私園の作業記録

私園で日々行った作業の記録を残しておくことにしました。暫く更新をさぼってしまいました、 2019年7月31日から再開します。

皇紀2680年12月22日

やっと寒波が過ぎたみたい。 でも青空とは行かない。 
子供の頃から馴染んできた北陸の冬空である。
屋根の雪も落ちないことから気温は、ほとんど上がっていないようだ。
部屋に籠もっているので、隣家の屋根雪を見ながら、暖かくなるまで待つことにした。

この後、クリスマス寒波と年末にかけて、本格的な冬将軍がやって来るという。
冬将軍に立ち向かうのは、愚かなことである。 
自然の木々のように、静かに堪え忍び、その力を利用して木々達は、春の準備をするという。
私園でも手入れが行き届かないから、欅や桜、紅葉の枯れ枝がいっぱい残っているが、
積雪と共に、きれいに折れて落ち、自ら剪定作業をしてくれる。
折れて落ちた枝木もそのままにしておけば、腐って土に戻るのですね。 
人が関われるのは、道や園路としている部分の、部分的な清掃だけである。 
祖父は、晩年お寺の作務をしていた頃がある。 
どんな暮らし、仕事をしていたのか、遠い地であったので、全く知らなかった。
そんな中で、こつこつと仏具を作り始めていた。 そんな仏壇が、我が家の仏間にある。
きれいな仏壇があったが、父の代に手放してしまったのである。
祖父は、その替わりとなる手作りの仏壇を残してくれたのである。
力無い孫は、新しい仏壇も、墓も用意できなかったが、
私園も含めて守っていくことだけは、命ある限りやり続けていきたい。

皇紀2680年12月20日

一週間、炬燵の番をしていたが、少し遅く、私園の様子を見に出かけた。
一回りしたが、積雪は10p程度なので、特に変わっていなかった。 
山茶花が咲き乱れ、この後、白い雪の上に真っ赤な花弁が降り積もる。
十月桜も、まだまだ咲き続けていて、元気である。
園内を歩き回ったが、人も動物の足跡も見かけなかった。
余り食べるものもないので、来ないのかも。
生家の方に回り、除雪車の通った後の残り雪と、生家の玄関前と、駐車場の雪を用水路に排雪して帰宅した。
ままさんダンプは、とても便利な道具である。 
あと一回程暮れに行き、家の中の様子と私園を見回ることにしたい。

 

皇紀2680年12月14日

タイヤ交換済ませて雪が降っても大丈夫と思っていたら、家人がスコップは大丈夫?
アレー また大失敗、 スノータイヤの横に、除雪道具一式置いてあったのに、持ってくるのを忘れた。
と言うわけで、また、田舎の生家にお出かけ。 
雨は止んでいたので、私園を一回りと、融雪用の井戸水汲み上げのポンプとホースを積み込み、
生家の納屋から除雪用具を出してきて、無事に帰宅。 
と思ったら、取り替えた普通タイヤが、ドーンと残っていた。
行く時に持っていけば、一度で済んだのに。  物忘れ外来に行こうかな?
でも、国立の新田先生に以前相談したら、私もそんなものだよ と言われたしなあ。 
もう一度出かける用事が、出来たと思うことにしよう。  

皇紀2680年12月12日

朝から私園に出かけたが、雨が上がらず、外作業は出来なかった。
東屋の開口部にビニールシートを張り、来週からの雪に備えて、吹き込み防止対策をした。
一人でやろうと思った所に、義兄が来てくれて、助かった。 
その後、生家の方に回り、雨樋が詰まっている部分のゴミを取り除き、きれいに通水できるようになった。
更に、一昨年水道管が凍結して破裂した外回りの配管部に、保護用の覆いを取り付けた。
もちろん、今は水道は元栓を止めているので、漏水はしないのであるが、春に使う時に使用できるようにしたのである。

納屋の中を見渡していたら、新品のスノータイヤが置いてある。
義兄と誰のだと、言い合っている内に、やっと思い出した。
4月に車を乗り換えた時に、付けて頂いた新品タイヤを納屋に仕舞っていたことを。 年取り、物忘れが多くなった。
慌てて、車に積み込んで、家路を急いだ。

2時過ぎからタイヤ交換である。 昨年までは乗り潰すつもりで、スノータイヤで2年間走っていたので、久しぶりの作業であった。
1本目は時間がかかった。 4本目になると、半分以下の時間で交換できた。
終わった頃から再び雨が降り出した。 間に合って良かった。 明日から天候が悪いし、雪に変わっても心配がない。

後、一、二回私園に回ると思うが、最後の紅葉も散り終わり、すっかり、冬の光景に変わった。
朝一番で、ちょっとしたことで、つまずいて顔から土に倒れてしまった。
防水の靴に履き替えた直後で、少し歩きずらかったのであるが、こんなことで転ぶなんてと。
身体の衰えも感じて、天気の悪い間は、出歩くのを控えることにした。  
まあ、怪我が無くて良かったと思う。 明日はこたつのネコしてます。

 私園は冬景色に入りました。 紅葉も殆ど散り、僅かに常緑樹とサツキの葉が残っているだけです。 

 東屋も川側の開口部をビニールシートで塞ぎ、春までお休み。

 そんな中ですが、十月桜と、山茶花は咲き続けて居ますし、少しばかりの水仙も年明けには開花するはず。

 時々は見回り、見守りながら、新春を待ちたいと思います。 


皇紀2680年12月9日

朝から良い天気でした。 私園に行き、一回りして、最後に残った3本の紅葉と十月桜を楽しみました。
今週一杯で散り終えて、来週からは冬景色になるらしい。
さて、松の剪定の続きに掛る。 アカマツの残りの枝を高枝切りバサミで、三脚に乗って整理した。
上向きで、首を空に向けていると、首が痛くなる。何度も下りて休みながら、終えた。

もう一本の多行松のマツの剪定にかかる。 頭を止めるために2連バシゴを最大に伸ばして天辺まで登る。
太い幹を切るために、手ノコを使用で切ったが、腰が退けていたために、残すつもりの枝まで折れてしまった。
少しみっともないが、素人の剪定である。 夕方まで掛かり、やっと下に下りられた。
木に登れるのは、今回が最後かも知れない。 落ちなかったので、良かった。
来週からは寒くなるようなので、外仕事は止めて、小屋の中の整理整頓をして新年を迎えよう。

いろんな失敗を繰り返した一年であったが、大きな事故や怪我もなく年を越せそうなので、良しとしよう。
管理人

皇紀2680年12月6日

はやぶさ2 無事帰還ありがとう そして関係者のみなさま、ご苦労様。

朝方まで、カプセル回収の報まで、起きていたため、出発が遅れた。
11時過ぎから松の剪定に掛った。 高い木なので、足の衰えと共に高所作業が難しくなってきた。
2連ハシゴを掛けて、上、下を固定して、命綱をつけて、ヘルメットを被り、作業にかかった。
怖さで、腰が退けてしまい、木にしがみつくようになってしまった。
山登りもそうであるが、身体を起こして作業することが大事なのであるが、1年振りの作業は、人に見られたら恥ずかしい格好であった。

木に登って国道向かいの吹き付け斜面を見たら、最上部小段にサルが2頭見られた。 見られてしまった。
やがてボスザルと思われる大ザルが現れ、暫くすると、国道を渡って畑のある方へ向かっていった。
下りて休憩所で休んでいると、小屋影からサルが一頭20m程の距離で現れた。
見回したサルと、目が合ってしまった。 こんにちわ と声かけた。
突然の人との出合いで面食らっていたが、慌てて、元の小屋裏へ走っていった。
サルたちも山の実が無くなり、人里の作り物を狙って下りてきたようである。
私園には食べられる実はないので、実害はないが、原町の方へ行ったので。同級生達にラインで知らせた。

4時過ぎに木から下りた。 
高い所や枝先の剪定が出来ていないが、次回、高枝切りバサミで、仕上げよう。
久しぶりの木登りで、足が痛い。 明日は雨も降るので、休みとしよう。

 

皇紀2680年12月3、4日

2日間、私園と生家の周りの庭掃除をしてきた。 
住んでいないと日々の手入れが出来ないので、毎年お盆と正月前の年末しかできないが、手入れだけはしている。
家の中は、兄の命日の日に姉たちがしてくれたので、暮れにもう一度見回るだけで正月を迎えられる。
もっとも、今年もみんなで集まることは無いが、それぞれが亡き祖父母、父母、兄、おじさん達、おばさん達にお参りに来ると思う。

生家の脇 ギンナンが一杯落ちていた、 おかしいなと見たら、なんとクマの糞であった。
数日前に通り、糞をしていったらしい。クマもしっかりかみ砕けば、美味しい栄養ある中身が食べられたのに、

臭い周りの果肉だけ消化して大事な実は消化できなかったらしい。
以前にもあったし、故郷の夜は彼らの住処みたいです。


昼間、村の人が電波探知機を持って歩いていた。 サルですかと聞いたら、そうやと。
群れの中に一度掴まえられたサルに発信器が取り付けられており、群れが集落に近づいてくると、携帯電話に連絡が来るそうである。
暫くすると、犬が吠えて居る。 群れに向かって犬を連れて行き、追い払うのである。 
そうすると、また隣町へと移動していく。移動して行った方の町の担当者に連絡する。 
サルはこのようにして集落に近づけないようにしているそうである。
クマもそうできれば、退治されることもないわけである。 
もちろん、山間の故郷では、クマと出逢っても、大体クマの方が避けて逃げて行っているようである。

今日は寒いが、天気は良くて気持ちよかった。 誰も来ない静かな初冬の佇まいの中、一人、静かに作業してきた。
早めに帰ると、軽海辺りから、西日に照らされた白山が白く輝いていた。 その手前には、故郷の山々が横たわっていた。 
先日登ってきた、番谷山から仏御山 そしてまだ未踏査の観音山への尾根筋がくっきり浮び、背後に弥勒山が頭だけ出している。

月半ば頃にでも、今度は仏大寺から観音山に登り、帰り道に仏御山までの未踏査尾根を歩き、
再び戻り、観音山を経て、今度はつくばね新道を下って帰ることにしたい。

皇紀2680年12月1日
久しぶりの私園で、散り紅葉もほとんど枯れ葉になっていた。 後数本紅葉が残っているが、数日には落ちると思う。
今日は私園の入り口付近コケ庭に厚い落ち葉の布団となっていた枯葉を、すべて掃き集めて腐葉土囲いに積み込んだ。
緑のコケ庭に戻った。冬の間は陽が射すので、コケが生育してくれる。
私園の入り口の両側にある県の植えた山茶花が、満開に近くなり、2月過ぎまで咲き続けてくれる。
雪が降ると、雪面に真っ赤な花びらが散らばり、これも素敵な景観である。
明日は、所用でいけない。 明後日は冬支度を終らせよう。

皇紀2680年11月28日

昨日は、我が兄の16回忌の命日でした。 
五人姉弟の兄以外が生家に集まりお参りして、お墓にも行き、お参りしてきました。
年を取らなくなった兄が一番若くなり、みんな70歳前後である。
我が家の墓は、集落の墓地の最上段にあり、お互いに上り、下りが、大変になってきている。
あと、何回かしか揃っての墓参りは、出来ないと思う。 
墓守でもある私は、最後まで頑張りたいと思う。
この墓に入るのは、私が最期と思う。 
故郷の山の凝灰角礫岩で出来た墓石は柔らかいので、いずれ。風化して朽ち果てて土に戻ると思う。
それで良いと思う。 

パールバックが「大地」に書いていた。 主人公は、大地から生まれ、大地で育ち、大地に還ったと。
私も、昔からそうありたいと願っている。 
数十年、故郷を離れて暮らしたが、最期は、父母、祖父母、兄、
そして合うこともなかった多くのご先祖様達や、故郷の人々と一緒に眠りたいと思っている。
私園のモミジは、もうほとんど終わり、冬景色になりつつある。
暫くすれば、水仙の花が咲き、いよいよまた新しい年がやってくる。
花や木は新しい芽を出し、花を点けて若返るが、老人は枯れ逝くのみである。
久しぶりに息子達、孫達の顔を見てきた。
誕生時にオロオロとした下の子は、もう二才半、抱き上げることも難しい程に育った。
同時に、我が身の衰えも感じた瞬間であった。
さあ、散歩に出かけて、少しでも衰えをカバーしよう。   

 

皇紀2680年11月23日

紅葉も終わりかけた所に、お手伝い仕事が入り、暫く私園には行けなくなった。
週末には出かけていって、枯れ落ち葉となったモミジを掃き集めて、堆肥枠に積み込んで堆肥化することにしたい。
そのまま、一冬を寝かせたままでも良いのだが、モミジの葉は自然だと堆肥化しにくいと言われる。
積み上げて、発熱により分解を早めて、冬の間もミミズが繁殖してくれれば、堆肥化が早くなる。
昨年の堆肥が残っているので、雪が少なければ、各樹木の肥料として散布したい。
数年後には、桜もモミジも共にきれいになる。
そんな日が来るように作業に勤しみたい。    白髪の老人 

 

皇紀2680年11月19日 

紅葉が一気に散り始めていて、赤い絨毯を敷き詰めたような景観であった。
農道部分の落ち葉だけ掃き集めたが、次から次に落ちてきて、また、
つむじ風と共に、葉が舞い散るため、掃いても直ぐに落ち葉が散らばっていた。
その後は、昨年植えた彼岸花畑に生えている多年草を、根から抜き取る作業をした。
多年草は、彼岸花の生育を邪魔するので、根株を掘り出して除去した。

明日は雨風になるようなので、残っている紅葉も、みんな散りそうである。
一方で、川沿いの紅葉は、まだみどりの葉もあり、もうしばらくは楽しめそうである。
2日毎であるが、今年は私園の紅葉を楽しむことが出来た。
今の紅葉は、父が植えたモミジである。
私がここ1、2年で植えているモミジが紅葉するには、最低10年は掛かりそう。
それまでは、生き続けて、春から秋までの私園の景観を見守って、逝きたいと思う。

 

皇紀2680年11月17日 
 
早朝から大峰の裏を通る林道沿いを歩いて、中ノ峠町から出発した。
この林道は現在砂防ダムの工事が行われており、路面はヘドロ状態であり、また、工事中のため、車での通行は出来ない。
砂防ダム工事地点まで行き、さらに奥へと林道があるはずであるが、ダムの上流部で早くも林道が流され、
奥の方は、全く見通しが利かないので、クマのことを考えると、危ないと判断して、帰ることにした。
この林道は、峠を越えて光谷へ通じているはずであるが、整備はされていないので、難しいと思う。
近く光谷側から入り込んで、整備状況を確認してくる。
登坂計画は、麦口からトガン岳を経て鉄塔巡視路を辿り、大峰に登坂して、下り道は、中ノ峠と光谷の峠に出る。
この峠まで林道があれば、一台を終点に起き、帰り道が確保できればと思うが、今回の中ノ峠側からは困難と考えている。

私園に帰り、昼食を取った。 午後は紅葉の落ち葉を掃き寄せ、積み込んだ。
その後は借りている畑の雑草を刈り払い、これも積み込んだ。
お客さんが一人来られて写真を撮って行かれた。
明日は、自宅で休養。 明後日は私園で何するか、思案中。

 

皇紀2680年11月15日

朝から私園で紅葉刈り。次第に私園の中に紅葉が進み、黄葉も鮮やかである。
入口の鮮やかな真っ赤なモミジはもう散り始めていた。
お昼には姉妹達が来てくれて、楽しく紅葉刈りして帰った。
朝一番にナメコが一杯生えていることが分かり、姉たちがみんな持ち帰った。
みんな帰って静かになった私園で、少しばかり冬支度の作業をして帰宅した。

秋の夕日に照る山紅葉、濃いも薄いも数ある中に。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そんな歌を歌いながら、故郷の山を後にした。む

皇紀2680年11月1日

今日は朝から故郷の山、仏御山に登ってきた。
中学の同級生に同行をお願いして、番谷山から鉄塔の巡視路を登り、道のない区間は尾根筋を辿り、
今日の目的地、仏御山の頂上まで歩くことが出来た。
尾根筋には既に人が通っており、マーキングテープがつり下げられており、非常に助かった。
紅葉のピークで、少ないけれど、モミジの葉がきれいに黄葉している木も見られた。
まだ落葉樹の葉がほとんど落ちていないことと、尾根の東側は常緑樹が多いので、
見通しが悪く、クマとの遭遇も心配でしたが、同行者との楽しい会話と
歩行の補助に持参したストックで木々を叩きながら、進んでいたので、クマもイノシシも出逢うことはなかった。
3時間程で仏御山まで歩けたので、来年早春には、その先の観音山まで、足を伸ばして見たい。
黒瀬谷の林道に下りて私園に帰った時には、両足が痙攣していたが、何とか家路に着くことが出来た。
同行してくれた稔に、感謝したい。
私園の紅葉はどんどん広がってきている。 明日は休んで日曜日には紅葉を楽しみたい。

皇紀2680年11月10日

今日は自宅で挿し木としていたサツキの苗を、移植用ポットに植え直して、私園の隣の畑に置くことにした。
白いひげ根が一杯出ていたが、本植するためには、来年一年間陽当たりの良い場所で、大きくして上げなければならない。

一重と八重のサツキ、そして少ないが、同じく一重と八重のノトキリシマツヅジの苗である。
花を点けないと区分が難しいが、露地に植えた昨年の苗と共に、世話していくことにする。
今日の作業は、他の雑用も含めて終わった。 日が暮れるのが早くなった。  
 

皇紀2680年11月 8日

今朝は晴れるはずが、回復が遅い。 
友人二人の応援を得て、桜の高木の剪定を行う予定でしたが、濡れた状態なので、まずモミジの紅葉を楽しんだ。
私園の紅葉は園の入り口付近だけで、全体の紅葉は、またまだであるが、入り口が一番きれいなので、楽しんた。
その後は1年振りに合うので、最近やって来た手入れの説明をしながら、見果てぬ夢まで聞いて貰った。

さて、雨も上がり、染井吉野の大木に、2連バシゴをのばして登る、
知人達に押さえてもらい、私が登る。 立ち枝が数本あり、これを外した。
その後、高枝切りばさみに持ち替えて、テングス病に罹った枝の切り落としに掛かった。
上に登ると更に高い幹の先端にもある。 しかし、とても届きそうもない。今回は諦めて作業終了。

お昼は、近くの喫茶店のテークアウトを取り寄せて、園内の屋外テーブルで熱々を頂いた。
午後は低木のサルスベリやいろんな木々の簡単な剪定をしながら、終了とし、喫茶店の陽だまりで、コーヒーを飲んで解散とした。
持つべきものは友である。 還暦を過ぎてからの知人となり、ここ数年、2。3回の行き来を続けており、久しぶりに楽しい一日を過ごせた。

私園に戻ると、お客さんがお二人、園の入り口でモミジを見上げている。 
暫く園の説明をしていると、苗木を頂けないかとのこと。
大きいのではなくて小さいのでと言われるので、刈り残してある薮の中から20センチ程の木を抜き出した。
結構細根も付いている状態でしたので、お渡しした。
こんなきれいなモミジになりますかねと。 
いゃー 人の子供も、親とは違うものですから、木の真下で生えた実生であっても、同じにはなりませんと。
そうだよね と お笑いになりながら、帰って行かれた。 
久しぶりに木に登ったので、足首が痛い。
今日はお休みして、明日に備えよう。
私園の整備は、エンドレスである。 だから死ぬまで止められないのである。

皇紀年11月 6日

朝から私園の草刈りを行ってきた。
もう余り大きくはなっていないが、紅葉刈りに来てくれた方が園内を歩きやすくするために撫でつけた。
農道沿いの落ち葉も集めて堆肥にすべく積み上げた。
途中でお客さんが来られて、ご苦労様と声かけて頂いた。 何時も立ち寄ってくれている方らしく、きれいにされてますね と。
いやー、なかなか来れなくて掃除が行き届きません と。
暫く川縁を写真に撮られて行かれた。 
こんな方々のためにもう少しきれいにと、夕方まで掛かって作業した。
今日7日はお休みで、これから我が家のアラカシの剪定に掛かるとしよう。  

皇紀2680年11月 5日

朝から彼岸花の分球作業、今日で予定していた場所に全て植えることが出来た。
大半は来年は花が咲かない小さい球根だったが、再来年には、見事な真っ赤な絨毯が見られるだろう。
明日からは、木の剪定や冬支度に掛かることにする.。
日毎にモミジの葉が赤くなっていく。 楽しみである。明日は暖かい日なので、作業も捗るだろう。
 

皇紀2680年11月 3日 

朝から私園へ。 産業道路が空いている。 文化の日でお休みなんだと気が付いた。
午後には雨になる予想だったので、残りの区画の掘り起こし整地に当った。
この部分には、ドクダミとスギナが繁茂しており、土全体を掘り返して、地下茎を取り除くことにした。
地山は堅い礫混じり土なので、石を取り除いて、鶏糞を混ぜてヒガンバナの植え込み場所を整地した。
何とか、午前中で準備完了。
午後1番からヒガンバナの球根の植え付け開始した。 約300球程植えられた。
4時前になったら、本降りになってきた。 あと200球程植える土地を残して作業を終えた。
帰り道 私園付近は土砂降りになった。 植え付けた土に雨水が染み込んで、根が土に馴染んでくれたと思う。
あと、1日 残りを植えてヒガンバナ分球作業は終了としたい。

