紀元26682年 皇紀2682年 西暦2022年 我が思い

皇紀2683年1月8日 西暦2022年12月29日
久しぶりに生家に帰ることができた。
クリスマス寒波により雪に埋もれていたが、幸い姉夫婦が除雪してくれていたため、雪は少なかった。
残っていた雪を片づけて、私園に回った。
思っていた通りに、紅葉の枝や幹が沢山折れていた。
湿った重い雪であったので、覚悟はしていたが、他には大きな被害はなかった。
まあこれからが、冬本番であるが。
春になったら、きれいに片付けよう。 それまでごめんね。 
春よ来い 早く来い 私園の木々たちや草たちが 早よ伸びたい と待っている

皇紀2683年1月6日 西暦2022年12月27日
今のところ、寒波は来ていない。 屋根雪もほとんど見られない。
明日、今年最後の病院だ。 ただ色々と考える。
 検査や薬のおかげで、長生きできても、何もできぬまま、生きている。
これでは、活きていると言えるのだろうか。 
そんな思いを抱えながら、春まで悶々としていくのだろう。
せめて冬眠している間くらいは、なにも考えずにいたい。 
でも、眠ると、走馬灯のごとく、この二十数年のことが走り抜ける。 
野山を駆け回ったあの頃に。戻りたいなあ。

皇紀2683年1月3日 西暦2022年12月25日
 ようやく寒波が過ぎ道路や側溝の雪が解け去ったが、また、次の寒波が来ると。
明日は又除雪に追われるのかな。 まあ春まで我慢の日々である。 私園の木々の枝も大分折れていると思う。
それは、自然の行う剪定と考えて、春先に始末してあげよう。 さあ、また休みに入ろう。 

皇紀2683年1月2日 西暦2022年12月23日
初日どころか大雪。しかも夜間には凍結。外の水道と散水ホースが凍結 シマッタ。 水抜きと少し流しておくことを忘れた。
6時で15センチ程、7時にはさらに10センチほど積もった。 なんとか凍結を溶かしてポンプ稼働開始 
駐車場の通路だけ融かして、あとは家の前の道路に散水中。 また、ガソリン買いに行かなく

詳しくは判らないが、復活祭の日時を優先して、新年を決めたために、ずれが発生してしまったのである。
なおキリスト教徒がイエスキリストの生誕を祝うクリスマスも、実は冬至の日に合わせていたのであるが、
やがてずれが発生したまま、今日に至り、現在も3日ほどずれが生じている。
なお、クリスマスはイエスキリストの誕生日ではなくて、ユダヤ教でも祝日であった冬至の日を生誕を祝う日としただけである。
クリスチャンでもない私たちが、グレゴリオ暦を使うのはおかしいので、このページでは皇紀を採用している。

皇紀2682年12月20〜21日
五回目のコロナワクチン接種を、20日の午後に受けてきた。
直後にはなんともなかったが、夜間から少しずつ体温が上がり、38.0℃がピークでした。
接種した左肩がやや痛くて、左足も少し痛みがある。
午後になっても37.6分が続いている。今夜も様子見で、明日からがんばろう。
五回目は少しひどい副作用があると聞いているが、どうだろうか。
内科には子供たちも来るので、賑わしい。私は打つときは見ないことにしているから、怖くはない。
私と同じ老人が血圧を測っている。高い数字なのか、何度も測ってみている。私もそうするのである。
雪は少し落ち着いて、クリスマス寒波が怖いね。 まあ、良しとしよう。

皇紀2682年12月17日
眠りが浅く、明け方に眠ってしまい、8時過ぎに目を開けたら、青空だ。しまった
午前中は天気が回復しそうだったので、最後の山歩きを考えていたが、出遅れた。
10時少し前に私園に着き、そこから岩倉山への登山に向かった。
実は今年の夏の洪水時に、登山ルートの一部で大崩壊が起きて、道が塞がってしまった。
その付近におうめ地蔵が道の脇にあったが、前回の調査時には確認していなかった。もし、崩壊地に有ったら、春先にみんなで探さねばならない。
再確認して、無事か、埋もれたかを確認しておかないと雪の下になると来春の予定にも影響する。
崩壊地を乗り越えて少し上の方に進むと、あった。おうめさんは無事であったし、被害を受けることもなさそうである。安心した。
さて、そのまま帰るのも勿体無いので、少し山歩きをして、昔見た湿地のある平坦面に向かったが、今回は到達できなかった。
春にもう一度探してみたい。山にある湿地なので、岩倉山登山ルートの新コースに出来ないか検討してみたい。
小一時間で駐車場に戻れたので、上麦口の集落内を散策した。生家のある麦口の隣集落であるが、なぜか国道沿い以外は歩いたことはなかった。
町の人と出逢い、しばらく話した。 不審者のように思われている感じがしたので、話しかけたのである。 色々と話が木下駄良かった。
生家に戻り、来年の町会費を払った。 私はここの住民でもあるのである。 
さあ帰ろう。日曜日からは雪である。楽しみでもある。

皇紀2682年12月16日 
今朝も寒いが、積雪は見られない。しかし、日曜日には大雪になり、金沢も故郷も雪に覆われるはず。
雪溶かし用のエンジンポンプと散水パイプを私園から持ってきて、井戸水で融かす準備はしている。
ただ、騒音が大きいので、昼間しか使えない。 
まあ冬の運動を兼ねて朝から雪どかしの毎日となる。
生家の方には週に一回ほど、産業道路が空いた時に出かけて、用水路に捨てる作業。
運転ができる間はがんばらないと。
明日、積もる前にもう一度生家と私園を見回りしてこなくては。 
今日は初めて新設された県立図書館に行って来よう。
写真の欅は、私園のメインツリーで、私が眠る予定の木である。 
一度枯らしかけたが、元気に回復したし、天に向かって大きく枝を伸ばしている姿は、見習いたいし、そうありたいと願っている。

皇紀2682年12月10日
2日間、久しぶりに良く晴れた日。
9日は卒業した高校に顔を出し、天守台の上に登ってみた。白山が望めるが、頂上には雲が掛かっていた。残念。また来よう。
10日は 私園で最後の仕事。 東屋のシート張り。 雪が中に吹き込むのを防いでいる。
集めた落ち葉を、堆肥囲いに積み上げて、仕事仕舞いとした。
帰り道に納屋によりスノータイヤに履き替えた。 
あとは雪が降るたびに、生家の周りの除雪に来なければならない。

来年はどんな年に出来るかな。 水害がないことを希望しているが、今のところは以前より危険性が増している状態である。皇紀2682年12月 8日
今日は太平洋戦争始まりの日である。 今頃、父は南シナ海でイギリス艦隊と海戦の真っ最中であった。
連戦連勝で、シンガポール入港して、南シナ海を席巻した艦隊は、ニューギニアへ侵攻して、ラバウルに基地を設置した。
しかし、米海軍と正面衝突になったころから、やがて多くの艦艇が撃沈され始め、父の乗った駆逐艦羽風も、まさに駆逐されてしまった。
そんな中で、病気となった父は艦隊勤務を解かれ、横須賀の工機学校へ転属となり、航空母艦、信濃、を進水させることにかかわる。
信濃は試験航海の後、空襲を避けるために呉に回航することとなったが、遠州灘で撃沈された。
呉に汽車で回っていた父は助かり、その後、大和にしばらく勤務し、最期の出撃を見送った。 
最後は航空母艦龍鳳に乗艦し、台湾沖の海戦で敗れて、破損、沈没は免れてやっと呉に帰港した。
父はその後舞鶴海兵団に戻り、終戦日を迎えた。 もう81年前のことであるが、軍歴表に細かく記載されている。 

皇紀2682年12月 7日
冷たい雨が時々降る。 もう初冬である。 そんな中で私園の片隅で、水仙が咲き始めた。 
川辺の自然に生えていた群落は今回の洪水で流されてしまったが、中に移しておいたものが沢山増えて水仙畑となっている。
川辺にまた、戻してやろう。 春初めまで咲いているが、途中は雪の下になってしまうなあ。 がんばれー

皇紀2682年12月 4日
3日は私園の低木の縄縛りして、午後からは生家周りの手入れしていた。 これで冬の準備完了としたい。
夕刻、先生の奥さんから電話があった。今日別荘を見に来たら、ものすごい状態になっていると。 杉の枯れ枝が大量に新しく落ちていると。
25日に掃除したのに、その後に来た29日の寒冷前線に伴う突風が、もろに幹に残っていた枯れ枝を、一気に落としたみたい。
来年春まで、そのままにしてくださいと。
しかし、掃除人としては、放っておくわけにはいかない。 
今なら苔の上に乗っているが、雪が積もると、圧迫されて苔に食い込んでしまう。
そうなると、来春の掃除がめんどくさく成る。 
4日、朝一番から別荘へ向かい、まずは状態を確認した。
掃除した様子は全く見られない。 酷い状態 さあどうしようか。 弱い雨降り。
まずは別荘の周りと、通路を掃除した。そして、苔庭の枯枝だけ集めることとし、
ブロアーで飛ばそうとしたが、苔に落ちてきた枝が刺さっているため、うまく飛ばない。
あとは、最後の手段 手ブラで搔き集めながら、端から奥へと掃除する。 時間はかかるが、確実にきれいになる。
なんとか3時半くらいまでに、苔庭の範囲は終了した。 奥の庭は来春にしたい。 これも大変な量である。少し、応援部隊も動員しよう。
4月末には牡丹が咲き始めるし、雪は4月初めまであるはずであり、4月20日頃に天候を見て3人ほどで何とかしたい。
今年、牡丹の花壇が2倍以上に広くなったので、お客さんがたくさん来るはず。 天国の先生も来るから、きれいにしないと。
来年も頑張ろう。 先生 見ててね。 
先生の植えられた崖上の彼岸花 しっかり葉を出していたし、来秋お彼岸には、きれいに咲きます。


皇紀2682年12月 2日
ワールドカップ スペイン戦 テレビは着けていたが、眠ってしまった。 雨音で目を覚ましたら、逆転勝利していた。おめでとう。そしてありがとう
窓の外を見たら、白いあられが少し溜まっていた。 出かけるつもりでしたが、明日は晴れるので、明日にした。
もう、冬に入り、私園もすっかり裸紅葉になり、春まで、休みに入る。でも、地面の中では草木は根を張り、春に備えているのである。
やがて雪の下敷きになるが、雪は冬を越す、暖かい毛布なのである。 我が身も毛布で春を迎えよう。

皇紀2682年12月 1日
今年最後の月となり、一気に寒くなった。月半ばまで雨続き。 かな?
自室にこもり、無駄なガソリンや電気を使わない、引きこもり生活中。
午後から散歩に出かけてみようかな。  春に備えて体だけは大事にしていこう。

皇紀2682年11月28日
月末にかけて暖かい日が続いている。明日まで暖かいが、その後は寒波と雨模様となり、しぐれの日が続くはず。
2日間行っていなかったが、兄の命日でもあったので、墓参りと仏前にお参りして、兄のことを思い出してきた。
特に作業はしなくて、ブロアーで農道の落ち葉を飛ばしただけした。
ふるさとの同級生が、犬を連れて遊びに来てくれた。 
また、帰り道で、別の同級生からダイコンなどの野菜の差し入れをたくさんいただいた。
来月からは寒いので、あまり私園に行くことは出来ない。 天候を見ながら、あと3日間ほど掛けて冬支度を終えたい。皇紀2682年11月27日

昼前に孫の5歳の七五三参拝のために、石浦神社に出かけてきた。 孫は無事に碁盤の上から飛び降りる大役を果たしてほっとした。
写真を取り合っていたら、孫が言う。まだ、僕は四歳だよと。 確かに2月生まれだから、まだ五歳ではない。
小さくてかわいいけれど心配もしていたが、しっかりしており、これからどんどん身長も心も成長していくだろう。
孫たちと分かれて、私は久しぶりに兼六園内を散歩してきた。真弓坂料金所から入るが、長い行列している。
年齢でも県民無料の日でもあり、ただで入れるが、係がいないので、列に並んでいた。
みんな料金を払っている。 ということはすべて県外の観光客なのです。
やっと兼六園もコロナ以前に戻った感じかな。 
一回りして、続けている定点観測の写真を撮り、随身坂より帰宅した。

花蕨が開花し、紫式部の実も見られ、十月桜も咲いていた。
しかし、だれも雪つりだけ見ているようである。 少し寂しいかな。
紅葉はほとんど終わり、紅葉山 私は紅葉平と呼んでいるが、敷き紅葉となり、色も褪せていた。
明日から紅葉の落ち葉の清掃が始まるはず。もう6年ほど経つのか 作業員辞めてから。

皇紀2682年11月25日

今日は私園に寄って清掃の機材を積み込んでから、大杉の故瀬川先生の別荘の、落葉の清掃に向かった。
苔庭に、栗の大木の枯葉が大量に落ち、奥の方の園路は、花筏の丸い大きな枯葉が、たくさん散らばっていた。
草刈機で、撫でまわして、生えている雑草と落ち葉を浮かせて歩いた。
そして、午後からブロアーで吹き飛ばしながら、集めて庭隅に積み上げた。雑草はあまり生えなくなっている。
来週もう一回吹き飛ばして冬ごもりに入る。 雪が降ると、杉の枝葉が沢山落ちてくる。
春に雪が解けたら、集めて処置したい。牡丹が開花する前にはきれいにしなくては。 

先生が居なくても、きっと天国から見に来ているはず。 
今日は先生の教え子が訪ねてきて、しばらく先生の思い出を話してくれた。

皇紀2682年11月22日

今日は私園に大学の同窓生が来てくれて、樹木の剪定をしてくれた。
枝垂れ桜を皮切りに、あちこち、気になる木に手を入れてくれた。 
自分ではなかなか切れない枝の整理も、今やっておられるシルバーでしている腕でもって
バッタバッタと切ってくれる。 見上げると確かに要らない枝であり、無い方がすっきりしている。
お昼も食べて、3時ころまで、やってくれた。 後は自分でやらなくては。
私園の紅葉を見に来てくれたのであるが、紅葉と黄葉は終わりに近くて、あまりきれいではなかったが、でも最後の紅葉を二人で楽しんだ。
帰られた後、もう見に来られる方も無いので、散り落ち葉をブロアーで吹き飛ばして集めた。
飛ばしたのは、間の農道に落ちた葉と、入口の苔が生育している範囲で、赤く絨毯になっていた紅葉が、緑の青々とした苔庭に戻った。
数日後に溜まった落ち葉は、堆肥囲いと他の木々の根回りに散布していく。
冬の間にミミズやその他の生物や微生物により、分解されて土に戻っていく。
あと12月にもうすこし、冬の準備をして、私園は静かな冬景色となっていく。
その間も、様々な動植物たちの活動は続いている。 雪景色の中でも、10月桜は咲き続け、サザンカの花はまさしく満開を迎える。
そして、春が来れば、カタクリの花が咲き、桜では河津桜が一番乗りである。 そしてまた、秋までの1年が繰り返してくれる。
個人的には、また1年残りの年が少なくなっていくのであるが、何年あるかわからないので、できることをして逝きたい。
    勤労感謝の日に 白峰修吾

皇紀2682年 11月18日
今日は私園のあるふるさと原町の裏山 阿稜山と山岸山に登ってきた。
中学の同級生二人にも同行を願って、原の公民館の駐車場に車を止めて、出発。
まず、向かいにある白山神社に参拝して、境内に立つ五重塔の石灯篭を見せていただいた。
これは、平安の時代に、原町ドウデン地内に建っていた五重塔の復元模型と思われる。
この塔の守りに当たっていたのが、白川兵太夫であり、その娘が仏御前である。
その後、原町の小字岡地内の、仏御前が亡くなった時の荼毘に臥された場所に経つ古塚を尋ねた。
さあ、いよいよ山登り、
背後の急斜面を登りきると狭い尾根に出て、西にしばらく歩くと、平坦な土地があり、周囲を囲むように土塁の名残が認められる。 
ここは、仏ヶ原城址とされている土地である。周囲が急斜面なので、山城、砦としては完璧な地形である。

さて、尾根に戻り、その下にある沢筋を登りつめる。 頂上には広い平坦面があり、様々な人工的な切り盛り跡が見られる。
三角点のある最上部は阿稜山の頂上で、ここの一帯が岩淵城跡であり、かなりの大規模な山城と言える。
一向一揆の時代に、鳥越本城の西の守りを固めていた出城である。

城址から尾根筋に東側に進み、山岸山に向かう。
この尾根は元は平坦な段丘面であったと思われるが、開析が進み、両側からの沢地形が入り込んで、とても複雑な地形をなしている。
GPSで現在位置を確かめながら、進み遊泉寺側へ続く尾根との分岐点で昼食をとった。
さて、今度は西へ向かって続く尾根を行くことになるが、これも結構小さな凹凸があり、迷いながら、出発点の神社の裏山に着いた。
ここが山岸山で、かつてテレビの共同アンテナがあった場所 と聞いていたので探すが、何にもない。
山頂部は木々が大きな雑木林となり、見つからないのかも。 あるいは使わ無くなった時点で撤去されたのかもしれない。
そこから出発点の岡まで、緩い尾根を下りて、道路に出た。
公民館に帰り、解散。
帰りに私園により、モミジの紅葉を見て帰宅した。 稔、聖 ありがとう。
  

皇紀2682年 11月16日
2日間ほど親類の庭の草むしりしていた。 今は空き家にしているため、茫茫、
草刈り機で撫でまわすことも考えたが、宿根草の株も多いことから、根から引き抜くことにした。
これが結構力がいることと、その周囲を埋め尽くしているイネ科の匍匐植物がさらに厄介。
なんとか、4時までにむしり終えたころに、姉夫婦が軽四のトラックで駆けつけてくれ、すべて積み込んで私園に運んでくれた。
今朝は、その草むしりした一山を堆肥囲いの木枠の上に積み込んだ、 お昼には完了。

午後はのんびりと私園内のモミジを楽しんだ。 
入り口の最初に色づいたモミジはもう散り終えて落葉モミジとなり、これも素敵である。
しかし、朝から天気が変わりやすく、雨模様になってきた。
雨雲レーダで確認すると、酷い雨ではないが、続きそうな様子だったので、帰ることにした。
2日間も空けたら、秋はどんどん晩秋から冬景色になっていく。 
後は低木の冬支度で、雪で倒れないように、しばることだけにしよう。

