皇紀2683年 西暦2023年 我が思い

皇紀2683年12月 1日 西暦2023年12月5日

皇紀2683年12月23日 西暦2023年12月29日
昨日故郷の町会に町会費を支払いに行き、私園を一回り。
先日に一晩で60センチ近く積もったので、雪折れ枝が沢山でていた。
まだ雪があり、歩くのもままならないので、春まで放置することにした。
細かい小枝がたくさん落ちているので、樹勢が弱っている気がする。
堆肥や遅効性の肥料を補ってやる必要があるかも。
ソメイヨシノの大木の幹が昨年から折れが続いているので、切り戻しを考えている。
来春までに、体を元気にしないと、と思う。
さあ、散歩に出かけよう。

皇紀2683年12月18日 西暦2023年12月23日
冬至明けに寒波がやってきて、朝には40p程ドカット積もった。
いつもなら、深夜に一度水路に落とし、早朝、5時ころから作業にかかるのだが、
病気になり、腰を痛めているので、朝食を済ませてから、7時半ごろやっと外に出た。
ポンプを稼動させるが、ホースが凍結していて上がらない。
やっと吸い上がるようになったが、雪が多く、簡単には無くならない。
路面の雪はすでに車が何台か通り、腹がつかえて固められている。
ホースの先端が軽くて暴れまくるので、手で抑えて、なんとか、消すことができた。
先端をなんとかしよう。  

皇紀2683年12月 8日 西暦2023年12月13日
来週からは雪模様。融雪用のポンプも入れ替えて電気に変えよう。
エンジンは騒音が激しく、怪我してからは起動も難しいのです。
週末まで散歩して、雪が降ったら、ジムにでも行こうかな園の紅葉はすっかり終り、春までの眠りについた。
冬景色の中で、十月桜が咲き続け、そして山茶花が咲き始めた。
来週あたりから河川工事が始まり、橋が完成するはず。
今日は、先日から続けていたアジサイの剪定した枝葉を始末し、藁縄で縛り、雪対策をした。
義兄たちが来てくれて、少し元気をもらった。
月半ばにもう一度作業して、春まで、冬眠かな?

皇紀2683年11月 18日 西暦2023年11月22日
晩秋の晴れた日差しの中で、私園の紅葉に出かけた。
国道から見える紅葉は、とてもきれいであった。
なかなか全体は色付かないが、良しとしよう。
今日は二組が紅葉観賞に来ていただいた。 ありがたい。
数年後には、川辺りも素敵になるよう頑張りたい。

皇紀2683年11月 6日 西暦2023年11月11日
朝から私園に急いだ。 雨が上がり、青空も見えた。
紅葉はと見たが、入り口が少しだけであまりきれいではない。
今年は暑かったせいで遅れていて、ここ数日の冷え込みでようやく紅葉しそうであるが、
逆に今年は12月にきれいに見られそうである。
さて、何しようか アジサイの花柄と倒れた茎の剪定にかかった。3時間ほど切り落として、昼に近くなったので、帰宅した。
帰りしなに見回ると、ナメコが大きくなっていた。 姉に連絡して収穫してもらうことにした。

皇紀2683年11月 3日 西暦2023年11月 8日
病気からリハビリ中だが、奧医王山まで行けるか、試しに夕霧峠から山頂を目指したが、
急斜面の階段の途中で、引き返すことにした。登れても下りの歩行が難しいと判断した。
いつも同行してくれる中学の同級生に送り迎えしていただいた。
カモシカ2頭にも出会えた。 来春には最後まで登りたい。

皇紀2683年11月 1日 西暦2023年10月29日
天気が回復したので、私園の整理をみんなでやった。
市のゴミ捨て場に運ぶものと、残すものに分けて燃えるものは焼却した。
31日 義兄が軽トラックで来てくれて、ゴミを運んでくれて大体きれいになった。
落ち葉を通路からブロアーで吹き飛ばして、久し振りにきれいな庭に出来た。
紅葉は今年は遅くで、僅かに入口の梢だけである。
白サザンカが満開で、十月桜も 咲いている。

皇紀2683年10月28日 西暦2023年10月25日

もう10月が過ぎようとしている。
午前か午後1時間半ほど、川辺や街中を歩く散歩を繰り返してきた。
体力が落ちているため、疲れやすいが、来月には元気になれたらと思う。
昨日は、犀川桜橋上流側で、サケがつがいで泳ぐ姿を見つけられた。
お帰り。ありがとう。  来月半ばには沢山来てくれると嬉しい。
今日は病院で診察、圧迫骨折はほぼ固まっていると。うれしかった。
でも、週末までは控えよう。 日曜日は一日私園の掃除して過ごしたい。


犀川べりを少しずつ歩くことから、体力と筋力、そして気力を付けることにした。
最初は下菊橋まで歩いて帰るだけでしたので、僅か30分足らずから始めた。
やがて、桜橋往復、犀川橋往復、そして犀川雪見橋までの両岸を歩き始めた。
帰ると、疲れてベットインであるが、心地良い。
今月中は、こんな生活をしていくつもりである。

皇紀2683年10月2日 西暦2023年9月30日
やっと自分で車を運転して、我が私園に行けた。 
少し通路だけ除草しようとも考えたが、草刈機が起動しない。
この作業だけで腰回りが痛くなり、帰宅した。 ヒガンバナはほぼ満開である。
花が倒れる10日後くらいに、自走式の草刈機を借りて草刈りしよう。
友人、親戚、息子の力も借りて秋の紅葉に備えたい。


皇紀2683年9月26日 西暦2023年9月24日
お彼岸中日にもなりましたが、まだ、圧迫骨折した胸椎が固まらないため、運転できないので、自宅の庭だけで草むしりしています。
早く自分で運転して私園に行きたいが、今月は難しいかも。

2683年9月20日 西暦2023年9月18日
敬老の日に、息子の車で2か月ぶりに私園に出かけてきた。
自分の病気と怪我で、世話ができず、庭は荒れ果てていた。
来月に入れば、少しずつ元に戻して秋の紅葉シーズンに備えたい。
明日から秋の気候になり、遅れた彼岸花の花茎は一気に伸びてくると思う。

皇紀2683年9月19日 西暦2023年9月17日
自宅療養に入り、2週間が過ぎて、しまった。昨日は大学の同級生がお見舞いに来てくれた。
小松の私園に先に見回ってくれた。義兄たちが世話してくれているようで、きれいだったと。
ありがたいことである。ただ、彼岸花は暑いためにまだ花茎を伸ばしていないと。
最低地温が20度以下にならないと花茎は出てこない。
明日は、息子の送り迎えで、2ケ月ぶりに私園の様子を見てきたい。
皇紀263年9月6日 西暦2023年9月4日

突然7月半ばから体調を崩して、24日に入院して、9月1日に退院してきました。
その間、一時的に昏睡状態ともなり、逝きかけましたが、無事に我が家に戻ることができました。
今後は、70才過ぎの老人であることを自覚して、出来ることをしていきたいと思います。
我が私園は、草だらけになっていると思うが、それも自然と思う事で、少しずつ手をかけていきたいと思います。
今頃は、ツルボが満開と思う。 そしてあと10日ほどで彼岸花が咲き始める。
そして、晩秋には紅葉が始まる。 暑かった夏のため、どんな紅葉が見られるかな。
景色の移り変わりを見られる幸せを心より喜んでいる。

皇紀2683年7月13日 西暦2023年7月11日
10日 朝から私園に行き、草刈りをした。草むしりでは追いつかないので、草刈機を使用した。
農道より北側をほぼ終えて、早めに大杉の別荘に向かった。
四月に行った草むしり後の、苔庭の様子などを観察した。 
様々な草が生えてきたが、杉林の中は日差しがあまり届かないか、弱いので、草丈は低く、大きな支障はない。
梅雨明け頃に通路の草刈りと、苔庭の草むしりを予定している。
その後に夕食を食べてから、明るいうちに大杉林道の下見に回った。
水害はほとんどないので、夜間のホタル調査には問題がない。
9時少し前に現地へ入り、夜半までお姫様探しに頑張ったが、
今回も閃光すると言われるオスの飛翔も、飛べないメスの反応閃光も見られなかった。
ただ、何か所でも ゲンジボタルが飛び回る。 こんな遅くの杉林の中でいるんだろうか?
3時には生家に帰り、眠りについた。
11日は農道南側を刈り終えて昼過ぎに金沢に帰った。
残念だけど、今度の土曜日に故郷の各地でゲンジボタルの様子を見た後で、大杉のヒメボタルの再調査してきます。

