皇紀2684年 西暦2024年 我が思い

0皇紀2684年 令和6年 西暦2024年4月18日
花見が終わり、令和4年8月4日の水害で通れなかった農道橋の架設ができた。
園内では、今は関山と松月が満開である。最後には兼六園菊桜が咲く。
まだ、工事中なので、対岸には行っていないが、多くの生き物達が行き来してくるはず。
右岸側の浸食された河畔は、コンクリート擁壁の人工護岸となったが、
河床と河岸は開削と拡幅により岩壁を残した川畔となり、以前の自然な岩井戸渓谷に戻して行きたい。
右岸の私園側には、今下敷きになっている彼岸花や水仙、シャガーなどで覆い、花木のサツキやアジサイを植える。
園内側に高木として、サクラやモミジを配置し、川障りの木にしたい。
新しい渓谷景観が戻るのには時間がかかるが、不治の病の私には、果たして見届けできないかもしれない。
明日、他の園内の除草作業して、仮設鉄板の撤去後の段取りを考えて行こう

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年4月3日
四月に入り、一気に春めいてきた。
近くの犀桜小学校の正面玄関前に、開校記念に植えられた3本の桜が開花した。
校名が犀川と堤防沿いの桜並木より、犀桜小学校と名付けられた。
学校の正面玄関前に、開校記念に植えられた3本の桜が開花した。
記念樹にソメイヨシノを植える計画であったが、病気に強いジンダイアケボノに代えていただいた。
少し心配だったが、脇にあるソメイヨシノに少し先だって開花してくれた。
まだ幼木で花芽が少ないが、ピンクの濃いきれいな花になるので、見守っていきたい。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年3月22日
3月初めに、白内障の手術を受けるために、1週間入院した。
結果は、あまり変わらないが、視力が0.2ずつずつ上がり、眩しさが無くなった。免許更新が通ると思う。
悪化する前の手術なので、大きくは変わらないのである。
さて、私園の手当てをするつもりだったが、どうも血糖値の管理が悪くて昏睡状態となり、夕刻また、救急車に乗ることになってしまった。
医療センターの救命手当てにより、2時間ほどの昏睡から無事生還した.
今後は血糖値管理に注意していきたい。しばらくは家で待機している。
今朝からは春本番がやってきて、暖かくなり、我が庭の手入れでもしよう。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年2月24日
ちょっと寒かったけど、私園の枝葉の片付けと、果樹の剪定を続けてきた。
梅が開花し始めて、鶯宿梅と八重しだれ梅が開花宣言した。 
白加賀はあとしばらくで、豊後梅はまだつぼみが固い。
十月桜はまた、満開になり、そして道沿いにある河津桜が遂に一輪開花した。
まだ、下草は芽を出していないが、植え付けた彼岸花の緑の葉は日差しを浴びて光合成している。
そして、水仙の花畑は満開となっている。川べりにあった黄水仙は流されて、寂しい。
弥生に入れば、もっともっと賑わしくなってくれるはず。 
3月には、1週間入院するので来られないが、春が楽しみである。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年2月20日
暖かい 日々が過ぎていき、春がすでにやってきた気がします。 
まだ冬に済ませておくべき剪定が出来ていないが、出来る範囲でやりたい。
梅の木の剪定途中で、三脚をすらしている時に躓いて転んでしまい、手の皮がべろりと剥けた。
急いで後始末して帰宅し、家人に怒られながら、手当てしてもらった。
昨日は来月に予定している白内障の手術前精密検査を受けた。
少し怖いけど、聞くと知人の大半が受けているようなので、安心した。
4月には、きれいに花見が出来たらと思うし、6月に入れば、ホタルの光が良く見られたらうれしいね。
震災で多くの方が苦しんでいるのに、何も出来ない日々。
自分のやれる範囲のことをして、逝きたい。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年2月10日
はや、如月に入り、これからが冬本番な時期なのに、暖かい日々
被災された方々には、救いの暖かさ。
2日間ほど、私園の木々の手入れに取り組んだ。姉夫婦たちと遠来の友人が手伝いに来てくれた。
雪により枝折れした木々の焼却と、育ち過ぎた桜の木を切り詰めて小さくすることにした。
しかし、災害復旧工事と重なってきたので、農道沿いの桜の大木は、工事完成後に今年の花見してから伐採切り取りをお願いした。
数年間は、花見は寂しいが、新しい若枝や他の木々が伸びてきてくれるはず。
今、河津桜が花芽を膨らませている。 今月中には咲きそうで、楽しみです。
数本に増えた梅の木も、今年はきれいに咲いてくれそう。 しだれ梅も形が出来てきた。
春早く来い。 春待ち草も、芽を出し、花も間近です。
しかし、2時には疲れを感じ、みんなと判れて家路についた。
途中のコンビニでめまいがして、慌てて、血糖値を計測した。
やはり、低血糖になっていて、ブドウ糖のゼリーを飲み込み、30分程休んで家に帰った。
数日は、お出かけ禁止になった。 