明日は雨降りなので、明後日行ってみよう。
今夜は寒風が吹き荒れ、最低気温も10゜C以下となる。 
私園の紅葉はこれで一気に進むはず、 日曜日には知人達と紅葉刈りを楽しもう。
皇紀2680年10月31日 

既製品の水槽を埋め込んでヒョウタン池とした。水は雨水と、散水時にポンプで補給することとした。
ここは元々窪地だった所で、雨が降ると排水が悪かった。そのために暗渠を入れたのである。
水槽の中にはカキツバタを植える予定なので、水の中にメダカやホタルを放してみたい。
あと一日、この水槽の回りにヒガンバナの球根を植え替えて、次には苗木を植え替えていく予定である。 
明日はお休み。 他の場所で他の活動。 うーん 年中無休かな  管理人

皇紀2680年10月30日 

私園を一回りしてから、暗渠排水路の仕上げに掛かる。 暗渠の先端部を深く掘ると、水が湧いてきた。 
この水が排水できるようにするためには、あと30p程下げなければならないが、とても人力では無理なので、
雨が降って水位が上がった時に排水することとし、暗渠パイプを敷設して周囲に砕石を入れて、
細竹やススキの茎などを間に挟んで、掘った土で埋め戻した。
暗渠の敷設部にヒョウタン池を載せるための掘削を行い、明日には、池と暗渠排水路の仕上げする。
土方で荒らした場所に、ヒガンバナを植え込んで、この区間の仕上げとする。

来週は、園内の草刈りと清掃をして、紅葉観賞に来て頂いた方々に見て頂こう。
私園の紅葉は、11月7日〜12月初めまで、楽しめる。
 

皇紀2680年10月28日 

朝私園を一回りしていたら、川縁の盛土した軟らかい土に、動物の足跡が6個程見つかった。
川の上流側から歩いてきたクマが橋の手前の農道を横切り、薮に隠れた崖から岩井戸の淵に落ちたようである。
そこから、再び私園内に戻る際に足跡が付いたようである。
村の方が足跡と草むらに残る踏み跡などから、教えて頂いた。
村ではこの数日、あちこちで柿を食べるクマが目撃されており、同じ成獣ではないかな。
成獣になると、人との接触を避ける知恵があり、村の人の話を聞いていると、クマとの静かな交流、対峙が続いているように思う。
子供の頃を思い出しても、母が彼処にクマが居ると教えて貰ったこともあり、山で時々出逢うこともあった。
一度だけ、木こりに入った人のお弁当を食べられたことがあり、漁師を呼んできて退治をした時のことを覚えている。
三輪トラックで退治されたクマが運ばれてきたが、小さい私には荷台のクマは見えなかった。

ラジオを鳴らしながら、排水路の溝掘りに励んだ。 大きな石、どうやって上げようかと思案していたが、
先日の洗濯機を持ち上げて修理していた時のことを思い出し、石をバールや単管パイプで片側を持ち上げ隙間に土砂を詰めて、
今度は反対側から持ち上げて土を詰めて、大石は次第に高くなり、溝から出すことが出来た。
さあ今日中に片付けるぞと、思ったら、また新しい巨石、 溝よりも大きい石。 もうだめだと思ったが、テコを差し込んでみたら、動く。
結局大きな石であるが、割れた平たい石で、下が無かったので、助かった。
あと、10p程全体に掘り下げて、暗渠パイプを伏せて、砕石を回りに詰めて、掘った土で埋め戻して完了である。
明日はこの作業と、ヒョウタン池の設置をして一段落である。
 

 

皇紀2680年10月25日 

今日も私園でヒガンバナの分球と思ったが、雨が上がらなかった。 
暫くして止んだが植える穴の掘削をすると、染み込んだ雨で泥ドロになる。
続きは諦めて、農道沿いののり面尻に、2列ヒガンバナを100球程植え込んだ。
午後からはヒガンバナの予定地に、以前設置しようとしていた暗渠排水路の続きを掘削することにした、
これはとても難工事。元の水田の上に岩塊混じりの土砂を1m近く盛土してあるので、
掘削は、スコップとバールとシャベル、そして一番役立つのが我が両手である。
途中で大きな石にぶつかり、夕方まで挑戦したが、動かせなかった。
来週半ばに義兄の手助けを得て、何とかしたい。 掘った溝に暗渠パイプを敷設して、砕石を詰めて埋め戻して暗渠完成としたい。
掘っている途中で、以前諦めた池造りを再検討することにした。 
以前は用水路から自然勾配で水を流そうとしたが、途中の掘削が困難なので諦めてしまった。
今回は、ブラスチックのヒョウタン池を地表面に埋め込んで、散水をする時や雨水で、満水にして、
中にカキツバタなど水生植物を植えて、小さいメダカでも飼うことにしたい。 
ゲンジボタルは無理なので、ヘイケボタルを来年放してみて、再来年に期待してみたい。 
最終的にどんな私園になるのか、出来るのか、張本人にも分らないが、完成よりも途中の経過を楽しんでいきたい。 土方作業員

私園では今、ツワブキとノギクが満開である。

皇紀2680年10月24日 

雨模様であったが、少しでも作業しようと、出かけた。
3日振りの私園では、入口の一番早く紅葉する梢が赤く色づき始めた。
11月に入れば、一気に紅葉が始まるが、奥の方は20日過ぎまで掛かるので、紅葉狩りは長い期間楽しめる。
いろんな雑用をしながらであったので、今日は 100球余りしかできなかった。

途中本降りになったので、生家で待機した。 久しぶりにみんなに会い、お参りとヒガンバナ植え付けの報告をした。
小降りになり、5時前まで頑張ったが、途中から雨が酷く、別作業にかかった。
明日も、土方とヒガンバナの植え込みを、頑張ろう。

皇紀2680年10月23日

いろんな用事もあって、私園には行けていないが、明日、明後日は、頑張ろうと思う。
家にいるとテレビを見ていることが多くなる。 朝ドラのエールを、時々見ているのであるが、
戦前、戦中に古関さんが作られた多くの戦意高揚のいわゆる軍歌というものを、
戦後生まれの私が、母から子守歌のようにして聞き覚えて、歌詞の意味も分らないままに歌っていた。
母が亡くなる日に、2時間近く看取りの部屋の枕元で、歌い聞かせた。
歌い終わった頃に、姉二人が顔を出してくれて、僅か30分程で旅立って逝った。
そんな懐かしい数々の歌が作られた時代背景を見ながら、改めて戦争を繰り返してはならないと思って居る。
中学校の時図書委員でもあったために、大東亜戦史なるものを何刊も読み続けて居た私は、周りはどう思っていたのだろうか。

そんな主人公が戦後の挫折から立ち直り、長崎の鐘が鳴る で、完全復活して、戦後の日本復興に寄与した多くの歌曲を作られていった。
ドラマの中では永田となっていた永井隆医師の話は、高校の修学旅行で長崎を訪れた時に、ガイドさんから聞かせて頂いた。
小松高校の文集 白峰 に私は修学旅行の感想を書いたが、分担が長崎であったので、短いが永井博士のことを書き、長崎の夜景を書き記した。
読み返そうとしたが、生家に置いているようで手元になく、読み返せなかった。
タクシー運転手の好意で、人数オーバの同級生達と、稲佐山まで夜景を見に出かけて楽しんだが、
博士のことや原爆で亡くなられた多くの方のことも、忘れては居なかったと思う。
母のことや、主人公同様に挫折した父の戦後のこと、高校生の頃のことも思い出しながら、エールをまた来週も見て行こう。

 

皇紀2680年10月20日

お休みしている間に、義兄が炉の修繕を完了してくれた。
ボロボロになっていた古い炉を一回り大きく囲んで、とても綺麗にしてくれた。
ちょっと、使うのが勿体ない。
今朝は途中で寄り道して居たので、私園には11時頃に着いた。
午前中は雑用で終わった。午後からはヒガンバナの植え付け作業の続き。
途中で、同窓生が来てくれて、久しぶりに色々と話が出来、今度登る故郷の山のルート説明した。
クマが、クマが、と心配していたが、ここにもクマが来るし、向かいの山にも棲んでいるよと。
クマはとても臆病な動物なので、出会い頭に合わなければ、クマの方が去っていくことを説明したが、
実際に山であったら、どうなるか。 無論、心配もしている。 
11月半ばに落葉樹が葉を落とした頃には、お互いに見通しが利くので、大丈夫だよと。 
週末にでも途中まで行って、下見してくることにする。
尾根沿いでは今、北電がボーリング調査に作業員が入っているので、尾根筋には居ないはずなのである。
今日は 200球位しか行かなかったが、あと3日間位で予定の箇所には、植え付け完了しそうである。
ただし、切りのない作業なので、休み休み自分のペースでやっていこう。 

皇紀2680年10月18日

今日も朝から私園でヒガンバナの植え付け。 
昼には義兄が来てくれて、バーべーキューの炉の補修をしてくれている。一回り大きくなるようである。 
完成したら、紅葉のピーク時に、みんなが集まれたらと思うが、無理かも知れない。
ヒガンバナは頑張って500球と思ったが、400程度かも知れない。 
あとまだ3箇所残っているので、今週またがんばろう。
明日はお休み。腰を下ろしての作業は重労働ではないが、腰と手が痛い。  管理人

皇紀2680年10月15、17日


15日はクマ対策で、柿の木の実採りと剪定を行った。 また、黒竹の薮を間引きと枝落としをして、見通しを良くした。
クマさんが来ても、隠れる場所がないようにした。

今日は朝から彼岸花の球根の植え付けを行い、2日間で計500球程植えた。合計で約1000個位。
あと4000個程植えるスペースがあるので、明日もがんばろう。

 

10年程前に一球ずつ植えたものが、株になり、50〜100個の塊になった。 密なために大きくなれないので、花を付けないものが多い。

塊を崩して一球ずつにしたら、300個近くなった。           15p前後の間隔で、植え付けた。小さいものは2年後に花を着ける。




皇紀2680年10月13日

朝からあちこち回っていたので、私園に着いたら、もうお昼だった。
簡単な食事後に、彼岸花の続きに掛かった。 
5時少し前まで頑張り、球根300個程を植え付けることが出来た。
塊になっている球根は、小さく分球しているため、来年は花が咲かないが、
肥料と日が当たる場所なので、太ってくれるので、再来年には見事に咲揃うと期待している。
我が私園にもお客様がやって来たようで、柿の木が折れていた。
もっともほとんど成っていないし、まだ青ので、一個かじって退散したようである。
こんな柿を食べるのは、管理人だけである。
冬場に切り倒すことも考えていきたい。 私園では成物や食べられる野菜は作らないことにしているのである。
山毛欅の木もあるが、ほとんど成らないので、登る価値もないようである。  困っている管理人

私園の横を流れている岩崎用水路で、久しぶりにゴリの成魚を見つけた。 嬉しくなった。
ゴリやカワギス、グズマ そして今でも少し残っているが、ヘコタと呼んでいるアブラハヤなどが
昔のように棲んでいた滓上川にできたら、もっと嬉しいのだが。

皇紀2680年10月11日

朝から私園で、草刈りのあと片付けをしていた。 10時頃から、農道南側で、紅葉の手向山隣の草藪の除草に掛かった。
ここに、彼岸花を植える予定だが、チガヤが沢山繁茂しているので、手で毟っただけでは地下茎が残っており、
春先には彼岸花より大きくなるので、スコップで掘り起こして地下茎も含めて駆除した。
午後は、彼岸花の球根を、分球して植え付けた。 
農道沿いの中央、ミサヲサクラから始めることとし、20p間隔で幅深さ共に10p位の溝を掘り、牛糞堆肥を撒いた。
そして、溝に沿って15p間隔位で、球根の塊をばらして1球にして埋めていった。 一列で30個 6列で180球程を植えて日が暮れた。
今年は農道から見える場所全体に植えるつもりなので、球根が数千個は要りそうである。
昔植えた1球が、50〜100球に増えているので、数はあるのだが、体力が持つかどうかである。
今年やらないと、なかなか彼岸花一杯の花園にならないので、10月一杯がんばろう。
皇紀2680年10月 9日

朝から私園の農道より下流側の草刈りをすることにした。 今年最後の草刈りである。
農道より上流側は、彼岸花が枯れ終わった後で草刈りをする。
花茎には栄養分があり、枯れる際に球根に移動して貯めるそうである。それ故に萎れてから刈り取った方が良いらしい。
明日は休んで、日曜日には彼岸花の球根の掘り取りと分球、植え付けを予定している。

皇紀2680年10月 7日 

お盆前からやっていたケヤキの根本の盛土の撤去と、土壌改良がほぼ終了した。 
まだ、下草の姫岩垂草の植え込みが一部終わっていないが、来春に持ち越すこととする。
気候も秋になり、乾燥しない時期なので、この状態で春まで様子見とする。 
5月、新芽が吹いてくれればと思うが、樹盛が戻るには2、3年は掛かるだろう。

来週からは、他の木々の手入れや園路の整備、そして彼岸花の分球による植え込みに掛かりたい。
小松方面ではクマの被害が報道されている。
私園の向かいにもクマやイノシシは居るはずなので、作業中はラジオを鳴らしている。
柿が少し成っているが、早めに食べてしまおう。 クマ達の友人 管理人


皇紀2680年10月 6日

朝から私園 ケヤキの周りの整備作業に当った。休んでいる間に義兄が、新設した階段に手すりを付けてくれた。
東屋下の川縁の園路の完成も、もう少しである。
ケヤキの周りの打ち、排水が悪い側に排水溝を掘り、その中に竹の節を潰した黒竹を数本、排水性を確保するために並べた。
溝の上部とあちこちに掘った穴に、園内で作った堆肥を埋め込んだ。
その後に、牛糞堆肥と鶏糞堆肥を、ケヤキの中心から5mほどの円内に散布して、その上に掘り取ってある土を被せた。
明日はこの土の上に、ヒメイワダレソウの茎を敷き詰めて、更に砂質土を被せる。 
最後に散水して、水をタップリと染み込ませる。 今月中にヒメイワダレソウは根付き、来年5月末には、緑の絨毯が完成する。
その後に、ケヤキの新芽が、沢山出てくれるかどうかである。
今年の冬芽が出来る前に枯れた気もするので、来春は寂しいかも知れないが、
再来年には、見事なケヤキに甦って育ってくれると思う。
このケヤキの下や、東屋の中から、、新年の一月は雪見、2月は山茶花見、3月は梅見へ、4月一杯は桜見、
5月は新緑見、6月はホタル見、7月はアジサイ見、9月は彼岸花見、そして10月〜11月紅葉見、12月は落葉後の枝見、
兄たちのお迎えが来るまで、そんなことをしながら、1年、一年を過ごせたらと、願っている。
紅葉の天頂部は少しずつ色づいてきた。 今年はどんな紅葉になるかな。   
皇紀2680年10月3、4日

私園は彼岸花が満開となり、遅れていた川縁も満開に近い。 金木犀が満開に近くなり、白花の山茶花は散り始めた。
夏から秋に変り、桜の葉も落ち始めている。
ケヤキの根本の処理もそろそろ仕上げに掛からないといけないが、今週で何とかなりそうである。
その前に東屋の下の川縁の通路付近の整備と東屋から直接降りる階段を設置した。 
古い枕木を貰ってきていたが、それを階段の土留めに使い、夕方までに完成した。
一人では不可能であるが、義兄の助けもあり、形にはなった。 今後雨が降った後に、締め固めて仕上げとしたい。

今週末からは、彼岸花の大きな株を掘り起こして、分球して園内の各地に植え込むことにした。
1個の球根が写真のような株になるには、数年掛かるが、
生きている間に母に約束した、彼岸の彼方へ続く、花園を見たいし、見せて上げたいものである。
明日は雨、ゆっくり休むことにしたい。



皇紀2680年 9月30日

2日続きの作業でようやく、盛土前のケヤキが生えていた地面が顔を出してくれた。
しかし、手と腰が痛い。 明日からは土方はお休み。来週がんばろう。

彼岸花は、満開の一番良い景色となっている。
10時過ぎに本格的なカメラを携えた女性カメラマンが、彼岸花の撮影に来てくれた。
1時間近く、園内の農道より上流側を、撮影して居られた。
毎年来てくれているそうで、有り難いことである。

今年はもっと広範囲に分球して増やしていくつもりである。
しかし、見事に咲き始めるのは、3年から5年後である。
今、満開になっている農道沿いの彼岸花は、10年以上前に富山県の氷見市の堤防に生えていたもので、
河川工事で廃棄されるものをライトバンに積めるだけ頂いてきたものを、1球ずつ土手の押さえにと思い、植えたものである。
今年は別の場所にお裾分けすることになった。
彼岸花は、花は目立つけれども、葉は秋から冬そして春までで、夏には枯れてしまうので、全く邪魔になるわけではない。
モグラやイノシシ除けにもなるそうなので、増やしている。 
植物学的には三倍体で種が出来ないので、むやみに増えて問題になることはないのである。 皇紀2680年 9月29日

今日から、土方再開した。ケヤキの根本にある盛土を撤去する作業に取りかかった。
盛土の中にもケヤキの細根が伸びていたが、一度取り除いて、地山の透水性を良くするために、何カ所も手掘りで穴を開けることにした。
今日はそこまでは出来無かったが、地山の堅い土を掘り返して、腐植土や牛糞堆肥も混ぜることにした。
最後に、地表面にヒメイワダレソウを植え込んで、カバープランツにする予定。
ケヤキの根本には、アクセントとして彼岸花をあしらうことにしよう。 
植物はきれいに見られるようになるには、最低でも数年は掛かる。 
ホタルもそうであるが、手を掛けたから来年から見られる、と思ってはならない。
明日が有るかどうか分からない老人には、見られないかも知れないが、誰かが見てくれるだろう。
そんな夢見ながら、明日もがんばろう。

今日は、昨年から草むしりしている別荘の所有者(高校時代の先生)が、私園に立ち寄って頂いた。
帰り際に、自分もバカなことしているが、君はもっとオオバカモンだねと、励ましかな、お言葉を頂いた。 
また、村の一家が、全員で私園に遊びに来てくれた。 

皇紀2680年 9月28日

私園の作業はお休みした。午後から兼六園まで歩いて行ってきた。 いろんな思いがあるが、園内を一回りして写真記録だけ撮ってきた。


皇紀2680年 9月27日

朝からいろんなことして過ごした。 
午前中は土清水にある寺津用水脇のホタル水路の整備作業を手伝ってきた。
管理者の金沢市と近くのお寺の管理者と、金沢ホタルの会のメンバーが10人程寄って、水路に生育していた草と、
水路の上に覆い被さっていた用水側からの枝木を切り取って、水路に日射しが当るようにした。
2時間ほどで、明るくすっきりとした水路に復元した。 
実は12年前にも私も加わって、こんな形にしたのであるが、その後、
管理する方が居なくなったこともあって、ホタルがほとんどでない状態が続いていたのである。
きれいになった水路を確認したが、カワニナが見られなかったので、近くの道路側溝に棲息していたカワニナを採取して放流した。
来年は見られますかと質問があった。 今年はホタルが居なかったので、幼虫が居ないはずですので、
再来年以後になりますと。 来年は様子を見て、飼育した幼虫ではなく、成虫を近くの用水から確保して放してみようと言うことになった。
無論、この状態でホタルが少なくても飛翔が確認出来きれば、そのままにすることになる。
寺津用水も辰巳用水も犀川の分水であり、上流部に棲息していれば、幼虫が流れてくる可能性がある

作業前の状態                           整理作業後   ホタル水路が見える。


 カワニナの放流  小さいものが多かったので、大きいものも近く追加放流予定。

さて、雨に遭って濡れてしまったが、そのまま小松の私園に向かった。
昼食のおにぎりを食べて、土方と思うが、午前中の疲れもあり、あちこちを片付けながら、過ごした。
私園では、彼岸花が満開に近くなってきており、また、新しく、十月桜が咲き始めた。
来年の4月まで咲き続ける桜であり、村の人からはバカ桜と呼ばれているらしい。
その他に、白花の山茶花が咲き始めた。 まもなく金木犀も咲きそうである。
サルスベリがまだ咲き続けているし、寂しかった私園も少しにぎわいが出てきた。
しかし、尋ねてくれる人は、一人も居なかった。
さあ、明日はどうしようかな。 
内業もあるし、家に居たいが晴天となるようなので、朝の体の具合により判断しよう。
あちこちが直ぐに居たくなる一老人

 

皇紀2680年令和2年9月26日

朝から私園で、土方予定であったが、彼岸花が咲揃い始め、満開になると、
見学者が来ると、少し小ぎれいに掃除しておかないと恥ずかしいと思った。
一通りは除草してあるのだが、細かく見ると、あちこちにまだ取り残しがある。
そんな雑草取りと、農道沿いの苔山の掃除をしていたら、午後まで掛かってしまった。
おまけに3時過ぎからは、本降りの雨。引き上げることにした。
私園の彼岸花は、場所により開花時期が違っている。
農道沿いが満開になったが、川縁の見映えが良い所は、まだ花茎が伸び始めたばかりである。
一面に咲く絨毯のような彼岸花は見られないが、来月に入っても咲揃う場所もあり、何時来ても見られる名所になればと思う。
今年は、また、新しい場所に分球して増やしていく予定である。
基本は、農道より南側は彼岸花が咲き、北側は、姫岩垂草が下草のメインにしたいと思っている。

なかなか土方には、かかれない。
ケヤキの周りの片付けをして、来年に備えたいのだが、まあ、焦ることもない。
明日は、別の場所でホタル水路の清掃を手伝ってくる。 
ホタル水路は各地で造られているが、継続的な維持管理はなかなか難しい。
ホタルの会の仲間達と、久しぶりの活動である。雨かな?  