皇紀2683年7月11日 西暦2023年7月9日
久し振りに辰巳用水路沿いのホタルを見に出かけた。体が、暗くなると、動くのである。
前回はゲンジが主体であったが、全てヘイケに代わっていた。
しかも数が少ない。でも、一人で座って、のんびりホタルたちの飛翔を楽しんだ。
これで金沢のホタル調査はお終い、明日からはヒメボタル調査に行ってきます。皇紀2683年7月10日 西暦2023年7月8日
昼間は亡き義姉の35日のお参りを生家で、残っている姉弟と連れ合いで済ませて、2時間ほど雑談をしていた。
そして池に植え替えたカキツバタが流されていないか確認に回った。浮いて流されている株は一つもなかった。
なんとか、八月中に新しい芽株が伸びてくれればと願う。

昨夜は兼六園蛍観賞会の最終日、昼間、予想に反し雨はほとんど降らなかったが、雨雲レーダを見ると、観賞時間帯に降るようである。
5分前に蓮池門入口で、開園直後は殆ど光らないので、ゆっくりと進んで下さい。
と説明しても、雨も降っているから、みんな早く早くと先を急ぐ。70才過ぎの私は置いてけぼり。
眺望台付近の曲水では見つからず、代替橋も見えない。そして頼みの千歳橋、熊谷桜下にも光らず、一人も立ちどまっていない。
石橋に座り込んでいたら、やっとヘイケが光った。 光ってますよ。
この声に合わせて、人もホタルも集まり光ってくれて、人だかりに囲まれてしまう。
さあここは大丈夫だ。 花見橋を渡る 1頭だけヘイケが、 そして最期の頼みの綱
山崎山の曲水側 人だかり そして土橋にも、 後から来た私には、傘さした人達が見えても、ホタルの姿が見えない。
奧の隅の方から曲水とホタルが見えた。 今光っているのが、すべてヘイケボタルですよ。
そして飛んでいるのはオスたちです。メスを探して必死で飛んでいるのですよと。
アッ、今高く飛んでいる大きな光、ゆっくり点滅していますね これはゲンジボタルのオスですよと。
みんなに聞こえるように大声での説明であるが、皆さんは目の前のそれぞれのホタルに注目しているので、
ゲンジですよねとか、どうやって区別するんですかとか、 何度も質問される始末。
オーム返しに説明を繰り返すが、ちょっと背伸びしながら話しているので、疲れて竹垣に寄りかかっていると。
トントンと背中のリュックサックに触られる。振り返ったら孫みたいな男の子が、手にホタルのついた枯れ葉を大事そうに持っている。
これはなんというホタルですか。 ペンライトで照らしてみたら、小さいヘイケボタルである。
ヘイケであることやその特徴を話した、 判りました。元の場所に置いてきますと。
疲れが吹き飛んだ。 さあもうしばらく頑張ろうと時間を見たら、8時15分 
本来ならば最大の飛翔時間であるが、本降りになり、どんどんお帰りになる。 
一人っ子になる。 沈砂池側に人が居るので待っている。
そのまま帰りそうな人たちを引き留めて、最期のフィナーレですから見てあげ下さい。
雨にもかかわらず飛翔し、中にはゲンジも飛び交う。
ありがとうございました。 急いで出て下さい。大雨注意報から警報に代わるはずなので。
誰も居なくなったので、コース全体をもう一回り、ペンライトで探すが
この雨では難しい。 千歳橋で光っていたので、帰り客に見ていただき今夜の仕事は完了とした。
35年近く毎年来ているので、だんだん数が減っていることを感じるので、とても悲しい。
来年こそはと思うが、体がもう限界かもしれないなあ。
ホタル観賞の説明は難しい。皆さんがスマホで録画しているので、大声を上げるのも気が引ける。
子供たちのようにホタルの会の腕章を見て、尋ねてくれるとありがたい。

皇紀2683年7月8日 西暦2023年7月6日
生家脇のビオトープのカキツバタひと固まりを掘り起こして、株分けして、30株ほどに分けた。
赤穂谷の池の隅に運んで移植した。池の水が深くて、長靴では上手く植えられなかった。
しばらく様子見して、土をかけることにした。
ビオトープから掘り出すのに午後までかかってしまった。

皇紀2683年7月6日 西暦2023年7月4日
朝から晴天。 私園で、サツキの刈り込み枝葉を集めて、焼却処分。
刈り残しも含めて、粗方始末できた。
生家の周りも適当ではあるが、サツキの刈り込み完了。
もう、しばらくしたら、アジサイの花が終わり次第剪定して、あと、梅の木の枝を剪定しなければならない。
護岸の川べりに彼岸花を植えこんで、秋を待ちたい。
大きな池なので、繁茂するには数年かかるが、池の景観が湖畔の窓から見えるはず。
カキツバタには園芸種がたくさんあるが、分けていただくのは野生種に近いもので、
兼六園のカキツバタと同じ色である。
園内にはまた、いろんな野草が咲き始めている。 
ネジバナと、ヤブカンゾウが咲き、キンシバイも花点け始めている。
今はアジサイであるが、水害で無くなった株や、護岸工事で、移植したためにやや少ないが、七月半ばまで咲き続けてくれる。

皇紀2683年7月4日 西暦2023年7月2日
1日夜 兼六園ホタル観賞会 しかし、5時ごろから小雨。
困ったな。 蓮池門前には遠来の方々が密集している。 さあ、今夜は光ってくれるだろうか心配しながらの案内。
噴水池や眺望台の曲水、代替橋も光らない。 困った。小立野から入った方たちも押し寄せてくる。 飛んでいないのだ。
熊谷桜の前で良く見るが、少ない。千歳橋の上の観賞者からアッ光ったと声が掛る。
慌ててみると、ヘイケが数匹居るが、ゲンジが見られない。カキツバタの上流側もいない。 
そして花見橋 昔はホタル橋と呼んだものだが、見つからない。人もいないので、ライトで刺激したが、反応なし。
最後の山崎山、土橋に着いた。人が橋の上に滞留している。 光っているんだと。ほっとする。
ヘイケもゲンジも数は少ないが、光りながら飛んでくれている。 助かった。
氷室跡池と沈砂池 ヘイケが数匹だけ。 山崎山に戻り、人々の背後から説明をする。
8時半過ぎになると、ゲンジが沢山飛翔をし始めて人垣の中まで来るので、みんな興奮。 解説は要らない
9時過ぎまでとどまり、ホタルの光り、楽しんだ。 皆さん喜んでおられた。
昨日よりはるかに少ないとは言えないので、雨が降ると休むんですが、皆さんが来てくれたので、光ってくれています。
最後にもう一回り、 氷室池はヘイケが数増えたが、沈砂池は未確認なまま。
花見橋も未確認、 千歳橋も居るけど桜の葉裏で雨宿りしたまま少し光っている。
噴水池まで、全く確認できなかった。 今夜は入場者は1000人ほどとお聞きした。 地元の方は雨なので来なかったみたい。
でも、埼玉とか東京から来てくれた方々に、少しでもホタル見ていただけで、うれしかった。
ホタルたち ありがとう 来週、新しい仲間たちが来てくれることを願う。

3日は、私園のサツキの刈り込みの続き。 なんとか終えたが、まさしく虎狩状態。
今週中には切り落とした枝葉の始末終えて、次の作業にかかろう。

皇紀2683年7月2日 西暦2023年6月30日
氷室開きの夜、兼六園ではホタル観賞会が開かれた。
中止との連絡がなかったので、7時過ぎには蓮池門についた。
準備に当たっておられる関係者は居るが、茶屋町側には人影がない。
開門5分ほど前に出てみると、一夫婦だけ。 東京の方でした。 
今夜は、人も少なくホタルをゆっくり見られますよと。
開門。 二組の夫婦とともに噴水の池に着いたが、今夜は確認できなかった。 
早めに月見橋付近に至り、探すがヘイケは見えないが、観賞者が見つけられたようです。 良かった。 

熊谷桜付近にゲンジが飛んでいますよと。 千歳台あたりの人たちに声かけして近づく。
千歳橋下流の曲水の上をゲンジが飛び回ってくれた。曲水の両岸にはヘイケが光る。 良かった。
さらに奧の山崎山土橋付近に行く。 人が集まり、ゲンジが飛び回っている。 
うれしい限り。 ホタルが光っていれば、解説は要らないのである。
土橋の下流側には、ヘイケの光がたくさん見える。 とてもきれい。 橋上には、ゲンジとヘイケが入り混じって乱舞。
解説は要らない。 氷室跡池と沈砂池を見回るが、ほとんど見られない。
山崎山曲水トンネル出口に戻り、皆さんとホタル観賞した。 
時間まで、千歳橋と山崎山土橋の間を往復して、質問があれば、答えるが、余計な解説は要らない。
ホタルたち自身が、光り方、飛び方で説明してくれている。
昨夜は、昼間の天候が雨だったので、観賞者は少なかったが、雨はほとんど降らずに、観賞会を終えられた。
来ていただいた皆様、そして光ってくれたホタルたちに感謝したい。 今夜もよろしく。