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年1月20日
20日が過ぎ、やはり死者は200人を超えて、まだ不明の方がおられる。早く見つかることを祈る。
お手伝いは出来な身で、避難者が安全な生活ができるようお願いします。
母の13回忌が来るので、運転が可能であれば、生家でお参りをしてきたい。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年1月8日

震災から1週間がたち、被災状況が明らかになってきました。
とてもつらい気もちです。
雪や雨が降り、避難生活も大変な状態と知り、まずは避難者が早く安全な施設に移れるよう願っています。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年1月3日
元旦の夕刻に、令和6年能登半島震災が発生した。今も余震が続いている。
家族で、玄関で、いつでも外に避難できるようにして待機していた。
幸い、我が家には支障はなかった。
しかし、報道によれば。73名に登る死者と多くの不明者、多数の怪我人、家屋の倒壊、そして輪島の大火災、が発生した。
能登一帯は、昭和55年から仕事で各地でお世話になった場所であり、地理も詳しいので、とても悲しい。
現役であれば、もう現場の調査に走り回ってるハズですが、もう72歳の老人で、不治の病人となってしまった私には見守ることしかできない。

行方不明者の捜索と、交通路の復旧が進み、被災者に救援物資が届けられるよう祈っています。
年明けに病院通いがあり、2日に見た今年の初日に、被災者の無事と我が身が元気な体に戻れるよう祈った。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年1月3日
元旦の夕刻に、令和6年能登半島震災が発生した。今も余震が続いている。
家族で、玄関で、いつでも外に避難できるようにして待機していた。
幸い、我が家には支障はなかった。
しかし、報道によれば。73名に登る死者と多くの不明者、多数の怪我人、家屋の倒壊、そして輪島の大火災、が発生した。
能登一帯は、昭和55年から仕事で各地でお世話になった場所であり、地理も詳しいので、とても悲しい。
現役であれば、もう現場の調査に走り回ってるハズですが、もう72歳の老人で、不治の病人となってしまった私には見守ることしかできない。

行方不明者の捜索と、交通路の復旧が進み、被災者に救援物資が届けられるよう祈っています。
年明けに病院通いがあり、2日に見た今年の初日に、被災者の無事と我が身が元気な体に戻れるよう祈った。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年 1月1日

心配していた新年は、とても穏やかに明けてくれて、うれしい気持ちです。
しかし、ウクライナやガザのこと考えると、とても悲しいむなしい気持ちにもなる。
さあ、初散歩して、気もちを持ち直そう。
昨年は、様々なことがあり、とてもつらい一年でした。 
我が身も不治の病となり、何時までこちらに居られるかは分かりませんが、
一日一日 を大事に過ごしたいと願っています。
いろんなことで、思うように行かない日々となりますが、
出来る限りのことしながら、旅立ちの準備して過ごしたいと願っています。
今年も拙いページですが、よろしくお付き合いください。