皇紀2682年 11月12日
朝から土運びして、洪水で流された部分の穴埋めをし、彼岸花の植え付けを済ませた。
うまく根付いてくれれば、来年の開花が待ち遠しい。 
明日は雨とのことでお休みして、のんびりしよう。
紅葉は、次第に私園の中程まで進んだ。そしてサザンカが咲き始めて、入り口も華やかになっていくはず。

皇紀2682年 11月11日
朝から私園で 土方作業。 土と堆肥を混ぜて、洪水で土が流れてしまった場所に埋め戻した。
あともう少し土盛して、彼岸花の球根を植えて、斜面保護としたい。
今日は途中でお客さんが来てくれた。 10年ほど前に立ち寄り、お話させていただきましたと。
私は覚えていないが、とてもうれしい気持ちになった。
私園の紅葉はいよいよピークに近づいてきた。日曜は雨らしいので、明日も頑張ろう。

皇紀2682年 11月9日 
秋晴れが続くので、今日は同級生と念願の白山眺望を見に出かけた。
紅葉の私園で待ち合わせて、少しのんびりと手取川沿いの紅葉を楽しみながら、
白峰から西山の白木峠林道を登り、西山高山植物園の入口駐車場に11時前に着いた。
ここからも今回は白山が良く見えた。4度目にして初めて雲がなかった。
高山植物公園入口まで、ブナの木コースを辿り、昔の林道に出て、尾根筋の眺望台まで少し荒れた林道を歩く。
かつてはここまで車が出入りできたようである。 
白山連峰の峰峰が、全て見える。
何か嬉しくなってきた。福井県まで少し回り道して逆光でなくなる午後まで、のんびりした。
こんな山行は初めて。 これからはこんな山行にしていこう。 
もう一度白山に登り、未だ行っていない大汝山に行きたいが、無理かも。まだしばらくは、ここでみんなと楽しみたいなあ。
 

皇紀2682年 11月7日
 今日は 空いた穴に砂質土を入れて埋め戻し、その周りの土地も、掘り返して石を取り除き均した。
最後に掘り起こしてあった彼岸花の球根をばらして植えこんだ。 来年は花が咲かないが、三年後には春は枝垂れが、秋は彼岸花が咲いてくれる。
これでまた、2/3位かな あと数日かかるかな。 
まだ2本枝垂れ桜があるし、他の木々も根元への施肥が必要だ。 
ゆっくり、死ぬまで続けて、逝こう。 

皇紀2682年 11月5〜6日
すぐ隣に下流側に新しい溝を掘った。コンクリートの塊が顔を出した。掘り出していくと、とても大きな塊である。 
6日に義兄に手伝ってもらって小割していただき、なんとか上げられた。 大きな穴、砂と堆肥と灰で埋め戻した。
これで、雨水も染み込み、桜の根が広がってくるはず。 さあ今日は埋め戻して上に、ヒガンバナを植えて来よう。
皇紀2682年 11月1〜2日 
川べりの今回崩れた崖に近い場所の枝垂れ桜の土壌改良のために、土地を15センチ程掘削した。 
昔の建設残土を盛土して固めた地盤なので、大半が石や岩塊が主体で、取り除いて出た石ころは水害で浸食された場所の穴埋めにした。
ヒガンバナの株も取り除いて、砂質土の土を運んできて牛ふん堆肥やパーク堆肥を混ぜ込んで埋め直した。
その土にヒガンバナの球根をばらして植え直した。2年ほどで花が咲き、桜の根も伸びてくれるはず。
あと、コの字に溝を掘り、土壌改良して、桜の元気を取り戻し、併せてヒガンバナ畑の拡大と浸食防止としたい。

皇紀2682年 10月31日
お休みして朝からお庭で日向ぼっこしながら、柿の皮むき。渋柿は3軒の家に分けてきたが、甘柿が大量に残る。
甘柿も干し柿にできるらしいので、生まれて初めて皮むきに挑戦。 子供のころから、
私は柿取りが担当で、母や祖母が皮むきしていたので、あとは食べることが担当であった。 皮むきしていると、早速にスズメバチが寄ってきた。
女王バチが冬眠に入る前に近づいてきたよう。 刺しもしないので、どうぞと。
2/3ほど片付いたが、果物包丁で剥くのはとても疲れる。 あとは生で食べよう。 果たして干し柿にまでなるかな。
甘柿は干し柿になるが、途中で虫がついたり、カビがついてうまくいかないことも多いとか。 まあ試しである。 午後は本道のお休み。

皇紀2682年 10月30日
朝から渋柿と甘柿をすべて収穫した。毎年この時期になるとクマがやってくる。
今年は隣の敷地が災害の土砂置き場になっているので、平日は常に重機が稼働しているため、まだ来ていない。
しかし、収穫しないとこれから来る可能性があるので、干し柿にするために実を取り集めた。
ついでに、まだ早いが、剪定もして一回り小さくした。
午後からは、枝垂れ桜の枯れ枝外しをした。 どうも水害の影響か、木が弱っている。
今週は堆肥を鋤き込んで、元気になるようにしたい。 明日は休んで干し柿にするために皮むきしたい。皇紀2682年 10月27日
今日はお休み。 2日間お手伝いで、大豆畑の草むしりしていた。 手と腰が痛くて、晴れているが疲労回復の日とした。
明日は、私園の整理に行きたい。 枝垂桜の枯れ枝整理を予定している。枝が多いと雪で折れる恐れがあるのです。
春にきれいな花咲いてくれたらうれしい。 水害で大分景観が変わったが、枝垂れ桜で飾りたい。
川辺の手入れしたいが、河川改修がどうなるのかわからないので、しばらく待機中。 
対岸にはカモシカが来ているが、橋が壊れているので、私園には来ていない。 25日には日本鹿のオスが啼いていた。
もうふるさと迄、日本鹿が来ているようである。 困ったなあ。 夜はいろんな動物が闊歩しているようである。

皇紀2682年 10月23日
朝からマツの剪定クズを拾い、入口の雑草や低木 駒つなぎ の処理をした。
その後、今回の洪水で流れ着いた流木や切り倒した幹を丸太切りしたものを、東屋の軒下に積み上げることとした。
重たいものもあるので、結構時間がかかり、昼過ぎまでかかった。
昼食を食べていたら、にわかに突風が吹き、欅の枯葉が激しく飛んできた。 多分寒冷前線の通過かな?
直ぐに風は止んだが、雨交じりとなったので、帰宅した。途中で、竜巻が金沢の海岸で発生したとラジオが告げていた。

皇紀
2682年 10月20日
2日間、私園で雑作業をして過ごした。 途中から入口の赤松の剪定にかかった。 
少しは形よくしたかったが、2連梯子で手が届くところだけ切り落とした。
下から見たら、まさしく虎刈りである。 下に降りて車のラジオ聞きながら、休んでいた。
アナウンサーがどこかの大きな家を訪ねているらしい。 玄関の大きな松の下を潜り繰り抜けています。と
アッ そうだ。 門かぶりの松と考えれば良いと。 
カッコよくはないけれど、園の入口と農道に被っている門構えの松として残していこう。
もっと早くに気づいていれば、かなりの枝かぶりになっていたはず。
危険な作業も繰り返す必要がなかった。 まあ、素人なんだから、あとは松に任せて待つことにしよう

皇紀2682年 10月15日
日々いろいろとあるが、書ききれない。 10日には雨の中、滓上川沿いを歩き回った。
そしていろいろと考え込んでしまった。 どうすればよいのだろうか。 
一人ではもはや抱えきれない事態。でも、だれも助けてはくれない。 
まあ、死ぬまで一人で背負っていくしかない。
今日15日は、しばらく振りに多行松(株たちのマツ)に登って剪定した。 しばらく前からはしごをかけてはいたが、登ぼる気力がなかった。
一番上に上り、七本ほどある幹の先端を1m近く切り戻した。 これ以上高くなっていくと、もはやこの年では手をかけられなくなってしまう。
松の剪定は難しいが、カッコよりも安全が大事。
来週は入口の一本松にかかろう。 この松も形よくと思うが、まずは一回り小さくしようと思う。
木は大きくなるのが自然である。しかし、人が管理している以上、無制限とはいかない。
私園の主木のケヤキだけは、好きに自然にしておこうと思う。
また、年末まで、というより月末の紅葉に合わせて整理していきたい。

皇紀2682年 10月 8日
少し雨模様 木に登るのは止めよう。低木の周りの草取りと引っ掛かっているごみ、低木の高さを半分ほどに切り詰めた。
見通しが良くなった。午後には三脚を出してきて、残っているツバキといろいろと、剪定というよりも透かしをして回った。
まだ青いカキの実を食べ食べしながら、2時ころまで頑張ったが、体の調子が悪い。 
今日はここ迄としよう。明日は孫の運動会と、ビオラの花を植えてこよう。紀2682年 10月 6日 
3日ぶりに私園の作業にかかった。農道沿いの中木 ツバキ サザンカ ハクモクレンなどを剪定していった。
途中で中学の同級生が訪ねてくれた。 園内が雑草だらけなので、気にかかったらしく、草刈り機ならあるので手伝うよと。
自分にはいろんな草や木があるとみているが、庭などをきれいにしている方からすると、雑草だらけに見えるのである。
来週、天気の良い時に半日手伝ってもらう約束をして判れた。 7日は雨だったので、休んだ。 
明日は松の木に登ろう。 大丈夫かな ? 

皇紀2682年 10月 3〜5日 5日に病院の検査があったので、お休みした。 
年取るといろいろと体に変化が出てくる。 
特に問題はなかったが、これからも定期検査が続くことになる。
多分逝くまで。 

皇紀2682年 10月 2日
早朝より出かけて、故郷の山城 岩倉城跡と、観音堂にお参りしてきた。 原町の文化財保護委員会の 年よりメンバー達と、
8月4日水害の後の遊歩道の状態確認のために総勢8名で 上麦口の登山口から歩き出した。
この登山口の沢側にあったケヤキの大木が大きく傾いてここまで軽四が来れるのであるが、倒れた大枝が被さっている。
来春の登山道清掃時にチェンソーで切り落として、整理することにした。
沢沿いの作業道を進んでいくと、さむらい道との分岐点の先で、杉の大木が倒れている。 
近づくと、20本ほどの杉やケヤキなどの大木が、土砂とともに崩落して作業道を塞いでいる。 これは大変だ。とても人だけでは始末できない。
杉の所有者と作業道を整備した市役所などと協議して、重機の通れる作業道なので、機械で対応していただくしかない。
当分は、崩壊地を乗り越えて進むしかない。沢筋の作業道が水平動に変わる部分で確認したら、直登の沢道は壊れていない。
水平作業道を登り、折り返し点から登山道に戻ったが、殆ど傷んでいなかった。
本道に戻り、平らな尾根筋まで、進む。 特に支障はない。尾根の水平部で一服して、岩倉観音堂への分岐点を進む。 着いた。
初めての方もいるので、まずは御開帳して観音様にお参りした。 供え物の御下がりを頂き、一つ上の城址に上る。大きな変化はないので、問題なしとして下山を始める。 途中のさむらい道の分岐点で登った道ではなく、さむらい道を下る。途中に枯れ木の倒木も見られたが、支障となるような木々は見られなかった。作業道へ戻り、登山口から駐車場に戻り、今回の調査は完了した。
帰り道、皆さんに私の私園のヒガンバナの満開を見ていただき、川べりの水害状態も見ていただいた。
ここで皆さんとお別れして、昨日の剪定した枝葉を焼却処分した。
午後は、川べりで水遊びして過ごし、3時ころに岩渕に向かった。
昨日確認したキンモクセイの大木を観察し、そこから元の中海中学校の跡地に向かった。 
グラウンドでは小学生の野球の練習試合が行われていて、保護者もいっぱいおられた。
実はすぐ隣がかすかみ神社で中海町の村社である。その境内に大きなキンモクセイがあるのではと確認に来たのである。 
あったのは樫や椎の大木まで、キンモクセイはなかった。残念。 そして家路についた。 本日から3日間はお休みします

皇紀2682年 10月 1日
新しい月に入った。 朝から大学の同級生の友達に手伝っていただき、私園内の花木の剪定をしていただいた。
梅から始まり、今咲いている十月桜も思い切り整姿していただいた。 昨年の大雪で枝が折れたので、あらかじめ整理したのである。
3時ころまでに終わったので、赤尾谷温泉の被害跡を見ていただいた。 
実は友人は18年前にここに泊まり、温泉を紹介する週刊誌の原稿と写真を編集していたのである。
今の若い方はもちろん知らない話なので、ご紹介させていただき、ぐるりと一周りしていただいた。
写真と大きく変わってしまった現状に驚いていた。 
私は故郷でありながら、来たことがなかったので、新しい資料が見つかったことがうれしかった。
友人には再度来ていただくことにして、富山まで帰っていった。

皇紀2682年 9月 30日
今日は大杉の瀬川先生の別荘に人を案内してきた、赤尾谷温泉の今後の整備の参考にならないかと思ったわけです。
実はこの方の出身が大杉で、別荘の直ぐ向かいに祖父母が住んでおられたのである。
しかも、私がヒメボタルの調査で通っている林道わきに、別荘まで建てている方でした。
わずか一週間前までは全く知らない方と、何年も前からニアミスしていたことが分かり、お互いに大笑いした次第。
赤尾谷温泉に戻ったら、昼時でボランティアの方たちの食事がふるまわれており、私たちも分けていただいた。
まだ2回目の現地確認だけであったが、少しづつ全体を把握できた。
皇紀2682年 9月25日

今日は朝から私園の掃除した。 ブロアーで落ち葉を飛ばして、ポンプで東屋と炉の周りのコンクリート部の水洗いをまずした。

晴れているから1時間ほどで乾くはず。10時過ぎにはお客さんが来た。 私の姉たちと友人の姉の同級生が訪ねてきてくれた。

時々、姉と見てくれているようで、花見、モミジ、そして今回の彼岸花の満開を見に来てくれたのである。

花見弁当を食べながら、姉たちは中学や高校生に戻って楽しい会話をしている。

話はやがて中国の青島にまで広がり、際限なく続いていく。

私は少し離れて苔庭の掃除をしながら見守っていた。

千歩さんという写真家が来てくれて、今回の水害の話を聞かせていただいた。

赤穂谷温泉の被害状況の説明と、今後どうして行こうか思案中と伺った。 

明日から現地調査して何か提案できるか検討してみることにした。

今日はまだ晴れているが、休んでいる。明日現地の実情を把握するために、調査してくる予定である。

私園では、彼岸花の満開が続く。そして25日十月桜が開花してくれた。春まで少しずつ咲いていく。

 

皇紀2682年 9月24日

23日は雨模様で休んだ。 我が家の白樫やツバキの剪定をした。

午後は孫の家のアサガオの始末して、秋から春の苗を植えようとしたが、まだパンジーは置いてなかった。また今度にしよう。

24日は朝から私園の片づけをした。家から持ち込んだ白樫の枝葉を焼却して片づけた。

土方をしようと思ったが、気が向かない。 園内のサツキや紅葉の部分剪定をして回った。

そんなこんなで、一日がくれた。お昼頃にはサルの群れがやってきて、国道沿いの栗の実を食べている。

明日はお客さんが来るらしい。 彼岸花はいよいよ満開に近づいた。晴れるので写真を撮り記録に残そう。

 

皇紀2682年 9月21 22日

2日間 土方作業にかかった。しかし、実際は生家の草むしりと後始末もあり、半日ずつの作業である。あまり進まないなあ。

洪水で用水路が土砂で埋まり、土砂上げが行われたが、斜面に上げただけになっており、いずれまた崩れて水路に落ちる。

カンアオイの群落もあることから、この土砂を運んで川べりの浸食された土地の埋め立てに使うことにした。

ほとんどが砂礫なので、排水性も良いため、土嚢に詰めて運搬して2段ほど積み上げ仮土留めとした。

その背後や上部には残土として積んである砂質土を利用し、数年積み上げてきた腐葉土を混ぜ込んで土壌とする。

最後に彼岸花の球根を、一面に敷き詰めて表面保護とするつもり。10月初めまでかかると思うが、3年ほどできれいに咲きそろうはず。

そしてその頃には河川管理者の工事も終わり、また新しい景観になるはず。 楽しみである。

23日は秋分の日で行きたいが、雨模様なので休みとし、我が家の樫の木の剪定をすることにしよう。

午後には、孫たちに会いに行き、アサガオの撤去と、ビオラの苗の植え付けをしてこよう。  

 