皇紀2683年7月1日 西暦2023年6月29日
朝からサツキの刈り込み作業を続けた。 
寄せ植えの山の中の整理から始めたが、藪中の整理は時間がかかる。
途中から刈り込み鋏で、切りそろえた。 4時前に切り上げた。
残りはもう一日かかるかな。 夜、赤穂谷温泉の上流側を観察した。
ゲンジボタルが30頭ほど、杉林の中や道路の上を飛び回っていた。
田島さんの一家とこの光景を楽しんだ。
昨年の水害前には、池や庭周辺にライトが点けられていたので、こんな風景は知らなかったと。
自宅の二階から何か光っているとは見ていたが、ホタル観賞するような時間がなかったとのこと。
来年は、ホタル観賞会をやっていただくことにしたい。

皇紀2683年6月29日 西暦2023年6月27日
午前中は私園でサツキの剪定にかかった。沢山あるし、全部は不可能。
一番目立つ八重咲のサツキの寄せ植えした山に掛った。
なかなか進まない、うまくはできないが、一回り小さくするつもりで刈り込みばさみでエイヤー
うろうろしながら作業しながら、早昼飯とし、午後には出かけて渡津のホタルの里を尋ねた。
昨年の水害でどんなふうになったか心配だったので、明るいうちに現地歩き回った。
被災直後は大変な状態だったらしいが、世話されている方々のおかげで見た目は昨年と変わらない気がした。
しかし、夜、再び尋ねると、川向のゲンジも、水田側のヘイケも発生数は極端に少ない。
でも、かすかみ川のように根こそぎやられていないから、3年ほどで以前のようになると思う。

渡津から故郷へ戻り、生家周りと私園内を見たが、少ないし、私園内には居なかった。
その後、赤穂谷温泉に向かった。 下池にいたはずのヘイケも上池のゲンジも居ない。
もう終わりかなと思って川の上流側の確認に行った。
杉林の中で、ゲンジが飛翔している。川を挟んで両岸の暗い林の中を元気よく飛び回る。30頭以上
林道と管理道路に出てみたら、川の上流側に飛翔が続いている。
うれしかったね。 なんとかこの環境を維持したい。川にいれば、川水を流している上池にも沢山飛ぶ日がやってくる。

皇紀2683年6月29日 西暦2023年6月25日
疲れが取れず、昼間は自宅。夕方になると見に行きたくなる。
昨夜は、犀川緑地から始めて大桑貝殻橋の両岸、そして、涌波堤公園で、ホタルたちの乱舞を楽しんできた。
ホタルと、見に来られた方々との会話はとても楽しい
ホタルにおはよう、観賞者にはこんばんわ そして、さいならと。 変な爺さんである。

皇紀2683年6月27日 西暦2023年6月23日
病院検査などで久し振りに、赤穂谷温泉の草刈りボランティアしてきた。
暑いが、木陰も多いので、なんとかなった。
もう少し頻繁に行ければ、刈り取りも楽になるのであるが、まだクズの茎が絡むと、草刈り機を止めて分解して直す。
その時間の方が長いかな。 低木なども抜いてしまえば、作業が簡単になる。
草刈りを繰り返すと、だんだん苔が増えてくる。 少しずつゆっくり進めていきます。
夜、ホタル観察に寄ってみた。 
予想通り、川べりや上池には、ゲンジが少ないが飛んでいた。 下池にもヘイケが飛んでいた。
来年は、多くのホタルが発生するはずである。

今日は、義姉の21日なので、姉夫婦とおまいりした。
午後から作業と思ったが、手足が疲れていたので、帰ることにした。
写真は生家の前庭にカバーグリーンとして植えたヒメイワダレ草である。
下はコンクリートであるが、土の部分から匍匐して覆っている。 小さなかわいい花が秋まで咲き続けていく。

皇紀2683年6月20日 西暦2023年6月16日
夜、白鳥路の解説員をしてきた。かなり少なくなったとのことであったが、私の居た三文豪付近では時々、ゲンジとヘイケが飛び交ってくれた。
ゲンジが多い所だが、元はヘイケの生息地なので、両方が見られる。
最後に確認したら、ゲンジが15頭 だと。私の居たところではその倍は居たと思うが、同じ個体が行き来するので、
見た目と何時も監視観察している人とでは違いが出る。
なお、観賞者は1200人近かったと、見られなかった方もいたと思う。

皇紀2683年6月21日 西暦2023年6月17日
白山市白峰の西山の高山植物園を尋ねた。
梅雨の晴れ間の快晴の日に合わせて出かけた。
沢山の車で、入り口の駐車場は満員で、下の駐車場からシャトルバスを利用した。
まずは、植物園にと思ったが、サイフがない? 西山に上がってから考えることにした。
見晴らし台にも沢山居られたので、ベンチではなく地べたでおにぎりを食べながら、白山を楽しんだ。
右端の御前ヶ峰、剣ヶ峰、そして大汝、少し離れて四塚山 。まだ、大汝は登らずじまい。
また、秋の紅葉を見に来よう。 
おにぎりを探していたら、リュックの中にサイフがあった。
帰りに入園料300円を払って、ニッコウキスゲ満開の花畑を一回りして私園に帰った。

夜、生家の脇のビオトープから観察開始。 
田んぼ畔に20頭ほど、そして前回と同じ個体と思うが、1頭のゲンジが勢いよく用水路の上を高く飛び回る。
中の峠から三坂峠を越えて大日川に架かる橋の上から観察。
一家で来られた先客が居た。おばあちゃんとお話した。
昨年の水害で見られないと思ったが、良く光ってくれたと喜んで居られた。、橋下には20頭程ゲンジが乱舞している。
 何時もいる下流側や岩陰部には少ないが、蛇行する流れの内側に当たるネコヤナギの株に守られ河畔で生き残ったと思われる。
渡津の方もかなり水害を受けているとのこと。おばあちゃんと判れて下流側の堰部を見に行った。
毎年大乱舞を見ているが、今年は僅か10頭足らず。重機が置かれており、堆積土の撤去が行われたのであろう。
今年は少ないが、2年ほどで元に戻ると思う。 朝から疲れたが、希望が持てて良かった。

皇紀2683年6月22日 西暦2023年6月18日
犀川右岸大桑貝殻橋から観察開始した。 始めは少なかったが、8時15分過ぎには乱舞状態となってきた。
うれしかったなあ、その足で対岸の左岸水田地帯に回った。以前より少ない気がした。
まあ、人もいなくて静かな中で、ホタルたちは良い夜を過ごしているはず。
今朝から、疲れが出て、休養日にしている。

皇紀2683年6月17日 西暦2023年6月14日
今朝訃報が届いた。私の祖父の弟の子で、年が兄たちと同じだったので、私たちは清二兄さんと呼んで居た。
故郷を20年近く離れていたので、私園の世話を始めたころ、誰も来てはくれなかったが、
清二さんと奥さんが良く遊びに来てくれた。 
当時奥様は認知症で、昔の私のことは覚えておられたが、今会っている私のことは忘れてしまう。
清二さんは、ニコニコしながら、それを見ておられた。途中で気が付き、私も合わせて何度も何度も挨拶しあっていた。
一人になられてからも、散歩に対岸の自宅から歩いてきてくれた。
県の用地には旧道が歩道として残されているが、サザンカの枝が歩道を塞いでいた。
これはなんとかして散歩道を確保してあげないと思い、歩道に掛る枝を切り落とした。13日にこの歩道を含む堤防などの草刈りしていた。
そういえば、清二さん どうしているかな? 
夜、生家に泊まり、ホタル観察した。散歩の誠二さんにホタルが見られるよと、話したら、5時過ぎにもう来られた。
夜8時頃でなければ見られないよと、おぉ そうだねと、照れ笑いしながら、一度帰られた。
夜8時少し前からヘイケがぽつぽつとひかり始めた。そんなに数は多くないので、村の人には声かけなかった。

