだ。
 「ちゃんと謝りなさい。人様の庭に勝手に入るなんて……」
 僕は黙っていた。
「たかちゃん。早く。謝りなさい」おかあさんが厳しく言った。
 「……す、すみません……」僕は渋々謝った。
 「いや、わかればいいんですよ」と男が笑いながら言った。でもその目は笑っていなかった。
 「もう決して勝手に入らせませんから。本当にすみませんでした」
 男は帰っていった。帰り際に僕を鋭い目でにらんでいった。
 「おかあさん、あいつ……」
 「もう、お隣さんとはあまりつきあいがないんだけど、こんなつきあいはごめんよ!」
 「ねえ、あいつ、奥さんを殺して、庭に埋めたんだ……」
 「馬鹿なこと言わないの。推理小説の読み過ぎなんだから……」

 僕は自分の部屋に戻って、カーテン越しにこっそりと庭を見張ることにした。
 僕に見破られた男は、きっと死体を移動させるに違いない。きっと、罪を暴いて……。

 うつらうつらしていた。庭を掘る音で目がさめた。
 カーテンの影からのぞくと、男がそっと庭を掘り返していた。
 「やっぱり!」
 僕は親を起こそうかと思ったが、確実な証拠を見つけてからと決めた。
 大きな音のする玩具の銃を持つと、そっと外に出て垣根越しに男を見張った。
 何か掘り当てたようで、男は丸いふたのような物を持ち上げた。
 「今だ!」と、僕は垣根を飛び越えて、庭に入った。
 男ははっとして、スコップを振り上げた。「だれだ!」 
 「やっぱり!」と僕は玩具の銃を構えながら言った。「奥さんを殺したな!」
 「な、なにぃ……」 
 「死体を庭に埋めたんだな!」
 男の顔がゆがんだ。殺人者の顔だ。僕までも殺すのか……。

 次の瞬間、男は大きな声で笑い出した。
 「はははははははははは」
 僕はあぜんとした。
 「こいつは傑作だ!それで庭に忍び込んだのか……ははははは」
 僕は、男が狂ってしまったのだと思った。
 「来てごらん、こっちへ」
 しかし僕は動かなかった。そんな手には乗らないぞ。
 男は穴の中に手を入れると、黒い大きなびんを取り出した。
 「シャブリのシャンパン」男は大切そうにびんをなでた。
「地下にワインをしまうっていうのを、知っているか?それをまねたんだ。ただ地下室はないから樽
を埋めて、地下室代わりにしたのさ。でも、友達に言ったら無意味だってさ」
 男の手のびんが僕を馬鹿にしたように光った。

 数ヶ月後。
 隣の奥さんが帰ってきた。その腕には、白い服に包まれた赤ちゃんが抱かれていた。子どもを生む
ために実家に帰っていたらしい。
 おかあさんと一緒に見た。女の子らしい。奥さんはすごく太っていて、別人のようだった。
 僕は、ポケットの中にあった髪どめを差し出した。
 「すてきなバレッタね。どうしたの、くれるの?」
 「これ、落としませんでしたか?」
 「いえ、私のではないわ」
 「けいこ、早くおいで」男が家の中から大きな声で呼んだ。それに返事して、奥さんは家に入って
いった。
 誤解でよかったと僕は思った。あんなかわいい赤ちゃんも生まれて、良かった。
 僕はふと手の中のバレッタをひっくりかえしてみた。
 そこには、「けいこ」という名前が彫られていた。