皇紀2682年 9月20日

台風14号が日本海を通り過ぎて行った。心配したが、風も雨もあまりひどくはなかった。

朝私園に行くと、ほとんど被害はなく、彼岸花が少し倒れていただけであった。

今日から川べりの削られた場所の復旧にかかることにした。

まずは露出している根を整理してゴミを取り除き、川べりの園路を回復することにした。

園路より川側は、県の河川工事が行われるので、それまで待ちたい。 

今日から園路の川側に土嚢を積み、その背後に土砂を詰めて整地することにした。 いよいよ土方作業 がんばろう。

皇紀2682年 9月16日

今日は個人的には鮮明な記憶に残っている一日である。

昭和36年9月16日夕刻 小学5年生 だったころに、第2室戸台風が石川県を南から北へ走り抜けた。

神社で山祭りを楽しんでいた私たち10人ほどの子供たちが、突然の強風に驚き、集落対岸の神社から家に向かって急ぎ足で歩いていた。

今の国道近くの大鳥居の下を潜り抜けたとたんに、石造りの鳥居が倒れて粉々に壊れた。

振り向いたとたんに恐怖に引きつり、みんなで大泣きしながら、家に向かった。

集落の入り口にある我が家に皆で避難したが、背戸の戸板が飛ばされそうで、家人たちが畳を起こしてよし掛けていた。

皆にも手伝ってもらい、体重を畳に掛けてただ怖くて泣いていた。

やがて風が急にやみ、台風の目に入ったと分かった。 他の家の子たちはこの間に各家に帰った。

停電した家の中で、ろうそくをともして朝まで過ごした。風は吹き返しは弱くて雨に変わった。

姉が子供たちに帰ろうと呼びかけることが遅れて、数秒遅かったら、私はいないし、

5人の姉弟で当時家にいなかった長兄以外は、すべて亡くなっていたかもしれない。

しかし、兄は先に逝くこととなったが、4人は今も元気で暮らしている。

お彼岸に私園で祝いたいと思う。

しかし、その前に20日前後に、台風14号が今度は東西に横切ってくるとのこと。

とても強い台風なので、何事もなく過ぎてくれることを願っている。明日は台風に備えて生家と私園の片付けをして来よう。

皇紀2682年 西暦2022 9月11日

11日は一人で園内の遊歩道や、別荘の周りの草刈り清掃した。 

エンジンの調子が良くなくて、手間取ったが、なんとか奥まで掃除ができた。

昨年先生が私園から持っていかれて植えた彼岸花の球根が残っていた。また、その周りには沢山のツルボの花が咲いていた。

ここにはアサツキの群落もあり、先生の私園の苔庭は素敵な自然が残っていました。

初彼岸には先生も帰ってきて、奥さんや子供たち、山の仲間や沢山いた友人たちが集い、楽しい彼岸になるでしょう。 

私はまた、折に触れて掃除させていただきます。

皇紀2682年 西暦2022 9月10日

今日は大杉の瀬川先生の別荘の掃除に伺った。

台風と雨でどうなったか心配していたが、洪水に見舞われた私園後始末にひと月以上かかってしまった。

大雨の被害はなかったが、台風は南風で別荘内は大きく荒れていた。スギの落ち葉と枝が折れて散乱していた。

また、苔が強風で飛ばされてまるでイノシシに荒らされたようになってしまった。

苔には根がないため、乾燥した風が吹くとあちこちで剝がれてて飛ぶのである。

同級生と大きな枝を始末して回り、午後からはスギの葉枝を拾いまわった。苔は元に戻して手で叩いて回った。

これだけで一日が過ぎた。明日は草刈り機で通路を草取りして、最後にブロワーで掃除したい。

さあもう一日がんばろう。 

15日にはお客さんが来るかもしれないし、お彼岸には先生が帰って来る。笑顔でほめていただけるようにしよう。

皇紀2682年 9月6日

台風11号が日本海を北上してくる。雨はあまり心配ないが、フェーン現象の強風が予想された。

私園に着いた頃から強風が吹き始めた。 南風で隣の敷地から土煙が吹きあがり、とても作業しておられない。

作業の小屋のロープ掛けして風対策をして、園内の庭木の高い枝を切り落して回った。

一休みしていたら、立木の枯れ枝がどんどん落ちてくる。これでは危ないと判断し、

同級生には車に当たって傷つくことも考えられたのと、二人での作業は一応できたので、お昼で帰っていただいた。

 

午後から一回りして。飛びそうなものを小屋にしまって、帰ることにした。

夜の雨で川辺が心配であるが、居ても施しようがないので、明後日に来て後始末することにしたい。

私園の主木のケヤキの大木、先端の枝は、風に吹かれるままに、大きく揺れるが、根元の幹はびくっともしない。

しなやかな木は、簡単には倒れないし、折れないのである。 かくありたいと思った。

 

皇紀2682年 9月3日と9月4日

私園の作業他。いろいろとして回った。 天気も良くてのんびりしている時間の方が長かった。

4日にはホタルの水辺整備を考えている場所を私たちの会長さんに見ていただき、教えを乞うた。

いずれにしても今回の水害の後始末が進まないと、先には行けない。

来年は、まず、故郷に残っているホタルたちの飼育に取り組みたい。

整備が終わったら、来年秋以降に幼虫を放流してホタル生息地の復活を早めたい。 

今日はとても暑くなるので、休みとした。

明日は川辺の流木や流れを阻害している状態となった木々を伐採して洪水時の流れを良くしたい。

 

皇紀2682年 西暦2022年9月1日 8月31日と9月1日

2日間、私園で、作業した。上流側の川べりの崩壊地にシートをかぶせた。 

こんなものを張っても、台風や洪水が起きたら、すべて洗い流されてしまうだろうと思うが、

何かしておかないと気もちが落ち着かない。

翌朝、生家で目が覚めた。作業に行こうと思ったが、雨が強くて家から出られない。

少し落ち着いてから私園にいき、高水の状態を眺めていた。

その後久しぶりに、園内の木々の下枝を切り落としていった。

成長した下枝は垂れ下がり、見通しが悪くなっていた。入口から園内が見通せるようにした。

これはクマさんが通過していく場所なので、互いに相手が見えるようにと配慮しているものである。

今日は休みとしたが、明日から台風対策をしてくる予定

日々、自分が思っていることを書いたことを、このページに移して貯めていくことしました。

皇紀2682年 西暦2022年8月30

今日は休んだ。 明日からまた頑張ろう。 29日は農道北側の園地の草刈りをあらかた終えた。

残りの草むらは紅葉のころまで残しておこう。実は沢山の虫や爬虫類などが居るのである。

園内だけを見ていると、洪水の被害はほとんど見られない。 

しかし、隠れた陰にはまだごみが残っているが、今後の雨で洗われるだろう。

明日以降、大雨になりそう。 崖地の手当を追加、補強をしていきます。

 

皇紀2682年 西暦2022年8月28

朝から私園で午前中は、ツルボが顔を出してきた群落地を手で草むしりした。

来月に入れば、ニョキニョキと花茎を伸ばすはず。 

午後には農道南側と農道沿いの草刈りを機械でした。彼岸花を植えた範囲を中心に刈り終えた。

静かな夏の終わりの日差しを浴びながら、一服時には青空を見上げて、同級生の旅路を見送らせていただいた。中海中学校 賛歌 応援歌 進めよわが友、誰もいないので、音痴な大声で歌って送った。

忠一 もうリハビリしなくても良いからね。どこへでも行ける体になったんだよ。合掌

皇紀2682年 西暦2022年8月26

25日の夕方になっても発熱が続く。やっと深夜になって平熱に戻り、朝起きても36.6度であった。

午前中はおとなしくしていて、3日ぶりに3時過ぎに私園に着いた。

何も変わっていなかったが、写真を撮りながら、園内と川べりを一回りした。

やっとツルボが2本花茎を伸ばしていた。

これからどんどん土筆のように伸びてくるはず、少しなくなったが、3か所の群落は守れたと思う。

今はヤブランが満開となっている。

今朝、訃報が届いた。同級生61名の一人が亡くなった。

帰り道に別の同級生に会い、ナスを頂きながら、もうみんな70を超えているのだから、何時逝くかわからないよと言われた。その言葉を聞きながら、だから1日1日大事に生きていかなければと思った。

 

皇紀2682年 西暦2022年8月25

24日午後3時に4回目ワクチン接種を行った。

昨夜は無かったが早朝には37.8℃ を記録して打った左肩が痛い。 

あまり酷くはないが、一日待機することにした。

明日には行けると思うし、草刈り機で撫でまわして、彼岸花の花茎が伸びるのを待ちたい。

 

皇紀2682年 西暦2022年8月22日  

朝から園内の仕上げの清掃をしていた。 これで次の段階に移ろう。

被災後にはあまり草達も元気がないが、一度草刈り機で撫でまわして彼岸花の開花を待ちたい。

また、球根がむき出しになった場所や穴が開いた場所も埋めて、球根の埋め直しにかかりたい。

今年は、台風に来てほしくはないが、再度被災することがあっても受け入れようと思う。

昼近くになり、義兄が来てくれたので、ブルシートを東屋の崖地に張ったが、抑えの土嚢やロープ掛けが必要だが、おいおい追加していこう。

24日は4回目のワクチン接種 数日は自宅で備えたい。 

 

皇紀2682年 西暦2022年8月18〜19日 

県から依頼された業者が来てくれて、川べりの倒壊寸前のケヤキの大木 2本を伐採してくれた。

ついでに私が植えた桜の木も倒れる恐れが高いので、伐採していただいた。

これで水害後の不安定な樹木の伐採は終わった。

あとは、崩れた崖のシート張りして県が行う河川復旧工事を待ちたい。

19日は午前中同級生が流木整理を手伝ってくれた。

午後には受注された設計業者が下見とドローンを飛ばして撮影していかれた。

日曜日に伐採した桜の幹や枝を始末して、来週からは痛んだ植生や植栽の手入れにかかりたい。

しばらくで、蔓穂や、彼岸花も咲く。大分流失したり、作業で壊した部分もあるので、手入れしたい。

さあ、また頑張っていこう。 やれる範囲でね。

皇紀2682年 西暦2022年8月15日 

今日は、77回目の大東亜戦争の敗戦記念日である。 

終戦という人がいるが、事実は完全な無条件降伏を申し入れた日であり、敗戦日なのである。

実際の正式な降伏日は戦艦ミズリー号で行われた、9月2日の調印式でもって終戦となったのである。

一方、ソ連軍との戦いは8月31日まで続いており、千島列島すべてが支配されたのである。

父は、駆逐艦羽風、空母信濃、戦艦大和、そして最後に残っていた空母龍鳳で、台湾沖の海戦で、日本連合艦隊はほぼ壊滅となり、父は傷だらけの瀕死の空母を呉の軍港まで、持ち帰ったのである。

父は機関兵であり、ディーゼルエンジンを動かし続けて、自らの命も守ったのである。 

その直後の呉大空襲で、もはや修理も出来ず、飛ばせる飛行機もないただの高射砲の砲台艦となった。

動かぬ艦に機関兵は不要となり、舞鶴海兵団に戻り、敗戦日を迎えた。

父はその時、相生の造船所で小さな軍艦の進水式をしていたという。

この艦は戦後大陸や半島からの帰還船となり、父は釜山と敦賀を往復して帰還者を運んだという。

父は、乗艦していた艦船のほとんどが沈没し、多くの部下、同僚、上官、そして何よりも信濃とともに亡くなった学徒動員兵たちのことを想っていた。

絶対死ぬはずの機関兵が生き延びてくれたことは、奇跡である。

そして昭和の57年から、今の私園の土地を造成して、信濃大和慰霊公園として残して逝ったのである。 

今、ようやく公園らしくなったが、今回の水害でかなり被害を受けたが、私が生きている間は管理していきたい。慰霊墓のある入口付近は何とか片付いたので、明日は戦没者の御霊にお参りしてきます。

  次男の管理人

皇紀2682年8月12日 西暦2022年8月14日 朝から生産組合が用水路のゴミと土砂を除去に来てくれた。

おかげで、私園の入口の流木やゴミはほぼ片付いた。 お盆明けに、残りのゴミを片付けよう。

午後になると、孫たちが墓参りに来てくれた。 ただ、この時期はアブやオロロが飛び回ることから、息子だけが降りてきて参ってくれた。

その後、園の災害現場を見ていってくれた。 来年には新しい景色に代わっているはずである。

夕方に中の峠の同級生を訪ねた。母屋は被害がなかったが、道路沿いの低い土地にあった納屋は潰れていた。

被災後3日目に完全に潰れたと。 落ち着いたら、また尋ねることにして家路についた。 

途中で、原町の仏御前荼毘の地にある古塚に回った。 村の人から、斜面が崩れているとお聞きしていたためである。

古塚の背後の斜面に生えていたスギの大木が数本倒れて、塚の直ぐそばにも倒れてきた。

塚の周りの石垣は壊れたが、古塚は全く被害がなかった。仏さまが守ってくれたんだと、村の人は信じている。

私もそう思うし、出来るお手伝いはしていきたい。

 

皇紀2682年8月10日 西暦2022年8月12

今朝も早くから私園の整理に出かけた。炉の灰を出して新しい流木に火を点ける。ある程度燃やして安定したら、ゴミ堆積場から一輪車で運搬してくる。

泥や水分を多く含むため、白煙が上がる。今日は借りていた畑の脇の堤防に散乱している木片を集めて焼却した。

午後になると従弟が被害状況を確認に来てくれた。従弟も昔からここの岩井戸といわれる淵で遊んでいたのである。

様変わりした景観を眺めて、なんかきれいになったと喜んでくれた。

誰よりも、被害にあった管理人がこの変った景観を気に入っているのである。

まあ、そう思わないと、整理をやれないし、前向きに考えていこうと思う。 

 

皇紀2682年8月8日 西暦2022年8月9日〜11日 

毎日、私園で洪水の堆積ゴミを運搬して焼却してきた。 しかしなかなか減らない。 

友人や知人、姉たちにも手伝ってもらっても、炉で焼却しているだけでは減らないわけである。

小さな炉は、焼却したものが灰になる前に次の流木を入れるため、炭となって残り、炉の中がいっぱいになる。

朝、灰や燃え残りを掃除して焼却再開するが、昼前には一杯になり、焼却不能となる。

まあ、14日のお盆を迎えるまでに農道から見える範囲からは無くしておこう。

明日、一日神庭って、13日は休みとし、、14日にお盆の墓参りして来よう。  管理人 

皇紀2682年8月6日 西暦2022年8月8日 

今日は休みとした。明日から2日間は故郷で後片付けをするつもり。暑いから大変だけれども、何とかしたい。

親戚や友人のお手伝いもお願いしたので、園内だけの片づけを済ませたい。

 

皇紀2682年8月5日 西暦2022年8月7

朝から私園で洪水の後始末にかかった。大量の流木やゴミがあり、農道わきに集積した。

何時も山登りに付き合ってくれる同級生がボランティアに来てくれた。

彼のお陰で、昼過ぎには園内の大半の片付けが出来た。来週、水曜日に義兄に軽トラックを持ってきて頂き、美化センターに運搬して片付ける。

今日日曜日にもかかわらず、県土木の職員が見に来てくれたので、今後の対応について、御願いをした。

あとは、小松市の農道の管理者と話が出来れば、一応の目処がつく。

帰り道に中海に寄った。ボランティアや親類の人たちが跡片付けに集まっており、周辺の道路は車で埋まっていた。

晴天が続くが、片付けには良いが、暑い中なので、熱中症対策には気配り下さい。

私も明日は休み、10日にはゴミ運搬して大方の片付けをすませたい。 お盆までにはきれいにしなくては。

皇紀2682年8月3日 西暦2022年8月5

午後遅くに現地に行き、被災状況を確認した。 農道の橋が破損して通行不能であった。

本河川の氾濫冠水とは別にして、岩崎の堰付近から右岸側に氾濫してその濁流と、土砂、ごみが園内に流れ込み、ゴミだらけになるとともに、

川縁が5m程浸食されて岩盤が露出していた。 東屋は盛土したのり面が浸食されて垂直な崖になっていた。 

東屋は無事であったが、川べりにあるケヤキ2本、ヒマラヤスギ、ソメイヨシノの木は根が露わになり、今後枯死するか、台風により倒壊すると思われる。

川辺でこれから咲くはずだったナツズイセンは流されてしまった。アジサイも数株流失した。

ヒョウタン池に植えて、6月に株分けしたカキツバタの苗は、流れてきた洪水により全部流失した。

困ったね。 ホタルか生息していた狭いコンクリート用水路も濁流が流れたので、生まれたばかりの幼虫はすべて流れ去ったと思う。

本流のホタルも居なくなったと思う。 また、数年かかって生息が回復できるか、どこからか来年、成虫を移転なするしかないかもしれない。

ただ、かすかみ川沿いではゲンジの生息地はほとんどないので、今後みんなに相談しよう。 

これらの後始末は、大変であるが、ぼちぼちと掛かりたい。お盆前にはゴミとヘドロだけは掃除したいなあ。 

大変な大雨になり、故郷の小松市旧中海地区は大変な水害にあったらしい。 通行止めもあり、明日後始末にいくつもりですが、

被災された中海や原町、そして故郷の麦口、同級生の居る中の峠町の方々に、お見舞い申し上げます。

皇紀2682年8月1日 西暦2022年8月3日2日

朝からから出かけて、生家に泊まった。別荘の周辺部と園路を草刈りした。

ブロアーで吹き飛ばそうとしたら、調子が悪い。いとこに見てもらったが、どうも気化器の破損で、修理屋に持っていくことにした。

3日は朝から私園の北側の草刈り、昼までやり終えたので、ムサシによって修理依頼して、家に着いた。

写真の畑は、麦口の同級生の兄さんがここ数年間草一本無いほどに管理していた水田跡である。今年は何か植えてあったが、ヒマワリの花畑だった。

ヒマワリは、咲き出した頃は朝日の方向東側を向いているが、夕方には西側に向きを変えるからひまわりと呼ばれるが、満開になる頃には、茎が硬くなり、東向きに固定されるらしい。 このひまわりも道路側が東向きであるために、みんな道側を向いているのですね。

皇紀2682年7月21日 西暦2022年7月23 24日 

京都の祇園祭の後祭りの観光に行ってきました活躍したのです。

10年ほど前にかつてあった山鉾を復活する夢を見た若者たちが、地域や行政、様々な協賛企業の力を集めて今年の晴れの日を迎えたのです。

本当は3年前に鉾や運営体制は出来ていましたが、新コロナの流行で中止となって、来たのです。

いとこたちの父は、小松の山の中で育ち、母は平地の若杉から出て行かれた方々です。

今回の復活劇の実働部隊となったケンちゃんの親は、白山市の中宮から移られた方の孫でもある。

子供のころから京都のおじさん、おばさん、おばあちゃんの世話になった私たちの姉弟、子供たちには第二の生家にも当たる恩人の家だったのです。

23日に、早朝に京都駅に着いた私は、その足で、鴨川を渡り、

東山のすそ野にある地蔵山墓地のお墓に、亡くなった兄の分も含めて、おじさんたちに感謝のお参りをした。

八坂神社は人込みを避けて東山大通りでお参りして、平安神宮に向かい、直ぐそばの京都市美術館に入った。

その中の一室で、平安書道展が開かれており、中学の同級生が出品していたので、立ち寄ったのです。

会場の一番奥のコーナの受付から真正面に見える場所に飾られており、目が悪い私には見えているが見えない。

沢山のコーナの作品を回って、最後に書の前に立った。 大腿骨の手術直後とのことで、横書きで、 飛竜昇雲

 と書かれいる。らしい? とても縁起の良い言葉と調べて分かった。同級生は志泉という雅号 を持つ書道家でもある。

悪筆の私にはうらやましい限りである。

さて、平安神宮にお参りして、バスで下賀茂神社に向かった。ここで少しミスをした。

高野川沿いに上がり、大通りで西に曲がったが、今出川通と思っていたので、北大通でバスを降りたのである。

鴨川と思っていた流れは高野川だったのである。 バスの運転手とこの行き違いのため、ぼけ老人と思われてしまった。

日陰に入ってネットの地図で確かめて、間違えに気が付いた。 南に下がれば良いだけなのであるが、やはりボケの始まりなのだろう。

今回は、下鴨神社に裏から入った。 社殿にお参りして糺の森の参道を歩き、脇にある河埼社を探した。

駐車場の係の方にお聞きしたが、私は今日初めて大津から派遣されたので、わからないと。 ご苦労様と言ったとたんに目的の方丈庵が目に入った。

鴨長明が晩年方丈記を書いた山荘、わずか一丈四方の東屋、方丈庵は、本来の地は伏見区日野の山中にあるが、

庵跡の岩があるだけで、復元したものが、下鴨神社にあるのである。

私園の東屋は、方丈庵の形をとるつもりでいたのであるが、見たことがないので、有り合わせの資材で作っているので、似つかぬものにしてしまった。

しかし、建物の周りにはロープが張られて、現在移転工事中で見学できないと。 うーん 残念。 しょうがなぃ。

一応の目的を達したので、三条通の鷹山鉾に向かうことにした。烏丸通まで、歩いて地下鉄に乗る。 しかし、烏丸三条駅がない。

駅員に聞いたら、烏丸御池で東西線に乗り換えて二条城前で降りてください。と。 ここでまた間違えた。 烏丸三条に行きたいと言えばよかったのに三条通りと尋ねたために、駅員は新三条商店街のある二条城前を教えてくれたのである。