そんな時に小さなツリーのような形で線香花火のような光り方をしていた。
多分、背の高い草にメスが居てオスたちが集まっていたのだろうと思う。
ちょっと周囲を見て戻ったら、ヒカリは全くなくなっていた。アレー と思うが。眠りについた。
真夜中の2時頃に見回ると、畔端には全く見られない。ふと空を見上げたら、桜の枝の葉裏にホタルが点々と光っている。
さあ、また明日の夜。ホタルや浄土に還られた義姉や清二さんに会えるはず。

皇紀2683年6月13日 西暦2023年6月10日
今日は、なくなった義姉の葬儀を、我が家のお寺本光寺で済ませてきた。
火葬は東京で済ませてきたので、姉の実家の方と、我が兄の姉弟4人と連れ合いに参列いただき、
家族葬の形で無事終えられた。
お寺への納骨と、生家の方で遺骨を四十九日の間安置し、7月末に兄が眠っている墓に入っていただくことにした。
春美姉さん、 釈尼美珠 享年82歳 合掌 南無阿弥陀仏
田舎から出て、京都で暮らし始め、そして東京へ出で、兄と暮らし始めて、
兄を見送っていただき、最期まで、兄と暮らした部屋で過ごした。
最期の数日、病院にお世話になったけれど、苦しみもなく、兄が迎えに来た極楽へのタクシーで旅だたれた。

皇紀2683年6月12日 西暦2023年6月9日 夜

夕刻白鳥路ホタル観賞会に出かけた。 昨夜は26頭で、今夜はどうなるか。
三文豪の建っている園路中央部で解説員をしていた。
以前は以前は水路べりで観賞者に声上げていたが、年とともに元気がなくなった。
水路の反対側人たちの背後から、今光っているのはゲンジボタルのオスですよ。
メスは水路そばで飛ばずにいるので、高い所からメスの光を探していますと。
直ぐに、観賞者から声がかかる。説明しながら、今年は早くて飛翔のピークは1週間前 お祭りの夜でしたと。
ゲンジが居なくなるころから、ヘイケが飛ぶが、来週はどうなるかな。
今夜は、再び 故郷の小松方面で観察してきたい。 

皇紀2683年6月11日 西暦2023年6月8日
平熱に戻ったので、故郷へ戻り、最初に護岸の盛土に隠れてしまった枝垂れ桜の掘り出しをした。
果たして胴吹き枝が出てくれるかはわからないが、もとの植生や植栽の復元を図っていきたい。
その後、生家の周りの草刈りと、墓地への坂道の除草と草むしりした。 少し乾いてから、ブロアーで吹きく飛ばしてきれいにした。
昨夜の雨できれいに流れてくれたはず。 途中で、長姉が来てくれて、花を供えた。
また、夕刻には義兄が来てくれたので、生家の裏側を流れる水路の補修方法について検討した。
5時過ぎたら雨に代わり、帰宅した。今夜は夜、白鳥路のホタル説明員をしてくることになった。
ホタルの会員はみんな70才過ぎになりつつあり、私も何時までできるか分からないが、体が続く限りはがんばろう。

皇紀2683年6月10日 西暦2023年6月7日
6回目のワクチン接種を6日にした ところが今回はなぜか。体がだるい。
体温も37゜8分まで上昇。 一日自室で静養中。 少し下がってきたし、明日には多分私園に行けると思う。
早く、桜の切り株を掘り出してあげなければ、芽が出なくなる。今夜も早く寝て、明日に備えよう。

皇紀2683年6月7日 西暦2023年6月4日
川べりの崩壊した崖地に護岸をしていただき、元地形に戻った。
施工上、山砂を盛り土して仕上げられたので、検査が終わった後、
下敷きとなっている彼岸花や、桜の株を露出させて、秋の開花に備える。
川べりにアジサイとサツキの苗木を植えて、植栽をして中央には園路を設けたい。
昨夜は、白鳥路でゲンジ50頭ほど見てきた。週末から観賞会である。

皇紀2683年6月6日 西暦2023年6月3日
姉弟4人で、生家の中の整理を行って一日を過ごした。
帰りに桜生水で夜を迎えて、ホタルたちと過ごした。
その最中に、訃報が届いた。 亡き兄の連れ合いの義姉が亡くなられたと。
本来ならば、直ぐに向かい、段取りをしなければならないが、義姉は以前からこの日のことを考えていて、
すべてを親戚の方にお任せしているとのことで、火葬にしたうえで、故郷に帰ってくるとのことで、後日お参りをすることになった。
春美ねいさんには、とてもお世話になっていたので、とてもつらいが、コロナの中では会いにも行けず、この日が来てしまった。
おねいさん、ありがとう そしてまた、兄と仲良く過ごしてください。
合掌 南無阿弥陀仏


皇紀2683年6月2日 西暦2023年5月29日
故郷から訃報が入った。小学校からの同級生で、一番最近の同窓会で生家に戻る話をしていたのに、残念な事。
壮一、天国から私園に遊びに来てください。 合掌 南無弥陀仏

皇紀2683年6月1日 西暦2023年5月24日28日
今日は午前中、所属している金沢ホタルの会の年一回の総会。
事務的な打ち合わせ済ませてから、今年のホタル観賞会の担当決めを行った。
その後、それぞれの会員が各地でされている活動の打ち合わせや相談を済ませた。
総会後、午後には、小松に行き、私園の見回りと赤穂谷温泉の池の状態を確認に行った。
温泉施設では、赤穂谷温泉振興会のイベントとして、メダカの販売やメダカすくいなどをしており、沢山の方たちが集まっておられた。
人が集まっているだけで、楽しい気持ちになる。 明日は100mm以上の連続雨量になる恐れがあり、
かすかみ川では、各地で復旧工事による仮締切が設置された状態なので、心配である。
午後か、明後日には見回りしに行くことにしたい。

皇紀2683年5月28日 西暦2023年5月24日26日
24日は赤穂谷温泉の草刈りのボランティアしてきた。ここには池が二つあり、本館は上の池に建てられている。
この池も最近まで水がなかったが、取水施設を掃除して湖面が復活した。
ただ、この眺めの良い広間は、水害で壊れたままであり、再建は来年以降になると思う。
ただ、その前にこの池を整備して、湖畔にはカキツバタやアヤメを植えて、池にはホタルたちが復活できればと思う。
かつてはニシキゴイなどが居たものと思うが、今は下池にのみ、コイが残っている。

26日今日は、私園の草むしり。 木々の周りや挿し木の苗畑が茫茫だったので、手で毟り取った。
護岸工事はほぼ終わり、5月中には片付くと思う。 ただ、それからが私の仕事である。
護岸背後の土地の彼岸花の上には山砂が敷かれているので、半分ほど剥ぎ取って園内に撒きたい。
彼岸花は夏眠中なので、10pほど被りがあっても花茎を出すはず。
仮植えしてあるアジサイやサツキをしっかり植え直して、護岸縁にはもう一列サツキの植栽を並べたい。
一か所にはベンチの設置も考えたい。 
来年は素敵に咲き揃うはず。紅葉や枝垂れ桜の仮植えの木も戻さないと。
夜、桜清水に立ち寄り、ホタル観察。 余り増えていないが、ヘイケも一頭確認でき、ゲンジは20頭程度である。

皇紀2683年5月24日 西暦2023年5月20日
20日は私園で草刈りし、草むしりもして、過ごした。
夜は粟津方面と桜清水のホタル観察。
粟津では、水田地帯でゲンジ1頭、川べりで同じく3頭見つけた。今年の初ひかりである。ヘイケは見られず。
そして桜清水に移動した。農道を横切る水路で数匹が光っている。
そして清水の現地では生垣にも見られ、水路べりの桜並木でも合わせて20頭以上見つかった。
昨年は25日の夜に観察していたが、今年よりは少なかった。
実は今年は水害の影響で、見られるかどうか心配していたが、
国府台の住宅団地や工業団地の地表水は、調整池を経て別の水路で下流へ流れているようです。
21日は、私園の草むしりして午後には帰りました。

皇紀2683年5月22日 西暦2023年5月18日
16日に抜き取った桜と紅葉の小木を移し替えて仮植えした。 現地では重機とダンプが走り回る。
岩とキャタピラーのすれる音が川が悲鳴を上げているように聞こえて、悲しかった。
川から離れた場所の草むしりして過ごした。 
ふと目線を上げたら、直ぐ前にアオダイショウが首を上げて、舌を出して私の匂いを嗅いでいる。
こんにちわと声かけて、口から息を送った。 餌ではないので、横切って次の植込みの藪に消えた。
直ぐ上には、アオサギが旋回していた。カエルを狙う蛇とその蛇を狙う鳥たち、
私園の草やぶの中には、それらを支える沢山の植生と小動物が居るのである。
目の周りをうるさく飛び回る虫が、目の中に入った。手も汚れているし、瞬きしても取れない。  
車のミラーでテッシュで取り除こうとしても、より深い所に移動するだけ。
仕方がない まだ早いが家に帰ってシャワーの勢いで洗い流してとれた。今日は雨。休みだ