皇紀2680年令和2年9月24日
朝一番に私園に立ち寄り、彼岸花を撮影した。 
満開の部分もあるし、花茎が伸びる途中、そしてまだ花茎すら出ていない場所もある。
今度の日曜日が、私園全体としての満開と思う。

今日は朝から苔庭の清掃に行ってきた。
小さい雑草と、杉の枯れ枝が一杯あり、取り除いたら、緑の主にスギゴケの素敵な苔庭になった。
しかし、一雨毎に落ち葉が覆うため、来月に入ったら、またお掃除である。
明日は雨なので、ゆっくり一休み。 
週末は私園で、土方仕事しようかな?  何でもする手仕事屋

皇紀2680年令和2年9月22日

知人の別荘の階段を上ろうとしたら、何か落ちている。木くずかなと思いつつ、顔を近づけた。
なんと、カマキリさんであった。 慌てて携帯のカメラを向けた。
10センチ程に近づけたら、正面向いて目をきょろきょろ動かして、しかし逃げようともせずに踏ん張っている。
長く伸びた前足がその様子を示している。しまった。動画にすべきでした。
数分話しかけていたが、車に戻って帰ると居なくなっていた。 
いろんな動物たちと出逢うのが、庭掃除の楽しみでもある。  カマキリの友達

皇紀2680年令和2年9月21日

世間では4連休だとか、毎日草むしりしているものには、無関係である。
今朝は草むしりの後始末と、しばらく放置した施設周りの落ち葉を掃除した。
彼岸花は、明日の秋分の日に合わせて、かなり咲きそうな雰囲気気。でも少し遅れている気がする。
農道沿いが満開になった時を、私園の満開とするならば、週末になりそうである。
草むしりしていると、いろんな生物に出会える。 
ミミズは何時ものことであるが、茂みに沢ガニが沢山居て、嬉しかった。
普段は山や平地にいるので、水辺には産卵と幼生時に居るだけのようである。
さあ、明日もかんばろう。 カニのように草取り名人になりたい管理人

皇紀2680年令和2年9月20日
朝から農道沿いの草むしりを続けた。 アジサイの生垣の下に彼岸花が花茎を伸ばしている。
日陰なので、少し遅れて満開になる。
草に埋もれていたが、手むしりで何とか彼岸花と、その下にはタマリュウが顔を出している。
向かい側の斜面にはサツキの植裁に覆われる予定で、まだ小さいので、夏場は雑草に埋もれていたが、こちら側も全てむしり終えた。
今日はお客さんが3人来てくれた。 まだ満開ではないので、連休明けに来て貰いたい。
今年は他の所の整理が出来ていないので、2年後当りにまた来てくれたらと思う。
2日連続の草むしりで、手と指が痛い。 明日は休もう。



皇紀2680年令和2年9月19日
朝から私園に出かけた。 一週間ぶりなので、一回りした。ところどころに、ヒガンバナが開花していた。
無論、まだ大半は花茎すら出ていない所もある。 場所により、開花時期が違っている。
岩井戸の岩の上に咲くこの花達が、一番早い。
この連休の間に満開になると思うが、月末まで咲き続けているとも言える。
今日は一日手で草むしりをしていた。 草刈り機で刈ってばかり居ると、根株が残っていて、また生えてくる。
彼岸花を見に来る人が居るので、農道脇を小ぎれいにするつもりで、始めた。
農道沿いだけも、連休の間は掛かりそう。 しかし、多分、手が痺れて、明日までだろう。
コオロギが一杯居た。蝉の声が無くなり、コオロギの音に変わっていた。
秋を感じながら、まあ、のんびりやろうと思う。 草むしり人夫 



夜、BSで敗戦まで沈まなかった不沈艦 駆逐艦 雪風 に乗っていた元少年兵の話を見ていた。
父の若き日とダブらせながら、見ていたが、レイテ沖海戦の途中で見ることを止めた。
辛く悲しい、多くの人たちが亡くなったことを思い、辛くなったのである。
私園は、父が残して逝った 信濃 大和 慰霊記念園である。 
少年兵達と同じく父は生き残ったが、どんな思いを背負って戦後生きてきたのか、どんな思いを背負って逝ったのか。
明日は、最初に慰霊の墓参りから始めることにしたい。 父の子

 

皇紀2680年令和2年9月12日

昨日は私園に行って草刈りをしてきた。
 先日やったはずだが、もう30センチ程延びている。
まだヒガンバナは花茎を伸ばしていなかったので、私園の全体をなで回すように機械で刈り取っていった。
草は数日で枯れて、間から、するすると花茎が延びて、お彼岸の20日前後には開花してくれる。
私園は日向と日陰があるので、広い川原のように一斉に満開になることはない。
あわて者とのんびり屋が居るので、今月一杯は何処で咲いている。
一昨年に分球した苗を植えた一帯は狭いけれど一斉に咲いてくれるはず。 楽しみである。
今年の秋探しをしたが、まだ早い。
紅葉の梢が少し赤味かがっているようにも見えたが、秋は見つけられなかったし、気温も高い一日であった。
所用で町に歩いて行ったので、久しぶりに兼六園を一巡りした。

皇紀2680年令和2年9月 5日

超大型の台風9号がやって来て、そして10号と次々にやってきそう。
ただ、ルートが朝鮮半島であるので、強風は、心配していないが、
フエーン現象になり、高温になると乾燥で、木々が枯れることが心配であった。  
しかし、4日に26oのまとまった雨があり、私園全体が潤っていた。
ケヤキの木々も、黄緑色の枯れた後に延びてきた新葉が、増えてきた。
幹の周りの掘り返しと堆肥の詰め込み、そしてヒメイワダレソウの植え込み作業は、漸く2/3が終えられた。
後は、砕石や砂の置き場にしていた部分を運び出して土地の透水性を確認して終わりにしたい。
もうそろそろ、ヒガンバナが花茎を伸ばしてくるので、そちらの整備にも掛らなければならない。
まあ、今年の花には期待できないが、新コロナの騒動が収まった来年は、すばらしい私園で、みんなで秋を楽しみたい。

皇紀2680年令和2年9月 1日

今朝は、旧鳥越村経由で私園に向かった。 途中の一向一揆の舞台であった鳥越城跡を尋ねた。
今日の目的は、城跡ではなくて、城から西にある火燈山を見たかったためである。
この山頂には、織田方の軍が、小松方面から押し寄せた時に、故郷にあった、岩淵城、仏ヶ原城、岩倉城、
そして、鳥越城を結ぶ通信回路として、烽火台が整備されていたのである。
火燈山にまだ登坂していないが、私園の背後山地にある烽火台と鳥越城が東西に見渡せる山なのである。
しかし、鳥越城からは雑木が茂り、見渡すことが出来ないと分かった。
ロードパーク中海の里当りから烽火が上がり、岩淵城で中継して仏ヶ原城の兵達が、尾根伝いの烽火台で火を掲げて、
気づいた火燈山の守備隊が火を焚いて、鳥越城に織田軍来襲を報告したものと思われる。
何時か故郷の人たちと共に、こうした地点に火に似せた旗を揚げてみて、それぞれの地点から見える様子を再現したいと思っている。
今回は、その第一歩の下見である。 朝早くから、若い女性三人組が山城を見に来て居られた。 

さて、私園に着き、水撒きと次の場所の土起こしと堆肥を敷き詰める作業にかかった。
先日植えた区画のヒメイワダレソウは、もう根付いて居るようである。 まだ半分位で、あとしばらくがんばろう。
ここで電話が入ってきた。 
明日行く予定の病院で新コロナ感染者が出たので、3ヶ月後に来て欲しいとの連絡であった。
本当に身近な所まで感染が広がっているようで、心配である。

 

皇紀2680年令和2年8月27日

お盆明けから隔日で私園に出かけて、ケヤキの水不足対策におわれていた。
木の中心から5m程離れた枝先の真下に、スコップの幅の穴を10箇所余り手掘りした。
そして帰る頃には水を満水にして帰ることを繰り返した。一日置いた朝でも50p程深さでは、全ての穴の水が溜まったままであった。
つまり、透水出来ないことが判明。また、20p程までは土が硬くなっていて、表面からも水が浸透していないことも確認できた。
さて、どうすべきか 思案していたが、それぞれの穴を、後80p程まで掘り下げた所、張った水が浸透していくことが分かった。
それぞれの穴に、堆肥囲いで造った堆肥を、詰め込んで埋め戻してみた。
一方、掘った穴の内、山側半分程は堅く締まっていて、透水性が全くない。
この後、もう少し掘り下げて、水が通るまで頑張ることにした。
透水性が確保できた半分の土地には、実家の庭に生えていたヒメイワダレソウを植えることとし、作業は途中である。
今年は根付いてくれるか心配であるが、この草が繁茂すれば降雨の度に雨が浸透して根が伸びると、
通気性、浸透性も改善できるので、ケヤキの樹盛回復に役立つと思う。
 ただ、今年の葉については難しいが、枝先に新葉が残っているので、枯死はしないと思う。
3年程で元のように生い茂った欅の日陰で、のんびりしたいと思う。
明日また、半分の穴掘りと整地にがんばろう。

私園では今、タカサゴユリが満開となっている。
テッポウユリと思っていたが、ニュースで外来種のタカサゴユリが問題となっているとの報道があり、
調べてみたら、花の外側に紫色の線があり、タカサゴユリと判明した。 
さあて、困ったね。 増えてくれればと種を自然に蒔かせて来たが、どうしたものか。思案中。
そしていよいよ、ツルボの群落でも一杯花茎が延びてきた。満開は9月に入りそうであるが、楽しみである。

皇紀2680年令和2年8月16日

朝からケヤキの枯死を防ぐために、地面に穴を空けて水を流し込み、
堆肥と牛糞を混ぜて、掘り下げた跡の土の表面を、軟らかくすることにした。
堆肥や牛糞を混ぜておくと、ミミズが集まってきて、ミミズが居るようになると、今度はモグラが穴だらけにしてくれる。
結果として固く締っていた粘土や砂質土が、軟らかい砂壌土化していく。 
そうすると、欅の細根が蔓延るようになり、雨が降ると水が地下に浸透するようになり、
通気性が良くなり、水不足にはならなくなるはずである。
掘ってみると、最後に盛り土した砂質土も、非常に堅く締っている。
堆肥化するために積み上げた草や落ち葉は、まだ完熟はしていないが、地山を掘り返して混ぜ込むこととした。
欅の根が広がっている範囲は半径5m程の円なので、8月一杯は掛かりそうである。
今日はお盆の墓参りに、姉夫婦と妹夫婦、姪夫婦と子供達が来てくれた。
しかし、コロナのこともあり、余り長くは話さず、離ればなれの会話で早々に帰って頂いた。

皇紀2680年令和2年8月14日

ケヤキの枯死を防ぐために、この数年盛り土してきた土をはぎ取って、水や空気が木の根に届くようにすることにした。
一番根本に近い盛り上がった通路をスコップで掘り起こした。
義兄が昔張ってくれた園路としたタイル張りのコンクリートが見つかった。 これでは雨水は通らない。
電話して、発電機と削岩機を持ってきて頂き、破砕して取り除いた。幅1.5m 長さ2m余りのコンクリートを取り除いた。
その周囲に東屋を作る時に均した砂をはぎ取った。 
4m角位の土地が低くなり、その下の地山に削岩機のドリルで穴を空けて通気性を確保した。
帰りしなに、その凹んだ部分に散水ホースで水を張った。
木の周辺部について同じことをして、根が張っている土層に、水と酸素が行き渡るようにしていくつもりである。
今年の葉は大半が落葉すると思うが、水が行き渡れば、新芽が延びてくると思う。
明日、16日 朝から頑張ろう。

 

皇紀2680年令和2年8月12日

草むしりの続きを開始してた。 お盆前の最後の作業日となったので、再び草刈り機を使用した。
ヒガンバナが顔出す前に刈り終える必要があったので、残っている川縁と農道沿いの土手の草を一気に刈り終えた。
中には、これから咲くはずの野菊もあるのであるが、多分刈り終えた後から延びて花を着けてくれるはずである。

ツルボの咲く所を見たが茎が伸びていない。 今一昨年の記録写真を見たら、9月半ばに満開となっており、
花茎を伸ばすのは9月に入ってからと確認でき、ほっとした。

今、心配なことが起きている。 私園の主木である欅の大木の葉がおかしい。
8月に入ると落ち葉が目立ち、葉全体が萎れている感じがしている。 
欅の大木の手前の通路は、喜多庵へのアプローチとして車の通れるように踏み固めた。そのために20p程盛り土をしてきた。
これが良くなかったようで、根が広く広がっていた上に蓋をしてしまった形となったようである。
水分と空気が通らなくなり、細根が枯れつつあるものと推定した。
明後日からは、固めた通路の土を掘り返して根を確認すると共に、通路部の盛り土を掘り起こして通気性の回復をはかることにした。
間に合ってくれればいいのだが。 
木は水分が足りなくなった場合には自分で葉を枯らして蒸散を調整して本体の木を守るらしい。
今年は難しくても、来年には生い茂る姿に戻したい。

皇紀2680年令和2年8月10日

一昨日 8日にお盆の前に、生家の周りの草むしりと、お墓の掃除を行ってきた。
今回は草刈り機ではなく、手で全てむしり取った。
草刈り機でしても、根株が残っているので、直ぐに再生してしまうのである。

お墓は故郷の方が通路の階段部などを水洗いして頂いていたので、我が家の墓だけを掃除した。
今年は、新コロナで誰も来ることはないのであるが、付着した苔や雑草を取り除いた。
ワイヤブラシで擦り、散水ポンプの水で洗っていたが、今回は手でしただけである。

そして今日は、草むしりの続きである。 8日には草刈り機を使ったが、少し調子が悪いので、朝から手で草むしり、
ヒガンバナを新しく植えた範囲を、手で雑草の根から抜き上げて、堆肥囲いに運んだ。
雑草の中の地山には苔が繁茂しているが、根から抜き上げるとほとんどの苔は起きてしまった。
3時を過ぎると、オロロが噛みついてくる。 夕方程ではないが、噛まれると痛い。
4時前であったが、帰宅することにした。 
楽しい声が聞こえていたので、橋の上から、川遊びしている村の子供達を写した。
昔は堰の上にもっと良い川遊び場があったので、30人程の子供達が遊んでいたのである。
こんな光景を、何時までも残して行ければと思う。 草むしり老人 


 皇紀2680年令和2年8月6日

猛暑となってきた。今日は35度cを越えるとのこと。 苗床のサツキが心配になり、水撒きも兼ねて出かけた。
喜多庵で作業体制に着替えて、川側を眺めたら、橋の手前にナツスイセンが満開となっていた。
姉の家から移植したもので、さらにアジサイの回りに分球したものである。

さて、そろそろツルボが花茎を伸ばす時期であり、その前に雑草を草むしりすることにした。
ツルボの群落は農道を挟む両岸にあり、まだ花茎は見られないので、手で草むしり。
上流川縁側に移ると、もう一本咲いていた。他には全く見られないのに、もう満開であった。
注意しながら、周囲の10m2を手で草むしり。 妹夫婦が遊びに来た。早いお昼を兼ねて喜多庵で休んだ。
町内に住む従兄弟が、作業の途中で通りかかった。
農道と、その横の高台にある喜多庵との間で、楽しい会話が続いた。
また、サルの群が やって来ているようで、被害の話しが出ていた。
私園には食べられ
る食材はないので、被害にはならない。
やがて妹たちも帰り、午後の作業となった。 
草刈り機で上流側を撫でるつもりだったが、上流側の土地境界の土地から、
クズを中心に蔓性の植物が侵入しているのが見られたので、草刈りの前に処理することとした。
クズは一日で1m近く延びるので、以前に一度しても直ぐに侵入して、草刈り機に絡むとやっかいなことになるのである。
何とか終えたが、もう3時近い。水撒きをして帰ることにした。
まだ萎れている木々が見られなかったが、日射しが強いので、補水しておくことにした。
小一時間かかり、サツキ苗木畑まで、撒き終わった。
さあ帰ろう。オロロが活動を始める前に。 しかし、帰りの車の中に2頭入り込んできた。
今朝起きたら、雨降り。天気予報を確認しておくべきだったかな。 ムダなことしたかな。 管理人

 

皇紀2680年令和2年8月1日

梅雨明けと同時に暑くなってきた。 1週間振りに私園に着いた。 一周りしたら、百日紅の花が咲き始めていた。
私園で植木屋らしいことを始めた最初の木であり、枯れかかっていた木とは思えない程これからも咲き続けてくれる。
タブの古葉が大量に落ちている。 まずこの落ち葉の清掃から始めた。
この数年で管理人が植えた、各植樹の周りの草むしりから始めた。機械で刈ると傷つけてしまうから、刈り残していたのである。
午前中一杯掛かった。、喜多庵でサンドイッチを食べて昼食とした。
午後は草刈りを始めた。農道の下流側をまず刈り終えて、用水路沿いの斜面の草刈りも済ませた。
生産組合が刈りに来るのであるが、カンアオイの群落が隠れているので、管理人が先に刈り取って置くことにしたものである。
原町の生産組合は、先日岩倉城跡の整備に来られた人たちと大半が同じである。
出来るお手伝いは、させて頂く。 県管理の公園の草刈りも終わっていた。 きれいになってお盆を迎えられる。
帰ろうと車のエンジンをかけると、一斉に寄ってきた。
オロロ。 イヨシロアブである。 これがやっかいなのである。 
昼間は活動しないので、朝夕だけ、出来るだけ居ない方が良い。
帰り道、気になっている原町の黒瀬谷の奥まで見に行った。 
先日仏御山登山のために車を止めた場所に着いたら、夕方なので、車の外は、オロロの大群に取り囲まれた。 
とても外には出られない。 直ぐにUターンして家路に着いた。

 

皇紀2680年令和2年7月31日 

月末になって、漸く梅雨が明けそうな気候になってきた。
久しぶりに自宅と、隣の妻の実家の庭の草むしりを済ませることにした。
明日からは暑くなるし、本格的な夏になるはずである。
実家の裏にはゼニゴケが生えていたが、アパートが無くなり、日射しが当るようになったら、枯れてくれた。 
それは良いが、逆に草も沢山生えるようになってきた。昼過ぎまで2時間程で片が付いた。
明日はもう、8月になるのである。
明日は一週間ぶりに私園に行くことにした。 先に刈り取った所も、もう某々になりつつあるはずである。
月半ばになると、ツルボが花茎が延びてくるはず。その前に群落のある一帯の草むしりをして上げたい。
今、何にも花がない私園であるが、ヤブランが花茎を伸ばしており、お盆頃まできれいな花を着けてくれる。
そうこうしている内に、ヒガンバナが伸び出すので、その前に草刈りを済ませておかなければならない。

昨年の夏に、頂いてきたモミジのベニシダレの手向山、しっかりと根を張ってくれたと思うが、
本格的な夏を迎えて、無事に秋の紅葉を迎えられるか心配である。
天候を見て、場合によっては少し葉むしりする必要があるかも知れない。
暑い夏、私園でのんびりと出来る範囲の作業して秋を迎えたい。
7月末日  管理人

 

皇紀2680年令和2年7月26日

8時に原町公民館前に集合して町内の人たちが、岩倉城跡への遊歩道の整備をなされるのに、参加させて貰った。
小学校の同級生や親戚も居たが、大半の方は、初めてお会いする方々であった。
でも、気持ちよく加えて頂き、年寄りなので、遊歩道の急勾配箇所に階段を追加する、文化財保護班の一員となった。
登坂道の入口まで、軽四の荷台に乗り、みんなで移動した。入口にはクマの生息地らしく、捕獲檻が設置されていた。
しばらくは重機が通った道もあるが、途中から杉林の中の坂道となった。 クマの話が多く聞かれる。
史跡公園になっている上部に着くと、分かれ道があり、周回園路らしい。 其処に案内看板をまず設置した。
杭を打ち、看板を設置するが、斜めの支え杭がないと、クマに直ぐ倒されるとのこと。
縄張りの中に新しいものを見付けると自分の縄張りの匂い付をするようで、倒すつもりではないと思うが、
クマが寄りかかれば、倒されるようである。
次に急勾配部にプラスチィック製の土留め板を立てかけて、鉄筋のアンカーボルトを打ち込んで固定する。
上側の窪地に両脇の土砂をさらえ込んで、踏み固めて、階段の完成である。
今年は20枚用意したので、下から順番に設置していく。 
坂道は長いのでまだまだ続くのであるが、みんなで来年だ、来年の仕事だと言うことで、一番高い所の本丸跡の広場で休憩。
城跡には、若い別働隊の草刈り作業班が着いていた。 しばらく水分補給しながら、みんなでお話し合い。
今日は午後には雨になる予報だったので、早く降りようとなり、直ぐ直下にある八手観音堂に向かった。
お参りを済ませ、外壁がクマに壊されている被害状況と、対策方法をみんなで検討して居られた。
20年程前に石づくりの観音様に、それを覆う瓦葺きの立派な観音堂を作られたとのこと。
全ての材料を遊歩道を使って、みんなで担ぎ上げて、完成したものであるとのこと。
広場にも東屋風の小屋もあり、遊歩道の各所にある石柱や木製の階段も、みんなで作ったものであると。
故郷の皆さんのこれまでの労苦に、頭が下がる思いであった。
後何年間、お手伝いが出来るか解りませんが、出来る限り参加をお願いした。
11時には、公民館前に着き、解散した。 持ち帰りとして缶ビール2本を頂いた。
 
