従兄とすえばあちゃんの旅立ち

 

訃報が入った。 65歳にして私の従兄が旅発って逝った。

遠くに住んでいるため、普段は付き合っていなかった。

数年前に、息子さんと来てくれて、故郷の原の地で合うことが出来た。

亡き母が長女として、弟の子達をとてもかわがっていた。

23日、初めての北陸新幹線、かがやきに乗り、東京でお葬式に参列してきた。

帰り道、息子に先立たれた叔母ちゃんの家により、昔話や、今の互いの状態を伝え合い、悲しい旅ではあったが、

叔母ちゃんがお元気なので、うれしくも思い、近い内の再会を約して、帰途に着いた。

従兄は、同じ年の早生まれであったので、学年は一つ上であった。
小学校の低学年頃に一家で東京で移られたので、あまり逢う機会はなかった。
故郷にいた頃は、私の遊び相手をしてくれて、とても良く面倒を見ていただいたらしい。
記憶力の乏しい私は、すっかり忘れてしまったのであるが、妹からそんなことを教えて貰った。
何時会いに逝けるか判りませんが、逝った時には遊んで貰うことにしよう。

 

一番のかがやきで糸魚川を通った時、明け切らぬ中で、まだ消火活動が続けられていた。

被災された方々に、お見舞い申し上げます。

我が家は昭和5年に落雷により焼失したということもあり、一日も早く再建されることを祈願します。
 

 

従兄の逝去の連絡のあと、故郷からも訃報があった。

小さい頃からお世話になっていた方で、隣家の娘で、町内に嫁がれていた。

父の叔母さんに当り、我が家には貰い湯に来て居られ、私は子供の頃、母よりもお世話になったくらいの方でもあった。

西軽海に転居されてから、会うことが無くなっていたが、故郷の最年長の方であった。

104歳での大往生である。

すえねいさん、ありがとうございました。 一番末の娘で私の祖母と同じ名前でもあった。

いまでも、すえねいさんとみんなが呼んでいました。

母達とあちらでゆっくりしてください。 合掌

 

、浄土真宗では、人の死はけがれではなく、極楽浄土への旅立ちである。
葬式は、この旅立ちを見送るためのものなのである。

多くの人を見送り、そして我が身もやがて送られる日が来るのである。


    釈 脩吾