皇紀2683年5月18日 西暦2023年5月14日
大杉の別荘へ出かけた。13日の尺八演奏会に参加したかったが、義母の喪明けと重なり、行けなかった。
大学以来の友人と待ち合わせて、初めて別荘と牡丹園、そして私が頼まれている苔庭などを案内した。
牡丹は、遅咲きが満開でした。頂花以外は摘花しているので、二番花がない。 少し寂しい。
牡丹園の脇に桜の木があるが、これまで手を入れていなかったので、手入した。
昨年の暮れの大雪で枝折れしたままになっていたので、大半の枝葉を取り除いた。
何の桜が分かっていなかったが、どうやらサクランボを採る種類のようでした。
今年は、食べられる実はならないと思うが、来年は手の届く高さで実が着くと思う。
蕎麦屋で昼食を頂き、今度は私園に戻り、護岸工事で切ることにした枝垂れ桜を見納めした。
久し振りに友人とおしゃべりできて、楽しい一日を過ごした。

皇紀2683年5月16日 西暦2023年5月11、12日
ツツジが咲き終りかけ、これからはサツキの花盛りとなる。
法面に植えた木々や園路脇に並べた苗木は、低木なので、雑草に被られてしまう。
これは手でむしるしかない。 斜面に足かけてドクダミやイネ科、フキなどを根からむしり取る。
手首と脚に力がかかり、結構疲れる。
なんとか終えたころに、護岸工事の監督さんが来て、園と河川の間の工事に際して、
川べりに植えてあるシダレ桜を伐採させてほしいと。 それは困ると。平成15年に植えた八重紅枝垂れ桜で、今が見ごろの中木である。
現地で相談した上で、園内側に3m程移植することにした。12日はこのあたり一帯の除草を行って木の状態を確認した。
植え替えても、枯死する可能性が高いことから、根元を残して護岸作業をしていただくことにした。 
残した根元から胴吹きの新芽が出てくるはずなので、それを育てることにした。
実は桜の下一帯は彼岸花がびっしり植えてあるので、移植の穴や掘り出し掘削でダメになることもあり、桜を切る事を決断した。
川辺に並べた挿し木のサツキやアジサイも、少し山側に移し替えることにした。
来年は ベンチも設置して、素敵な川辺になる予定。

皇紀2683年5月13日 西暦2023年5月9日
晴れてきたので、私園の農道沿いの草刈りと、法面の草むしりを行った。
もうしばらくすると、サツキツヅジが咲き始める。今は、クルメツヅジが満開を迎えている。
帰りに、大杉の別荘と牡丹の里を見に行った。連休前に咲いていなかったが、もう早咲きは咲き終わり、
萎んだ花摘みがなされていた。 早いな 14日に予定していたが、雨だしどうしようかな?
今日は病院に行ったついでに兼六園を一巡り。 カキツバタはまだほとんど咲いていなかった。

皇紀23年5月11日 西暦2023年5月7日
大雨にはならなかったが、一日小雨が降り続いていた。
生家の雨漏りはなかった。 私園に戻り、何しようかなと私園を見渡してみた。
何か、暗い 2日前とは大違い。なんで。?
雨が降り、風がなかったので、青葉についた水滴が落ちずに残り、大半の木々の枝が垂れ下がっていた。
垂れた下枝が視界を遮り、見通しが効かなくなり、暗くなっていたのである。
特に農道にかかる枝が垂れて、車両の通行にも支障が出るはず。
今までは、自然に折れるのに任せていたが、連休明けの工事に支障が出るし、切り落とすことにした。
最初は農道上だけ、しかし、園内全体に垂れているので、序に伐採していった。
雨の中だったので、少し風邪気味となり、今日は休みとした。

皇紀23年5月9日 西暦2023年5月5日
 私園の草刈りをして一日過ごした。 用水路沿いの草が茂ると、管理している地元の方が草刈りをされる。
旧道のサザンカの並木の下に、カンアオイの群落があるので、保護のために手で群落の周りを草取りしてから、残りの草を刈り払いする。
カンアオイはギフチョウの食草であり、この時期に葉の裏に小さな黄金色の真珠のような卵を産む。
2か月ほどで幼虫は蛹にサナギになり、土の中で早春に羽化して、春の女神が飛び回る。今年も数匹飛び回った。
3時の休みでラジオを付けたら、能登の地震が報道されていた。草刈機の騒音で、気が付かなかった。
慌てて、帰宅することにした。自宅と連絡がつかなかったからである。 何もなかったが、夜にも地震があり、結構揺れた。
仕事していたころには、翌日直ぐに現地入りして被害状態や過去の関係した現場を見て回っていた。
やめた今は、テレビで傍観するだけであるが、関係していたダムは無事だろうか、心配もしている。
落ち着いたら、現地回りしてきたい。 明日は大雨になるらしいので、私園の見回りにしてきたい

皇紀23年5月7日 西暦2023年5月4日
私園の手入と、先生の自宅の草取りをしていた。
個人の庭ながら、二世帯住宅の外周部に緑地があり、半分裏側が亡き先生の担当だったらしく、私の役割になった。
庭木は6月に植木屋さんが入るので、下草だけであるが、まる一日かかってしまった。
今日は、親類の1周忌と義母の母親の三十三回忌の法要に参らせていただいた。
明日は、私園の外周部などの手入して連休の仕事としたい。
花は、ツヅジが満開になってきたが、メインのサツキはまだ花芽も見えない。
園路の草も、また、大きくなっているので、整草しておきたい。

皇紀23年5月3日 西暦2023年4月29日
連休に入るために別荘の最後の片づけをしてきた。薪小屋の下にブロックを敷き並べて、薪を積み上げた。
今日は、牡丹保存会の方々が花壇の草取りや園内の落ち枝も集めていただいた。
お聞きしたところ、5月13日に牡丹観賞会と別荘のテラスで、尺八の演奏会を予定していると。
テラス前の広場は義兄が高圧洗浄してくれたので、とてもきれいになっている。
久し振りに多くの方々が来て、牡丹観賞と、苔庭、そして尺八を楽しんでもらえる。
何よりも、天国の先生が喜んでくれると思う。 先生来てね。

私園の川辺で工事が進むが、困ったことになってきた。
護岸で滝のあった景観が、見ずらくなってしまうのである。
コンクリート護岸は、決して多自然型の美しい川景観ではない。
人も含めて、多くの自然の生物たちが生きていける河畔にしなければならないが、どこかおかしい。
しばらくはまた、つらい日々が続く。 
かつて岩井戸の淵で多くの子供たちが遊び、川中には魚たち、蛍たち、そしてカモシカやタヌキ、
時にはクマさんもやってくる野生動物たちが棲む両岸の山辺とを繋ぐ、
命の回廊となってきたのが、私園の緑地なのである。
草ぼうぼうにしているところもあるが、その中にはカエルや餌となる昆虫たち、
アオダイショウなんかも棲んでいる、生物の楽園なのである。

皇紀23年5月1日 西暦2023年4月27日
25日と27日、大杉の別荘の整理に当たった。 
先生は畑も作っていたため、野生動物対策のために、鋼製の部材トタン板などを集めて保管してあった。
しかし、畑は牡丹花壇に代わり、もう不要な資材となり、他にも薪小屋等があり、修理や撤去することにした。
業者に持って行って貰えると考えたが、こんな山奥である。結局、私園に運んで、後日処理していただくことになった。
軽トラに一杯積んで運んで、別荘の庭はすっきりした。
あと一日、薪の積み直しや26日朝に吹いた突風で、杉の枝葉が散っているので、牡丹が咲く前にもう一度掃除だ。
牡丹はまだひとっも咲いていない。連休明けに咲くと思う。
私園はヒラドツツジだけで、少し寂しいが、サツキが咲くまで待とう。

皇紀23年4月25日 西暦2023年4月23日
土曜日は私園の通路や広場の草刈りをした。器械で刈り取ることにした。
日曜日は、ボランティアしている赤尾谷の、庭と畑の草刈りをした。裏庭は河川工事があるので、手を付けていない。
すべてを刈るのではなく、ノブキの群落や草地の一部を刈り残した。連休明けくらいに、山菜として楽しめるからである。
今日はお休み。 のんびりと家人の手伝いなどして過ごした。 明日はどこへ行こうかな?
低い藤棚を簡単に作ったが、まだ、上からは垂れていない。下の枝を整理して来年は垂藤を見たいなあ。