着いたら、二条城が見える。まあいいや 下がって三条通を東へ行けば、見つかる。しかし、行けども行けども三条道通りである。

大通りに出た。堀川通、 しまった。 ここでも大通り1本間違えていた。行先は烏丸と堀川通の間の三条通である。

まあ、先に行けば鉾が見えるはずと、先を行く。 通りの中に山鉾が建っている。そして見物観光客で一杯で、鉾のところは一方通行になっている。

親戚の寿司屋さんがわからない。 反対側を戻ると、寿司屋の前に鉾が建っていたのである。

お店は臨時休業で、みんな鉾の関係者で働いているのである。 しばらく祇園囃子の演奏を聞いていた。この演奏の責任者がいとこの子で、その子の子供も演奏に加わっているとの話であった。 夜にまた尋ねることにして、おじさんの家、新京極の向かいまで、歩く。

昔は明治湯という銭湯であったが、廃業してテナントビルに変わった。 そこに姉たちが先に着いているのである。

いとこの長男と次男に逢い、ご挨拶。 しばらく休んでから、五条の先にある京町家をリホームして貸し出している家に宿泊する。

次男は電気屋を営みつつ、こんな商売も新しく始めていて、こんな町家を数件運営しているという。

夜、三条迄歩いていく。途中にもいくつもの提灯で飾った鉾がある。 そしていよいよ鷹山鉾との対面である。

私は昼間見ているが、姉たちは初めてである。 そして寿司屋の前にいとこたちが立っていた。夜の祗園ばやしが始まり、いとこや嫁さん、そして娘さんたちが見守っていたのである。 しばらくして休業している寿司屋さんに入り、挨拶と二階の窓から特等席での観覧である。 

翌朝、後祭りの巡行のために御池通りに13基の山鉾が並ぶ。その前に鉾を大通りまで、引き回ししなければならない。

寿司屋の前を何度も往復して練習後に、交差点で直角に回る。 車輪の下に孟宗竹の割り板を敷き、水をかけながら、少しずつ角度を変えていく。

最後に回りきると大拍手である。 そして 御池通りに出る。ここでまた、直角に回る 綱引き手が前に横にと移動しながら、6回もかかって鉾の最後列に並んだ。しかし、遅れていたため、先頭の鉾は烏丸御池の先に進んでいる。 直線の区間はスムーズであるが、烏丸通は通行止めでないため、鉾と行列が一気に渡りきる。 ここまで見守って帰ることにした。 

この先はもっと人通りが多く、四条通は狭いので、地下鉄で京都駅に行き、12時過ぎのサンダーバートで金沢に帰った。

帰宅したが、多くの人に逢ってきた私は隣家に隔離生活となった。1週間家人たちと合わないで静かに過ごした。

昨日からようやく家に帰り、この更新となった。 楽しいかったが、もう最期の遠出かもしれない。 いとこたち ありがとうございました。管理人

 

 

2日間 私園で川辺の伐採して頂いた木々の始末に追われた。 何とか、あと一日有れば、終わるだろう。

20日の夜は、大杉でホタル調査をしたが、難しい。 今年は無理かな。

おもしろいことに今夜は出会った。 自然界の夜は楽しい別の世界である。 帰りの道で、キツネさんと出会った。

本当にきれいで、素敵な体形であった。 でも、それぞれの動物にはそれぞれの特徴があるので、人が区別差別してはいけないのだろう。

明日23日は、京都行きを考えているが、コロナのことなどいろいろと考えてしまう。 

 

皇紀2682年7月14日 西暦2022年7月16

今日は午後から津田修さんの二宮金次郎に関する講演を聴かせて貰った。 彼は、中海中学校で、私の一学年下であった。

当時から、気象観測を毎日続けていて、小学校、中学校を併せて5年間一日も欠かさず続けていた子でした。

私の卒業後、お会いしたことがなかったが、故郷の山城のことで、最近になってメールで交流を始めたばかりである。

金次郎のことを調べていることはネットで承知していたが、これほど詳しく広く。調査してこられたとは今回初めて知った。

他の参加者も言われていたが、ぜひ一冊の本にして、集められた資料を残して頂きたいと思う。

私の卒業した原小学校は廃校になり、中海小学校となったが、新しく移転新築された校内に、

私の見ていた金次郎が移転していることも知り、写真に撮ってきた。 

楽しい2時間ばかりの話を聞き、講演後、車に乗られるまでの数分間お話しできた。 修、 ありがとう。

 

16日の夜は、再び大杉に行き、ヒメボタルの観察をすることにした。 

今回は移動せず、前回確認した場所に留まって深夜の9時過ぎから観察開始。

しかし、なかなか見つからない。 13日に見た場所のはずであるが、林道沿いの草むらにも見つからない。

どうしようかとボケーッと杉林を眺めていたら、奥の方から1頭ホタルが飛んでいて、何故か車に向かってくる。

ゲンジか、ヘイケか、ヒメか、 しかし、点滅もフラッシュもせず、光り続けている。

ついには車の位置まで来て、私の目の高さでホバリングする。 まばゆい光り。

手を伸ばしたら、止まってくれた。ライトで確認したら、ゲンジの大きなメスと判明した。

いままでで一番大きなメスと思う。 窓の外に出すと、一気駆け上がり、杉の林よりも高く谷側の方へ消えていった。

今年は、大杉ではゲンジボタルを見ていなかったが、今夜に限って手元まで来てくれるとは。

多分、亡き瀬川先生の人魂だと思う。 私の励ましに来てくれたのだと思うことにした。

その後、眼を斜面に向けてみたら、あちこちで、ちらちらと光が見える。

無論、下草や低木の隙間を通しての僅かな光なので、視力の悪い私には明確ではない。

そんな眼でも林道沿いの茂みを見ていると、やはり、光っているようである。

今度は、カメラと三脚を構えて長時間露出して確認することにしたい。

ともかくも、沢山のヒメさま達が住んでいると判ったので、良しとして11時過ぎに生家に帰ることにした。

17日は朝から私園の伐採木の整理に追われた。 昼過ぎに桜の枝を燃やしていたら。かゆくなってきた。

良く見ると、葉が枯れているのに、毛虫が未だ生きている。 しまった。 シャツを抜いて着替えたが、かゆみは無くならない。

諦めて帰宅することにした。チャドクガやイラガではないので、直ぐに風呂に入り、薬を塗って眠ることにした。今は大丈夫

皇紀2682年7月13日 西暦2022年7月15

梅雨の真っ最中になりましたね。早く空けてほしいなあ。 

明日からまた、生家に泊まって庭掃除とヒメボタルの調査に行ってきます。

 

皇紀2682年7月12日 西暦2022年7月14

2日間、私園の整理に当たった。ホタルの生息地として刈り残していた 農道より南側の下草をすっきり草刈り機で刈り取った。

そして、残りのアジサイの切り戻しをした。まだ花が咲いているアジサイを切り取るのは苦しい決断であったが、

農道から園内が見えないので、クマ対策も兼ねて、思い切り強剪定した。

でも、一部はそのままにしている。 夏の間に、より良い新芽が出て、花芽をつけてくれるはず。

2日目は、刈り取ったアジサイ等の運搬をして堆肥場所に積み上げた。焼却も考えたが、水気が多い葉であるので、煙が立つので、

堆肥置き場で葉が落ちるのを待って、腐りにくい木部は秋にでも焼却しよう。

さて、1日目生家に泊まったのは、実はヒメボタル調査を予定していたからである。 

この三年間ほど、ヒメホタル調査しているが、まだ逢っていない。

確実な生息地で、生態観察して、その目で、他の地域の観察をすることにした。

小松市、大杉谷では各地に姫がいるらしいとの情報もあり、4か所ほど深夜に歩き回った。

ヒメボタルは深夜にだけひかり、メスは羽が退化し、飛べない。オスは飛び回って、メスを探す。

そのため、オスが飛翔して光る時だけ、メスは反応して光る。

とても小さい、短いフラッシュ光であり、草木が茂る茂みの中では、沢山見ることはできない。

オスの方は飛翔して光るので、見やすいが、車のライトやあてた光を消して10分以上たたないと、光ってくれない。

そのうちの1か所で、二度目の出会いに成功した。飛べないで地表にいるメスの光を10頭ほど確認できた。 飛翔するオスの光も観察出来た。

とても小さな短い瞬間のフラッシュで、目の悪い私には、ついていけないほど、はかない光であった。

定期的に点滅を繰り返すゲンジやヘイケでは見つけやすいが、お姫様は奥ゆかしいので、これ迄もあっていたが、見逃していたように思う。

ともかく、姫様に会えたので、次回の調査では撮影も含めて挑戦して、その後に調査地を故郷全体に広げていきたい。 

皇紀2682年7月7日 西暦2022年7月9日  

今日も暑い日差し、しかし、午後には夕立があるようで、雨雲が近づいている。

ありがたいなあ。 草木も人も一息できる。

今夜は、兼六園ホタル観賞会の最終日である。 雨上がりの後で、うまく沢山飛翔してくれるか心配でもあるが、

今年は期待に合わせて光ってくれているので、楽しみましょう。

昨夜は1200人ほど来ていただきました。 ホタルはヘイケがほとんどで、200頭ほどかな。

なんとか、ホタルの数と人数が同じになるようになってほしいと思う。 

来期までに、何かできることがあればと思っている。

 

昨夜は、夕立があり、その雨が夜までぽっり、ほつりと続いた。

ホタル観賞にはあいにくの夜でしたが、最後の夜ということでたくさんの方が並ばれました。

開園後は雨は止み、雲に覆われたことと、半月の明かりがないことからいつもより早く暗くなり、

ホタルたちは、お客さんに合わせて光ってくれました、飛翔する個体は少なかったが、曲水の岩で良く光ってくれて見やすかった。

一回りしてホタルを見回ったが、沈砂池と氷室では少ないが、それ以外の曲水では点々と数頭ずつ光ってくれた。

特に、山崎山の曲水の始まりと雁行橋付近は、今までで最高の輝きを見せてくれた。

解説を忘れて、ひとりの観賞者になり楽しんだ。 9時過ぎると、めっきり人が減り、傘が必要となり、帰ることにした。

兼六園 この4日間ホタル観賞に来ていただいた方々にお礼を申し上げます。 

大半の方には解説できなかったと思いますが、ホタルは自分の目で見ていただき、焼き付けていただければ、最高なのです。

ホタルたちからもお礼申し上げます。 今夜からは来年に備えて、静かな園内で子孫を残していきたいと思います。

では、来年まで 再見 

来週からは。ヒメボタルの調査に小松方面の山間地歩き回ってきます。 今年こそは逢いたいし、逢えたらうれしい。

皇紀26826月29日 西暦2022年7月1

今夜から兼六園ホタル観賞会ででした。 午後から園内を一度回り、下見したうえで、蓮池門入口で待っていた。

昨年は19時30分の開園前には多くの方が来て頂いたが、本の数組しかいない。

最前列の方にお声をかけた。東京からの飛行機の中でホタルのことお聞きし、ホテルから参加してくださったこと。 

うれしいお客さんが戻ってくれたこと、お礼を言いながら、今年は沢山見られますよと。

開園して案内していくが、まだ明るいため、なかなか光りださない。 眺望台で光り出したのは50分過ぎであった。

安心してゆっくり進み、山崎山一周して戻るころには、いろんな場所で人だかりができてきた。良かった。

閉園までに、千人を超える観賞者が来ていただいたらしい。 

今年も、ホタルたちと多くの鑑賞者とお会いできた。 ありがとうございました。

土曜の夜もお待ちしています。蓮池門口と小立野口から19時30分以降入場できます。

開催日は以下の通りです。7月1日金曜日 7月2日土曜日 7月8日金曜日 7月9日土曜日 

 

皇紀26826月25日 西暦2022年6月27

今日はお休み。 夜は兼六園のホタル観賞会の下見調査に出かけてきた。

昨年と大きく変わっていたが、ホタル観賞会には良い条件となっていた。 

是非 兼六園に来てください。 蓮池門口と小立野口から19時30分以降入場できます。

       開催日は以下の通りです。7月1日金曜日 7月2日土曜日 7月8日金曜日 7月9日土曜日

 

皇紀26826月24日 西暦2022年6月25〜25

暑かった一日。 午前中は孫の家のアサガオの本植えをして、午後から私園で過ごした。 

ケヤキの日陰にいると、気もちが良いくらい。 でも何か作業すると、暑い。休み休みしながら、土方に精出した。

やっと一山の土砂の運搬整地が終わった。あと三山残っている。 なんとかしたい。お盆までには東屋の庇も完成させなければと思う。

夜は、私園で暗くなるのを待った。 数は少ないが、ゲンジが15頭ほど川から園内を飛び回っている。

一方、園入り口の暗闇部では、ヘイケボタルも居るようで、数匹確認できた。

ホタル水路に水を絶やさなければ、来年はゲンジもヘイケも乱舞?

深夜には生家の隣でヘイケボタルのヒカリのツリーを見て眠りについた。

翌日は新しい山の土砂運搬 しかし、暑いのと、疲れで昼になると同時に帰宅した。

途中で、原町のホタル生息候補地となる黒瀬谷川と岩崎用水の合流点、前川の出発点などを観察して、水曜日の夜に観察に来る下見とした。

帰宅してから、夜は辰巳用水路のホタル確認に行った。2日前に居なかったゲンジがかなりの数飛翔してくれていた。 また来よう。

皇紀26826月24日 西暦2022年6月23

私園で朝から草刈りすることにした。ホタルの出るはずの農道南側はそのままにして、北側の広い場所をすべて刈りはらった。

借りている畑と接する堤防や土手も含めて、刈り終えた。ホタル水路のある南側の草はそのままにしてある。 

今年は、水が流れ、カワニナも生息し、今年一頭のメスでも産卵してくれれば、来年は再び乱舞する可能性が高いため、7月中はそのままにする。

夕方からホタル観察のために時間調整に生家に入った。 みんなに元気で除草したことを伝えた。 生家の周りはぼうぼうであるが、今度にしよう。

8時前から橋の上に車を止めて通せんぼ いろんな動物が通るので。 ほーたるこい でもなかなか飛ばない。

諦めかけたら、橋の下流側から2頭飛んでくれた。 農道を行き来しながら、ホタルの数を数えるが、増えていない。 

やはり、用水路では発生しなかったようである。 8時を回ったら、園内を自由に飛び回るゲンジが少し増えた。 今日は15頭とした。

どうやら、橋の下流側 この部分は砂礫が堆積しており、洪水がなければ、カワニナもホタルも生息できる。

昨年も数頭見かけていたので、生息地となっているようである。 来年はもっと増えるだろう。

帰り道、岩淵に寄った。ゲンジが一頭確認できた。 一方、その先のみどり町で沢にホタル生息地を作っている友人の庭に寄った。

ここでは50頭近いゲンジボタルの飛翔を確認できた。 さらに帰り道で桜生水に寄るが、1頭も見られなかった。

 

皇紀26826月23日 西暦2022年6月22

今夜は市内のホタル生息地をはしごした。 最初に辰巳用水路沿いに見に行った。

そろそろ沢山飛翔するはずと思ったが、残念ながら、8時15分過ぎにゲンジ10頭ほど、ヘイケ20頭ほどでさみしい。

ここは週末から来週にかけてピークが来ると思う。 またね。

犀川大桑貝殻橋右岸はピークを迎えつつある。 水路添いと水路が犀川流れ込む本流部 橋の下流側右岸にゲンジが数百頭乱舞。

良く見ると、ヘイケも桁は違うけれど、飛んでいます。

橋の対岸大桑水田山際は、ピークが過ぎて、ほとんどいない。 間を流れている大桑用水路沿いはこれからピークと思う。

最後に、犀川緑地公園グルグル広場の下流側では、ゲンジが200頭ほど飛んでいる。 

数年前はヘイケが主体であったが、今はゲンジが主体となってきた。

 雪見橋より下流側については、今日もパスしたが、増えているかもしれないなあ。

金沢市内の山手側は、今週末がホタル観賞に適している。 

多くの皆さんに近くの水辺に出かけてほしい。

犀川大桑貝殻橋へ行かれる方については、車の場合は、橋の両岸には止めないでください。

必ず、大桑簡易野球場の上流側駐車場に止めてください。 

ホタルの愛好家は、決して生息地の中には乗り入れないものです。 蛍からのお願いです。 

皇紀26826月22日 西暦2022年6月20〜21

今日は管理人の誕生日で、なぜか、父の命日でもある。 忘れることは出来ない父と子の縁である。

私園について一回りしてから,生家に入り、父と、祖父母、母、そして兄に挨拶。 無事古希を終えてまた一年、元気でいることの報告。

仏壇で、父と祖父母の法名を掲げ、父の弟のおじさんも加えた。年は違えど、5月から7月にかけて逝っている。

お経として、正信偈と阿弥陀経をひとり挙げたが、途中で、老眼で追えなくなってしまった。

良しとしよう。 墓地に行き、墓周りにたまった杉の枯れ枝を始末して、小ぎれいにした。誰も来ていないけど、これは私の役目である。

さて、ようやく私園に戻り、義兄が頼まれ仕事で仮置きしている庭掃除のごみを焼却にかかった。

孟宗竹が多く、燃やすと破裂して大きな音を出すので、ハンマーで叩いて竹に割れ目を入れてから少しづつ燃やす。

夕方になってもまだ半分ほど、残る。 明日にしよう。

夜は、私園のホタル観察で、同級生に観賞に来るよう呼び掛けていたのである。

まだ明るい19時過ぎにひとり、差し入れの野菜を持って来てくれた。 園内案内後に入り口にいすを置いて暗くなるのを待った。

しかし、20時前になっても飛翔しない、ひかりも見られない。なんかへんだなあ。 しびれを切らして奥の橋まで進む。本流でも見られない。

やっと1.2頭 飛び始めた。しかし、入口の暗闇ではない。 園内のあちこちを飛び回る。新月なので空は暗い。

本流の滝の上流側火星の岩盤河床にもひかりが見られる。どうやら本流で生息しているようである。

遅れていつもの同級生夫婦が来てくれたが、昨年と大きく違うといって、あきらめて帰っていった。

ゲンジはこんなものと諦めて、生家裏のビオトープに案内した。

こちらもピークのようには見られなかったが、畔端で10頭ほどがキラキラと輝き、楽しんでもらえた。

ここで同級生との観賞会は終わり、生家に入った。 ひとりで誕生祝のビールをあけたが、一番小さい缶が半分も飲めない。

諦めて早く眠った。 深夜に目が覚めて、裏庭に出てみた。 やはり一匹もいないと諦めて、桜の木を見上げてみた。

なんと、こずえの葉裏にキラキラ、キラキラ、キラキラ 200頭以上は居るみたい。 ヘイケボタルのクリスマスツリである。

空は雲に覆われているので、すべてがホタルたちのひかりである。

下枝に居ることは何度も確認しはていたが、梢の葉裏に密集している様子は初めてみた。 お泊りした価値があり、ホタルたちから頂いた誕生祝であり、父たちへの鎮魂のひかりでもあった。 ありがとう。 そう言って眠りについた。