私園に戻り、弁当も用意していたので、食べて身体を休めた。
昼から何しようかと思っていたら、義兄が手伝いに来てくれたので、
春から伐採した樹木の幹の長い丸太を、20p程に、短く輪切りにして貰った。
これくらいだとクサビで割ることが出来るので、園の焼却炉で薪に出来るのである。
3時頃には終わり、積み上げて家路に着いた。 
楽しく充実した疲れで、月曜日はのんびりしていた。


 

皇紀2680年令和2年7月25日

まだ梅雨が明けないままになっている。今日は私園で作業することにした。
大きな雨にならなければと思うが、梅雨前線がもろに停滞している感じである。

土曜日は、農道沿いの残してあるアジサイの剪定を済ませた。
日曜日は故郷の人たちと一緒に、岩倉城跡の登山道路などの整備作業に加えて貰うことになっている。
若い人たちも居るようなので、邪魔にならないように、迷惑をかけないようにしてきたい。
皇紀2680年令和2年7月19日

今日は朝から忙しい一日だった。 早朝に庭の草や花が咲き終わった茎やキュウリの剪定した葉や茎を袋に詰めた。

 そして次は犀川河口部で写真撮影を済ませて、私園に向かった。ゴミを堆肥山に積み、そして山に登る沓に履き替えた。

  原町の黒瀬谷の奥にある仏御山に、登ってみようと考えていたのである。昨年、鉄塔の高圧電線の取り替え工事が行われていた。

   その工事の作業基地が、黒瀬谷の鉄塔線が通過する真下の谷筋に設けられていた。

先日からその工事の仮設道路から地表水が流れ出し、渓流が荒廃しつつある。

 この鉄塔真下に行けば、鉄塔のある尾根に登る巡視路があると考えたのである。

  谷間から鉄塔は見えるが、登る道はない。しかし、見えているわけだからと、急斜面に突撃した。

   簡単に上れると見たが、トゲが一杯着いている木が繁茂しているため、手で掴めない。

    悪戦苦闘して、漸く、鉄塔敷きの尾根の平坦部に辿り着いた。

加賀東金津線No.61号鉄塔と表示されていた。北側の隣のNo.60鉄塔がある尾根が目的地の仏御山である。

 鉄塔のある尾根では、架線の下の樹木の伐採が行われていた。それ故に南北方向の見晴らしが利く状態となっていた。

  鉄塔の東側の尾根筋に、巡視路が見つかった。

   しばらく行くと鞍部があり、南へ行くとNo.62鉄塔へ、東側の尾根筋へ辿れば、No.60鉄塔へ行けるとの表示があった。

尾根筋の道を東へ辿ると、私の予定している観音山と番谷山を結ぶ尾根筋に出た。

 番谷山へ向かう尾根筋には道はないが、比較的歩きやすい平坦な尾根道と解った。

  一方、北側に向う巡視路は、とても歩きやすい尾根筋である。

   のんびりと、しかし、実際はクマやイノシシに会わないか、心配しながらの単独行であった。

    クマ除けの鈴を手で振りながら、クマたちに聞こえるように、こんにちわ と挨拶しながらの歩行であった。

一旦尾根から外れた所に、No.60号鉄塔があった。 

 しかし、鉄塔敷きはススキが繁茂し、架線の下には灌木が茂り、見通しは全く利かない。

  No.61号の伐採作業が終われば、8月にはこの鉄塔に移動して掛かられるものと思うので、

   次に来る時には見通しが利く気持ち良い休み場となろう。

ここから巡視路は仏大寺側の谷に降りているはずである。 確認に行くが薮となっているようである。

 困ったなあと思いつつ、今日の目的は仏御山のピークを捜すことであるので、尾根筋に戻ってみた。

  そうしたら、鉄塔から尾根筋に巡視路がある。これを辿れば、No.59号鉄塔に別れた尾根筋まで辿れると確信した。

   この尾根筋のピークが、予定している仏御山の最高地点となるのである。 

    今回は、ここまでとし、元来た尾根筋を戻ることにした。

No.61鉄塔の手前の沢に至る分岐部で、No.62号鉄塔へ向かう沢筋に降りた。

 沢に沿ってしばらく降りると、No.62号鉄塔への巡視路の分かれ道があった。

  さらに沢道を下り、谷を渡る橋を通り、黒瀬谷林道へ出た。

   車の駐車地点は少し奥なので、歩いて無事に今回の山行を終えた。

 

私園に帰り、午後からは予定していたアジサイの剪定に取り掛かった。

 4時過ぎに農道沿いを除いて剪定完了とした。農道沿いのガクアジサイはまだ真っ盛りなので、来週以後に持ち越した。

  朝からの作業と山行、剪定で疲れ果てたが、無事家路に着いた。 

 

皇紀2680年令和2年7月17日

早朝から私園に戻り、落ち葉の清掃から始めた。入口の苔山は、コケ山になっていた。

苔の下から白い大きなコケが生え、苔を持ち上げる。取り除いたり、踏み潰したりして何とか元のみどりになった。

東屋やバーベキュー小屋の石張りした部分を、ポンプの水で洗い流した。

木々の周りの草むしりをしなければならないが、湿気が多いので、梅雨明け後にすることとし、早めに帰宅した。

 

今は紫陽花が満開である。ガクアジサイとホンアジサイ、ヤマアジサイが混じっているが、農道沿いや敷地境界沿い、水路沿いなどに

一列に寄せ植えしてあるが、もう2列程アジサイコーナーを作りたいと思う。

私園には3種類のアジサイがある。 良く見かけるホンアジサイとガクアジサイそしてヤマアジサイである。

我が家の庭にあったガクアジサイとホンアジサイの枝の挿し木で作ったものと、

姉の家の庭から撤去して株分けしたホンアジサイが、混じっている。ヤマアジサイと思っていた木はタマアジサイのようでもある。

色は、土壌のpHによって変わり、堆肥を施した株と灰を根本に撒いた量に変わるようで、同じ種類が株毎に違った色にもなっている。

 

皇紀2680年令和2年7月12日

雨続きですが、10日は午後から私園の草刈りをして帰りました。

11日は朝から大杉で、苔庭の草むしりしていました。

夕方から、ヒメボタルの居る大杉谷の林道の最奥部まで行ってみました。

この林道終点は、小松市と勝山市の境界にある大日山1368m への登山口の一つでもあるのです。

大日山へは5時間程かかるそうなので、登山は難しいようであるが、大杉谷はとてもきれいな渓流であるので、

ヒメボタルが他の地点にも居るのではと思っており、車で行ける状態の確認に行ってきた。

林道は終点まで良く整備されており、特に危険な所はなかった。しかし、林道にはいると携帯は圏外となった。

 

長い林道の中間地点まで戻り、暗くなるのを待つことにした。

8時を過ぎるとかなり暗い谷底であるが、ヒメボタルは9時から10時過ぎまでが光る時間なので、8時半まで待機した。

降りてみたら、谷側にゲンジボタルが1頭飛んでいる。これは嬉しい歓迎である。

ヒメボタルは林道より山側の杉の植林地の下草や低木の間に居て、オスは低く飛翔するが、あまり高く飛ぶことはないとも言われている。

メスはほとんど飛翔しないので、地表面にやや青白く光ると言われている。

林道口まで、少し走って停車して、ライトを完全に消して、しばらく待つ。

これを繰り返して、以前尋ねた生息地までおりながら調査した。

やはり、ゲンジは川が近くなる場所では、数頭匹点々と確認されるが、数は多くはない。

一方、山側の斜面の光はなかなか見つけられない。 生息地で10時まで待機していた。

やっと2頭、ゲンジと光るパターンが違うものが見つけられた。

掴まえて確認しようと思い、ライトを当ててみたら、道路の崖の上で上れない。

また、一度ライトを当てるとなかなか光ってくれない。 

結局ヒメボタルかどうかは解らないままに帰宅することになった。

大杉町の川辺でゲンジを捜したが、あまり棲息していないようである。

 

今回の調査では、昼間、原町のど真ん中で、堂々と道を歩いている離れザルと出逢った。

地元の人たちは、あまり悪さをしないので、追い払うことはしていないらしく、サルも普通に人と暮らしているようだった。

赤瀬ダム付近では、昼間と夜の帰り道で、キツネさんと出逢い、突然飛び出したタヌキさんとぶつかりそうにもなった。

故郷では、クマが多く目撃されており、夜行性のイノシシも怖いが、今年はまだ遭ったことはなかった。

無論、林道沿いの山林は、彼らの住処なのである。 迷惑はかけないよう、気を付けて行きたい

 

紀2680年令和2年7月5日

晴れてきたので、久しぶりに私園に向かった。しばらく川辺や今満開となった紫陽花の花を見回り、のんびりしていた。

10時の一休み後に、梅の木の剪定に掛かった。 1本だけ大木となっている白加賀の木に登った。

取りあえず、徒長枝を全て根本から外すことにした。 1m近く伸びた枝を切ると一回り小さくなった。

もっと要らない枝があるのであるが、それは冬に行うこととし、兼六園などでも行われている収穫後の剪定のまねごとをした。

今年も50個程度実が付いたが、収穫はせずに落ちるままにした。

花は沢山咲くようになったし、花粉木として植えた鶯宿梅や豊後梅や枝垂れ梅なども一回り大きくなっているので、

来年以降は、他花受粉で実が沢山成るようになると思う。 来年は梅ジュース飲めるかな。

そのまま残り、故郷のホタル見ようかなと思ったが、年である。久しぶりに木に登ったので、腰が痛くなった。

 

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 6月25日

しばらく晴れが続き、花木が萎れ始めていた。挿し木苗のような植え替えた木や草は、実生の植物と違い、主根が無く、根が浅いため、水分の補給が間に合わなくなる。

庭木や畑の場合には、その際に人が散水して助けているのであるが、自然な樹木園を目指している私園では、基本水やりはしていない。

しかし、枯らすわけにも行かないので、夕刻一回りして水やりも考えたが、明日、明後日と雨になるとのことなので、我慢させることにした。

ずぼらと言われるかも知れないが、植木の基本は、植樹する時には、タップリと水締めするのであるが、その後は散水はしないものなのである。

ただ、サツキやアジサイを植えた土壌は、岩だらけの造成地であるので、天候を見ながら、散水ポンプで補給することもしているわけである。

今年も暑い夏が来るという。 そんな所に植えた者の責任として、散水は必要なのである。

植物は乾燥すれば、一所懸命根をさらに深い所へ伸ばし、葉からの蒸散を減らすために萎れたり、一部の葉を枯らして自らの命を守るわけである。

午後には雨になるらしい。 数日休んで、日曜には富山に久しぶりに遠出することにした。

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 6月24日

今日は私園の作業で、朝からサツキの剪定をしていて、夕刻に漸く全て刈り終えた。

しかし、体の調子が惜しくなり、やむを得ず、ホタルを見ることなく、家路に着いた。私園と大日川のホタルは、また今度にします。 

作業中にサツキの薮の中にトックリ形のススメバチの巣があり、触れてしまった。

目の前にハチが飛び回り、身動きせずに巣を確認して離れた。

まだ、女王バチ1頭なので、良かった。確認したら小型スズメバチであった。

さあどうしようかな? しばらく様子を見て考えることとする。スズメバチやアシナガバチなどは、人にとっても益虫なのである。

 

 

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 6月 2日

 

今日は、小松市大杉町にある別荘の、苔庭の草むしり清掃の、続きをしてきた。 

元々は水田であった所に、杉が植えられて棚田状態のまま、杉林となり、林床に苔が繁茂している。

平坦地の間には昔の畦や斜面が、そのまま崖の状態であり、いろんな植物が生えている。

フキとカタハ、ミョウガなど、所有者の指示を受けて残し、他の植物は駆除する。

後、2日間位は掛かりそうである。明日は休んで、明後日で目処を付けて、最後の仕上げに一日を予定している。

 

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 5月26日

今日は、姉と二人で、小松の山中の別荘の、庭掃除をしてきました。

別荘の周囲は杉林で、下草は少なく苔むした広い空間となっています。

様々な種類の苔庭となっていますが、それ以外のいろんな雑草も繁茂しているのです。 

苔や特定の野草を残して、雑草を手でむしり取っていきます。

とても辛い仕事ですが、合羽のズボンを穿いて最初から居座りのような姿勢でやると、腰や膝には負担になりません。

でも午後の3時を過ぎると、疲れ果てて、手の握力が無くなります。 目処が付いた段階で止めて、家路に着きました。

後は、通路沿い等を草刈り機で刈り取ることで、夏までは持ちそうですね。

杉木立の中なので、日射しが弱いので、雑草の生育は遅いのですね。 

別荘の所有者が来た時に、カラスに餌をあげているようで、お昼を食べていると、二羽が人の直ぐ傍まで昼食のお裾分けを欲しがります。

初めは、上げるとくせになると思うが、じっと見つめられると、甘い顔してしまいますね。

 カラスの番人

 

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 5月20日

 

朝から、私園の中と、外回りの草刈りを行って来た。 

野ブキの生えている部分を刈り残していたのと、用水路の両岸はそのままにしていたのである。

いつもの年ですと、この時期までに野ブキ取りが来るし、姉たちもふき取りに来て遊んで行くのである。

今年は、全て自粛しているので、誰も来ないので、全て刈り取りすることにした。

用水路沿いの斜面には、カンアオイの群落が新しく見つかっていたので、まず、群落の周囲だけ、手とハサミで掃除した。

そしてそれ以外の斜面を、草刈り機で刈り取った。

新しい群落が3カ所有り、以前から有る群落でも、周辺部で種が発芽した新しい個体が見つかった。

今年も食べられた葉がなかったので、ギフチョウはここの群落には気が付いていないのだろう。

でも群落が大きくなれば、ここで卵から幼虫が育ち、成虫が羽化して飛び回る日も近いと思う。

 

新しく借りた土地の周りの草刈りも終えて、一段落である。来週からは土方に戻ろう。 

今朝嬉しいことがあった。来多庵の傍の土手に変なものがある。

何だろうと良く見ると、蛇の抜け殻である。

アオダイショウの結構大きな個体の抜け殻であり、脱皮後には1m近い長さがあると思う。

嬉しくなった。何にも居ない私園だと思っていたが、蛇が居ると言うことは餌の小動物もいるし、自然に近い野だろう。

欅や常緑のシラカシの木を見上げたら、葉が何かおかしい。

毛虫たちが、葉に一杯着いているようである。 

小さな苗木に着く青虫や毛虫は、ごめんなさいしているが、他の木々はそのままにしている。

アシナガバチやスズメバチが巣を作っているので、いずれは虫たちを食べてくれるはず。

自然の摂理に任せようと思う。   第三者の管理人

 

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 5月16日

 

サツキが1本だけ咲いていました。他の蕾も後暫くで咲揃いそうです。

 

 今夜も同じ用水路を確認してきました。 今夜は先日よりはるかに多い30頭程光ってくれました。

大半は水路の反対側なので、詳しくは見れませんでしたが、1頭だけ遊歩道側に上陸した個体があり、

確認した所、細長いことから、ヘイケボタルの幼虫と確認できました。 

ゲンジは既に上陸が済んでいるのかも知れません。

ここは後一月もすれば、成虫が飛び回るはずです。 楽しみですね。

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 5月13、14日 

2日間 私園内の草むしりをしていた。 

粗方は草刈り機で終えたが、植えた木々のある付近は苗木を傷つける恐れがあるので、そのままにしていた。

手で毟り取っていたが、午後になると、手が痛くなる。

途中で、生家の周りの草刈り跡の後始末に掛かったり、雑多なこともしながら、何とか終えた。

サツキと、まだ咲いていないがアジサイの植え込み箇所をすっきりさせた。

来週からは、再び川縁の土方に掛かりたいと思う。 

本当は木の剪定にも掛かりたいのだが、やらねばならないことが多く、その日暮の作業に追われている。

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 5月 11日 

旧道の路面に堆積していた土砂の仕上げの掘削を行い、最後にエンジンポンプの送水により洗い流して完了とした。

これで当分は大雨が降っても旧道の地表面水は農道側へは流れ込むことはなくなり、

轍が浸食されることも排水路が洗掘されることもなくなるはずである。排水は溜め枡に流れ込み、用水路へと放流される。

旧道の一部が歩道として残されているが、その機能が回復した。早速おばあちゃんが自転車で通って行かれた。

山茶花側に残る土もいずれは処置して私園の外園路の一部として活用していきたい。

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 5月 8、9日
この2日間、土方工事をしていた。私園は、国道の旧道部とそれに続く農道の両側の土地である。



大きな雨が降ると、旧国道側の雨水が農道に流れ込み、未舗装の農道の轍が浸食されることが度々繰り返されてきた。
道路構造上、仕方ないことと思っていたが、良く見たら、旧国道側の雨水は、
道路の勾配に併せて流下して、用水路へ流れ込む暗渠排水があることが判明した。
道路改良により山側を掘削して新道が完成した時に路面と旧道の排水を流す施設が造られていたのである。

しかし、農道から先の旧道は誰も使わないために、泥の堆積と草が生えて排水機能が無くなって居たのである。
最大10センチ程泥が溜まり、排水路が見えなくなっていたが、この2日間で約30m、幅1.5m程の土砂を取り除いた。
今夜からの雨は、排水路に沿って流れ、農道や私園側に流れ込むことは無くなった。

もっと早く気付くべきであったが、先日から県有地側の草刈りもボランティアでしている過程で、気が付いたわけである。
私園の隣地で作り物をしておられるおばあちゃんも、これからは舗装された旧道を利用できるようになった。

久しぶりに根を詰めて力仕事をしたので、明日はお休みとする。

行き帰りの山路の斜面では、タニウツギが満開になっていた。季節はどんどん進んでいる。

 

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 5月 6日

午前中は雨が少し残っていたが、午後に同級生と会う予定があったので、朝から出かけた。
午前中は隣接している旧国道の草刈した枯れ葉を集めて、堆肥山に積み上げていた。
午後は、木々の周りの刈り残し部分を手でむしり取り、草に埋まっていた花木の苗を救出した。

カラスノエンドウが、大繁茂している。匍匐して広がり、木に当たると立ち上がり、小さな苗木は覆われてしまう。
マメ科でレンゲと同じで同じような花も咲くことから、肥料にもなるのであるが、種が出来てしまうと、
来年さらに酷くなるので、花が咲いている段階で、毟り取ってしまうことにしている。

中学の同級生が二人、3時頃にやってきたので、久しぶりのマスクしての会話をしながら、
出来なかった今年の春の観音山登山を、今後どうするか相談した。
新型コロナ騒動が収まった後の10月過ぎに、火燈山480.9に、数人で登山することを、今後相談することで別れた。

私園内では、平戸ツツジが数カ所の父が寄せ植えした株が、満開に近づいている。 
そう言えばフジの花も満開であった。藤棚を造る予定が未完成なので、立ち上がった木から直接垂れ下がっている。
小さいけど、藤棚を造ってあげないとかわいそうである。

10日過ぎには、久留米ツツジが咲き始める。そしてサツキが咲き始めて、6月の紫陽花の開花へと続く。 
私園では、いろんな花木や山野草が、次々と咲いてくれる。
ただ、それぞれの植わっている場所で、時間的、空間的に、部分的な開花であるので、一面に咲揃うことはない。
それ故に今風に言えば、インスタ映えする景観では、けっしてない庭なのです。
管理人

 

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 5月3日  

兼六園菊桜が満開となった。 平成15年に植えたので、もう17年経った。 

高さは5m位、太さは15p程に 大きく育ったが、まだ若木なので、葉が先に大きく茂るため、花は真下から捜すような花模様である。

個別の花は、細かい花弁で250枚以上有るものをケンロクエンキクザクラと呼ぶらしい。

この木は、石川県に申請して頂いたものであるので、間違えはないはず。兼六園の2代目の桜が枯死したので、3代目の桜とほぼ同じか少し大きい位である。

私園の大事な花木として、末永く世話していきたい。

 

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 5月 2〜3日  

午前中は、残りの畝に、サツキのポット苗を植え込んだ。ほぼ一杯になり、数えてみたら、103本あった。
一年間で、どの位大きくなるか、楽しみである。来春に花を着けてくれたら、改めて、区分し直しである。
サツキ 一重苗、八重咲き ノトキリシマ 一重苗、二重苗 キリシマ 二重苗    
この五種類に区分できるはず。 それぞれにビニールテープで、色分け区分することにしたい。
また、今年もキリシマについては、それぞれ新しい挿し木をする予定で、根付きしたら、新しい畝を造って植え替えることにする。
この他に、本サカキの挿し木も試してみたい。

午後からは、草むしりに励んだ。植えた木々の周りを中心に、根から引き抜いて回った。
3時前には手の握力が限界。 一休みして草刈り機に持ち替えた。園の外側の通路と、農道沿いを何とか刈り終えた。
園内では、3箇所の平戸ツヅジが、咲き始めた。
遅れていたケヤキに漸く新芽が出始めた。青葉が広がる頃、私園には大きな日傘が被ることになる。