皇紀23年4月21日 西暦2023年4月19日
雨が止み、大杉着いた頃には晴れ間が見えた。 苔庭の仕上げの掃除を行った。
午後からは、奧の杉の枯葉掃除にかかった。しかし、明け方までの雨で重たい。
何度にも分けて、捨て場に運搬した。 
最後に別荘の前庭のコンクリート面に溜まった大島桜の花弁と額を集めて終了。
牡丹の見学者が二組、3人来られた。連休明けに早咲きの品種が咲き始めるはず。
世話している牡丹の会の花見は、5月13日とお聞きした。
瀬川先生がおられた時には、11時と3時に声かけてもらえ、休憩しながら、いろんなお話をしていただいた。
楽しい時間だったが、今も一緒に作業しておられると思うことにしている。

帰り道で私園に立ち寄り、道具の片づけとノトキリシマツツジの満開をパチリ。
これは花弁が二重で、額が花弁に変わったもの。 植えてもう数年たつが、なかなか大きくならないが、鮮やかな赤色である。

皇紀23年4月21日 西暦2023年4月17日
朝から大杉の別荘の掃除に行った。冬の間に杉の枯葉や枯れ枝が落ちており、取り除くことにした。
しかし、苔や地山にくっ付いてなかなか取れない。
それ故に苔庭の枯葉は手で拾い集め、奧の園路や広間については、草刈機で撫でて回った。
19日には熊手で搔き集めて、園の奥に積み上げてくる。 最後にブロワーで細かいゴミを吹き飛ばして掃除完了とする。
連休明けには牡丹が咲き始めて多くの人が来るので、牡丹園も含めて小ぎれいにしなければ、亡き瀬川先生に申し訳ない。

皇紀23年4月19日 西暦2023年4月15日
5日振りに私園に行けた。 雨交じりであったが、一回り、
桜は、関山と松月、天の川が咲き、兼六園菊桜も少ないが開花してきた。
大半は葉桜となり、新緑の季節がやってくる。
能登霧島が開花し、独特の深紅は鮮やかである。 まだまだ、小さいが、私が居なくなった後にも咲いてくれるだろう。
入口に、もう1本鮮やかな少し色合いの違うツツジがある。
記憶がないのであるが、生家の庭に高校の修学旅行で阿蘇で買ってきた霧島ツツジを私園に移したのかもしれない。
場所によっては平戸ツツジが咲き始めている。少し作業をと考え、園路の草刈りをした。

河川工事は、河床部の掘削工事が終わり、農道橋の狭窄部は下流までほぼ一定の川幅となった。
実際には左岸側の深みの部分は、土砂で埋もれているが、梅雨の出水があれば、流されてきれいな川筋に戻るはず。
ただ、昔の滝壺は巨石が填まり、引き上げられなかったと。
今後は、右岸側の崩壊地の護岸工事が始まる。 農道の架け替えは来年かも。 早く出来てほしいなあ。

皇紀23年4月18日 西暦2023年4月14日
我が家は外壁補修のための足場仮設で覆われてしまった。来週から塗装作業にかかるはず。
傷みの酷い一階だけを、自分でやろうかとも思ってながら来たが、良く見ると外壁全体が傷んでいる。
思い切って修繕をお願いした。 周囲でも2軒ほど足場が見られる。 同じころに建った気もする。
多分、外壁の方が長く持つだろうなあ。 後々のことより、明日である。 
雨になるが、車も帰ってきたので、私園の最後の花見してこよう。 菊桜少しは咲いてくれているかな?

皇紀23年4月17日 西暦2023年4月13日000
車を車検に出したため、脚がない。 まあ、休もうと思ったが、結構忙しい。
また、我が家の外壁を塗装し直しするため、足場組がなされ、そのために事前に家まわりの雑物を片付けていた。
散歩のつもりで犀川べりを歩くが、これが結構疲れる。 人から見て、歩き方がおかしいとみられ、自分でも足の脛が居たい。
今度病院に行ったときに、先生に相談してみよう。 良い天気だが、黄砂というので、休もう。

皇紀23年4月13日 西暦2023年4月9日
朝からから忙しい一日だったが、午後は私園の桜を楽しんだ。
染井吉野は散り終り、シダレ桜はまだ咲き残っている。後は、兼六園菊桜と天の川だけになる。
ただ、天の川が元気がない、 どうしようかな?
ノトキリシマのつぼみが見えてきた。 他にも一杯花たちが出番を待っている。
そして、地表は草たちが元気に育ち始めている。 
木々の新芽が開き始め、ノムラ紅葉は鮮やかな赤色である。
車が車検に出たため、二日ほどは自宅の庭で日向ぼっこしている。

皇紀23年4月12日 西暦2023年4月8日 
散りゆく桜の花を見ていたら、この詩の一節を思い出した。
林芙美子が、友人の村岡花子に送った手紙の内容だという。
どちらも素晴らしい女流歌人であるが、今年の花は散っても、
来年は咲く、己は枯れても、子や孫たちが花を咲かせ続けていく。
そのために、今日、明日を生きていかねば、と思う。
さあ、晴れたら明日がんばろう。

風も吹くなり、雲も光るなり、生きている幸福は、波間の鴫のごとく、漂砂とただよい、
生きている幸福は、あなたも知っている、私も知っている。
花の命は短くて、苦しきことのみ多かれど、風も吹くなり、雲も光るなり

皇紀23年4月6日 西暦2023年4月2日
朝から花見に出かけた。 
ソメイヨシノ5本のほか、オオシマ桜3本 、ウスズミ桜、ヒガン桜、ヤエベニシダレ桜3本が、ほぼ満開でした。
この後も、いろいろと咲き続ける。最後はケンロクエン菊桜である。
カメラマンが撮影にやってきてくれた。 
そして昼近くに、孫たちがやってきて、お花見昼食していった。
対岸の農道脇の水田跡地に、カモシカがやってきて、青草をムシャムシャ食べていった。
楽しい一日でした。 また行きたいがしばらく所用があり、行けない。 我慢しよう。

皇紀23年4月4日 西暦2023年3月30日 
義母の見送りもあって、数日更新できなかった。
おばあちゃんは95才までがんばり、桜の開花を見届けて、浄土へお帰りになりました。
家族、近親者で、ゆっくり旅たちを見守ることができました。 合掌 南無阿弥陀仏

葬儀を終えて、私園にと行きたかったが、いろいろあって、病院にかかり、その足で兼六園を一回りしてきました。
ふるさとの桜は、来月でないといけないかも。
花吹雪は見られるし、ソメイヨシノ以外は、これから咲くので、楽しみにしている。

皇紀23年3月28日 西暦2023年3月23日 
河川工事が始まった農道沿いで、一番早い薄墨桜が一気に咲きました。
この中に種類の異なる5本の桜があり、次々と咲いていく。
今年は工事のため、中まで入れなくて申し訳ないが、来週半ばには咲そろう。
今日は天気が良くなかったが、サルスベリの剪定をした。 また一段切り戻した。花に手が届くと思う。

皇紀2683年3月25日 西暦2023年3月20日
朝から、赤穂谷温泉の前庭の掃除と草むしりしていた。友人に頼んで玄関脇の黒松の剪定をしていただいた。
私は草むしりとサツキなどの枯れ枝の整理をして過ごした。
お昼に私園に帰り、満開の河津桜を見ながら、弁当を食べていた。
ふと見上げると、ギフチョウが二頭蜜を求めて飛び回っていた。 良かった。
今日から工事が始まり、進入路の整備と鉄板引きが始まっていた。しばらくは朝夕顔出すだけにしよう。
ペッカーの音が、川の悲鳴に聞こえるので、聞きたくはないのである。。
午後、作業の続きをやりながら、3時過ぎから庭を一回りして、今後の整備のアドバイスを受けていた。
上池は満水となり、良かった。 数日雨になるのと、病院通いもあるので、休むことにする。
その間に春は一気に進み、出番待ちの桜が咲き始めるだろう。

皇紀2683年3月20日 西暦2023年3月15日
朝から赤穂谷温泉の裏庭の整理していた。 これから咲くレンギョウが大きく育ち過ぎて、
倒れたままで根が生え付き一帯がやぶ化している。 これから花が咲くのだが、思い切り、刈り詰めて元の株以外は取り除いた。
この春は寂しいが、来年にはきれいに咲くだろう。 他にあちこち手入れしたが、なかなか進まない。
まあ、ゆっくりやろう。花桃が咲き始め、桜も膨らんでいる。 
木の根元がすっきりしてくれば、お客さんも見てくれるだろう。 我が庭のように思えてきた。
来月には食事の営業もできるようになるとのこと、それ迄には出来る範囲の剪定や、掃除、整理をがんばろう、