翌日は朝から片づけに追われた。3時ころにはすっかり片付き、帰途についた。

写真の五重塔は、原町の白山社に奉納されているものである。 初めて見て、驚いた。

平安時代に塔がたっていた水田跡は見ていたので、ここに復元したいものだとひそかに思っていたが、

ふるさとの人たちも同じ思いで、管理のことも考えて、境内に縮小した塔として建てられたようである。 

もちろん、当時の塔とは異なると思うが、高さが30mを超える塔があれば、素晴らしいモニュメントになるし、ふるさとの誇りとなる。

皇紀26826月20日 西暦2022年6月18

今日は白鳥路のホタル観賞会なので、夕方から出かけた。 

明るいうちから、この白鳥路の曲水の源となっている池がある。

前田利家像の背後にある池や池に水を流している地下水の湧き出し口の調査をしたかったために、明るいうちに着いたのである。

調査をして、来年からどうすればよいか、みんなと相談していくつもりである。 

ここのホタル観賞会は大事にしていきたいし、昨夜も1500人を超える観賞者があり、期間中に1万人を超えているらしいので、

多くの方々に、多くのホタルを見ていただけるように、今後もできることを手伝っていきたい。

明日はどうしようかな。 行きたいところは一杯あるし、ホタルたちみんなに挨拶もしたい。 

 

皇紀26826月19日 西暦2022年6月17

暖かく蛍にとってはとても良い気候となり、夕方から白鳥路に出かけた。

今夜は観賞者が少なかったが、もちろん蛍の数以上の方々が来ていただいた。

50頭前後のゲンジボタルが飛翔しており、老若男女が飛び回る蛍に合わせて歓声が上がった。

小さい子たちが手に留まったホタルに戸惑いながら、楽しんでいるのが見てて楽しい。

ある子供に留まったホタル、とても大きい蛍だったので、確認したら、今年初めてゲンジのメスを確認できた。

説明して、みんなが大きなお腹のメスが、一気に飛翔して飛び去ったのを見送った。

犀下流側で蛍も人もいない曲水の中を観察した。

アメリカザリガニの生まれたばかりの幼生と2センチほどに育った子蟹が沢山いるのを確認した。

カワニナは1個体しか確認できなかった。 白鳥路の今後の課題が見つかった。

明日は、土曜の夜で一番鑑賞者が多くなる。 さあどうしようかな 市内はホタルのピークを迎えつつある。

皇紀26826月18日 西暦2022年6月16

天気が回復したので、私園に行き、梅の木の剪定のためにはしごをかけて登った。

しかし、なかなかうまくいかない。 もう一度出直してやることにした。

夜になるのを待って、私園のホタル観察開始。

車で農道入り口に着くと、何かいる。 多分 タヌキさんと思う。 

車から降りて、農道を橋まで歩く。 木の下陰にゲンジボタルが10頭ほど確認できた。 そして、橋の上からもホタルの光が本流に見られた。

途中から雨が降り出したので、止めにして、岩淵のホタル調査 2頭 して、今度は中の峠を越えて三坂に出て大日川沿いのホタル観察を続けた。

こちらではまだピークではないが、ゲンジの乱舞が見られて、ひとり静かにホタルたちの光を楽しんで帰宅した。

 

皇紀26826月17日 西暦2022年6月15

午前中に雨が上がると思ったが、午後かえってひどくなった。

片付け作業と、梅の木の剪定にかかったが、雨に濡れてしまい、肌寒く、風邪をひく恐れが高いので、夜まで待たずに帰宅することにした。

梅は、見事に実がついていない。 沢山花をつけてくれたが、鶯宿梅などの花粉木がまだ小さいため、うまく受粉が出来ていない。

他の梅の木もだいぶ大きくなってきたため、来年以降はたくさんつけてくれるはずです。

 

こんな雨で寒くては、ホタルたちも飛んではくれない。 明日、もう一度出直すことにした。

16日は朝から天気も回復したので、夜まで待機して、私園のゲンジボタルと生家のヘイケボタルを確認して帰ることにする。

皇紀26826月16日 西暦2022年6月14

本来の百万石まつりの夜、犀川べりを数か所回ってきた。

今のところは、犀川緑地公園の上流側水辺でゲンジが20頭以上確認できた。

今週末、天気の回復とともに、ゲンジ、ヘイケともに沢山飛翔してくれるはずです。

付近の方は、徒歩で、車の方は犀川緑地ぐるぐる山公園の駐車場に止めて公園の下流側に行ってください。

ホタルの居る園路は、照明を消してありますので、舗装された園路から観賞してください。

水路際によると、危ないので、特にお子さんには気配りしてください。 

ホタルは直ぐ脇に居ますので、楽しめます。 

この週末は天気が回復しますので、是非各地でホタルたちと逢ってください。

 

皇紀26826月15日 西暦2022年6月13

今夜は市内犀川べり大桑のホタル観察に行ってきた。 

大桑貝殻橋の右岸側では、排水路の窪地にゲンジが2頭確認できた。

左岸側の水田地帯や山裾ではゲンジが30頭ほど、ヘイケも10頭ほど確認できた。

一年ぶりに入り口付近から用水の上から挨拶してくれた。 こんばんわ ありがとう 

あまり長くは居なかったが、帰途に着いた。 あと、何回見られるのかな?

この時期は一晩で何か所も走り回ったが、もうそんな元気がなくなりつつある。

明るいうちに現地に行き、遅くならないうちに家路につくことにしている。

皇紀26826月12日 西暦2022年6月10

今夜は白鳥路ホタル観賞会に参加してきた。 100頭以上のゲンジボタルの光を多くの観賞者とともに楽しんだ。

いろんな方々に、説明でき、また、多くの市内のホタル情報も聞かせていただいた。 

明日は小松の生家に泊まり、ふるさとのホタルたちと逢ってきます。

 

皇紀26826月11 西暦2022年6月9

生家に泊まって今日何しようかと考えていたが、青空が広がっていて、中海の里で、白山を見たら、雲一つない姿でした。

これは、もう一度西山の白山高山植物園に行き、雲のない白山のパノラマを見たいと思い、そのまま、白峰に向かった。

しかし、手取ダム湖あたりまで来ると、雲がある。 駐車場に着いたら、前回と同じように2500m以上の峰々は雲の中。

早朝、晴れていても10時ころになると、上昇気流が山へ向かって吹き、ガスがかかるのである。

午後になれば、今度は下降気流になるので消える雲なのである。 

公園の植えにある西山山頂に上る登山道を登った。 頂上の東側が開けていて目の前に180゜の大パノラマで白山連坊がそびえている。

今日は2500mより高い部分は雲の中であった。 残念 

雲がなければ、北側の四塚山、七鞍山、大汝、剣が峰、御前ヶ峰、別山、三の峰、二の峰、一の峰と並んでいる。

30分ほどあきらめきれずに待ったが、こんな雲は午後にならないと消えないので、今度の他の楽しみとして下山した。

駐車場から往復でも40分ほど、高山植物園を見ても小一時間の山行といえる。

多くの高齢者も来ておられるので、私たち古希を迎えた同級生の記念登山には最適な山である。

夏か、秋にみんなで登ることにしたい。

昼には私園に帰ったが、午前中動いたので、作業をしないで、大杉の先生の別荘の草状態を確かめに行った。

あまり生えておらず、7月半ばに草むしりすることにした。

帰りは、大日川沿いを通ったが、いつものサルたちの群れに会い、しばらく県道が塞がれてしまった。

皇紀26826月10日 西暦2022年6月7日 

 今夜は、夕方から市内のホタル生息地の状態を見回りした。

夜は、白鳥路の発生状態の確認に向かった。

兼六園下側は少なかったが、三文豪の像付近からはたくさんの光を見つけることができた。 金沢での初光の確認である。

すべてゲンジボタルで、金沢に来られた観光客も10数人見られた。とても喜んでおられた。

お会いしたホタルおじさんに聞いたら、今夜は多いと。40数頭数えられたと。

今夜から明日にかけてさらに多くなり、10日からのホタル観賞の夕べには200頭くらいにはなると思う。

今のところはゲンジばかりであったが、鑑賞会の後半にはヘイケボタルも見られるはずです。

明日、明後日の夜はまだ人が少ないので、ゆっくりホタル観賞ができるはずです。

さあ、明日は私園に行き、作業して、夜はふるさとの各地でホタル観察して回ります。

 

皇紀26826月7日 西暦2022年6月4

百万石祭りパレードの日に、報道にあった白山高山植物園を尋ねることにした。

いつもの同級生と私園で合流して、一台に乗り合わせて現地に向かった。

手取ダムを過ぎで、白峰で国道を直進して間もなく右折して、10時過ぎには現地に到着し

白山高山植物公園への登山路を10分ほど上った。受付で協力金300円を払って、中へ というよりも

園内に受付があるので、目前にゼンテイカ(禅庭花)が咲そろっている。他の様々な花たちも生えている。

ここはもとは桑畑であり、高山植物の保護保全のための施設が下にあり、20年ほどにわたり、人工的に植えられた群落なのである。

問題は白山である。 遠くに大汝が見えるが、御前ヶ峰には雲がかかる。園内回っている間に晴れるだろうと沢山のお花たちを見て回る。

さて、白山は?  結局雲が厚くなるばかりで、姿は見られなかった。また来よう。 降りて林道の奥赤谷に続く道をしばらく走った。

しかし、眺望の利く場所はなく、引き返し、一向一揆の里でそばを頂いて私園に到着、解散した。午後は草むしり。 

夜は、大野町と河田桜生水で源氏ボタル観賞。生家に戻り裏のピオトープで観察も平家ホタルはまだでした。

 

皇紀26826月8日 西暦2022年6月5

生家に泊まったので、早朝から作業を開始した。伸び過ぎた農道沿いのユキヤナギなどを刈りつめた。

昼近くなり、カキツバタの植え替えをすることにした。一年前に植えた二本の茎が19本に分けつし、4本が花を咲かした。

取り出して根元から分けて、元のヒョウタン池に新たに土を加えた場所に植え直した。 

来年は池一杯にカキツバタが咲くはず。再来年はどこへ植えようか?

明日からは雨模様。 間に合った。 明日は二日間の疲れをとるためにおやすみ。

 

皇紀26826月5日 西暦2022年6月2

兼六園のカキツバタが咲いていると放送があったので、確認に行ってきた。

昨年10月に植え替えたので、今年の開花は難しいと思っていたが、すでに花芽ができていたようで、苗の1/3位が小さな花をつけていた。

かつてのような満開は、来年まで待たないといけない。でも少ない数でもカキツバタの色は、うれしい花色である。

 

来年は今年分けつした株にも花芽が付くので、花数は今年の10倍以上になるはず。

ただ、葉を見ていると弱弱しい感じで、夏の間にたくましく育ってほしいと願うばかりである。

午後はのんびり休暇中。 明日は私園の整備に行く予定。 梅雨に入る前に土方を進めないと。 

 

皇紀26826月5日 西暦2022年6月1

昨日は生家に泊まり、夜は小松方面のホタル調査に出かけた。

昼間はあちこち、草むしり。 夜は粟津川のホタル観察 もうピークになる時期だが、居るにはいるが、昔のようにはいない。

でも、この位が安定した生息数なのかもしれない。 桜生水に回るが、ここも少ない。 原因はたぶん・・・・・・

深夜、星空観察。 生家のホタルはまだ早いが、代わりの満天の星が光ってくれていた。

子供のころには星座も覚えていたが、目が悪いのと、頭が星座を想像できるロマンが無くなっているのかな。

結局 北斗七星もカシオペアもそして北極星も判らず、自分の星としたシリウスも判らなかった。

今日は朝早くから生家の庭のヒラドツツジ ツバキ、イチイの剪定をした。 一回り小さくした。

午後にはそれをすべて焼却した。 少し早いが寄り道しながら、帰宅した。 明日は兼六園でも散歩しよう。

 

皇紀26826月4日 西暦20225月31

夜、再び白鳥路を訪れた。 しかし、今夜もホタルは確認できなかった。 

暖かく湿気の多いホタルにとっては羽化に良い環境であり、6月に入れば、光ってくれるはず。 

お祭りの準備の材料が100間堀の緑地帯に積まれていた。 

今年は昼の祭りは遠慮して、夜のホタル達の集いには参加してこよう。

今夜は故郷生家に泊まり、小松方面のホタル達と会うことにしたい。

 

皇紀26826月1日 西暦20225月28

朝から和園で草むしり。途中で農道を見たら、カモシカが通っていく。 国道へ行ったので心配で様子見に行った。

しかし、どこへ行ったか見つけられなかった。 まあ良しとしよう。

午後からも今度は東屋の周囲の草むしり。 途中で一服していたら、カモシカが返ってきた。苔山をまっすぐに私に向かって歩いてくる。

炉のそばまで来たので、声かけた。 やっと人がいることに気が付いたみたい。カモシカは実は近眼なのです。

それで、耳で音により距離を感知し、鼻の嗅覚で、相手が何なのか、感知する。 

このために、山でも会うと必ず、正面を向いて静止し、鼻を動かしてにおいを感知する。

人とわかったので、後ずさりして垣根の前で、もう一度振り向いている。そしてゆっくりと乗り越えて川向の山に戻っていった。

最近見かけていなかったが、いつも通っているみたいな慣れた様子であった。

 

夕方から粟津川に向かった。暗くなる前に川の様子を写真に撮りたかったのである。

ここで、ある方と出会った。ホタルの写真を沢山撮られている方で、能美市の方であった。

ホタルの話で盛り上がり、とても貴重な情報もいただいた。 ありがとうございました。

時間が経ち、やがてゲンジボタルが一頭、二頭、  たちまち十数頭の光がヨシ原の上に輝いた。

22日は全く見られなかったが、予想通りに羽化が進み始めた。

ここで別れて、上流を見に行くと、こちらはもっと乱舞状態。 多分明日、明後日がピークになると思う。

ここも早めに切り上げて、河田の桜生水に立ち寄った。 何人か人がいるようであるが、ホタルは少ない。

もう少し増えていると期待していたが、よく見ると、生水のある場所よりさらに奥の暗い方に移動しているらしい。

実は名所になった桜生水の場所には照明が点けられているために、明るいのである。

ホタル時期だけでも減灯するか、消灯してほしいのであるが、危ない階段もあり、子供の出入りもあるので、難しい。

合わせて50頭ほどのゲンジが見られた。 6月に入ってピークになると思う。

 

5月29日 金沢ホタルの会の総会である。  

金沢ホタルの会の総会が久しぶりに行われて、役員の変更と今年の予定を決めた。

6月から7月にかけての鑑賞会の役割分担と、秋に予定していた北信越ホタル交流会はさらに1年延期することになった。

それまでには、私園を整備し直したい。

 

皇紀26825月26日 西暦20225月25、26日 

夜間運転がつらくなってきたので、生家に泊まることにした。25日は早朝からいろいろと作業して、和園についたころには11時近くなった。

何をしようか?から、始まり、見回りから始めた。今は一番花がなくて、さみしい。 しかし、たった四本のカキツバタに三番花、四番花がまだ咲いてくれている。そして、サツキは父が植え残してくれた大きな群落が咲き始めようとしている。 園の各地にあるので一気に華やいでくれる。

私の農道わきの斜面に植えた挿し木苗は、ようやく市販の苗木の大きさとなり、今年は期待したい。

実は困ったことが起きている。アジサイの花芽が食われている。 首が落ちるように何本もやられている。 犯人を捜すが今はわからない。

 

夜は、河田の桜生水の初ホタルを観察に出向いた。駐車場で待機して暗くなる8時少し前から歩き始める。 

ここの排水路も以前は簡単に飛び越えてきたが、70歳を過ぎた今ではだんだん難しくなってきた。

むろん、まだ光るかどうか判らない時期なので、我慢比べである。

水路にかかる桜並木の枝裏に一ひかり、見つけた。ゲンジだと。

違う木の葉裏にもひかり、まだ飛ばない時期なので、羽化後の羽を固めている時期かもしれない。

 併せて4個体いることを確認した。その中の1頭が水路沿いに飛び回りだした。下見に飛んでいるのかもしれない。

目の高さでホバリングして歓迎してくれた。 飛んでいる個体はオスで、水路内部の壁や草むらにいるのがメスである。

この時期はオスが数日先行する。メスがいないので、自然では川の上流側に移動して新しい場所のメスと出会う機会を作る。

当然メスがいないので、葉裏で待っているか、隣の生息地へ移動するが、大概は途中に外灯や人口施設があり、移動できない。

ホタルにとってはとても困難な時代である。私たちは光害と呼んでいる。

今残されている生息地は、ごく一部の川べりや用水、排水路の一部である。

その周辺部では、この6月ホタルの飛翔地では、時間を限った消灯、減灯等を関係者にはお願いしたい。

 