3日 午前中は、苔山の落ち葉と色々生えた草取りに励んだ。午後は、残りの草刈り農道より南側と川縁を撫でつけた。
仕上げの手毟りと、積み上げは。連休明けかな?
明日からは挿し木の準備に掛かろう。これは金沢の自宅の庭での作業となる。 管理人

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 4月30日  新年度に入り、早一ヶ月が過ぎてしまった。

新コロナのこともあり、私園は、1日置きで作業に当たっている。誰も来ないし、呼ぶわけにも行かない。
さくらは、最後の兼六園菊桜が満開を迎えたが、やはり少し寂しそうな姿でした。

そんな中で、今、真っ赤な能登キリシマツヅジが、満開を迎えている。 
私園には私が2018年5月に植えた八重咲きの一株と、2015年に植えた一重のノトキリシマ峨山がある。
それ以外に父が植えたのか分からないけれども、昔からほとんど大きくならないキリシマがある。 

今日、比べてみると、ノトキリシマと少し赤の色合いが違っていることに気が付いた。
しかも二重咲きであった。 私は高校の修学旅行で、阿蘇山でキリシマツヅジの苗を買い、生家の庭に植えていた。
いつの間にか無くなってしまったと思っていたが、亡き父が私園に移していたのかも知れない。
今日、三種類のキリシマが揃って満開を迎えていた。 そのことからもキリシマであることは間違えなさそうである。
これまでに挿し木で造った株も含めて7株程になっている。でもまだまだ小さく立派なものではない。
しかし、この真っ赤な花は、桜の散った私園で存在感を放っている。
今日植え替えた中にも、能登キリシマの挿し木があるが、他のサツキと混じってしまっている。
しかし。咲けば直ぐに区別が付くのである。
 
今日は朝から畑の雑草の地下茎掘りの続きをした。午前中でやっと一畝 8m×1mが完成した。
午後から、畝に黒マルチのシートを掛けて、挿し木苗を15p×20pの間隔で植え込んだ、
跡半分の畝が空いているので、残りのポットに植えてある挿し木も植え込むこととしよう。

陽当たりが良いので、秋までには結構大きくなるだろう。
来年の春には、本植する場所を造らないといけない。私園だけでは余るかも知れない。

私園はさくらが終わり、ノトキリシマにバトンが渡り、五月に入れば、
平戸ツツジが咲き始め、半ばからは沢山のサツキが一斉に咲いてくれるはず。
その前に彼らを覆い隠すような山野草と、折り合い(草刈り)を付けなければと思う。

    キリシマツツジ                        ノトキリシマツツジ 峨山 二重

 

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 4月28日

朝一番に、ある場所をどうしても見てくる必要があり、観察を済ませてきました。

その後、私園に11時近くに着き、作業開始です。 
お借りした畑に蔓延っていた雑草の根を取り除く続きの作業をしました。
ドクダミとスギナの根が、深い所50pと位まで蔓延っていました。
夕方までかかり、やっと1/3 程度まで進みました。あと3日間掛かりそう。
園内の陽当たりが良い場所に置いてある挿し木苗、1時前には日陰に入り、午後は日が差さないのですね。
これでは育つわけがありません。 借りた畑は朝から4時頃まで日が当たるのですね。
連休中になんとかしてあげないとね。

帰り道、中の峠越えの道を選びました。
先日撮った山の写真で、故郷の山として記載した大きな山は、火燈山(ひとぼしやま)標高480.3mと思っていました、
しかし、拡大して色々考えていると、尾根付近に高圧鉄塔が薄く映っている。
可笑しい。この三角の大きな山は、大峰であると気が付いた。
では、火燈山は何処にあるのか、撮った写真を見ても判らない。私園付近から眺めても判らない。
火燈山への登山口が、三坂トンネルの小松側にあるとのことで、登り口を確認してきた。
登山口はトンネルの少し離れた位置の南側にあり、マーキングテープが沢山付けられていた。
結構登山する人が居るようで、踏み跡も新しい気がした。
火燈山自体は、中海側から見ても手前の尾根に隠れて見えないこと、鳥越側から見ても頂上だけしか見えないと判った。
近く、登ってきたいと思っている。登山口から2時間あまり、往復で4時間程かかるらしい。
頂上からは白山が良く見え、小松方面も見えるらしいが、谷間に入ると隠れるようである。
故郷の最高地点であり、今まで登らなかったことを悔いている。

名前の通り、灯をともしてのろしを上げた場所であり、上麦口町の岩倉城と、平野部から来る柴田勝家の動きを
一向一揆の最後の砦であった鳥越城に連絡する大事な役目があったのである。
因みに私園の向かいの山の頂にものろし台跡があったようで、岩淵城ののろしを、岩倉城に繋いでいたと思われる。
今のような立派な国道があったわけではないので、昔の戦は、大変な脚力が必要であった。
片足の筋肉の一部が切れている管理人

    朝夕仰ぐ白山や  とわに変わらぬふるさとに 
  若きいのちをはぐくみて 正義を己が友となし
  いざや励まん学びの道を ああわれらが母校  小松高校

卒業してから、50年が経ってしまいましたが、白山は、まさに変わらぬ白峰の姿でした。

 

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 4月25日

快晴となったので、早朝から出かけることにしました。
自制、自粛しなければなりませんが、ある場所をどうしても見てくる必要があり、
1年振り程に、調査・観察を済ませてきました。

その後、私園に戻り、作業開始です。 
お借りした畑をスコップで掘り返して、蔓延っていた雑草の根を取り除くことにしました。
ドクダミとスギナの根が、深い所まで蔓延っていました。
スコップ一杯の深さまで、掘り返して、その土塊を解して含まれている根や地下茎を取り除きました。
しかし、とても時間のかかる作業で僅かしか進みませんでした。
午後は、お手伝いをするために、私園を離れました。
続きは、今度にしよう。何とか連休中に畑に戻して、サツキの挿し木苗を植え終えて、
日射しの良く当たる畑で、大きくしたいものである。
お昼にご夫婦が一組私園を見に来てくれた。丁度休んでいたので、
川縁と咲き始めた兼六園菊桜も見ていただき、来多庵からの川の景観も楽しんでいただけた。
今年は連休まで、さくらが残ってくれそうである。

帰り道、故郷の山と、その背後にきれいな白山が見られた。一番高い所が御前ヶ峰2702mで、左側は大汝である。
今年登山予定していたが、たぶん無理だろう。
画面の中央に白い点が見られるが、故郷の発電所の上部にあるサージタンク貯水槽のコンクリートである。
手前に連なる山稜が、故郷の山々である。
左手の大きな山は火燈山(ひとぼしやま)標高480.3mで故郷の最高峰である。
白山の手前にあるのが、トガン岳とその背後には大峰が見られる。
近く、登ってきたいと思っている。 管理人

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 4月21日

昨日も天気が回復したので、朝から私園に向かった。 
毎年、亡き母の誕生日前後に私園にみんな集まり、花見とバーべーキューをしていたが、今年は一人での花見であった。
生家に入り、母達に挨拶とお参りして、今年も桜咲いたよ と報告した。

さて、今日の作業は何しようかなと。 途中で義兄の家によりチェンソーを借りてきたので、
まずは、まだ処理していない伐採木の幹の部分を30p程に細かく切り分けして、
その丸太を四割、八割にして、乾燥させて燃やしやすくした。
これが結構たいへんな作業。
手斧で割るのであるが、柄の部分が折れてしまったので、刃を丸太の芯の部分に当てて、ハンマーで叩き込む。
長くしていると、肩の筋肉が可笑しくなる。実は今日も痛い。

と言うことで、合間に苗床の草むしりしたり、雑多な仕事をしてはまた、薪割りに戻る。
こんな繰り返しではあったが、夕刻までにイイギリの丸太と梅の幹の処理が終わった。
次回から少しづつ燃やして灰に変えて、園内に散布予定。

今一番満開なのが、関山と松月である。色合いが少し違うが、共に美しい八重桜である。
そして兼六園菊桜は、どうなっているかと見てみた。 
目を近づけると咲いているものもありましたが、花数が少なく、雨に当たって濡れているため、とても地味な花となっている。
枝は良く繁茂しているが、陽当たりと肥料分が窒素分に偏っているのかも知れない。
花が終わったら、花芽が出来る前に、お礼肥料とお願い肥料を周囲に与えてみよう。
シモクレンが満開となりました。あと、モミジがすっかり若葉が出そろい、新緑の季節となりました。
もちろん、ブナも芽吹き、少し遅いケヤキが葉を広げれば、緑一杯の私園に変わります。

作業は一杯残っていますが、身体と相談しながら、やって行きます。 パートの年取った管理人

八重桜の関山が満開となりました。 
花数は少ないですが、今年は、枝先を剪定して、来年はもう少し立派に咲くようにしたいなあ

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 4月19日

天気が回復したので、朝から私園に向かった。 
自制しているつもりであったが、来多庵の補修作業があったので、義兄の都合に合わせて出かけることとなった。
来多庵は、川側が全面開放しているため、雨風が強いと小屋の中程まで雨が吹き込んでしまうのである。
これを避けるために上部の三角部を塞いで、雨除けとした。
残っていた材料で、下地にコンパネを張り、雨除けにスギ板を重ね張りした。
材料費は0円で、3時頃までに作業完了した。
これでしばらくは様子見である。 

一人になってから、私園を一回りしてきた。
桜は、八重桜の関山と松月、天の川、鬱金、そして、孫の誕生記念木の楊貴妃桜と旭山桜(一才桜)が満開となっていた。
あと今週末に、桜最後の兼六園菊桜が開花する予定である。
今年は、管理人以外はほとんど花見するものが居ないが、来年はみんなで見られるようにしたいなあ。

早朝には、お借りした土地の刈り取った草木を集めた。
来週にでも、堆肥山に運んで蓋をして1年保管すると堆肥化する。
これから咲き始めるサツキの苗木の周囲に繁茂している野草 特にカラスノエンドウを株の周囲だけ取り除いた。
私園の対岸を散歩したら、シャガの白い花が満開で、ヤマブキの黄色とコントラストが美しい景色であった。
今整備途中の川縁の修景には、傍に生えているこのシャガとヤマブキで、裸地を覆うつもりなのである。
斜面植生として植えるのは、回りに生えている植物が一番なのである。 
忘れていた。ノトキリシマの八重咲きの花も、咲き始めていた。
小さい株なので目立たないが、数年経てば私園の中(農道)からも、誰もが気が付く真っ赤な花である。
一重の向かいののり面の株は、まだ花を咲かしていない。

なんだこんなで、今日も疲れた。 明日から雨も降るので自宅に隠ることとする。

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 4月17日
この2日間自宅で暮らしている。天気が良かったが、出かけることが悪いことするような気持ちになる。
明日から雨続きで、特に朝方大雨とか、ソメイヨシノは全て散り終わり、シダレサクラも大半が散ると思う。
でも、まだ次々と咲き始めてくれる。来週末位に私園の桜の後半戦が始まる。
でも、いろんな桜があるが、1本づつで、まだ昨年植えたものも多いので、きれいとは言えない。
しかし、数年後にはそれぞれが沢山花を着けてくれるだろう。
この新コロナ騒動が収まり、来年はみんなで花見をしたいものである。
その日に備えて、出来るだけ作業には行きたい。  運動不足な管理人

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 4月16日
新コロナ問題で、なかなか私園に行きづらくなってきた。
人と会う機会はほとんどないが、コンビニで昼や飲み物を買っていくので、心配なことでもある。
しかし、昨日友人から私園の花見に来たいというので、朝から出かけ作業し、昼の小一時間だけ案内した。
染井吉野は散り始めたが、他の桜が咲き始めているし、十月桜はまだ咲き続けている。
来週からは関山と松月、天の川、そして兼六園菊桜が咲き始めると思う。
それら一本、一本を巡りながら、下草や新緑の葉芽も楽しんで貰った。
私園には、いつもなら、結構来客がある時期であるが、今年はほとんどない。
人と会わないことで、良いのだと思うし、作業できればと思うが、
いよいよ明日から、緊急事態宣言が全国に出されるとのことである。

一番、感染者密度が大きい金沢から、市外へ出かけることは難しくなっている。
週末か、来週に何処へも寄らずに往復するようにして作業したいものである。皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 4月11日


朝から私園で、草刈りをすることにした。 
一斉に育ち始めた野草たちは、10p以上となり、とても手ではむしり取れない状態となった。
園内を回る園路沿いを刈ることとし、何とか2時頃には終えられた。
最後に借りることにした近くの土地とその周りの川縁などを、刃とナイロンコードに付け替えて二度刈りした。
耕作を止めていた間に、太い茎のある草や、1p位の灌木まで生育していたが、
先日の刈り倒しでは根本が残っていて、引っかかったりで、危険なために、
ナイロンカッターでは切れないので、二度刈りとしたものである。
3時過ぎには刈り終えられた。 数日乾燥させてから、集めて堆肥場所に運搬積み上げることにする。

朝一番と、帰りがけに園内を見て回った。
園内で一番きれいな八重紅枝垂れ桜は、満開を迎えた。
孫達の誕生記念樹の楊貴妃と旭山桜は、一輪ずつ開花した。
鬱金サクラも少ないが満開状態。八重桜と兼六園菊桜は、蕾が見られるようになってきた。
御殿場桜も満開、しかし、天の川は生長が悪く、まだ蕾が見られない。
園内の染井吉野は散り始めで、まだ楽しめるが、来週に行ける時には大半が散るだろう。

来週からは、お借りした土地を荒起こしして、蔓延っている雑草や灌木の根を取り除かなければならない。
何とか4月中に新しい畑にサツキの挿し木苗を植え替えして、来年までに大きく育てたいものである。
手掛けていた川縁の園路整備と、来多庵の手当にもかからなければならない。
今年はコロナウイルスのために、誰も集まってくるわけではないが、
連休前には、一応の目処を付けたいものである。

金沢は新コロナウイルスの発生地となっているので、市外の田舎へ出かけることは
自制すべきであるが、人と会わないこととしているし、
村人とも会話は交わしても、軽四トラックの運転席と一輪車を挟んでいるので、
3m以上離れての会話であるので、3密には当たらないようにしている。
早く収まって欲しいものである。

今日も忙しく、疲れ果てたが、気持ち良い一日であった。 嘉平こと管理人

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 4月9日

4月9日は雨も早めに上がり、朝から私園で、先日倒した枝木の残りを始末した。 
幹の丸太も含めて、取りあえず私園内に運搬完了した。 
途中で、梅の木の伐採木が積まれていることが分かり、これも全て処理することにした。
野積にされていて腐ってはいるが、芯は堅いまま残っており、
湿ったものもあることから、数日乾燥させることにした。

借りることになった昔の畑は、この数年放置されていたので、草木が生えていたので、
畑にするには、一度スコップで掘り起こす必要がある。
草刈り機の刃で、もう一度刈り払いして地山を出してから、掘削作業である。
これも、やっかいな骨折れ作業となりそうである。

途中で村の人と出会い、昨日村の老人会で私園で花見させて貰ったよと。
きれいにしてあると、褒めて頂いた。
私園の農道は、昔は川向かいの水田に、みんなが通った道であった。
しかし、耕作を地区外の農業法人に委託したために、今は誰も村の人は通らないのである。
僅かに散歩に通られる方、イノシシの檻を掛けて居られる方、物好きしか通らないのである。
私園は、母が管理していた頃は、老人会の方々に年2回草刈りをお願いしていたのである。
無論、その当時のメンバーは全て彼方に逝かれたので、今の老人会は私の少し上の先輩達である。

運搬作業は重労働で、疲れ切ったので、早めに帰ることにした。
しかし、近くの番谷山の桜の花見、まだしていなかったので、上ることにした。
昔の御大典記念の運動場跡であるが、こんな狭い所で、良く出来たものだと思う。
大分前に原町の皆さんが、桜の植樹を30本ほどしたのである。
でも、土が硬くて風が強いためか、生長が悪く、今残っているのが、18本ほどで、大半は生長が悪い。
私園の作業が目処がついたら、ここの桜の世話もしてあげたいと願っている。
グラウンドであったので、表土は無く、表面を解して雑木林の落ち葉を運んで混ぜ込み、
雨水も浸透できるようにしないと、根も張れず、生長も出来ないものと思われる。
今日は下見である。もうワラビが伸びていた。
昔は、ワラビ取りの名人であったが、今は写真に撮るだけの老人となってしまった。

山から下りて、遊泉寺町で、もう一箇所、寄り道した。
小松製作所 現コマツ の発祥の地である遊泉寺銅山跡記念館が完成したのである。
今は閉められていたが、故郷の大事な、忘れてはいけない記念館なのである。
そして、小学校を出た父が車掌として働き始めた鵜川遊泉寺線は、その銅や資材を運ぶための軽便鉄道だったのである。
もっとも、父が勤めた時には、銅山は閉山してしまい、その線路を使用した客車鉄道に代わった年である。

今日は忙しく、身も心も疲れ果てたが、気持ち良い一日であった。  嘉平こと管理人

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 4月8日

今日はお釈迦様の誕生日である。 
ずぼらな信徒であるが、歌と甘茶のことだけは覚えている。
昨日、友人の生母が亡くなられたとの連絡を受けた。
交通事故による治療の甲斐無く旅立たれたとのこと、お悔やみ申し上げます。
この時期のお葬式なので、お参りすることも出来ませんでしたが、後日落ち着いた時に焼香させて頂きます。

4月7日は天気も良かったので、最初に高尾山の桜観察に出向いた。 
見晴台まで少し脚を気にしながら、登り桜を満喫してきた。 
ここの桜、色々と問題があり、今管理して居られる方との打ち合わせのための下調べであった。 
今日のネットにはヘリかドローンか判らないけれど、上空からの見事な桜景観が載っていた。
しかし、地表で見るときれいな花とは別に、見えてくる問題もあるのである。

その後、私園に急ぎ、先日倒した雑木の枝木を処理することにした。 
生木ではあるが、炉の中で燃やすと、きれいに灰になる。
あと、半分ほどと丸太が残っているが、後日にした。 
私園ではシモクレンが咲き始めた。 ベニシダレも咲き始めた。満開は週末になりそう。
後は、いろんな野草の花もあちこちできれいに咲いている。 名前を調べないとね。
土方工事も残っているのだが、枝木の片付けが優先である。 
帰りがけにもう一度見回りしたら、楊貴妃と朝陽桜 共に蕾が膨らみ、真っ赤な蕾の先端が顔を出し始めた。
あとしばらくである。 村の親類が散歩に来てくれた。
少しばかり話していたが、日が陰った私園では肌寒くて、帰られた。

高尾山 石川県総合教育研修センターの向山 



明日は行けるかな。 行きたいな  管理人

 

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 4月6日
午後兼六園と金沢城の桜花見してきた。満開なのに誰も居ない。 
兼六園も、入園者よりも働いている作業員の方が多いようであった。早く収まることを願うばかりである。

こんな写真が撮れるはずではなかったのであるが、新コロナの影響でほとんど人が居ない金沢城、そして兼六園であった。

早く収まり、多くの方々に来て頂きたいと願いながら、家まで歩いた。 

石浦神社の前で、菊川ルートの町乗りバスに乗ろうかと思ったが、目の前に来たバスと競争することを思いついた。 

片町へ回るバスと徒歩で歩くしかし別に走るわけではないが、川上広小路に着いた時に、バズか見られた。 

勝ったぞー 自慢ではないが、一万五千歩の散歩をすることとなった。   運動不足な管理人

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 4月4日
今日は私園の花見に行った。4本有る染井吉野が満開であった。
1本は株立ちで今切り戻しているので花は少ないが、他の3本は満開であった。
写真の川縁の1本は、父ではなく私が最初に植えた桜で、平成7年前後と思うので、25年ほど経った。
喜多庵から眺められるし、橋の上からも見られる。 
金沢も含めて周囲の桜並木は全て満開なので、たった四本の桜は決して見事とは言えないかも知れない。
今日はお客さんのカメラマンが、午後立ち寄って写真を撮って行かれた。
いろんな桜があるんですねと尋ねられ、5月初めまで咲いてますので、また来てくださいと。
朝一番に作業小屋を見ると、またガラス窓の内側にアシナガバチが10匹ほど群れている。
アシナガバチの女王バチは冬眠せずに、寒さを避けられる落ち葉や枯れ木の中で、春を待つそうである。
小屋の中は南側がガラス窓で、三方は壁で塞がっているので、冬越しに良い場所のようである。
みんな出してあげたが、今年はアシナガバチが喜多庵の軒先に巣作りしそうである。
でも、私園を守ってくれる仲間として見守りたい。
午後には、義兄が来てくれたので、近くの雑木の伐採を手伝って貰った。 
山茶花の生け垣の上に被さっていたので、伐採した。しかし、後始末が大変なほどの量となった。
時間を掛けて掛けて、これから片付けていくことにしたい。
花見の用意は出来たが、今年は新コロナで、花見どころではないようである。
後一週間ほどすれば、ベニシダレが満開になり、昨年植えた旭山(一才桜)も咲いてくれると思う。
今年は、管理人一人での花見となりそうである。 
今夜、京都の円山公園の枝垂れ桜前から、NHKが満開の桜を中継してくれた。
そこに紹介されていた佐野藤右衛門さんのお庭 実は数年前に嵯峨野の祇王寺を尋ねた後、広沢の池を通り、
この植藤造園の横を通ったので、しばらく中を見学させて貰ったことがあるのである。
当時は、有名な植木屋さんとは知らずに、無断で入ったので、途中で慌てて去ったのである。
今年は京都行きを考えていたが、この時期なので、来年以降に見させて頂こう。
私園の桜は、これからなのである。
今日から川辺で、ヤマブキが咲き始めた。 
春は、自然に過ぎていくのである。  私園の孤人