皇紀2683年3月19日 西暦2023年3月14日
私園を一回り、春はまた進んでいた。そこで今日は大杉の別荘の様子を見に出かけた。
山路はほとんど雪はなく、別荘に着いた。コモを被った一団が迎えてくれた。
牡丹の木の冬囲いである。秋にしていなかったので、暮れに行われたのである。先生の杉林の苔には、落ち葉や枯れ木も少なく、
草もまだ生えていないので、4月初めにもう一度来てブロアーと草刈機で、通路や苔の表面掃除することにしたい。
午後は私園内の整理と焼却に当たった。帰り道に赤穂谷温泉により明日作業する予定を告げてきた。
さあ出かけよう。

皇紀2683年3月17日 西暦2023年3月12日

しばらく更新をさぼってしまった。 その間に春はどんどん近づいてきている。
梅がちらほら咲き、河津桜は開花し、堅香子の花も花芽をもたげてきた。
春爛漫も、もうすぐである。 しかし、河川の工事は全く進行していない。 
先週から昨日まで、赤穂谷温泉の庭の手入れにかかってきた。
広い庭や畑が数年放置されていたので、簡単なわけにはいかない。クズ葛に、手を焼いている。
もう一人の庭師とともに役割分担で、一年ほどかけて元の素敵な庭に戻してあげたい。
もうしばらくすると、大杉の別荘の手入れにもいかなければならない。
大分、杉の枯れ枝が落ちて、お掃除だけでも大変だろうなあ。
亡き瀬川先生に任された以上、先生の年までは、出来るだけ世話に行きたい。
今日は休んで、また明日作業してこよう。明日は雨か?

皇紀2683年3月4日 西暦2023年2月24日
22日と24日に、発注者と受注者と話し合いの時間を持った。
結果として、左岸側対岸の自然河岸は、凹凸のある岩壁を残していただけることになった。
当初は、写真の右側のポール位置までカットするのであったが、触らないことにして、
左側の岩をポール位置まで、水の流れている水面付近まで切土することになった。
そして、橋の下の狭窄部は、幅を約二倍に広げることになった。
川沿いに平坦地ができ、水面まで近くなるので、水遊びや川遊びがし易くなり、奧は滝壺まで近づける。
右岸側に作られるブロック積み護岸の前にも、狭いが通路に出来るスペースが確保できる。
農道から川へのアクセスが良いこととなり、私園に来た人や子供たちの楽しい声が、渓谷にこだまするようになるはずである。 
岩やブロック護岸の上部の斜面に、彼岸花や紅葉、アジサイなどを植えて、自然の藪椿などの植生とともにまた、緑の斜面を取り戻したい。
老体には何時まで世話できるかわからないが、運転と歩ける限りは通いたい。

皇紀2683年2月27日西暦2023年2月19日
ふるさとで河川災害復旧工事が始まっているが、この区間についても復旧工事が始まるとのこと。
それは喜ばしいことであるが、これまで自然が作り上げてきた景観が、全く人工景観に変わることはとても残念なことである。
水害時には、この付近の水位が大きく上昇して、河畔の岩盤の上を流れたために、特に右岸側が大きく浸食されてさらなる崩壊が懸念される。
このため、右岸側については護岸工事をしていただくことにしたが、両岸の河畔部についてはそのままにしておくことにしたいが、
発注された対策工では、上流から下流まで、のっぺらぼうの人工河岸にすると。 困った。

ここの場所は、子供のころからの水遊び場であり、多くの子供たちが遊んだ思い出の場所であった。
私の父がここに公園を作ろうとしたのは、この奥原峡谷 岩井戸 火星と名付けられた優れた自然景観を守るためであった。
後を受け継いだ私は、紅葉や桜、藪椿のかかる渓谷美、6月にはホタルが飛び交う景色、秋には彼岸花が満開になる河畔の風景
そんな景観を守っていきたいと願っているが、のっぺらぼうでは自然景観が台無しとなる。
橋を架け替えが必要となるので、ある程度手をかけざるを得ないと思うが、どうなっていくのか。心配している。
 今週からは、関係者といろいろと協議していきたい。

皇紀2683年2月26日 西暦2023年2月15日
また白いものが舞い落ちてくる。多くはないが時々綿雪が積もる。綺麗ではあるが、困ったなあ。
消雪のポンプは田舎の小屋に片付けてきたので、使えないのである。
市道の融雪装置からの水が側溝を流れてくるが、ここまで来ると殆ど0℃の水で、私の溝に入れた雪は解けてくれない。
こまめに見て回ることで対応したい。ふるさとは30センチ近く積もっているだろうなあ。 

皇紀2683年2月25日 西暦2023年2月14日
土日は天気も良くて、私園に向かったが、まだ雪が解けておらず、少ししか作業できなかった。
今週は天気が悪く、今朝は雪が降っている。 
春はまだしばらくかかりそう。今日も、のんびり冬眠していよう。
サッシ屋さんが二重窓にしてくれることになり、暖かくなればうれしい。
二時間ほどで内側に窓を付けてくれた。 しばらく寒さが続くから、良かった。

皇紀2683年2月17日 西暦2023年2月6日
朝から園内を歩き回った。しかし、雪はあまり解けていなくて、あと1週間は作業難しい。
午後から発注者との打ち合わせがあり、事前に見て回ったのである。
そんな中に、カモシカが来てくれて、しばらく話していた。
雪がかぶっているために。餌の草が見つからないが、園内は木々が多いので、根元が解けてわずか草があるようです。
水害後、橋が通りにくく、姿を見なかったが、元気でいてくれてうれしくなった。
そんなカモシカに、こんにちわ と 声かけたら、こんにちわと答えてくれた。
びっくりしたが、事実は請け負者の作業員が背後にいたのである。
私の挨拶を作業員に対するものと思われて、返事を返してくれたのである。

皇紀2683年2月 15日西暦2023年2月4日
天気が少し悪かったが、朝から私園に出かけた。 
しかし、積雪はほとんど解けていない。作業は無理だ。
生家に行ったが、ママさんダンプを忘れたので、除雪は無理。 
赤穂谷温泉に出かけた。今日からお風呂だけ営業が始まる日だったのである。
ドアを開けて入りかけたら、中にはマスコミのカメラがいっぱい。
慌てて、外に出て、裏庭の木々の様子を見回った。 
まだ根雪がいっぱいあり、作業は無理だ。
月曜日に行くこととし、今日は自宅で、お休み。
朝から日が射しているから、大分解けてくれるだろう。
赤穂谷温泉の田島様、そして多くのボランティアの方々、ご苦労様、ありがとうございました。

皇紀2683年2月 14日 西暦2023年2月3日
もう節分である. 寒いけれど北国と違い、雪がほとんど降らない。 
月曜日には暖かくなるので、野山の雪も解け去ると思う。
明日私園に出かけて、雪折れ枝を集めよう。
春が近い。忙しくなりそう。

皇紀2683年2月 11日 西暦2023年1月31日
朝から青空が広がった。凍結していたので、少し遅めに私園に向かった。
かすかみ台上、空晴れて、日頃鍛えた身と心、……………… ふと、車の中で歌っていた。
生家の屋根雪は落ちていなかった。 10pほど新しく積もった雪を始末してから私園に向かった。
私園の入り口は、除雪していなかったので、40pほどある。
車が入れるように、旧国道のアスファルト部を除雪して車を入れた。
さて、その奥地の農道部を除雪し始めたが、雪が多いので、ママさんダンプの幅だけ除雪して歩いていけるようにしようとした。
そこへ、河川の災害復旧工事の業者さんが来て、説明してくれた。
私園の川側の工事は少し遅れるが、来月半ばには掛かりたいと。
うれしい話ではあったが、園内に重機を入れたいとの話。
これはちょっと難しい。施工方法を再検討してほしいと伝えて分かれた。
ともかくも春 桜咲くころには綺麗になりそうである。 良かった。 それ迄には私園の片付けを進めなければ。
明日は暖かくなり、かつ雨模様。 雪が一気に解けそうである。 
明日は如月である。寒波は続くが春はすぐそこまで来ている。

