紀元2669年 8月5日 友坂の四重不整合を尋ねる

 8月9日 追 加

 以前に書いたスケッチに基づく論文が手元にありましたので、転載します。

 このスケッチ図を元にして、作り直した解説図についても掲載します。

 図から明らかなように、天然記念物とされている二重不整合よりも、もっと大きな地質現象が判る大事な露頭でした。

 東西方向で、地層の傾きが逆になっており、間に活断層が有ると思われるのです。

 この断層の直接の露頭は、当時も道路となった緩斜面で確認は出来ませんでした。

 現在はこの断層部に、大学への南側入口に当たる道路があり、大学建設時に気が付けば明らかに出来たのですね。 残念です。

 この狭い範囲で、呉羽山丘陵に出てくる大半の地層が現れているのも、おもしろいですね。

 

 地史は、次のように考えられています。

 西富山、安養坊、長慶寺の各層は、整合関係とされています。

 新第三紀鮮新世から更新世初期にかけて、海底に堆積した地層と言われています。

 数は多くありませんが、貝化石が見つかっています。

 その堆積後、呉羽山礫層堆積以前に大きな傾動運動と、陸化した部分が浸食されて、第四不整合面が形成されました。

 隆起傾動運動は、呉羽山礫層堆積後も続きます。それ故に、呉羽山礫層は地形面が無く大きく傾動している。 

 この後に氷河期の海面低下により浸食されて、第三不整合面が形成されました。

 この不整合面の上に峠茶屋砂泥互層が堆積しました。本層は、古沢の県道工事の際に確認されています。

 本層からは寒冷な気候を示す植物遺体が沢山見つかっており、

 その鑑定のために、三木 茂博士に来ていただきました。 先生の最期の仕事となりました。

 その堆積物の一部が、この露頭の中央部に僅かに顔を出しています。

 

 峠茶屋堆積後時に、再び神通川が呉羽山の西側を流れ、浸食されました。この時に第二不整合面が形成されました。

 この頃に、岐阜県の焼岳付近の大崩壊により発生した巨大な土石流や泥流が、

  高原川、神通渓谷を一気に流れ下り、平野に出てからは、当時の神通川は現在のような流れではなく、

   笹津から長沢を経て友坂付近を扇頂として、呉羽から太閤山団地付近の間で扇状地を形成し、

    河口では庄川付近で富山湾へ流れていました。

     安山岩質な土石を主とする大量の土砂が、その通路途中で堆積しました。

      数万年前のことで、もし現在起きたら、とんでもない災害を引き起こすことになります。

       こうした、とんでもない現象が長い地質時代を通して繰り返して、現在があるのです。

 この時の堆積物が、呉羽山の西側のあちこちで確認されます。

  呉羽駅付近で最初に記載されたため、呉羽火砕岩層と呼ばれていましたが、

   火山活動に直接伴うものではないことや、発生源が岐阜県の焼岳と判明してきたため、名称変更したものです。

    西金屋砂層としたもので、新鮮な部分では灰色の粗粒な砂で、

     時には非火山性の花崗岩や片麻岩などの巨礫を含むこともあります。

      大半は安山岩の岩片や細片を含む粗砂が主体で、下流域に当たる呉羽や太閤山では、

       途中で粗粒物質は沈殿してしまったために、細粒分が多くなり、リズミカルな互層を示しているところもあります。

 この付近では、北陸高速道路の切り割りの上部の大半を占めており、友坂で確認されるのはごく一部です。

  再び氷河期となり、浸食作用が働き、第一不整合面が作られた。

   その上に神通川本川が流れてきて、玉石を主体とする扇状地性の砂礫層が全体の地層を覆うように堆積しました。

    本層を友坂礫層としています。この露頭では本層が最上部となっています。

 この後に、呉羽山活断層により西側が隆起し、相対的に東側が低くなり、

  神通川はもう呉羽山の西側へは流れなくなり、現在の地形が形成されました。

   このようにして、呉羽山丘陵やその周辺の台地が形成されて、

    富山県をいろんな意味で分ける呉東と呉西が出来上がったわけです。

そんな、複雑な地史を語る露頭なので、本当はこの切土面全体を天然記念物にして保存して貰えれば良かったと思います。

 

 当時、師が書かれた英文の論文を改めて読み返しています。

 (連名となっていながら、良く内容を確認していなかった面がありました。)

 そのいくつかについては、その後の知見により修正を加えなければならないのですが、これを機会に取り組んで見ます。

            富山科学文化センター 紀要 藤井昭二 他 1979年より抜粋 

              上図の修正解説図        文責 管理者

 

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富山県の呉羽山の南端部に、友坂という地名があり、道路沿いに富山県指定の天然記念物になっている露頭があります。

 

 天然記念物の説明版が新しくなっていました。 

 以前から少し問題があり、書き換えをお願いしなければと思っていたものでしたが、

 さらに少しおかしい内容に変わっていました。

 この露頭は元々はもう少し広くて長い露頭でした。

 天然記念物に指定された区間だけ、露頭の上部が見られるように残されたわけです。

 しかし、本当はもう少し広い範囲を残していただかないと、地質学的な露頭としては不十分な形になってしまいました。

 せめて工事していた当時に記録保存できれば良かったのですが、富山を離れていた間に覆われてしまったのです。

 結局、私が学生時代にいい加減にスケッチしたものを、師が論文に掲載してくれたそんな図だけが残ることになりました。

 当時は、大学の2年生でしたので、ただ一所懸命に書いた図でした。

 当時の資料やその後に時々集めている資料を基にして、呉羽山の形成史 を自分なりにまとめなければならないのですが、

 なかなか、取りかかれません。

 この説明文が、何の文献にしたがったものであるか判らないので、教育委員会に問い合わせしたいと思います。

                              地質学生でもある管理人

 

 ☆ ここでは学生時代のスケッチに基づき、四重不整合と記載しました。

  友坂段丘堆積物と新第三紀層の間に、更新世中期の呉羽山礫層と峠茶屋砂泥互層が挟まれており、その不整合関係を加えると四重不整合となるわけです。

  残念ながら、呉羽山礫層の露頭部は、ブロック擁壁に覆われて見ることが不可能なのです。