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 4月2日

朝から私園に向かったが、雨がなかなか上がらなかった。11時過ぎから小降りとなり、作業開始。
今日は、喜多庵が出来るまで雨宿り場所として使っていた単管パイブで作った平小屋の屋根の補修した。
屋根にした垂木に直接シードを張って居たが、昨年の台風時に破れ障子のようになっていた。
見栄えも悪いので、撤去して、合板を8枚半垂木に固定して4.5m×2.7mの下地を作った。
その上に厚めのシートを被せて固定した。 実際は義兄に仕上げて貰った。
これで、バーベキュー時の休み場所も出来たし、喜多庵と併せて10人以上集まっても雨や日射しを避けられる。
今年の花見までにと急いだのであるが、新コロナのこともあり、大勢集まることは中止した。
でも、親戚がバラバラに花見に来るはず。 
今、染井吉野が5分咲き、シダレは4本バラバラで1本が満開、母のミサオサクラは1隣開花、大島桜も数輪開花、
他は蕾堅しである。河津桜は葉桜で、薄墨桜も散り終えた。
忘れてはならない十月桜は、昨秋から咲き続けて、最後の満開状態を示している。
ドウダンツツジも花を着け始めた。良く見ると、園内の自然野草が一気に伸び始めている。
彼らとの半年間のお付き合いが始まる。   屋根屋の丁稚


皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 3月29、30日
久しぶりに生家に泊まりながら、私園の手入れに勤しんだ。
切りのない作業であるが、少しづつきれいになり、片付けていく。
私園内では、タラノメが伸びてきてそろそろ食べ頃である。
桜は、開花したが、満開には後数日掛かりそうである。
無論早い桜も遅い桜もあるので、4月中はあちこちで咲いてくれる。
兼六園菊桜は連休明けだが、今年は連休に咲くと思う。
今、園内や園外の川縁でヤブツバキが咲き乱れている。
川辺もだんだん賑わしくなっていく。 明日からは卯月である。 
園内には夜の訪問者が居るようで、あちこちほじくり返している。
何か判らないけれど、掘ったら、埋め戻していくのが礼儀だと思うが。
 多分タヌキ ハクビシン かな?
タヌキが対岸に生息し、時々遊びに来ている姿を見かけている。
最近、イノシシが見かけられないので、橋で塞いでいたネットを取り外している。
イノシシが懸る前に通行する車が引っかけた事故も起きたようなので、取り外した。
人も、動物たちも自由に通ってくれれば良いことで、園内を荒らすことだけは止めて欲しいのである。
麦踏みではなく、穴を足で踏み戻している管理人

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 3月26日

桜の開花宣言が出た金沢から、私園に朝から出かけた。とても気持ち良い日であった。
私園では盛んに虫たちが、飛び回っていた。
物置のガラス戸を見ると、中に沢山の虫たちが群がっていた。
暖かくなったので、冬眠から覚めて外へ出ようとするが、ガラスがあって出られないのである。
ごめん、後免、と声かけて、鍵を開けてドアを全て開けた。虫たちは喜んで出ていった。
アシナガバチとテントウムシが多かった。あちこちで巣を作り、また一年間、私園の番をしてくれるので有る。
スズメバチも含めて、ハチやテントウムシは、益虫なのである。
いろんな青虫や害虫を食べてくれて、自然界のバランスを取ってくれるのである。
時々挿されたりするけれど、こちらが不用意に近づいたからである。
日溜まりの中で、作業していたら、ついに現れてくれた。
春の女神 ギフチョウの舞 である。 
嬉しかった。思わず知人にメールした。
今年もやって来てくれた。蛹で冬を越し、早春に飛び回るのである。
カタクリやスイセン、ユキヤナギ、イチリンソウ、そんな蜜を吸いながら、春を謳歌している。
食草のカンアオイの群落も多くなったので、卵も産んでくれそうである。
土方工事はまだまだ続くが、気持よく、帰宅した。 
帰り道、産業道路から振り返ると、故郷の山辺の上に真っ白い白山が見送ってくれた。
夏には同窓生たちと登山を予定しているが、登れるか、少し心配している。
   昔、登山家気取りだった老人 

 

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 3月24日
朝から水路から上げた土砂を、川縁の園路の整地土砂として、運搬盛土して踏み固めた。
幅1m程度の通路が出来たので、縁取りにリュウノヒゲを植え込む予定である。
後は川縁の園路から喜多庵に上る階段園路を仕上げたい。
少しずつ庭らしくなるが、植えた木々や草花が、庭らしくなるには、数年の時間がかかる。
そんな日まで、元気で生きて、逝きたいものである。  喜多庵主

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 3月23日
この2日間そして、明日も寒の戻りで、雪もと言う天気予想が出ている。
こんな時は、家で静かにしているのが一番良い。
新コロナもおこたに居る限りは心配もない。
夕方、義兄から電話が来た。ケヤキの木にナメコが生えるかと。 
ネットで調べると大丈夫らしいので、早速連絡。
ナメコは落葉樹で有ればいろんな木に生えるらしい。今度穴開けを手伝うことになった。
寒さで開花は少し遅れそうであるが、4月には咲いてくれるはず。のんびり待つとしよう。
花待ち人 

   皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 3月21日
2日続けての私園通い。 
水路の泥上げや水路を横断する橋の替わりに、ヒューム管を埋設してみた。
午後からは義兄も来てくれて、作業は捗った。
農道を一輪車で往復しながら、見上げたら、いつの間にか、薄墨桜が3分咲き位になっていた。
根尾谷の本家のウススミサクラの実生であり、大きく育った。
撮り忘れていたカタクリの花も写真に納めた。 
今年も咲いてくれたが、毎年数が減り、葉が小さくなっているような気がする。染井吉野も後暫くで開花しそう。
旭山桜も膨らんでいる。楊貴妃はもう少し掛かりそう。
楊貴妃桜は孫の生誕記念樹であるが、今日卒園式を終えたとの連絡があった。
入学式の頃には咲くかな。
旭山桜は、下の孫の記念樹であり、まだ2才になったばかりで、これからの生長が楽しみである。 
土方はやはり疲れる。明日は雨でお休みとしたい。

 皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 3月20日 
春分の日、私園に春が本格的にやってきた。
白い雪柳が咲き始め、他にボケの花が美しい。
ピンクのカタクリの花も蕾を開き掛けてきたし、黄色の連翹も咲き始めた。
染井吉野の蕾も大きく膨らんできた。後数日で開花宣言だろう。
春を先取ってくれた梅と、河津桜は散り始めている。
十月桜はまだ咲き続けているが、後は他の桜たちが引き継いでくれるはず。
ツルボの新葉が、沢山顔を出していた。
僅か2ヶ月程で枯れてしまうものであるので、周りの雑草を取り除いて、陽当たりを良くした。

今日は、農道沿いの排水路の土砂上げと、水路を渡る園路としてヒューム管の敷設をしていた。
園路が整備できれば、川沿いに歩ける遊歩道となる予定である。
今月中には完成させて、花見に間に合わせたい。  無級土方士 


皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 3月12日
雨も上がり、晴れた一日、故郷の彼方此方を知人と一緒に見回りしてきた。
この半日の成果が、数年後に故郷を変えていくことに繋がることを希望している。
昼は、姉の家で弁当を食べて、午後は何しようかな と考えながら、
何時も通り、いろんなことを次から次にやってしまった。
草むしりをしていたはずなのに、柿の木の剪定に掛かったり、
挿し木のサツキの苗のポットの草むしりしたり、そんなことしている内に、4時半になった。
また、土曜日に来ることとし、家路に着いた。 
一昨夜からの準備作業で寝不足だったので、夕食を頂いたら、眠ってしまった。お歳寄りなのかな?

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 3月 9日
朝から私園で片付け と思ったが、何時も通り、行き当たりばったりで、いろんなことをしていた。
焼却した灰を彼方此方に撒いている間に、慰霊碑の周りの苔に生えた雑草を抜き取ることに手が向いた。
手で毟りながら、手ぼうきで掃き掃除した。 慰霊碑から少し離れると、まだ苔が生えていない。
今度はその続きで苔山の手入れに掛かった。 
苔の上に残っている落ち葉掃除しながら、上から下へ掃き下ろしていった。
苔の上を踏みしめてみたら、ふあふあで有り、10p近く厚い苔蒸していた。
ここまで来れば、苔山は安定したと思う。孫が歩き回っても大丈夫である。
電話が掛かってきた。義兄からナメコの種駒を入れる穴空けドリルの相談である。
生家で落ち合い、電動ドリルで穴を開けるが、途中で止まってしまう。
おかしいなあ 椎茸はこれで穴空け出来たのにと。

 

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 3月 7日
朝から良い天気 放射冷却で霜が降りる程冷え込んでいたが、日が昇ると共に暖かくなってきた。
今日も、私園の整理や整草 残っていた剪定木の始末と、一部に残っていた藤ヅルの薮を掃除した。
今年もまだまだ蔓延りそうであるが、一度始末しておけば、新芽が出てきたら、こまめに抜き取ることで退治したい。
園内の花木を雪折れから守るために縄で縛っていたが、全部取り外した。 
まだ花は咲いていないが広がっただけで、花が咲いてくれたように見える。 花を待ちたい。
桜の幹を輪切りにしたものを、ナメコの原木として使うため、義兄に手伝って貰い、軽トラックで生家の庭に運んだ。
週末にでも、植菌することにする。

何が片づいたわけでもないが、一日が暮れた。 明日は雨なので、お休み。
園内のヤブツバキも各地で咲き始め、河津桜は3分咲き、梅が満開を迎えている。
白加賀と思われるが、1本だけだったので、ほとんど実が付かなかった。
園の中心の菜園にしていた部分に、梅の苗木を3本植えた。豊後と枝垂れ梅と鶯宿梅である。
これらが花粉木として花が咲くようになれば、実もまた沢山取れるようになると思う。
後3年は、掛かるかな。 一仕事する度に戻って、椅子に座って休憩。
こんな仕事では、完成は先が長い。 
無論、完成することのない作業ではあるが。 ずぼらな管理人



皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 3月 5日
朝から私園に行き、3日に整理した枝葉の焼却処分に当たった。
時々霰が降る寒い日であったが、焼却には都合が良かった。
夕方までに、剪定した松の葉と、桜の枝は、枯れていた山毛欅の切り落としたものなど、大半を片付けられた。
もう少し、園内に散乱している石や玉石を拾い集めて、穴が空いた部分を埋めて歩きやすくして、花見としたい。
もう雪の心配がないから、庭木を縛った縄を切り、春が来たことを知らせたい。
みんなが待っている春が来たー  修悟

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 3月 3日
午後から散歩に兼六園まで足を伸ばしてきた。
まだ雪吊りが全て残されているが、最後に撤去する唐崎の松の雪吊りと
眺望台下の桜の満開が重なりそうな雰囲気です。
そんなこと考えながら、千歳橋まで来たら、熊谷桜の手入れが行われていた。
園丁が3人がかりで、幹に付着したコケを取り除き、
枯れ枝や不要な枝の剪定もしながら、花見に備えて居られた。
苔むした幹も美しいものですが、木にとっては腐蝕の原因にもなるので、
園内の木々は、数年に一回程度、束子などでコケ掃除が行われている。
往復8千歩程度の散歩であるが、のんびり歩きしてきた。皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 3月 1日
子供の頃にはまだ雪に埋まっていた故郷であるが、
今年は積雪はほとんどなく、2月29日で山辺では山桜が満開となっていた。
昔は春休みに入る頃に南向きの陽当たりだけでしたが彼方此方に咲いているようである。

この2日間、私園の手入れに勤しんだ。
春、花が咲き始める前に出来なかった手入れを、義兄や学生時代の友人の助けを得て
壊れた小屋の屋根の補修と、桜と松、山毛欅などの手入れをして貰った。
これで、春染井吉野が咲く頃には、恥ずかしくない私園に出来ると思う。
まだ、今回落とした枝葉の始末が残っているが、今週で片付けたい。
2日、下働きだけでしたが、久しぶりなので、足腰が痛い。
今日は早く寝よう。  下働き人夫 

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 2月24日
この数日落ち着かない日々を過ごしたが、何とか乗り切ることが出来た。
しかし、新コロナウィルスの問題で金沢も騒がしくなってきた。
早く収まってくれることを願っている。
私園ではカワヅサクラが花を着け始めている。
週末にはかなり咲きそうである。
梅と同時に桜が咲く、暖かい春は嬉しいが、怖い気もする。

桜の木に着くテングス病のウィルスもまた、駆除できないやっかいな病気なのである。
私たちの周りの桜は、このウィルスに冒されていて放っておけば、花が咲かなくなり、枯死するに至る。
ある桜名所について、この対策を進めて貰っている。
 うまく行けば、これからも咲き続けてくれるはず。
さくら守 

 

皇紀2680年西暦2020年令和2年 1月17日
 阪神淡路大震災から25年経った日でした。 
あの時は結構雪雪がありましたね。今は恐ろしい位暖冬が続いている。
徹夜明けの眠気冷ましの風呂の中で、地震となり、隣家の屋根雪が風呂場の外壁に落ちてきて、
地震とは別の大きな振動があり、飛び出してテレビを付けて、仕事しながら、何かできることは、と思いました。
目前の仕事を片付けて、現地へ見に行けたのは2ヶ月程経ってからでした。
西宮の親戚を訪ねて無事を確認した後、あちこち案内を受けて見て回りました。
そんなことを、後の仕事に生かせたかどうかは分かりませんが、
無事第1の人生を終えて、第2の人生も済ませて、今は最期の人生に残された時間を使っている日々です。

今日は朝から私園に行き、隣接する県の旧道跡の緑地帯に植えられている木々の手入れのお手伝いをしてきました。
染井吉野の大木が6本有るのですが、テングス病に掛かっている枝が多く、昨年はあまりきれいに咲かなかったのです。
管理者にお願いして、業者が来てくれて僅か2時間程で、病気に掛かっている枝は無くなりました。
プロの仕事は早いし、見ていても安心である。 自分がするとこうはいかないのですね。
私は、桜とは別に緑地の外縁用水路沿いに植えられているサザンカの手入れをお手伝いしました。
私園に接する部分は、時々手入れしていたのですが、上流側のサザンカは管理者も手入れしてこなかったのです。
園路側に大きく張り出していた枝木を、思い切り、切り詰めました。
そして、幹に絡みついているフジやクズ、イバラ、ヤブカラシなどを根本から切り離し、絡んでいる枝から外しました。
4mほど大きくなっているサザンカですが、頂部はツルの葉に覆われていたために、葉もなくなり、花も咲いていませんでした。
まだ辛うじて生きているようなので、春になれば、新芽も出て、来年は桜と共に、山茶花の満開も見られるでしょう。
嬉しいことがありました。 山茶花の根元を掃除していたら、カンアオイの群落が一つ見つかりました。
県の用地に4箇所、私園内に1箇所群落があるので、大事にしていきたい。
数年後には、もっと沢山の春の女神ギフチョウに会える日が来るでしょう。

 朝から、いろんな人に会いました。
相手の思いと私の思い、必ずしも一致しませんが、理解はして頂けたので、良い方向に向かうだろう。

私事で、また、しばらく、私園の作業は、出来なくなりました。 
春までに良い方向に向かってくれて、春を楽しめる日が来ることを願い、今日の更新とします。
管理人 釈 修悟

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 1月12日
昨日は、私園で大島桜の続きの剪定。 
何故か5本の株立ちとなって15mほどの高さに育っていたが、4年程前に頭を切り落として小さくしようとした。
しかし、その後の手入れが悪く、徒長枝ばかりが伸びて花を付けない。
2本は幹にも腐りが入ったようで、腐朽菌が生えている。
それでも芽を出しているので、そのままにしてきた。 
徒長枝の手入れ3日間掛かって、やっと終えたが、格好が悪く、降りてみたら恥ずかしい姿である。
今年の花を観察したら、思い切って根本から切り戻すことを決意した。
今度も失敗に終わるかも知れないが、5年後に期待しよう。

次に、ミサヲ桜に掛かったが、 シダレでやたらシダレ枝が多い。 
散髪しようと思ったが、枯れ枝と生きている枝の区別がつきにくい。
生きている枝の花芽も葉芽も、3月になれば、膨らんでくるので、区別ができる。

桜の剪定はあと数本残っているが、3月まで様子見としたい。
来週からは、土方工事に掛かるつもりである。 農道との間の溝が落ち葉と流れた土砂で埋まっている。
まず、この土砂上げをして、排水路の機能を回復したい。
その後は、園内に散らばっている石や岩塊を整理したい。
最後に川縁の園路を作り上げて、春を迎えたい。

少し早めに引き上げたので、帰り道観音山の登り口まで様子見に行った。
名水を汲みに来る人の車で、ごったがえしていた。
みんなで登る時は車の置き場所を考えなければと、集落のはずれにある仏大寺町の公民館くろもじ会館に立ち寄った。
トイレも開放されており、駐車場も数台分有った。ここから歩いて、観音山に至るつくばね新道がある。
下り道に予定しているので、ここを山行する際の起点で、終点にしたい。

夜は、親類の子供達を連れて食事と、お年玉代わりの本のプレゼントをした。
元気な男の子達で、そんな姿を見ながら、昔をふり返っていた。

皇紀2680年 令和2年 西暦2020年 1月9日
晴れ間が見られたので、今年最初の作業に出かけた。 
大島桜の剪定の続きに掛かるが、久しぶりにハシゴに登ると、体が重い。
寝正月していたからかな。 年かな?
少し休んで、川縁を歩いた。 
水仙が沢山花茎を伸ばしているが、まだ咲いているものは少ない。
他に花はないかなと橋の下流を見たら、ツバキが三輪咲いている。 
昨年手入れした岩井戸の岩壁に掛かっているものであるが、他はまだである。
ユキツバキと思っていたが、調べると、花期は4月から6月とある。
一方、ヤブツバキでは12月から4月とある。 どうやらヤブツバキのようである。
葉や花の特徴を再確認する必要があるが、
ユキツバキはヤブツバキの変種で、雪深い北陸や東北地方だけのものとのこと。
県内では、宝達山や高い山に生えているらしい。故郷はヤブツバキのようである。
私園の対岸にはツバキが一杯有り、そのツバキを残しているので、これから春にかけて咲いてくれるはず。

さて、元に戻り剪定を続ける。しかし、株立ちの5本の内、2本が片づいただけで日が暮れた。
また今度ね。
 生家に帰り、スノーダンプなど除雪道具を金沢に持ち帰った。
しかし、今年は使うことがあるかな。暖冬で、しばらく寒波もないようである。

昭和38年1月大晦日から降り始めた大雪は、9日も降り続き、
生家は雪に埋もれてしまい、二階から出入りしていたことを思い出した。
38年豪雪 大雪では表現出来ないとして、豪雪 と言う言葉が使われ始めたのである。
かといって、田舎の生活にはそんなに支障が無かったし、当たり前の冬でもあったのである。
小学6年生だった私は大屋根に登り、一所懸命屋根雪下ろししたのであるが、大屋根の庇が折れてしまい、
家自身も傾いていたことは、覚えている。 亡き父は一度も屋根には登らなかったように思う。
なんでと?思っていたが、亡くなってから姉達から聞いた話では、
川縁にあった公民館を兼ねた作業場の二階の大屋根に登って、除雪していて屋根全体の雪と共に落ちたことが原因で、
上れなくなったとのこと。 一度恐怖心がつくと、できなくなるのは私も同じである。
私は夜か早朝に登っていたし、何故か、木製のスコップで、屋根瓦まできれいに落とすことに拘っていた。
まあ、無事に落ちることなく今まで来たものだ。
明日は、雨、休もう。 管理人

 

12月26日
今日は切り倒した桜の枝を処理した。 良く見るとテングス病に懸かっている枝も多い。
それ故に、全て焼却処分することにした。
生木ではあるものの、炉の中で燃やすと、比較的簡単に灰にすることができた。
灰にした後は、落ち葉の堆肥囲いの中に混ぜることで、一年後には堆肥として園内に散布する。
昼頃に義兄が来てくれたので、喜多庵の開口部に透明なビニールシートを張ってもらった。
これにより、雪が中に積もることが無くなるので、冬場の休み場にすることができる。
今年の冬場は、まだできていない桜の剪定に努めたい。

12月24日

今日は、国道側に4本植えられたソメイヨシノの、再度の切り戻しを行った。
数年前に5m程の高さで切り戻したが、後の手入れが悪く、花芽がない徒長枝だけが繁茂した。
手前の二本については何とか手入れしたが、
用水路側の二本については高すぎるのと用水の上なので、足場も悪いので、2mの高さで切り戻した。
ほとんど枝のない寸胴の立木になったが、来春には再び胴吹きの枝が出てくるので、
今度はしっかり剪定していき、小さな桜として育てたいと思う。