故郷にいる間に中学の同窓生が一人旅立っていったと連絡が入った。 明日は我が身かも知れない。

迎えが来るまでは、ホタルや私園の動植物のお世話と、むしろ彼らのお世話になることである。 もうしばらく頑張ろう。

釈尼恵水 かーこ 待っていて下さい。 いずれ同窓会はそちらで開くことになるので、はるおに幹事を頼みたい。 伝えてね。

皇紀26825月24日 西暦20225月20日 

今日は大杉下町のゆるぎ(動)山 604m に登ることにした。

故瀬川先生から何度もお聞きしていた山なので、慰霊登山したかった山なのである。

車を止めて林道の奥から登山開始。

しかし、鍵を仕舞い直そうとしてポケットにないことに気が付いた。 振り出しへ戻るである。

同級生には先を急いでもらうことにして車まで戻る。スタートの神社の鳥居と登山口の写真を撮る際に歩道に落としていた。

直ぐに追っかけるが、なかなか追いつかない。女郎岩で待っていていくれるように伝えてあったので、ようやく追いつけた。

ロックガーデンが脇道にあるので、見ているだろうと思っていたが、見ていないと。 友人にはロックガーデンを見ていただいている間、一休み。

ここまでくれば、あと15分で頂上のはず。 平坦と思っていた尾根が、結構勾配がある。 やがて空が開けてきた。着いた。

 

三角点のある場所と白山が見えるもう一つの場所があり、白山を眺めながら、昼食とした。 

後から来た老夫婦たちはのんびりと素敵な山行を、楽しんでおられる。 こっちは今度は無事に降りられるか心配ばかりしている。

食べ終わるとすぐに南側の周回尾根筋ルートを降り始める。

結構な勾配である。大きくジグザグ道を降り、平坦な大杉と西俣の分水界の尾根を進む。

やがて尾根道に着き、雑木林を下るが、眺望がきかない。

急こう配の尾根でようやく、振り返ると、動山が見えるが、足元が悪く、降りることにした。 

少し緩い長い尾根を下る。 あと少しやぞ。

しかし、最後に急斜面があるはず。 と思ったら、急勾配となり、ジグザグ道を降り、やがて集落背後の植林地になる。 もう少しだ。

中町の神社に出た。 あーあ 疲れた。 そして県道を下町まで歩く。 これが長い。

車が見えてほっとして石畳を歩いたら、途端に足がけいれんし始めて、歩けない。 座り込んでリュックからポカリを取り出してがぶがぶ飲む。

登山靴を脱いで、履き替えようとするが、歩けない。運転が難しいので、同級生に別荘まで、運転してもらう。

牡丹の花見て帰ろうしたのである。 そしたら、別荘から車が出てきて先生の娘さんと奥さんであった。 ちょうどよかった。

しばらくお話しできたし、一番良い牡丹の花を見ていただけたので、うれしく思った。

慰霊登山の最後に、こんな出会いもできて、先生が見守ってくれたのだと思った。

苔庭にはまだ雑草が生えていないが、6月に入れば、たくさん生えてくる。 先生また来ますね。

悪い足であるいていたが、不思議と良くなった。 帰りは自分で運転して和園によって、無事に帰宅した。

 

皇紀26825月23日 西暦20225月19

病院の帰りに兼六園に回った。 昨年植えた株では1輪だけ花をつけていた。

長いこと、料金所で園内の説明をされてきた職員が今日で退職されることが分かった。

いろいろと教えていただき、私からもいろいろ話して来たが、さみしくなった。

明日は小松のうららで大正琴の演奏をされるとのこと、聞きに行きたいが、明日は大杉の動(ゆるぎ)山に登るので、行けないなあ。

また会う機会もあるだろう。お名前を聞いていなかった。

 

 

皇紀26825月18日 西暦20225月13日 

午前中、兼六園まで散歩してきた。例年ならば、カキツバタが咲き始めている時期であるが、

昨年10月にすべて植え替えられたので、今年は成長が遅れているのか、花芽がついていないのか判らないが、

全く花芽のついた花茎は、見られなかった、

岸辺に以前のカキツバタが残っているものが3個花芽があり、一つだけ開花していた。

今年は以前に見られたようなカキツバタの満開は難しいそうである。

でも、来年は今年これから分化した芽にも花芽が付くはずなので、今ある株の数倍は開花するはず。

来年を楽しみにしよう。 帰ってからは庭のプランターにお花の苗を植えた。

明日は私園の土方をして、早く整理を終えたいなあ。

 

皇紀26825月14日 西暦20225月9

加賀市山中温泉の奥にある富士写ヶ岳 942.0mに行ってきた。 

いつもの同級生に同行を頼み、10時少し前に我谷ダム右岸の県道脇の駐車場に止めて、吊り橋を渡り、登山口から登山開始。 

しばらくは急こう配の斜面をジグザグに登る。尾根道に上がると、少し勾配が緩くなり、所々に水平部もある。

小リス平に到達したら、少し起伏がある。 さらに登っていくと中間地点に到達。ここからはブナの自然林である。

やがてシャクナゲが見えてきた。しかし、花はもう散っているのか、咲いたものは見られない。なお上っていくと、

登山道の脇に所々に咲いた花も見られ始めた。 しかしピークは連休の間に過ぎてしまったようである。 

頂上の間にある暗部にようやく到達。ここは、九谷ダムから登る登山道との合流点である。

さらにもうしばらく尾根筋を上ると、富士写ケ岳の頂上である。 途中から小雨が降っており、風も冷たく、遠くの白山は全く見えない。

早々に退散として,分岐点に戻る。前山まで行こうかと相談したが途中に急な暗部があり、帰りが登りとなるために、

下山の体力が心配だったので、元の道に戻り、下山を急いだ。 しかし、登山時の疲れで、臀部の筋肉が痛く、早く降りられない。

ストックで支えながら、ゆっくりと一歩一歩の歩みで、下山となった。中間地点に戻った時にはコースタイムより1時間以上遅れていた。

しかし、この後の最初の急斜面ではさらに歩みが遅くなった。 吊り橋に戻ると同級生が橋の真ん中で、カメラを向けて待っていてくれた。

10時から登って16時だったので、2時間近く遅くなった。 

まあ年を考えれば、当たり前なのであるが、同級生は1時間以上待ち時間で、ロスしたと。

負けじと、休憩時間があったのだ。私は休みなしだよと。 互いに笑って、帰りに九谷ダムを見て帰路についた。

今回も、足の遅い私に付き合ってくれたおかげで、深田久弥の最初の登山で有名な、

そして白山シャクナゲの群落のある富士写ヶ岳もあきらめずに、頂上に立つことができた。 

ありがとう。 あと数山付き合ってね。

 

皇紀26825月5日 西暦2022426日

思いついて、50数年学生時代から世話になった第二の故郷、富山県に出かけてきた。

金沢井波線と音川線を走り、福光、砺波、小杉、長沢、古沢を経て呉羽の先のかつての下村に着いた。

昭和45年に大学で出会った同級生で、今も時折山登りに同行してくれる友人である。

裏庭に咲いている満開の兼六園菊桜を眺めながら、止めどもない話をして、互いの現状を確認しあった。

帰り道もまた、下道で、今度は小杉、戸出と小矢部を経由して、国道359号線を走り、午後には帰宅した。

久しぶりの県外への運転で、心配したが、無事に帰れた。その後大雨となったが、故郷は無事だろうか?

明日は晴天だが、用事があり行けないが、金曜日には故郷一回りしてくることにしたい。 

 

皇紀26825月3日 西暦2022424

今日は朝から小松市の大倉岳に登山してきた。 いつもの中学の同級生一人に同行していただき、

尾小屋鉱山跡の登山口から歩き始めて、仏峠にたどり着き、少し休んで、尾根沿いに辿った。

しかし、多くの木製階段の急勾配があり、頂上手前で、遅れてしまった。

頂上に着くと、沢山の方々が東屋を含む平坦面で食事されていた。

私たちも、昼食とした。笹原に座って山を見ていた。 同級生は白山が見えると。

しかし、私には違うように見えて、笈ヶ岳で、白山ではないと伝えた。

食べ終わってから、立ち上がってみたら、東屋の南側に白山がはっきりと見えている。

地べたに座っていたので、同級生からは見えている白山が、私の座った位置では東屋に邪魔されて見えていなかったのである。

曇り空で、目も悪い私には見えていないのかもと思っていたが、見えていたのであった。

大笑いして誤魔化したが、白山が見えて良かった。

ただ、後で分かったことであるが、白山方向に無線通信用の巨大な反射板があり、少し移動しないと全景が見えない。

おまけに、大日川の対岸の山が高いので、白山連峰の一部を隠している。

でも良い眺めだ。 小松方面が見えていたはずであるが、座っていたので、見ていない。

さて、下りは楽なはずと考えていたが、どっこい、長い急な階段斜面の下りは、疲れた足には堪える。

やっとスキー場のリフト終点にたどり着いた。 ここまでは国道が開通すれば、車で来れるらしい。

スキー場の上部には松の大木があり、とても素敵な場所である。

スキー場下に降りてからの舗装道路が長い。疲れ切った足には堪える。

車に戻り、鉱山資料館を訪れることにした。しかしこの坂道が歩けない。 車で移動。

資料館と坑道の一部を見せていただいた。不気味な鳴き声。カエルの鳴き声だというが、判らない。

 何とか同行者を送り届けて、和園に帰り着いた。 今週はどこへ登ろうか?

 

268251日 西暦2022422

亡き瀬川先生の別荘の掃除をしてきた。杉の枯葉や折れた枝が園内を埋め尽くしていた。 

大きな枝は先生の義弟たちが片づけてあったが、苔庭の上や東屋の上やスギ林の中の遠路は、まだ草はないものの、

枯れ葉だらけ。先生の指示を受けたように、二日間できれいにできた。

来月に入れば、草が生い茂るだろう。時々見回り、また掃除に来よう。 

連休には先生が植えられた牡丹が満開になるはず。 天国から見ておられると思う。

 

皇紀2682427日 西暦2022417

  私園でお花見してきた。ソメイヨシノは完全に散ってしまったが、他のさくら、 しだれ桜 楊貴妃 旭山 鬱金 御殿場 十月桜 大島桜が満開となり、兼六園菊桜は蕾が膨らんでいた。 

姉弟が揃い、花見と久しぶりの昼食会となった。 

3時過ぎには、普段会えない孫達も来てくれて、楽しい一日となった。 

来年こそは、バーベーキュをみんなでしたいものである。帰りに番谷山の桜見に行ったが、全て散り終えていた。 

 

パソコンの調子が悪くなり、修理序でに、ウインドウズとオフイスを最新版に入れ直して貰い、起動も早くなった。

ハードティスクをSSDに替えて、電源ユニットとCPUファンも取り替えた。

これで最期のパソコンになるだろう。

あとはパソコンが壊れるか、先に逝くことになるか、その前に使えなくなるのかも知れない。

明日は、大杉に行ってくることにした。 先生にはもう会えないが、一緒に作業していると思うことにしたい。

 

先日の朝のBS3で、有名な生物写真家小原玲さんが、昨年暮れに肺ガンで亡くなられていたことを知った。

 無論面識はないが、ホタルの素敵な写真やかわいらしい動物の写真など、同行取材されたNHKの放送により、

様々なことを教えていただい。石川県にもホタル取材で来て居られた。

 享年60才 ご冥福を祈ります。

皇紀2682年4月22日 西暦2022年4月12日
 今日は、羽咋の知人達と、花見に出かけた
 朝一で 河北潟の干拓地道路沿いに植えられている千本を越える染井吉野の満開を楽しんだ。
この桜の植樹経緯については、過去に触れている、
金沢医科大学病院に入院された母と娘の願いを叶えた暖かい行政の結果である。

さて、羽咋一宮の気多大社背後の山辺に入ると、途中も現地も桜満開であった。 
ここの桜は自然に生えて来た山桜であり、染井吉野より遅れてバラバラに咲く、今年は町中の染井吉野と同時に揃って咲いていた。
山辺の土地では自然生育の山桜を境木として残してきたらしく、かつては畑にしていた丘陵地や里山の雑木林であったが、
近年耕作がなされず、雑木林の中に桜の大木が埋もれた形で何本も残されている。
知人は所有しているそんな薮状態の土地に、退職後に手を入れ始めている。 
個人の作業なので、遅々としているが、協力者とともに着実に整備を進めておられる。
私は自分の私園の作業に追われているため、あまり手伝いは出来ていないが、花見には呼んでくれるので、毎年楽しみにしている。
昼を食べて、気多菊桜を見たり、のんびりした半日を過ごしてから、千里浜ドライブウェーを走って帰宅した。
明日は病院で定期検診。 週末には私園で再び花見。 ソメイは散り始めて花吹雪となるが、他の桜が咲き出すはず。

皇紀2682年4月20日 西暦2022年4月10日 
朝から忙しい、そして、とても楽しい一日を過ごした。
午前中は故郷の原町の方々と、岩倉観音山の登山道整備のお手伝いをしてきた。 
3月に登った時にはあまり倒木は見られなかったが、4月初めに春の大風が吹き、園内の飛散物の始末に追われたが、
山でもこの風で、枯死している大木が各地で倒れ、枯れ枝も沢山落ちて、登山道を塞いでいた。 
7人が居たので、手際よく片付けられた。 降りてみると、駐車があり、登山客が3組み有ったようである。
下りはさむらい道を降りたため、人とは遇わなかったが、間に合って良かった。
午後は、原町の裏山に当る仏ヶ原城趾と岩淵城趾を村の人と、見回りした。
地元にいても見ていない場所であったようで、今後の話を町会で話して頂くことにした。
私園に戻り、少し作業をして、帰ることにして、途中で同級生を久しぶりに訪ねて、昔話と今後の話をさせて頂いた。
疲れたが、とても充実した一日だった。 私園はここ数日が桜のピークを迎える。 

今日の朝のBS3で、有名な小原玲、生物写真家が昨年暮れに肺ガンで亡くなられていたことを知った。
 無論面識はないが、ホタルの素敵な写真やかわいらしい動物の写真など、同行取材されたNHKの放送により、様々なことを教えていただい。
石川県にもホタル取材で来て居られた。 享年60才 ご冥福を祈ります。

皇紀2682年4月19日 西暦2022年4月9日
桜満開の兼六園に行ってきた。 午前中 我が家の庭に川原の桜の花弁が舞ってくる。
金沢の桜もぜひ見てこなければと、午後から散歩を兼ねて歩いて出かけた。 
金沢市の菊川ルートのミニバスが走っているが、混雑していると思い、運動を兼ねて歩く。
やはり無料開放も重なり、園内も園外もごった返していた。
 無論そんな所には近づかず、一言も発しないで、放生池から出た。
直ぐ前がバス停であるが、広坂通りは車両ストップ状態である。 バスなんかとんでもない。 
歩いて真ッすぐ帰宅。 8千歩の良い運動。 
石川門当りは大混乱であったという。 明日も人出が多いのであろうな。

皇紀2682年4月18日 西暦2022年4月8日
新学期も始まり、私の新しい一年も始まる。 昨日少し私園に行ったが、ソメイが5分咲くらいで、他も遅れている。
来週末が散り染めと咲き始めが重なり、花見をその頃にした。 ただ、今日は知人と木場潟公園中央園地は満開らしいので、見に行ってくる。
ジンダイアケボノの花がどんな色合いか確かめてきたい。 その後また私園に戻り、作業員兼管理人に戻りたい。
皇紀2682年4月13日 西暦2022年4月3日
私園の作業で一日を終えた。 染井吉野は未だ開花していない。 
しかし、薄墨桜は開花済みで、今日は二分咲かな ?
花数は少ないが、今年は一番多いと思う。 咲き初めは淡い桃色が強い。
この木は根尾に出かけて三年生の実生苗を現地で購入したもので、10年以上花が咲かなかったが、ここ数年咲き続けている。
 大島桜は父が植えたもので、株立ちで、葉芽が大きく開き、数日遅れで白い花を着けるはず。
八重紅枝垂れ桜は母の名前を付けている園内で一番の木である。半分農道にかかっており、とても綺麗である。
今は、蕾がきれいな赤桃色をしているが、開花にはあと2日ほどかかりそう。
河津桜は満開が過ぎているが、散り始めではない。 十月桜も未だに満開状態。 半年以上咲き続けている。
川縁の掃除と、サザンカの上流側の剪定と、桜の枯枝の取り除きを行った。
今年の川縁の桜はきっときれいに咲いてくれるはず。 3時過ぎには疲れ果て、帰宅した。
私園や小松の山手は今週末に満開になると思う。 楽しみだ。

皇紀2682年4月11日 西暦2022年4月1日
弥生から 卯月に変わり、サクラの時期に入りました。朝から少し寒い風が強かったが、花見の準備作業。
河津桜と十月桜が満開で、薄墨桜が開花寸前、八重紅垂れも多分今日開花、 そして染井吉野は日曜日が開花するはず。
帰り道で鵜川の古代桜を見たら、真ん中の木が開花していた。 
川縁の染井吉野の枯れた幹を切り、枯れた枝も整理して枯れ草の跡始末もした。
来週半ば以降は桜がいろいろと咲き、レンギョウ、ボケ、そしてユキヤナギも咲き始め、春爛漫に近づく。
東屋に庇を付けたり、小屋の整理をしなくては思いつつも、今日も一日が過ぎた。
まあ、良しとしよう。 来週、8日に友人達と花見を予定した。 染井吉野は多分満開だろう。 
明日は曇りになったけれど、一年ぷりの花見しながら、片付けを続けよう。皇紀2682年4月9日 西暦2022年3月30日
 朝から晴天 20゜を越える暖かい日和となる。 園の中は、先日の強風のため、飛散したものや枯れ枝が多数散らばっていた。
取りあえず、枯れ枝を集めて、焼却してから、先日の用水路から出た流木なども運んできて焼却した。
 少し、休んでから、園内の見回りにかかった。 河津桜は満開となり、国道からも目立つので、時折、車が止まっている。
その手前の栗の下の斜面ではカタクリが4花 花を着けてくれた。カタクリは一球に1葉の芽を出すので、数えると、十数葉見つかった。
この小さな丘にカタクリが満開に茂るには10年から20年かかるだろう。
あとは、十月桜が再び満開になってくれている。 他の桜は蕾か、未だである。 ソメイヨシノはあと数日掛かると思う。
その前に、レンギョウや木瓜の花が咲揃うと思う。 
ああ、梅はブンゴや鶯宿梅、枝垂れ紅梅が咲いている。しかし、植えた木自体が小さいので、花数は少ない。
薄墨桜も来月に入れば、開花するはず。 私園からしばらく見ていなかった一輪草がまさに一輪 川辺で咲いていた。
そして、お昼、来たー ひらひらと。 春の女神ギフチョウが。 たった一頭であるが、園内を飛び回る。 
成虫で冬を過ごしたものが暖かい昼頃に、相手を求めて飛び回る。 
園内のカンアオイの群落(ギフチョウの食草)も、少しずつ数が増えてきた。
ここで、卵を産み、ここで育ち、冬を過ごして、春の女神となる日も近いかな?
小屋の中を出入りしていたら、アシナガバチも一頭飛び出してきた。
小屋の中には沢山の成虫が冬眠していて暖かくなると、ガラス窓の中を飛び回る。
なるべく私園に行き、蜂達を戸を開けて、外で巣を作れるようにしてあげねばならない。
川縁の県の桜並木の下草を刈り取って、花見の場所を作った。
ソメイヨシノ5本ほどの花が咲けば、堰のある滓上川の眺めと私の生家のある麦口の町並みを、桜越しに見られる。 
今年は未だダメであるが、昔のようにホタルが乱舞する川辺に復活できればと思う。  忙しくなるな  足を引きずりながらの老管理人