皇紀2683年2月 9日 西暦2023年1月29日
深夜に10pほど積もったが、今は明るい日差しがさしている。
ポンプを動かすことも考えたが、やかましいので、もうしばらく待つこととし、待機中。
ふるさとは雪に埋まっていそう。晴れていて道路が凍結しているので、午後にでも生家に雪透かしに行ってこよう。
大分、私園の木も雪折しれたと思うが、始末は春まで待とう。
ふるさとの里から見ると、おおきな山 大峰が、今は真っ白い素敵な山体である。
この山は修験者の行をする山の一つであり、そこへの谷は定者谷と呼ばれているが、多分行者谷だったと思う。
昨年、光谷から縦走して来たが、今度は麦口からもう一度行ってこよう。
田中陽希が岩手山の次に、姫神山に登っていた。
ここは石川啄木の生まれた渋民村である。
ふるさとの山に向かいていうことなし ふるさとの山は有りがたきかな
かにかくに渋民村は恋しかり、おもいでの山、おもいでの川
私のふるさとの山は、大峰であり、ふるさとの川は、かすかみ川である。

11時過ぎから生家に行き、家まわりを除雪してきた。屋根雪は落ちていないので、柔らかい新雪。
そのあと、私園に回り、雪折れのチェック、あまり落ちていないが、雪が解ければ、顔を出すはず。
約30pほどなので、歩き回れるが、これ以上は積もらないことを願う。

皇紀2683年2月 5日 西暦2023年1月25日
昨日午後から寒波が来て、金沢も結構積もった。 15pくらいかな。 大半は夕方から夜のかけて地下水で融かしてから寝た。 
しかし、夜はあまり降らなかったが、気温がマイナスに下がり、屋外に出していたエンジンポンプのシャフトなど回転部まで凍結した。
我が家の水道のうち、給湯器に繋がっている配管までも凍結してしまい、お湯が使えない。
困ったなあ。 まあ、溶けるのを待つとしよう。 
冬来たりなば、春遠からず。 春が近いと思うことにして、また二度寝して過ごそう。
 
今日の午後に手の手術を受ける予定であったが、昨日病院から問い合わせがあり、どうされますかと。
手がしばらくは使えないし運転できないので、歩いて行っても、雪道で帰りが心配なので、10日ほどずらしてもらうことにした。
26日の午後にようやく凍結した配管からお湯が流れ出した。慌てて2日ぶりにお湯を張り、真昼に風呂を使った。
良かった。台所、洗面所そして風呂が使えなかったが、解決。 
いろんな問題も春になって解決の方向に向かえば良いが、人や組織はなかなか解けそうもない。悲しい

皇紀2683年1月27日 西暦2023年1月17日
生家の雨漏りが分かり、慌てて応急処置をしてもらった。
ある場所の庭の手入れにも行ったが、なかなか終わらない。
しばらくは病院に検査に行ったり、簡単な手術を予定しているため、外回りはお休みとしたい。
2月になって寒波が過ぎて、晴れてくれたら、知人とともに庭整理をしてきたい。
ここ数日の間にロウバイが満開に近くなっている。 うれしいなあ。

皇紀2683年1月22日 西暦2023年1月12日
とても良い日が続く。 もうf春かな? 
油断はできない。昔は旧正月に大雪となるのが普通であった。
まあ降らない日が良いし、明日はふるさとの山辺を歩いて来よう。皇紀2683年1月19日 西暦2023年1月9日
庭を見たら、咲いていた。慌てて撮影した。 ある意味でほったらかしの庭木であるが、沢山の花芽を付けていて数輪咲いていた。
これは開花宣言である。 週末は暖かくなるので、一気に咲くかもしれない。春はすぐそこまで来ていると言える。

皇紀2683年1月18日 西暦2023年1月8日
正月早々失敗して携帯を壊してしまった。
この3日間で新しい携帯に変えて、データ復元しようとしたが、バックアップしてなかったために戻らなかった。
人も過去の記憶や思い出を時々無くして、新しい道を拓いていく方が良いのかもしれない。
しかし、私の頭の中の記憶を消すことは容易ではない。
まあ引きずって、あとわずかな日々を有効に生かして逝きたい。

皇紀2683年1月14日 西暦2023年1月4日
時々雪が舞う寒い日が続くが、積雪にはならないので、良い正月を終えた。明日は新年早々、病院通いである。

5日 病院では良い傾向と悪い傾向が見つかり、1時間ほどの手術を決めてきた。
ジャマなものを取り除くだけなので、冬の間にやることにした。
病院には、同年代の老人ばかり、顔や手をけがした人が多い。
雪の中で、滑って怪我でもしたのかもしれない。明日は我が身と気を付けようと思う。明日は、どこかへ出かけて来よう。

皇紀2683年1月13日 西暦2023年1月2日
ふるさとの武道神社に初詣。だれもいないが、神様はいてくれたはず。
この神社を創建された、平家の落人と言われる方に、今年が良い年となるようお願いした。
昨年は、ふるさとは大水害に遭い、みんなが苦労された。
生家で、先祖たちにお参りして、最後に私園に回った。 雪になると思っていたら、日が差してきた。
暮れに沢山落ちた枯れ枝や折れた幹を集めて、焼却にかかった。その間に園内を見回りした。
水害の跡はまだそのままになっているので、来春まで、このままである。
早く農道が復旧していただければと思うが、個人では手が出せない。
まあ、これも自然の風景と思う気持でもある。 これから本格的な寒波がやってくると。

皇紀2683年1月12日 西暦2023年1月1日
多分ダメだろうと思ったが、恒例の初日を見に出かけた。
下菊橋から上菊橋へと、ちょうど日が昇る方向には雲がない。しかしその手前に大きな厚い雲がある。
雲の山の背後から後光がさしている。 とてもきれい、雲の山は阿弥陀樣と考え、しばし祈りをささげた。
もう一年、がんばれるよう元気をもらった。 しかし、町の上は雨混じりとなり、年寄りには限界だ。
今年は、医王山と奧医王山、キゴ山 戸室山を一巡りしたい。
残っている故郷の山 鈴ヶ岳ともう一、二か所登れたら山仕舞いとしよう。
さあ、もうひと眠り。そうしたらお雑煮だ。 今年もまた、一年よろしくお付き合いください。

皇紀2683年1月10日 西暦2022年12月31日
はや10日経ち、世間的には大晦日である。  朝から少し寝ぼけていて、もう長くはないように思う。
天皇陛下の料理番 昨日と今日見続けていて、父や母の生きていた頃を思っていた。
父母や祖父母が敗戦の日をどう迎え、その後をどう生きてきたのか、 ありがたいと思う。
おかげで、私が生まれ、そしてたまにしか会えないが、孫を見ることができる。
とりあえず、もう一年、出来る限りがんばっていこう。 修悟

皇紀2683年1月8日 西暦2022年12月29日
久しぶりに生家に帰ることができた。
クリスマス寒波により雪に埋もれていたが、幸い姉夫婦が除雪してくれていたため、雪は少なかった。
残っていた雪を片づけて、私園に回った。
思っていた通りに、紅葉の枝や幹が沢山折れていた。
湿った重い雪であったので、覚悟はしていたが、他には大きな被害はなかった。
まあこれからが、冬本番であるが。
春になったら、きれいに片付けよう。 それまでごめんね。 
春よ来い 早く来い 私園の木々たちや草たちが 早よ伸びたい と待っている

皇紀2683年1月6日 西暦2022年12月27日
今のところ、寒波は来ていない。 屋根雪もほとんど見られない。
明日、今年最後の病院だ。 ただ色々と考える。
 検査や薬のおかげで、長生きできても、何もできぬまま、生きている。
これでは、活きていると言えるのだろうか。 
そんな思いを抱えながら、春まで悶々としていくのだろう。
せめて冬眠している間くらいは、なにも考えずにいたい。 
でも、眠ると、走馬灯のごとく、この二十数年のことが走り抜ける。 
野山を駆け回ったあの頃に。戻りたいなあ。

皇紀2683年1月3日 西暦2022年12月25日
 ようやく寒波が過ぎ道路や側溝の雪が解け去ったが、また、次の寒波が来ると。
明日は又除雪に追われるのかな。 まあ春まで我慢の日々である。 私園の木々の枝も大分折れていると思う。
それは、自然の行う剪定と考えて、春先に始末してあげよう。 さあ、また休みに入ろう。 

皇紀2683年1月2日 西暦2022年12月23日
初日どころか大雪。しかも夜間には凍結。外の水道と散水ホースが凍結 シマッタ。 水抜きと少し流しておくことを忘れた。
6時で15センチ程、7時にはさらに10センチほど積もった。 なんとか凍結を溶かしてポンプ稼働開始 
駐車場の通路だけ融かして、あとは家の前の道路に散水中。 また、ガソリン買いに行かなく