丸太にした幹は、ナメコの食菌に使い、枝はテングス病に侵されていた枝があるので、焼却する。
この後始末が今年最後の作業となる。

12月20日
やっと今日から、桜の染井吉野の切り戻した木の剪定に掛かった。
国道側に3本寄せ植えしたまま大きくなった木を、5年前に高さで半分程で大きく切り戻した。
その後、胴吹きした枝を一度整理したが、この3年間は手を掛けられず、徒長枝を伸び放題にしてしまった。
登ってみたら、徒長枝ばかり伸びて、下の枝が陽当たり悪く枯れていた。
失敗した。 来年も花は見られない気がする。 
取りあえず、どんどん徒長枝を落として、来春からはしっかり手入れしていくことにする。
夕方から雨となり、帰宅した。今年はあと一回作業できるかどうかである。
1月一杯 雪の状態を見ながら、作業することにする。12月16日 
今日も良い天気。 朝、我が家の夏のグリーンカーテンとなってくれたトマトを始末した。 
まだ青々として、なっているトマトがあるのだが、赤く色づかないままに落ちてしまう。
寒さで、熟すまで進まないのである。
取り外した茎、葉、実を籠に詰めて私園に運び、落ち葉の堆肥囲いの上に積み重ねた。

さて、何をしようかな。 サクラの剪定に掛からなければと思うが、気が重い。
 山桜や河津桜、今咲いている十月桜、小さい桜の剪定にかかった。 
  三脚の高さで危険がないので、夕方までに10本程仕上げた。
  残りは、背の高い染井吉野と大島桜、枝垂れ桜などである。
   2段アルミハシゴを使っての高所作業となるので、気を付けてやりたい。 年内には片付けたいと思う。
   後半月で新年である。 何が最初の花となるかな。 

    水仙と思うが、まだ花茎は伸びていない。  初雪が降り、寒くならないとね。  春待ち人

12月15日
今日は朝から良い天気。 私園に行き、昨日のシロダモの切り落とした枝葉の処理に当たった。
そこへ知人が尋ねてきた。 我が家を2回建ててくれた大工さんである。 
喜多庵を造るに際して、いろんな助言を貰ったり、止め金具を分けて貰っていた。
出来上がってから、会えずに居たが、月に1回は金沢から小松方面の親類を訪ねる序でにいつも寄ってくれていたとのこと。
川側の開口部については、取り外せる筋交いを入れた方が良いと助言頂いた。
雪や風の心配をしているよりも、筋交い1本入れたら、心配しなくても良いよと。
部材は今後手当てするとして、取りあえず垂木が1本あったので、筋交い代わりに入れることにした。

帰られてから、作業開始。シロダモの枝葉を焼却して片付けた。
午後からは何をしようかなと、梅の木を見上げた。 1本有る梅の大木 枝の先端に徒長枝が一杯ある。
ハシゴを掛けて、まずはこの徒長枝を切り落とした。 梅には長枝と短枝がある。 
このうち、短枝は花芽があるのでそのままとし、長枝の立ち枝は切り落とし、横枝は半分程で切り戻した。
降りて見上げると、花芽が一杯着いた梅の木らしい樹形に収まった。
2月末が楽しみである。 
カクレミノ シモクレン ゲッケイジュ などを一通り剪定をしていった。
本当は切り戻した染井吉野の剪定をしなければならないのであるが、今日も上れなかった。
明日挑戦しよう。 明日も天気であるらしい。 素人庭師
   
12月14日 
朝から私園でシロダモの大木の上部を切り、樹形を1/3に切り詰めた。
私園の中央付近に真っ直ぐに10m近く育ったシロダモの木があった。
常緑樹で周囲の桜の木が影になるため、一時は根本からの伐採も考えたが、
赤い実がきれいに成ることから、高さを半分に切り詰めることとした。
アルミハシゴを掛けて、チエンソーでカットした。 年輪は30数年あった。
父が植えたものではないが、同じ頃に周囲の山から種が運ばれて生長したのだろう。
これにより、今満開のジュウガツサクラは陽当たりが良くなり、来年はもっと花付きが良くなると思う。
狭い土地に沢山の木があるので、常緑樹は少なくしている。 
あと、一本、タブの木があるのであるが、これはバーベキュー場の日陰を造っているので、下枝3本切り落として残している。
桜の切り戻した幹から生えた枝の剪定が必要なのだが、立ち枝がほとんどで、切り落としたら花芽が無くなるので、思案中である。
明日、もう一度挑戦してみよう。  木こりの老人 

我が家のお風呂と台所のリホームが完成したので、年末に掛けて出来るだけ作業にかかりたい。
明日も朝から頑張ろう。  管理人

11月28日
寒波が来て寒いので、家のおこたで静かに過ごした。 昨日 故郷の人と少し話しした。
クマが出たと言うことで事実確認した。 
集落の外れで砂防工事をしていたら、コンクリートミキサー車の脇をクマが素通りしていった と言うことらしい。
クマは故郷の山には、子供の時から居たし、現在も私園の対岸には居ると聞いている。
少し古い話しとなるが、生家の背戸庭にクマの糞らしいものがあったこともある。
最近の故郷では、昔あった谷の奥の水田や山の尾根部を畑としたひらきと呼んでいた場所は
全て杉の植林地となり、あちこちに植えられていた柿の木等は、集落内の庭にしかなくなった。 
杉林では餌となる実や果実は全くない。 いきおい集落付近まで来ざるを得なくなっているようである。
故郷では、集落とクマの住処がギリギリの境で接している言える。 
これ以上は入って来ないことがお互いのために良いことである。
※ 故郷でクマにより怪我をしたと言うことは、聞いたことがない。
子供の頃、山仕事に行った方のお弁当が食べられてしまい、
アルマイトの弁当箱に付いていた爪痕は見たことがある。
暫くして鉄砲撃ちが来て、クマはオート三輪の荷台で運ばれてきた。

私園も川にかかる橋の上に、簡単なネットを掛けさせて頂いた。
対岸に用のある人には、ネットを外して入って頂き、戻る時に掛けて頂いている。
これで橋まで来たイノシシの荒らした穴はあるが、私園側には来ていないようである。
クマの進入防止に役立つとは思わないが、何か障害物があれば、避けるのが普通だと思っている。 
しかし、私園のある側の国道より山側から来るイノシシには効果がない。
私園には、作物がないので、被害はないが、あまり来て欲しくは無いものたちである。

 

11月24日 
良く晴れたおだやかな暖かい一日だった。 5日振りなので、早朝から私園に出かけた。
紅葉は大半が散り、川縁の遅い木も深い赤色に染まっていた。 
でも、一番奥のモミジの一群はまだ、緑のままの木も残っている。
何しようかと思いつつ、中央の農道の落ち葉と園内の通路の落ち葉を掃き集めて、積み込んだ。
入り口付近の苔の上の落ち葉の紅葉は、そのままにして置くことにした。
もう少し木々に残っている最後の紅葉が落ちてから、仕上げの落ち葉掃きをすることにした。

その後は、冬支度で、アジサイや苗床に残っている低木を縛っていった。
早く、これらの木々を本植の場所に移してあげないといけない。
所々にイノシシの掘り返した痕が見られる。
どうやら、橋の向う側からではなくて、国道側から来ているようである。 
橋の上にはネットがあるので来ていないようである。
誰も来ない静かな今年の秋の納めの風景を楽しみつつ、家路に着いた。

今日は、嬉しいことと、悲しいことがありました。
嬉しいことは、孫二人を連れた息子夫婦が、紅葉狩りに私園に来てくれたのです。
悲しいことは、その孫達とすれ違いで、家路に着いてしまったことです。
早めに私園を離れたことから孫達と会えませんでしたが、紅葉を背景にした写真を送ってくれました。
もう一つ、今日はテントウムシが異常に飛来していました。車の中に入り込むため、慌てて締めました。
小春日和の中で、冬越しの冬眠する場所を探しているのですね。
夜、外食して車に戻ると、カメムシが車の窓枠に一杯、私園から連れてきてしまったようです。
イノシシも含めて、自然の中に入っているといろんな出合いがあります。
先日、来多庵で休んでいると、外の土が動いている。 モグラさんが一所懸命にトンネル工事中なのですね。
近づこうと土間コンクリートに脚を動かした瞬間に、動きが止まりました。僅かな音を感知したのですね。
モグラさんはトンネルの中に落ちてくるミミズの音を感知して食べに来るわけです。
一度は私園に泊り、いろんな動物たちと出会ってみたいものです。

11月19日 18日に寒波が来て風雨が激しかったので、私園の見回りに出かけた。
案の定、紅葉盛りを迎えていた数本の紅葉が、半分程散っていた。
週末までは、持たない気がしている。 でも、17日のピークを見れたので良しとしよう。
数年後の紅葉を見るために、小さなモミジの木を川縁に追加植樹した。
私の代ではきれいな紅葉は見られないかも知れないが、植えておけば、誰かが見てくれるだろう。
落ち葉の紅葉が見られた。 園内では、ジュウガツサクラの満開が続いている。 
その後、冬支度として、下木のアジサイやボケ、ユキヤナギなどをわら縄で縛っていった。
時々雨も降る冷たい日だったので、午後早めに帰ることにした。日曜日に続きの冬支度をすることにする。
朝一番に同級生が紅葉狩りに来てくれた。 ありがとう。

11月17日 紅葉がピークとなってきた。少しずつ奥へ広がっていく。
今日は紅葉を楽しみながら、サルスベリとヒサカキの剪定をして過ごした。姉と妹が来てくれた。
少し寂しい紅葉刈りであったが、来週の日曜日まで持ってくれるかな。 11月14日 10日振りに私園に着いた。
雨上がりの中、紅葉が一気に進行していた。ここ数年で一番美しい紅葉である。
入口右端の一番早く紅葉する木が、下枝から天辺まできれいにモミジ色に染まっていた。
画面に見える木は全てイロハモミジで有るが、緑のままの木から紅葉した木まで進行はバラバラである。
私園の紅葉は、12月半ば近くまで何処かに残って居てくれる。

今、紅葉している大木は、全て亡き父が植えたものである。
私が植えた奥地の川沿いの木々は、まだ2m程度なので、あと10年ほどかかるかな?
見事に紅葉した私園を見られる日まで、元気でいたいと思う。
桜、紅葉、いろんな草木の花を見続けて生きたい。 
そして、みんなの下におだやかに逝きたいものである。

今日は雨上がりで濡れているので、作業は止めて、古い落葉の掻き集めだけした。
苔の緑が現れるので、この後、モミジが落ちると紅葉の絨毯も見られるのである。
17日 日曜にみんなで紅葉刈りをすることにした。 
集まれたものだけではあるが、今年の紅葉の写真を撮りたいものである。

私園の奥の一部が、イノシシによりボコボコに荒らされた。
ヒガンバナの生えている部分には寄りついていないので、効果があるようである。
分球した球根をボコボコ穴に植えることにする。

竹ぼうき掃き名人の管理人



11月4日
 今夜当りから最低気温が10゜Cを切ってきた。
  当分天気が良いが、冷え込みが続くようである。
  遅れていた私園の紅葉、黄葉が一気にやって来そうで、10日になれば、私園入口のモミジが真っ赤になってくれると思う。
  でも、近くを通られた方には、観て頂けると思う。 
  お掃除だけはしてあるので、園内に自由に入って頂き、観賞して頂ければと思う。 不在管理人

11月3日 
 今日は文化の日である。日曜と重なるので明日は振り替え休日らしい。
 どっちも管理人には無縁のことである。
 朝から私園に行き、行くまでは色々と作業計画を立てていた。
 しかし、最初にする施設や園路の落ち葉掃きをしようとするが、伸びた草に引っかかり、巧く集められない。
 ええい、面倒だ。草を刈ってしまえとなり、園内の大半の草刈りをすることに変更した。
 紅葉にはまだ早いが、見て貰うにしても草が茂った庭では恥ずかしい。
 彼岸花を植えている川縁までは出来なかったが、紅葉の大木の下、苔が生えている部分は、刈り終えることが出来た。
 苔が繁茂している部分については、箒で掃き集めて堆肥の山に積み込んだ。
 これで、モミジの葉が落ちても、きれいな庭としてみられるはずである。 
 山行した身体は、とても疲れているが、明日は休みにして回復できるだろう。  お庭番

10月25日 
私園も少しずつ紅葉が始まりました。入り口の梢から色づき始めてます。

園内では、ツワブキが黄色い花を付けてくれて、コムラサキが綺麗な実を付けています。
園内のあちこちで、野菊も花を付けています。
相変わらずジュウガツサクラと、白のサザンカも咲き続けています。
欅の葉もほとんど落ちて、山毛欅も裸になりました。
秋が一段と深くなり、いやなカメムシが車の中や服の中に入り込み、少し困りますね。
でも、これも自然なのですね。

 

あまり作業もしないで、あちこちぶらぶらして帰宅しました。

10月9日
午後から私園に着いて、以前から考えていた改良作業に取りかかった。 
小屋の2面は塞ぎ、2面は開き放って、川縁の景観を楽しめる様にしていた。
しかし、風雨の強い日には中まで雨粒が吹き込み、晴れた日は日が傾くと共に奥まで日射しが差すようになった。
開放している側に、雨と日射し除けの庇を取り付けることを考えたが、素人には難しい。
そこで、片屋根の高い方の上部を1/3程壁で塞ぐことにした。
コンパネを2枚横に入れ、外側にはスギの焼き板を張り付けた。これで今回の19号の台風でどうなるか様子見とした。
小屋の中から見ると、視界は上部が塞がれて空が見えなくなったが、
川縁の景観が額縁に納まったように、すっきり見える。
これで冬を迎え、春 桜の季節を楽しむことにしたい。

10月 3日
3日振りに私園に着き、見回りした。
彼岸花は早くに咲いたものは既に萎み、川縁の遅く伸びた所が満開であった。
明日の野分けの風で、大半が萎み茎は倒れてしまうと思われる。
萎んだ茎の根本には、若葉が顔を出している。来週から株分け分球作業が待っている。
見回りの後、何しようかと迷っていたが、伸び放題となっているイヌツゲの剪定に掛ることにした。
色んな形に出来るのだが、今回も内部に光が入らず、枯れ枝となった枝の整理を進めた。
2本終えた所で、落とした枝の整理と先日の剪定枝の整理と焼却を進めた。
午後になり、何となく園内を歩き回って考えている内に、4時前になってしまったので、帰宅した。
園内では、彼岸花が終わりつつあり、新しくサザンカの白花が花を付け始めた。

川縁の対岸では、アケビの実が今まさしく食べ頃であった。
しかし、昔なら、木に登ってでも取ったが、今回も写真に撮るだけとした。
彼岸花が終わると、自然に生えている野菊が咲いてくれる。 花番人10月2日 
もう10月に入った。この3日間、私事や病院通いなどで、私園には行けなかった。
彼岸花は、もう枯れ始めているだろう。
僅か1週間ほどの輝きであるが、そのためにこれからの半年間に葉を広げて光合成を行い、
球根に澱粉をため込むのである。
葉を広げ、球根が大きくなるように、分球して植え付けてやらねばと思う。
今咲いている花の周囲には、花茎を伸ばせなかった小さい球根が一杯あるのである。
むろん、彼岸花だけが草花ではない。
刈り取る雑草、手で毟る下草もまた、大事な大事な私園の仲間なのである。
裸地にした土地を覆って守ってくれているのは、一番先に顔出す雑草たちなのである。
この雑草たちに感謝しながら、明日も頑張ろうと思う。

 9月29日
今日はこの2日間の剪定作業で疲れ果て、お休みしている。
28日夕方私園に立ち寄ると、彼岸花はさらに咲き進み、満開寸前、今日が一番良い日かも知れない。
そして金木犀も黄金色の花が満開となっていた。
明後日位に私園に向かう予定。

9月27日
今日は親類の庭の剪定を兼ねた清掃をしていた。夕方ようやく私園に寄れた。
彼岸花はさらに咲き広がり、まさに見頃を迎えてきた。
明日は雨模様で倒れるものが出るかも。 日曜日が曇りなので、雨上がりでさらに綺麗に見えるはず。
一昨年に植えた川縁がまだ蕾なので、日曜日には咲揃ってくれるはず。
来月に入れば、花は枯れて、まもなく根本から葉が伸び出してくる。
その頃合いで球根の混み具合を見て、植え替え分球して、彼岸花の咲く範囲を広げていくつもりである。
真面目にやるとすれば、球根の数は5000球を越えるかも知れない。
3年後には、私園全体で二万球を越える彼岸花畑 となるはずである。 怖い気もする。 
彼岸花が増えると、斜面や川縁の土手などが安定となるのである。 管理人

9月26日 
秋晴れの一日 ほぼ満開に近づいた彼岸花を楽しみながら、園内一巡りした。農道で背後から良い匂い。 
慌ててふり返ったら、2日前には全く咲いていなかった金木犀が、咲き初めて匂いを発していた。
秋がいよいよ深まってきた。


 バーベキューの炉で、台風の落とした枝葉を焼却して、次何をしようかと考えていた。
木に登るには脚の疲れがあるのでやめる事とし、園内全域 彼岸花のある所以外の草刈りすることにした。
刈っても刈っても生えてくるのである。 4時頃まで掛って一通り、刈り終えた。
残りは彼岸花が咲き終わってからすることにして、家路に着いた。
今日は、老ご夫婦が、農道を散歩して行かれた。 明日はどうしようかな?  管理人

9月24日 
今日は私園の作業と思って行ったが、1日雨交じりの日となった。
朝一番に台風の強風で落ちた枯れ枝を拾い集めて回った。その後園内の見回りをした。
彼岸花があちこちで咲き始めたが、やっと花茎が伸び出したものも多い。 
今年球根分けして植えた所でも、大きい球根は花茎を伸ばしてきた。
今年は咲き始めから咲き終わりまで、1週間以上掛りそうである。
来年はもっと咲揃うようになると思う。
今日は午後は同窓会の打ち合わせと従兄の家を尋ねてお見舞いをしてきた。
先日、片付けをしていて腰椎圧迫骨折したそうで、痛そうにしていた。
かくいう管理人も、実は少し無理をして太腿の筋肉が痛いのである。
明日は晴れるけれど、休むことにする。   管理人

9月22日 

校下の運動会が台風の接近により中止となったので、朝から私園に急いだ。
 来多庵から川縁を除くと、昔遊んだ川岸の岩の上に、彼岸花が開花していた。 
ここの淀みは、中学生の頃の水遊び場であり、この岩の上から飛び込んで暑い夏を過ごした
誰も行かなくなって久しいが、今、昔の水遊び場への通路を復活しようとしている。
そこに彼岸花が一株、見事に咲いてくれた。 水の中を覗くと、ヘコタが沢山泳いでいた。
 上流の川からはほとんど居なくなっているが、ここに残っていてくれたこと、とても嬉しいことであった。
さて、私園に戻ると、彼岸花の花茎はさらに増えていたが、まだ花は少ししか咲いていない。あと、2日3日は掛りそうである。
作業に掛ることとし、残りのシラカシに登った。 夕方近くまで掛って、この1本の剪定と落とした枝葉の積み込みに掛った。
相撲の結果を聞きながら、家路に着いた。 お昼に姉夫婦が差し入れのパンを置いて行ってくれた。
明日はお休みである。

 

9月18日 一昨日は一部にしか見られなかった彼岸花の花茎と蕾が、私園のあちこちから顔を出してくれた。
少し心配していたが、昨年と同じように咲きそうである。 
私園の彼岸花は日照時間が僅かしかない谷間なので、平野部の土手の彼岸花に比べたら、細く、短く、小さい花である。
でも、23日のお彼岸に向かって、一斉に咲き始めてくれる。今年分球した場所は、来年以後林立して咲いてくれるはず。
彼岸花を悪く言う人が居るが、それは毒があって普段食べてはいけないと言うことと、
大飢饉の時の非常食として、普段食べてはいけないということなのである。
帰化植物であるものの、種が出来ないので増えすぎることもないし、冬から春しか葉がないので、他の植物の邪魔にならない。
とても、素敵な、そして子供の頃に帰れるふるさとの里花なのである。

今日は、他にジュウガツサクラの開花を確認した。 約20個ほど小さい花を付けてくれた。 
これから春4月半ばまで、咲き続けてくれるのである。ツルボは穂の半ばまで、開花が進んでいる。
そしてムクゲの白花と紫花が今盛りである。 少し寂しかった私園も、秋が進むに連れて楽しくなってきた。 

今日の作業は、最初に欅の落葉の掃き集め清掃をしてから、シラカシの剪定を行った。
久しぶりに三脚にのり、木に登って手の届く範囲を切り落とした。
これから順番に、木々の剪定をしていく予定である。  管理人