皇紀2682年4月8日 西暦2022年3月29日
もう、年度末になる。 そして明日は20゜を越える暖かい日和となる。 
雑用と足膝に不安を覚えたので休んでいたが、明日は朝から私園に行くつもり。
きっと河津桜は満開となり、梅も少ないが花を着け、さらに少ないカタクリも咲いているはず。
昼には山から春の女神ギフチョウが飛来するはず。
週末には早いウスズミサクラが咲き始める。その前に、園内のブロアー掛けを行い、小綺麗にしておこう。墓への道も掃除しなくでは。
帰り道で近くの山辺のヤマザクラやマンサクを見てこよう。 さあ新しい年、野山、野川で楽しもう。 
朝方、東京に住む叔母さんから電話を頂いた。 お歳にも関わらず、元気な声を聞き、励まされ、とても嬉しかった。
今の叔母の年までは頑張れないと思うが、一年、一年を大事に過ごしていきたい。  管理人皇紀2682年4月8日 西暦2022年3月29日
もう、年度末になる。 そして明日は20゜を越える暖かい日和となる。 
雑用と足膝に不安を覚えたので休んでいたが、明日は朝から私園に行くつもり。
きっと河津桜は満開となり、梅も少ないが花を着け、さらに少ないカタクリも咲いているはず。
昼には山から春の女神ギフチョウが飛来するはず。
週末には早いウスズミサクラが咲き始める。その前に、園内のブロアー掛けを行い、小綺麗にしておこう。墓への道も掃除しなくでは。
帰り道で近くの山辺のヤマザクラやマンサクを見てこよう。 さあ新しい年、野山、野川で楽しもう。 
朝方、東京に住む叔母さんから電話を頂いた。 お歳にも関わらず、元気な声を聞き、励まされ、とても嬉しかった。
今の叔母の年までは頑張れないと思うが、一年、一年を大事に過ごしていきたい。  管理人

皇紀2682年4月4日 西暦2022年3月25日
予定通り、岩倉観音山に登山に行ってきた。 天気は霞がかかっているが、良い。 上麦口に車を止めて歩き出す。
いつもの登坂ルートを辿り、岩倉城跡に10時に着いた。 一服して、まず301高地に向かう。 
途中のマーキングを増やし、中間の常緑樹の枝をカットして、常に次のマーキングを確認できるようにした。
 行く時に着けたマーキングも、帰り道では目線の高さが変わり見えなくなり、前回の時に道に迷ったためである。
301高地で早い昼食とした。 これから先は未確認ルートである。 高地から歩き出す時にまたも、迷ってしまった。
平坦な高地からは四方に小尾根が伸びているために予定している尾根がどれか判らない。
 ヤマレコの地図で現在位置を確認しながら、弥勒山に続く尾根筋を確認して、マーキングを着け直してから出発した。
 とても長い尾根で、起伏があるため、疲れる。 昨年、鍋谷から着けてきたマーキングがあるはずと捜すが見つからない。
地形や杉林の様子は覚えているのに、見つからない。 困った。
そこで思い出した。 あの時弥勒山までマーキングしたが、テープが無くなり、着けていないことに。
午後1時になり、引き返すことにした。 来た尾根道を帰るつもりであったが、杉の大木の林の中にある沢は、とても歩きやすい。 
そして、気がついた。 直ぐ下に麦口と虫谷の奥を繋ぐ林道があることに。 
普段チェーンで閉鎖されているので、もう20年以上来たことがない林道だけれど、帰り道としては楽だと判断して、斜面を急降下。
最初は降り易かったが、途中から急斜面となり、何度も前のめりで転んでしまった。 
大したこともなく、イノシシやカモシカの獣道に従い、ずり落ちていったら、林道面に着いた。 
林道の日陰の部分には10p以上残雪が見られたが、転ぶ心配がないので、ピクニック気分。
途中に簡易水道の水源地と 貯水槽を見て、子供の頃作っていた田圃のあとなどを眺めながら、国道まで出た。そして上麦口の駐車場で下山終了。
そこから車で嵐町に行き、入道の滝の入り口の様子と国道沿いの嵐大滝を眺めて私園に帰った。
同行してくれた同級生再びフキノトウを探し始めて夕食分を持ち帰った。
疲れから私園と川縁をウロウロしていた。 生家の納屋に義兄が来ていた。 帰りに東屋の冬囲いを外して貰った。
やっと春を迎える準備が出来た。 帰り道、国道沿いにヤマザクラが1本満開になっていた。  管理人

皇紀2682年4月2日 西暦2022年3月23日

彼岸寒波が過ぎて、漸く春めいてきた。みんな一気に春モードになりそう。
 明日から週末にかけては、20゜近い気温となり、山辺の根雪も解け去りそうである。

furusato/故郷の山登山ルート 5201.pdf 
 
明日は病院なので、私園にはいけないが、25日は私園から故郷の岩倉観音山に登り、そこからさらに尾根伝いに弥勒山まで行き、
昨年鍋谷側から着けてきたマーキングの続きを完成させたい。 
このように出来れば、故郷の山を巡る大回廊が完成する。
この回廊は、遣り水観音山と岩倉観音山を巡ることになり、最終的には、私園から出発して上麦口の岩倉観音山を経て、
弥勒山、鍋谷との境界尾根、そして遣り水観音山を経由して、巡視路を辿り、仏御山に至り、
そこから番谷山に下りて、国道を歩いて私園に戻る。

大変なルートであり、時間も体力も必要なトレッキングロードである。 
半分ほどは薮漕ぎに近いロードとは言い難いルートであるが、誰かが踏み跡を着ければ、
後世の山好きな方が通ることで、道になり、ロードになっていくはずである。 そんな思いを込めて、故郷の山逍遙してきます。

私園では、河津桜が満開に近くなり、近くの国道にある彼岸桜も満開なはず、梅もカタカゴ カタクリも数輪開花するはずである。
そして、4月になれば、ソメイヨシノが開花し、五月初めまで、サクラの開花が続く。
5月に入れば、ツツジが咲き、サツキが一斉に開花する。 瀬川先生に見せたかったのに、そして先生の庭の牡丹も咲くはず。
父母、祖父母、兄、そして故郷の多くの先に逝かれた方々には、天国から見に来て欲しいと思う。

他の花木も花を着けて、私園はまさに春爛漫となる。

皇紀2682年3月30日 西暦2022年3月20日 
彼岸寒波で東北地方は、地震と降雪で大変な状態である。
明日はお彼岸なので、一日早く故郷に向かった。 曇り予報であったが、細かい冷たい雨が降っていた。
でも、私園に着く頃には止み、午後からは晴れ間も出てきた。
私園の片付け作業していたら、原町の生産組合の方々が用水の取り入れ口の掃除に来られた。
実は冬に入ってからは水門の中で流木やゴミが詰り、僅かしか流れていなかったのである。
自分で掃除しようと考えたが、流木を除くと一気に用水路に流れ込む恐れがあり、下流で氾濫することも考えられたので、
そのままにしておいたのである。
作業は組合の方にお任せして、出てきたゴミや流木を用水路から取り上げる手伝いをさせて頂いた。
お二人で小一時間かかる程の量が出てきた。 お陰さんで用水の取水量が回復した。
来週、下流側の用水路の土砂上げされるとのこと。 私園の脇の水路沿いの草刈りは私の方でやりますので、御願いしますと。
水路沿いの土手には、ヒガンバナやカンアオイの群落があるので、保護していると伝えて、協力を御願いした。

用水路の掃除が終わった所に、姉と義兄がやって来た。フキノトウを採取して、3人で墓参りをすることにした。
姉はお彼岸の墓参りに来てくれたのである。 うっかりしていた。お墓への道の掃除を。
杉の枯れ枝がコンクリートの舗装面に一杯貯まっていて、とても歩くには危険なのである。
多分明日来ると思っていたので、掃除してなかったのである。 
ブロアーで吹き飛ばしておけば、きれいになったのである。 帰りの道はとても怖かった。
次に行った時にはまず墓場の道の掃除をしよう。

姉たちが帰り、園内の草むしりを少しした。 春はまだ先のようである。 河津桜はほとんど開花が進んでいない。
梅も枝垂れが少し咲いたが、鶯宿梅も備後梅もまだである。
明日は行けないので、週末に春を楽しもう。 

皇紀2682年3月27日 西暦2022年3月17日 
今日はひさし振りに、山登りに行ってきた。
加賀市との境に立っている双峰をなす特徴的な山、鞍掛山である。因みに後山は加賀市になる。
馬の鞍に似ていて高い方が鞍掛山本峰、鞍部を挟んで後山、 合わせて鞍掛山 477.7mと呼ばれている。 
回り中から登れるので登山道入り口は沢山あるが、谷が違うので、下りる道を間違えると、車に戻れない山でもある。
滝ヶ原口のトンボの里から入ることにした。10時前で十数台の車で満車に近い。隅っこに止めて、10時登山開始。
雪の残るこの時期なので、一番人の多い西ノ谷登山道を登ることにした。 途中舟見台で一服。 
そして緩い岩尾根を進み、最後にロープにすがって急斜面を登る。この当りで積雪が残る。そして開けた山頂に到着。何組かいた。
平野の方は良く見えたが、白山や大日山は雲が低く隠れていた。しばらく休んでから、後山に向かう。
途中の鞍部に避難小屋やベンチがいくつもあった。 そこから緩い尾根を行くと後山山頂に出た、さあ、昼食だ。
脇にしし岩の案内。 少し下りたら、崖地に突き出した岩盤。 とても先端にはいけない。
戻ってから、下山開始、鞍部から直接トラバースして元の登山道に戻る。 鞍掛山から東側に別ルートがあるが、看板には子供、初心者には危険と書かれていたので、登った道を下山道にした。初心者ではないけど、老いたら、子供同然である。
1時半頃に車に戻れた。 トンボの池を見回ってみた。カエルの卵とオタマジャクシが群れていた。 また来よう。
同級生を下ろして、私園に立ち戻った。 

鞍掛山は、実は二回目の登山であった。10年以上前に仕事で、滝ヶ原の集落に来ていた。
その仕事帰りに名前だけは知っていたので、登山口までと思い、寄り道した。
長靴のままで、登り始めたら、いつの間にか頂上まで着いてしまったのである。
  この頂上で、名古屋から来られた登山家と出会った。 深田久弥の記念館に来られて、その足で鞍掛山に寄られたと。
そして、来週からは中国の根論山脈に遠征に行きますとのこと。 
頂上での僅かな会話であるが、お別れのような挨拶をされたが、まだいろいろと話をしたく思い、後を追いかけた。
 後山に着いた時にもう一度話しかけた。 会話後に、では、と言われたのに、後をつけた。
その時に振り向かれて、私は塔尾に下りますよと。貴方は滝ヶ原から来られたのでは? 谷違いになりますよと。
ここで先ほどからの会話の意味を理解し、何も知識を持たないままに山に入ったことをお詫びして、お礼をして本当のお別れをした。
登ってみて、前回は、今回下りに使う予定だった危険なルートと書かれているみちだったことに気がついた。
また、いろんなルートで、登りたい山である。 2度目ではあるが、亡き瀬川先生追悼登山を終えられた。

いよいよ、河津桜が開花し、梅も咲き始めた。 やっと私園も春めいてきた。
 

皇紀2682年3月26日 西暦2022年3月7日16日
午前中、1時間ほど兼六園内を散歩した。 梅林の様子見である。 満開に近いが、いろんな種類があるので、木によって開花度は異なる。
霞ヶ池に近い所に鶯宿梅が満開。 ラジオを聞いて居てたら、兼六園のいつもの生中継があり、この鶯宿梅に触れていた。
しかし、平安時代に遡るこの名前の由来については、勉強不足と正直に話されていた。
無論、私も10年前には全く知らないで、ネットで調べて知った次第。 
直ぐに私園にこの梅を2本植えたが、今年はまだ咲いていないし、10年目でやっと背丈程度に育ってくれた。
 
平安時代の末期、村上天皇の御代に、御所の梅の木が枯れてしまった。 
替わりになる立派な成木を都中捜したが、適当なものが見つからなかったが、ある庭に見事な梅が咲いているのを見つけ勅命により移植した。
 その木に短冊が添えられていて、以下の和歌が添えられていた

 勅なればいともかしこき鶯の宿はと問はばいかに答へむ
 勅命ならば、この梅の木を差し上げますが、春にいつものうぐいすが、やって来て、
  私の宿にしている梅はどうなったのかと、問われたら、どう答えましょうか。
天皇はこれを読んで、誰の庭の木かと尋ねられたら、紀貫之の娘の庭であると分った。
すまないことをしたと詫びて、木を戻されたという 大鏡 に書かれている逸話に基づいている。 
戻された木には、鶯宿梅 と名が付けられて、その子孫が今も京都の寺にあるという。
奈良から平安の時代には、中国から渡来した外来種の梅の花が大事にされて、御所でも左近の梅 と言われていた。
しかし、平安末期になり、国風文化が盛んになるとともに、梅ではなくて、桜の木が植えられるようになっていった。
こうした時代背景を大鏡では逸話に込めたのかも知れない。 どんな木でも大事に世話しても寿命が来れば、枯れるのである。
生物はそのために子孫を残して代替わりして子孫を残すである。

皇紀682年3月24日 西暦2022年3月7日14日
朝起きたら、平熱に戻った。 私園で作業。 従兄弟が会いに来てくれた。でも夕方になると、体温が上がってくる。
計測したら、37度を超えている。早めに切り上げて家路に着いた。 朝起きると平熱に戻るが少しからだがだるい。 休みだ。

皇紀2682年3月22日 西暦2022年3月7日12日
朝起きたら、平熱に戻った。 3日振りに私園で作業。 同級生が会いに来てくれた。お土産にフキノトウを捜して帰って貰った。
夕方になると、体温が上がってくる。 体温計持参なので、計測したら、37度を超えている。
慌てて帰宅して、今計測すると、平熱である。 久しぶりに太陽の日射しを浴びて日焼けしたみたい。

今年のお彼岸には、おわけしたヒガンバナが咲揃うと思う。 きっと天国から見てくれるだろう。
私園にも何度か来て頂いた。私の夢を笑顔できいてくれた。 
瀬川先生 ありがとうございました。 御遺言であるので、年数回は苔庭のお掃除させて頂きます。 

瀬川幸三先生が亡くなられた。享年82才

謹んでお悔やみ申し上げます。

高校卒業以来お会いすること無く無為に過ごしてきたが、先生の別荘の苔庭管理を御願いされて、この2年間、先生と楽しい時間を過ごした。

昨年の秋、牡丹の苗木を庭に植樹された際には、お元気でしたのに、暮れに自分の管理している

施設に世話になることとなり、施設と病院の入退院を繰り返されていたようである。

この時期でなければお見舞いに行きたかったし、葬儀にも参列したいが、控えよう。

春になり、雪が融けたら、苔庭の掃除をして、亡き先生へのお参りとしよう。 

先生が足跡を残している故郷の山々を歩きつつ、ともに登らせて頂くことにする。

皇紀2682年3月11日 西暦2022年3月2日
朝から私園に出かけた。しかし、根雪は20〜30pあり、あまり融けていなかった。 農道へ車が入れない。 
諦めて歩いて一回りして帰ろうかなと、一旦私園を離れたが、雪は触っておかないと消えないと思いなおし、
ママさんダンプを下ろして、農道と私園内への通路の雪を、周囲に撒き散らして消えやすくした。
最後に車を入れてみたが、一番奥まで入れた。 
これで金曜日までにはかなり融けるだろう。 岩井戸の橋の上までも入れるだろう。
1時過ぎには帰途についた。 少し早いので、高尾山城跡の桜の様子を見に寄った。
無論、大半を占めるソメイヨシノはまだまだであるが、高尾山には、ソメイヨシノ桜の他に、
ここ10年ほどで新しく植えられた伊東小室桜が、3月に入ると咲き始めるのである。 
この桜は静岡県伊東市の小室山で見つかった早咲きの桜なのである。
 見晴台に至る途中の1本に、花が10個ほど開いていた。 
普通5,6輪咲けば開花宣言するのであるから、高尾山の伊東小室桜は開花宣言である。
週末の寒波が過ぎれば、来週末にはかなり咲きそうである。

皇紀2682年3月8日 西暦2022年2月26日
朝から出かけて、生家の脇の除雪と、私園への入口への通路の除雪をした。新雪は20〜30pほどあり、水分が多く、重たい。
何とか入口まで車が入れるようにしたが、足腰がいつもより疲れた。
春探しをしたが、まだまだ積雪があり、カワヅサクラも、あと1週間以上かかりそうである。
でも、溶けはじめれば早い。 来月に入れば、春は直ぐである。

2月27日 明日からしばらくは気温は10゜C以上になり、晴れる金曜日には雪は消滅していると思う。
来週になれば、真新しい黒土を押しのけて、生き延びた者達が顔を出し始める。
 そして花が咲き始める。 まずは蕾のまま雪に埋もれているスイセンが咲き、カワヅサクラが開花するはず。
明日病院へ行き、足の具合見て頂き治れば、良いな。 でも完治していなくても作業にかかろう。 
残された時間は僅かなのである。

2月28日 レントゲン検査で、医師からは 折れた部分はほぼ繋がっている。普通に歩き回って様子見てください。山も良いですよ。
完治ではないが、歩き負荷をかけることで、新しい骨も強くなるとのことです。
明日、今年の作業始めとして、雪の様子と枯れ枝の後始末をしてくることにしたい。  
田舎の谷間に小さなため池がある。 サンショウウオの卵嚢があるかも知れない。
春探しの走りで金沢では良く見かけているが、故郷にも居ると嬉しいな。

皇紀2682年3月6日 西暦2022年2月26日
この1週間、HPの更新が何度やってうまく行かなかった。 しかし、今朝試みたら、更新可能になっている。原因は不明。
パソコンに詳しくない老人には、もうHPの管理は、困難になるかも知れない。
春が来たような暖かい日が続く。本当にもうすぐ春である。
今日は、これから生家の周りの雪退かしをしてこよう。
まだまだ根雪があるが、私園の雪も3月に入れば直ぐ無くなりそうである。
帰りに、春一番を捜してみよう。 カワヅサクラ 咲いては居ないが、花芽はかなり大きくなっているはず。 さあ、出かけよう。

 
こんな平和な日常が突然壊れてしまったウクライナの人々、何とか収まって欲しいなあ。
昔、ウクライナのコルフォーズ 集団農場 理想に見えた。真っ黒い土からなっている穀倉地帯、そんな所で農業したいと夢見ていた。
夢は叶えられなかったが、一度は行ってみたいと願っていたが、無理なのだろう。
 でも、あの土地とそこに住む人たちは、かならず立ち上がれると信じたい。そのためにも早く停戦になって欲しい。

朝から出かけて、生家の脇の除雪と、私園への入口への通路の除雪をした。新雪は20〜30pほどあり、水分が多く、重たい。
何とか入口まで車が入れるようにしたが、足腰がいつもより疲れた。
春探しをしたが、まだまだ積雪があり、カワヅサクラも、あと1週間以上かかりそうである。
でも、溶けはじめれば早い。 来月に入れば、春は直ぐである。

皇紀2682年2月23日 西暦2022年2月15日
土曜日のお天気の日に故郷へ行き、私園を一回り。 中に車で入ろうとしたが、農道入口の雪溜まりに乗り上げて亀の子状態になった。
下りてスコップで車の下を梳かしていたら、村の人がやってきた。散歩の犬にも笑われてしまった。
直ぐに脱出できたが、作業する気が伏せてしまい、足で一回りして帰ることにした。
しかし、まだ昼過ぎである。 
ドライブしながら、大杉の先生の別荘の様子を見に行き、大きな被害がないことを確かめた。
先生は、退院されて今施設の方に戻られたとのことだったので、3月末にでももう一度見回り、ご報告がてら、お見舞いに寄りたい。
でもまだ2時過ぎであり、今度は我谷ダムまで車を走らせた。九谷ダムへ向かう途中に道の両側に駐車が見られた。
何かあるのかなあと考えたら、気が付いた。九谷ダムまで見てから、帰り道で確かめた。 
そうです。 富士写ヶ岳に登る登山道が、吊り橋となって我谷ダムを横断しているのである。丁度一パーティが吊り橋から下りて来られた。
そうです。 ここは日本百名山の著者、深田久弥の登山人生の原点となった山なのである。大聖寺の町当りからは本当に富士山の山容である。
大聖寺町に生まれた久弥は、12才の年にこの山に登ったことが初登山であるという。
しかし、私はまだ登ったことがない。近くにありながら、小松とは違う山中町であったので、縁がなかった。
昨年から始めた故郷の山逍遙の中にも数えていなかったが、すばらしい山のようなので、5月頃、シャクナゲの咲く頃に登ってみたい。
もう一つの鞍掛山には、仕事の帰り道で長靴で登り、偶然に有名な登山家に出会うことが出来た。
あのまま、登山を続けて居れば、もう全て故郷の山は踏破出来ていたのだが。
足がうまく直ってくれないと怪しいが。 まだしばらくドライブとコタツ番して、春の登山に備えたい。

皇紀2682年2月15日 西暦2022年2月7日
朝から故郷へ帰り、生家の周りの除雪に励んだ。 
新雪は30数pであるが、しばらく前からの根雪と大屋根からの屋根雪で、2mを越える雪山である。
道路と生家の入口の雪、そして納屋との間の駐車スペースの除雪に三時間ほどかかった。
途中で、ドジをして車を脱輪させてしまった。 
納屋から出した材木などで、上がりそうであったが、一人で無理して挟まれたりしたらと考えて、JAFを呼ぶことにした。
 しばらくしてきてくれて、これなら大丈夫ですよと、運転して上げてくれた。ご迷惑かけました。
昔はもっともっと酷い填り具合でも自力で何とかしてきたが、無理はしないことに決めた。
反省と大きな事故を起こさないようにしていきたい。
帰り道、いろんな所に立ち寄って、家路に着いた。 しばらくは自重しよう。  

皇紀2682年2月13日 西暦2022年2月5日
午後から、雪が激しくなってきた。
コタツの番だけでは我慢できず、除雪に出た。 ポンプも使ったら、やがてガソリンが無くなった。
慌てて、近くのスタンドへ給油を御願いした。なかなか携行缶には売ってくれなくなっており、住所と名前を告げて帰った。
帰り道も雪で埋まっている。 家の前と道路を排雪して水路はポンプで融かした。
しかし、朝にはどれだけ降るのかな? 故郷を見たら1時間に6p明日までには50p以上は積もりそうである。
明日以降かなと思っているが、途中の道路の除雪が間に合わない気がするので、月曜日にしようと思う。
木々は折れても自然の剪定と考えているので、生家だけはつぶせない。
そうは思うものの、足が難しいので、その時は覚悟しておきたい。
生家を守ってくれている祖父母、父母、兄たちが守ってくれるはず。御願いね。 さあ早く寝よう。 

皇紀2682年2月8日 西暦2022年2月1日

2月に入り、今日はもう立春 節分である。 節分寒波が週末にかけて来るとのこと。余り降らないで欲しいなあ。 
昔なら、旧正月と言うことで、寒の餅突きを行い、明日の朝くらいから長い餅を薄く切り、ワラで縛って二階の寒い部屋に干して、かきもちを作った。
干し上がるのを待ちきれずに、下の方の餅を抜き取って盗み食いしていたなあ。
豆餅 色餅 赤 黄 など、色粉を加えてたくさん作った。 
母が生きていた頃に、生家の玄関で餅突きを行った。 ウスだけが残っていたので、隣の家から杵を借りてきて、みんなで突き上げた。
ただ、餅米の蒸し上げ器 セイロや大釜とそれを乗せる竈戸は用意できなかったので、モチッコで二ウス分搗いただけである。
母は、不自由な体になっていたが、突き始めるといろいろと指示をしてくる。 昔のままであった。
父母も、兄も逝ってしまったが、4人の姉弟が残っている間に、もう一回餅突きしたいなあ。 コロナ禍の時期であり、みんなに叱られるかも。
  寒波の前にお昼に日が射してきた。庭に出てみたら、ロウバイが開花していた。
この木は2年前に隣地との境のブロック塀を持ち上げていたので、切り倒したのであるが、肥子生えが生長して花芽を付けた。
剪定をしながら、花も楽しみにして生きたい。

 

皇紀2682年2月6日 西暦2022年1月30日
庭の雪は全て消え去った。 多分旧正月には寒波が来てもう一、二回は積もると思うが、春早く来い そんな気分
23日にコタツから庭を見て、植木鉢に積もった雪を見ていて孫に、雪だるまの写真を送ろうと考えた。
自然に積もった鉢の上に空の植木鉢に雪を詰めて被せてみた。 
なんか雪だるまよりお化けに近いが、ナンテンの実で目を付けて頭に庭に居る、リスさんと小鳥さんを飾りにした。
ムーミンかな Q太郎かな? ゆきんこ とする。
夜、孫達が公園でソリ遊びしている動画が来た。 会えない間に生長していくんだなあ。 

夕方までにはみんな落ちてしまった。  2月に入ったら、私園で少し作業の準備にかかろう。
まずは、車で園内に入れるように農道の除雪から始まる。 いつもの春探しも始めよう。
梅もまだ咲かないけれど、確実に花芽が膨らんでいるはず。 いろんな計画も立てないとね。
 

皇紀2682年1月28日 西暦2022年1月21日
 
大寒も過ぎて雪模様の朝ばかりである。ようやく朝の除雪を終えた。
故郷の雪 50pを超えているとのことなので、様子見だけしてきたい。

皇紀2682年1月23日 西暦2022年1月15日
 今日は左義長。石浦神社まで出かけてきた。お正月飾りを燃やして貰い、一回り。
だいぶ昔と様子が違ってきた。 書き初めを燃やす方や子供が全く居ない。 賑わっていたが、早めに退去。
兼六園に行こうと思っていたが、財布を忘れた。 免許がないし、年齢を確認できるものがないので、直帰。 
約、五千歩の散歩。 足もまだ確認できていないので、またコタツに戻った。
月曜日にはレントゲン検査を受けるが、うまく着いていない気がする。 
普通に歩くには支障が無いから、墓場まで持っていくことになるのかも。
2月半ばに大倉岳スキー場に行ってみよう。 下見ですね。

皇紀2682年1月21日 西暦2022年1月13日
再び寒波がやってきた。 大寒までには結構積もり
再び寒波がやってきた。 大寒までには結構積もりそうな気がする。しかし、冬は雪が降るのが当たり前でした。 
昔は除雪しないで朝早く雪道を踏み固めて、子供達は大人が通勤で歩いていった踏み跡を並んで学校まで行ったものです。
生活には不自由はなかった。 母親に言われて雪の中に埋めてある大根や白菜などを掘り出しに行くことが日課であり、
夜は大屋根に登り、コシキ板で雪を落とす。 出入りは2階の窓を開けてしていたし、玄関の屋根雪の山はカマクラとなり、道路からと家の玄関からと出入りの通路でもあった。
3月初めになると、ブルドーザーが今の国道の除雪をしながらやってくる。 
集落全員で橋の所まで迎えに行く。 お酒を渡して、集落内の除雪もして貰う。粗方片付くと再びブルは、隣の集落までの道を空けに行く。
今度はブルで片付かない各家の玄関前の除雪である。 そんな日が来る日、とても待ち遠しかった。
今は国道は県が、町内の市道は市の委託業者が早朝前に片付けてくれるそうである。
住んでいないので、時々生家回りの除雪に立ち寄るが、各家の回りの除雪をしている人や子供の姿を見ることはない。
何か、一抹の寂しさも感じる。    昔の人

 

皇紀2682年1月16日 西暦2022年1月8日
 お出かけは控えなければ行けない身であるが、ハンドルは田舎に向いてしまう。
私園について車で、雪の上を走って内部まで進入。 こうしておくと雪解けが早い。
一回りしてみたら、縛って置いたネズミモチの株立ちの1本が折れている。 引き起こしてロープで固定した。また先端部を切り落として頭を軽くした。
春先に剪定して形を作り直しだ。梅の花芽を見るが、まだ小さい。替わりに河津桜の花芽が膨らんでいる。こちらの方が早いかも。
雪がある内は特にすることもないので、午後はドライブに切り替えた。
加賀の白山が、とても白く輝いて居る。これは木場潟から潟越しに見るしかない。
西園地に行き、釣り用の桟橋の先端から白山を見た。 ここからだと、大汝 御前峰 剣ヶ峰が良く見える。
金沢や白山市からだと、御前峰らは、大汝山の後に隠れてしまうのである。
西園地と中央園地の周回園路を少し散歩して歩いた。 大丈夫そうである。
天気が悪い間はコタツ番して、春になったら、またあちこち出かけることにしよう。
少し気になる話が聞かれた。 私の高校の先生が病院生活になっているとのこと。
お元気になられて、また、みんなで苔庭の掃除や新しく植えられたボタンの開花を楽しみたい。
先生の足跡の残る鈴ヶ岳 動山(ゆるぎやま) 大倉岳 まだ登っていないので、春から行ってきます。  一回り下の一生徒 

皇紀2682年1月15日 西暦2022年1月7日
今年最初の兼六園 少し雪が降っていたが、冬枯れの静かな園内を散歩してきた。
梅が咲いていると報道もあったので、見回りしたが、見つからない。 もちろん冬至梅は3分咲位かな?
他には素心蝋梅がほぼ満開、、違い橋脇の冬桜が咲いていた。 
まだまだ雪が降るので、梅が咲き始める2月半ばまで兼六園は待った方が良いと思う。
明日は晴れるとのことなので、私園の見回りをしてこよう。

皇紀2682年1月14日 西暦2022年1月4日
  2日に生家に行き、回りの除雪と私園の木々の雪落としをしてきた。
昨年のような雪折れは起きていなかった。 その後、故郷の武道(たけのみち)神社に初詣りしてきた。 
ここに書かれている由緒書によれば、平安末期 源氏に破れた平家方の武士が隠れ住み、神社を造ったと。
無論、原に居た白河兵太夫は平家方であり、だからこそ、仏御前も清盛に会えたのだと思う。 
その清盛の子を宿した仏御前を故郷原に帰すに当り、清盛が護衛の武士を就けないわけはないと思う。
数人の武士が随行して、美濃から勝山に抜け、白峰筋の当時の裏道を、臨月近い妊婦の歩行がどんなに辛いものであったか、
結局、木滑まで来た時に出産したが、子は死産であったとか、失意の仏御前は、故郷 原 に帰り、庵を建てて住むが、僅か2年ほどで亡くなっている。
随行した武士の一人が、原に残ったのではなかろうか。
僅か数年後には平氏が滅びて、各地で平家方の武士は山間の地に隠れ住むようになった。 
原は開けており、源氏方にも見つかりやすいが、麦口の地は今も昔も、山間の辺鄙な土地であり、
そのさらに奥地の、丸山と言われる山陰に隠れ住んだものと思う。
麦口にその子孫の血筋が残っているか居ないかは判らないが、神社はその後絶えることなく先祖達が守り伝えてきたのである。 
そんなことを思い出しながら、昔遊んだ境内を一巡りした。
 帰り道、鶴来経由としたら、白山ヒメ神社の初詣の渋滞に巻き込まれてしまった。

皇紀2682年1月11日 西暦2022年1月1日

新しい年明けを犀川上菊橋で待った。いつもの初仕事である。 
 しかし、厚い雲が掛かり、医王山は見えるが、その上に雪雲が掛かっていて、日の出時刻になっても見えない。
少し過ぎた頃に、雲の切れ間に青空が見えてきて。その隙間から五色に輝く彩雲が見られた。

もうしばらく経てばと待っていたら、背中側から、吹雪が吹き付けてきて、何にも見えなくなってしまった。
川面にはカルガモたちが30羽ほどワイワイやっていた。のどかな新春である。
帰って、お雑煮を頂こう。 今年もよろしく御願いします。  管理人

午後から初詣りに出かけようと思い、家を出たが、足のことを考え近くの猿丸神社に行くことにした。
我が家は石浦神社の氏子なので、毎年、兼六園の帰りに寄っていたのである。
猿丸神社はほんと近くにあり、地形的には河岸段丘面の斜面に位置しているので、別の意味でも、
そして歌人の猿丸太夫にも興味があるので、これを機会にお参りしていきたい。

 

皇紀2682年1月10日 西暦2021年12月31日

西暦の大晦日となりました。 年明けまで寒波が居座るそうで、我が家の回りも20センチ少し積もりました。
まだ少ない方ですが、9時頃からの晴れ間に井戸水を散水して道路と駐車スペースの雪を融かしきりました。
明日の元旦からまた除雪ですね。 まあ、他の地域や回りの方よりも、井戸水がある分楽ですが、その分、ガソリン代が嵩むのですね。
5リッター缶 あと一回でなくなる。 しまった。 買い足ししてこなければ、元旦はスタンドはやってないから、節約して2日まで持たせないと。
今年もいろいろと有りまして、年末に足を痛めてしまい、まだ完治していません。 
来年はそんなことの無いように、気を付けながら、一年を過ごそう。
来年もまた、よろしくお付き合い下さい。 管理人

皇紀2682年1月7日 西暦2021年12月27日
年末あるいは年始に寒波がやってきて、金沢では20センチ程積もった。 井戸水できれいに消雪したが、明日朝ではまた積もるという。
足の具合が良くなかった。 やはり 春までは大人しくしていなければならないようだ。 
さあ、もう寝よう。 そして 朝は寝坊して過ごすことにしたい。

皇紀2682年1月2日 西暦2021年12月23日  
22日に冬至を迎えて新しい年となった。新年あけましておめでとうございます。
今日は既に今年の2日目 とても良い天気で、庭の片付け仕事をして過ごした。
明日は雨だが暖かいので、私園と生家の片付けを初仕事にしてくる予定。これからが冬に至る日々なのである。

さて、この頁では、皇紀と冬至日を元旦とする私の暦 つまり和暦(私暦)を採用している。
今の暦は西暦で表わし、元日もあと一週間後となっている。
調べた結果では、ユリウス暦からグレゴリオ暦に代わった時に、3月21日を春分の日とすることにしたので、後付で今の元日になったことを知った。
西暦は、その紀元と暦がキリスト教徒のためのもので、他の宗教や無信教の人たちには、無関係な事なのである。
それ故に、いろんな暦 紀元が有って良いと思う。
私が使っている皇紀は、神武天皇が即位した年を紀元とするものであるが、弥生時代に、そんな人が居たかどうかは誰にも分らない。
ただ、明治の人が神代と呼ばれていた時代の天皇を辿って、建国の年を設定したものらしい。
いずれにしても、ある時点を紀元と決めないと、年代が決められないわけである。
西洋のキリスト教徒はキリストが生まれた年を元年とし、仏教徒は釈迦入滅の日を紀元とした太陽暦、イスラムではムハマンドがメッカからメジナに聖遷した年を紀元とする太陰暦である。
和暦は、太陽暦であり、昔々の人たちは、星の動きから1年の期間を知り、冬至の日に一番太陽が低くなることを知ったということに由来して、元旦 1月1日としたものである。