9月13日 今日も朝から彼岸花の株分けに当たった。 植えた時は1球だったものが、こんな状態の堅い塊になった。

球根同士がぶつかり、真ん中が盛り上がる形で小さいままの球根が多い。これでは花が咲かない。

これを全部一球毎に分けて並べて数えたら、約500球となっていた。

一球毎に盛土を撒き出した場所に、10p間隔位で配置して土を被せた。

私園全体では、数千個以上の球根があるはずである。農道より南側の園地の通路になっている部分に株分けしたい。

一体何時終わるかな。 土に埋もれている所は、葉が出てこないと混み様が判らないので、10月まで掛かると思う。

今日は、先日葡萄棚を取り壊した場所から葡萄の木を掘り起こしてきて、植え付けした。

また、お昼には同級生が差し入れを持ってきてくれた。

明日はお休みして、15日は久しぶりに生家に泊まる予定である。 管理人

9月11日 

今日は雨模様であったが、気になることがあり、私園に出かけた。

実はヒガンバナが花茎を伸ばしていないのである。

この時期だと、例年ならばバラバラにあちこちで伸びてくる時期であるが、今年は一本も見られない。

暑い気候なので、遅れているのではと思っていたが、そうではない気がしてきた。

私園のヒガンバナの大半は、実は10年ほど前に別の場所で工事により埋まってしまう土手から

緊急避難させたものが殆どなのである。それを園内の川沿いと農道沿いに1球単位で植えたものなのである。

しかし、10年経つと大きな株となり、1球が500球近い球根の塊になっていた。

こうなると、それぞれの球根が大きくなれずに小さいままで分球が進み、花ラッキョウ見たいな球にしかならない。

ヒガンバナは球根が大きくなると、花茎を伸ばして花を着ける。

二年程前から一株に2本ほどしか花茎を伸ばさないので、肥料をやって見たりしていた。

朝一番に球根が地表に顔を出しているものを、3株ほど起こしてみた。

ものすごく細かい球根の塊であり、根が込んでいて解すことも出来ないほどの堅い塊であった。

これでは球根が大きくなれないし、葉も込み合って、十分な光合成が出来ないとわかった。

塊を水路の水で土を洗い流して、バラバラにして見た。 

その1球毎に盛土の土を敷き詰めた部分に、溝を切って10cm間隔くらいで並べて土を掛けた。

途中雨で休んだりしたが、夕方までかかって3株分を植え替えることが出来た。

大半のほかの株もバラさないと咲かないと思われるので、以前山砂を撒き出した部分にも植え替えて行きたい。

 今年は無理だが、来年には花が沢山咲いてくれるだろう。

剪定にかかる前に、ヒガンバナの植え替えをする事にしたい。 手先が痛い管理人

9月9日

私園に行ったが、朝一は別の用事で着いたら、11時頃になった。

姉と義兄が先に着いて、私園の一回りしていたようである。 姉にツルボの花を見て貰った。

二人とも帰ったので、さあ仕事と考えたが、直ぐにお昼になりそうだったので、

先にコンビニのおにぎりとバナナを食べて昼食とした。

午後木に登ることも考えたが、手がけた盛土の整地をすることとした。 

先にモミジの手向山を植裁した横に残る盛土を、敷地境界部の凹みを埋めるために一輪車で運搬した。

そしてこの部分にヒガンバナを球根分けして植えることとした。 

これまでは葉が出ている時に植え替えたが、本当は葉のないこの時期に植え替えた方が良いと知ったからである。

石だらけの窪地に5pほど埋め土して、植え床を作った。この後、密集した球根の根株を掘り起こして植え替えしたい。

今日は半分ほど進んだので、水撒きして帰った。

9月7日

朝から私園の片付け。一番に見回りしたら、ツルボ蔓穂が花茎を伸ばしていた。

3日前には無かったのに、10p近い花茎がすくすくと伸びていた。

紫の花は穂の下側から順番に咲いていく。10日ほどで咲き終わり、また地表からは姿を消す。

春先に若葉を出し夏には枯れてしまう。ヒガンバナに似た一生を過ごす。

私園には2箇所に群落があり、一昨年気が付いたので、この一帯はヒガンバナを植えていないのである。

今日から樹木の剪定に掛ろうとしたが、先日伐採した樹木の枝葉が残っていたので、焼却処分で先に片付けた。

午前中はこの作業でお仕舞いとなった。 

午後から木に登ろうと考えていたが、暑いので止めて、低木やサツキの木に絡まっている蔓植物を取り除くことにした。

明日からマツとシラカシの木の剪定を進めていきたいが、一日休むことにする。 

大した力仕事をしているわけではないが、手足に疲れを感じている。 年相応の体力しかないのだろう。老管理人

9月2日 

午前中は雨模様で休んでいたが、午後から私園に向かった。

グリーカーテンのトマトの上部を切り詰めた茎、他の木の剪定枝葉を運んで堆肥の山に積み込んだ。

その後、先日からの剪定枝葉を細かく裁断して太い枝以外は、やはり堆肥とすべく積み上げた。

堆肥になるには2年程かかるが、園内に散布していく予定である。

米糠などを混ぜて時々攪拌すれば、早く堆肥化できるが、手間は掛けられないので、自然に任せた堆肥化である。

花は、サルスベリとムクゲが咲き続けている。涼しくなってきたので、挿し木の苗の本植に掛らないとと思う。

8月31日 

  久しぶりの晴れ間の1日、私園で一人作業していた。今日は、頂いてきたモミジの木の植え替えの仕上げ作業である。

根株の土の中には、沢山のチガヤや他の植物の根が入り組んでいる。

そうした根を取り除き、浅い所の根の整理等をして、仕上げの盛土を行い、根鉢を作り、ヤブランの塊を株分けして囲むように植えた。

盛土の外側の整地が必要であるが、今日はここまでとした。

 

今日は、少し悲しく、残念なことがあった。

私園の直ぐ傍の斜面に、カンアオイの群落があったが、今日見ると、大半が無くなっていた。

ここ数年手入れして少しずつ大きくなり、来年当りはギフチョウが産卵してくれればと思っていた。

しかし、山野草の好きな方が気づかれて持って行かれたように思う。 

カンアオイは一般の方は興味も無い植物なので、お茶や山野草を大事にされている方しかないと思う。

大事にして頂ければよいが、山野草は移植しても枯れることが殆どである。

 

今後は、私園内も含めて、植物の採取は止めて頂きたいと思う。

管理人が居る時に声かけて頂ければ、どうぞと言えるものも多いし、挿し木の苗で有れば、お譲りしますので、よろしく。

8月30日 

 モミジの園芸種にベニシダレと言う品種が有る。

 葉の鋸歯がとても細かく入り、特に手向山は、若葉と秋の紅葉時にはとてもきれいに紅葉する。
 ふとしたことから、私園に新しいモミジとして加わって頂いた。夏のこんな時期の移植なので、大半の枝葉を落とした。

 枯れずに冬を越して、来春に新芽が出て、秋にきれいに紅葉することに期待したい。


 木々を含めて生物を生かすことは、大変な労苦を伴うもので、人との話などで、心身共に少し疲れた。

 

8月29日

 秋雨前線の停滞で、雨の日が続く。今日は休養した。明日は、どうしようか、天気との相談である。

ここ数日で色んな事があった。木の周りの土を掘り返してみると、色んな事が判る。 

植木屋さんは、土を掘らなくても地上の幹、枝、葉を見て、木の健康状態、地下の根張りの問題が判るという。

それで、何をしてあげれば、植木が元気になるか判るという。管理人は土を掘り返して、初めてその意味が理解できた。

私園の木々も、色々と私に語りかけているらしいが、その声が聞け、答えられるような管理人になりたいものである。

 

8月27日

 友人が来てくれて、手入れが行き届いていないサザンカとツバキなどの強剪定をしてくれた。

なかなか、花芽を付けている枝の強剪定は本人にはやりにくい。

デモ、すっきりとした形にしてくれて助かった。 桜のことや、色々相談にも乗って頂き、楽しい一日を過ごした。

明日からは雨が続くので、休みと思っていたら、大仕事することになった。 曇って欲しいなあ。

 

8月25日

 朝から私園 草刈りの後始末とヒサカキの剪定をした。

今年は何かに食われて葉が半分ほど枯れてしまっていた。

午後から義兄の手伝いで、お客さんの家の庭を見てきた。

チガヤが一杯生えてしまい、庭が埋まっていた。このチガヤは、子供の頃春先に白い穂が出てくる。

これはツバナと言って噛むと甘かったので、田んぼの畦でよく摘んだものである。

この草は、地下茎で増える多年性の雑草であり、駆除するのはとても困難である。

葉から染み込み、根から枯らす除草剤を散布しなければならない草である。

草刈り機で刈り取っても駆除したことにはならないと言える。

暫く、この雑草と取っ組み合いになりそうである。 草取り人

8月23日

 私園の農道より南側の草刈りをしてきました。 

前日の雨で、水量が多くて、21日にコンクリート片を取り除いた火星の窪地には水が流れ下り、

水筋が1本増えて4本になり、また見られるようになりました。

洪水はそんなに激しくはなかったので、岩盤河床全体が水に洗われるようなことにはならなかったので、

苔が着いたままなので、ほんとにきれいではありません。

午後少しで草刈りは終わりました。9月のヒガンバナの開花待ちとなりました。

ヤブカラシの白い花が咲いており、その蜜を求めてアシナガバチが沢山集まっていました。

最初はスズメバチと思い、ギクッとしましたが、密を吸っているだけなので、安心しました。

日曜日からは、木の手入れに入る予定です。   管理人 

8月21日 

 雨模様で有るが、午前中は持つと考えて私園に急いだ。

 手で毟り残してある雑草の始末に、草刈り機を使用して整草を行った。 

 昼食は簡単に済ませて、草刈りを続けた。 農道より北側半分は終えられたが、2時過ぎからは雨模様となった。

 ガソリンが切れて止まったので、片付けて帰ることとした。

 明日は決勝戦である。 応援に集中したいが、雨が気になっている。

皇紀2679年8月19日

 今夜からしばらく雨の日が続くので、先日手入れした黒竹林から切り除いた古竹の焼却処分をした。

竹をそのまま燃やすと、節の間の空気が膨張して破裂する時にピストルの発射音のような音が出る。

一度燃やし終えたら、国道を走る車から通報があり、パトカーがやってきて叱られた事がある。

以後は、竹の場合は割って節間の空気が膨張しないようにするか、節毎に輪切りにしてから燃やすことにしている。

これが、細い竹なので結構手間が掛かる。何とか昼までには竹の始末を終えられた。

 午後は、あちこちの手による草むしり。

 義兄が来たので、川原の甌穴を塞いでいたコンクリート片を取り除いて水が流れるようにした。 

 来多庵から見ると、水の流れが一筋見られるようになるはずである。

 明日大雨になり、水量が増えてくれれば、水路溝に溜まっている土砂が流れ去り、

岩盤の上に付着しているコケが取れれば、火星の川原は見違えるような景観になるはず。 

 明日は星稜の応援でお休みにするので、明後日楽しみにしている。 管理人

 

8月17日

 台風10号通過後  野分けの私園の様子を見に行ってきた。 

 雨も風も酷くはなかったので、大きな被害はないが、ケヤキとモミジの枯れ枝が大量に落ちていた。

またタブノキの落葉と黒い実が一杯落ちていた。

 枯れ枝の拾い集めと、落葉と実を掃き集めて掃除後に、アジサイの剪定と草むしりを続けた。

 まだ、残っているアジサイもあるが、大体が剪定し終えた。

 来屋で休みながら、川縁を眺めると、整理した時に落ちた枝葉が水面にまだ漂っている。

 雨は降ったものの、高水にはならない位だったようである。

 でも、木々や苔、低木にとっては恵みの雨となり、当分は水撒きはしなくても良いようだ。

 この雨によりまた雑草たちが元気を取り戻すことになる。大変だけれど、また頑張ろう。

 スズメバチは、生家、私園共に居なくなっていた。 ハチさん達 ごめんなさいね。

8月13日 

 スズメバチのこと

 昨夜から悩んでいた。 スズメバチを駆除しても良いか。益虫なのにと。

スズメバチ用の駆除スプレー缶を用意していったが、駆除の決心は付いていなかった。

蜂の巣の周辺トラロープを張り、近所の方に近づかないように説明して回った。

話してみたら、どの家にも毎年巣を作っているようで、自分たちで駆除していると。判った。

周囲がみんなが駆除するので、空き家になっている我が家に住み着いたもののようである。

義兄と二人で、台所の天井を叩いて刺激した。しかし、殆どハチが出てこない。 

どうやら昨日夕方見た数 20頭位が居るだけのまだ大きくはなっていないようである。

昼間は餌取に出かけているハチが多いので、巣には女王バチと見張り以外は殆ど残っていないようである。

これなら大丈夫と判断してドリルで小さい穴を開けて、殺虫剤を吹き込んだ。ハチは殆ど出てこない。 

暫くすると、巣に帰ってきたハチが中に入ろうとするが、異常を感じて入らない。

他の出入り口を捜しているが、無いので、入れない。 

出入り口を塞いではいないので、駆除剤の匂いで入れないみたい。

少しずつ帰ってきたハチが飛び回るので、直ぐに塞ぐのは危険なので、後日として、用事がある義兄は帰った。

 私は私園に戻った。モグラ穴を利用して巣を作っているハチは、今日改めて観察したら、

オオスズメバチではなく、キイロスズメバチのようである。

数匹が土を流し込んだのに再び穴を開けて3箇所程出入り口があり、まだ女王バチが生きているようである。

 困ったなあ。そのままにしておくには怖い。見張り役のハチが中央の道路までパトロールしているのである。

 散水ポンプをセットした。太いホースだけで水を巣のある窪地に流し込んだ。水攻めである。

今回は動かしたままで暫く放置しておき、巣を完全に水没させる作戦である。

巣の中からは一匹も出てこない。突然入り口から大量の水が流れ込んできたら、出れないのだろうね。

昨日見た大きいハチが女王バチとすれば、殆どのハチが働きに出ていたのだろう。

 一輪車に山砂を一杯積んできて穴の上に天こ盛りにした。

また水掛けて最後にカケヤで土羽を叩こうかと思ったが、帰ってきたハチがうろつくので、止めて放置した。

帰りに見ると、2匹飛び回っていたが、女王バチが埋まってしまっているので、巣は機能しなくなった。

罪のないスズメバチには悪いことをしたと思う。

しかし、私も含めて周囲にいる親戚は、みんな一、二度刺されており、

医師から今度刺されたら、逝ってしまうよと言われているものもいるのである。

何処か私園の片隅で巣作りして、益虫としての役目を果してくださいとお願いして帰った。

8月12日

 私園は、サルスベリとヤブランが各地で満開となっている。そしてコマツナギの紫の花も咲き始めた。

今日も朝から一日中、私園で色々な作業していました。

亡き父が寄せ植えしたツツジ山に、雑木やヤブカラシなどが混じって覆い被さっていたので、

根本から引き抜きと序でに下枝の整理を行っていた。

3時から水撒きを始めたが、その途中で大変なことに気がついた。

園内には各地にモグラさんが開けた穴があるが、その中の一つに水を入れていたら、穴からオオスズメバチが出てきた。

撒き続けていたら、外から帰ってきた蜂も巣に戻れなくてウロ、ウロ、ウロ。

慌てて穴のある所に他の場所から山土砂を運んできて、水に解かして流し込んだ。 

剪定していた直ぐ脇であり、刺されなくて良かった。数が少ないことから巣作りして間もなかったようである。

帰る頃確認したら、外にいた蜂は居なかったので、他の場所に移動したのかも知れない。それも心配。

もう一つ困ったことが起きた。昼休みを生家で過ごして、午後1番に生家周辺の庭にも水撒きしていたら、

何か頭上が騒がしい。 ふり返って軒下を見上げたら、蜂がブンブン飛び回っている。

生家の台所のある離れの屋根裏に、スズメバチが巣を作り、出入りしていたのである。

慌てて、屋根下から離れて様子見していた。オオスズメバチではないようだが、キイロスズメバチかモンキスズメバチが、

屋根の垂木と壁との隙間を埋めている木片が取れて無くなっていた所から、台所の屋根裏に出入りしている。

 家の前は人通りの多い道で、その道から見ていても、出入りする蜂の姿がよく観察される。

スズメバチは益虫なので、二階の屋根にある場合はそのままでも良いが、お盆には人も出入りするので、

何としかしないと。 明日、もう一度見て対応を考えることにする。 困った困った。

8月10日

 朝から私園で草むしりとアジサイの剪定作業をしていた。

 何か仕事をしようと園内を歩くと、途中で目の前の作業のために掛ってしまうため、なかなか一つも完成に近づかないが、

いつまでにと期限がある訳ではないので、のんびり作業をしている。

暑い日が続いているので、3時からは水撒きしている。

地表部に土壌が出来上がれば、自然な雨だけで生育できるのであるが、石混じりや転石混じりの土砂であるため、

モグラやミミズの助けを借りても、土壌化するには何年も掛ることである。

秋になり、涼しくなれば、以前から堆肥化していた土を撒き散らし、

残っている残土と混ぜて堅い表層土が土壌化できればと思う。  

8月8日

 お休み日としていたが、県外の友人が来てくれることになり、少し遅く私園についた。

少し川側の整備、整理について助言を頂き、その作業に当たった。

途中で、背中と右肘が痛い。何かに挿されたらしい。 

ツバキの木を片付けていたので、チャドクガかなと思ったが、一晩経ったら、治っている。

しかし、今日は大事を取って休んでいる。

私園はこの連日の暑さで、アジサイを中心に萎れ掛けている。

知人から良いアドバイスを得た。葉が沢山あり過ぎるから萎れるので、半分程に刈り込んだら良いよと。

確かにそうだね。まだ十分に根が張っていないのに、葉も花も咲かしたので、こんな夏には水分が不足するのである。

水を撒くことだけ考えていたが、今後の立ち姿をも考えて思い切って剪定して

来年、再来年に見られるようにすることにした。

 明日、また、頑張ろう と 。

8月7日 

今日は私園の作業日 朝から出かけて3時までひたすら草むしり

場所は私園の入口の右側の、モミジの木影で、苔が生えている範囲である。

先日、兼六園で苔むした園内をきれいに維持管理してくれている、おねいさま方に出会った。

スギゴケの間からわずかに顔出した雑草も、一本も残さずに取り除いて居られる。

暑い中大変根気のいる作業で、この姿勢では男は長くは続けられない。

でも週5日、夏も冬も毎日である。ご苦労様と言いたい。

その真似をして草むしりする訳であるが、普段放置しているので、色んな雑草

特に根が深い地下茎のある草などが混じっているため、手では完全には抜けない。

最初は真面目にしていたが、進まないので、ざっくり目立つもの主体に毟ることにした。

最初は日陰にいたのだが、だんだん陽当たりが良くなってくる所は暑い。

水飲みながら、途中からは高校野球を聞きながら、気をまぎら化して3時まで頑張った。 

星稜が勝った結果を受けて、草むしりは止めて水撒き作業に掛かった。

先日毟った慰霊碑の場所と、今日毟った苔区画に、一杯水をあげた。

どうしても苔も剥がれ起きてしまうので、一度水で湿らして落ち着かせれば、

雑草を抜いた穴の苔の再生も早くなるはずと思う。

相変わらずモグラさんは、新しい巣穴を掘り返して、二つ程新しい小山が出来ていた。

巣穴に水を流し込まれたら怒るわな。 ごめんなさい。 

でもそうした穴から水を入れることで、樹木への水分補給もし易くなっている。

8月3日 

 朝から私園に出かけて、草むしり。

今日の作業範囲は、亡き父が先の大戦で亡くした上官、同僚、部下、教え子達の慰霊の碑と墓を残した区域である。

大きくなったモミジの木々に囲まれた苔むした区画で、コケの中に生えてくる草や蔓、ドクダミをむしり取った。

最近になって、土の山があちこちに剥げた小山が出来てきた。 

モグラさんが深い巣穴を作り、その掘った土を外に運び出して山にしたものである。

放置して来たが、さすがにお盆を迎えるのに、そのままにしておく訳には行かず、草むしりの後、

水撒きをしてトンネルに水で土砂を泥んこにして流し込み元の土地にした。暫くすれば、コケも生えてくるだろう。

コケが生えるのが先か、モグラがまた穴を開けるか、自然に任せましょう。

一人の作業では私園の世話が出来るはずもなく、貴兄達やモグラ、ミミズ、カラス、

そして多くの葉に着いている幼虫たち、その幼虫を食べている蜂達、そんな生き物達みんなの住処なのである。

東屋に大きなアゲハチョウの幼虫が入り込んできた。

動かない所を見るとここで蛹になり、羽化することになるかも知れない。

本当は雑草という植物があるのではなくて、それぞれが一所懸命に生きているのである。

そのことも、判った上で、草むしりに精を出しているのである。 管理人

4月初めから作業してきた私園の小屋 東屋がやっと形になったので、その経過を整理してみた、

CADで図面を書きそれに基づいてと思ったが、材料がこれまでに集めた残材であるので、

それに併せて作っていくうちに、出来上がったので、予定と違うし、これからも追加して変わっていくと思う。 

何とか、風や雪で壊れることのないように使いながら、補強していくことにしている。

 

8月1日 

 今日も暑い日であった。 私園で、草むしりの仕上げにかかった。

中央の苗畑には、挿し木で作った苗木が、まだ一杯残されている。

苗と雑草が入り乱れて生長しているため、手で分けて、むしり取らないと区別が出来ない。

げんのしょうこやチドメグサなどが、びっしり地表面にへばりつくように繁茂しているため、なかなか毟れない。

また、ドクダミやヤブガラシも地下茎で繁茂しているので、完全に駆除は出来ない。

ゲンノショウコは昔、祖母が干して薬草としていた。 お茶にして飲んでいたが、私は好きではなかった。

何とか、苗畑と苔山と、道路端の斜面の草取りを終えた。

そして帰る前に、草むしりした跡地の苗木を植えた場所に、ポンプで水撒きをタップリした。

当分真夏の暑さが続くので、人と同じで水分補給してあげないと枯らしてしまう。

本当は、植え木には水やりはしなくても良いのであるが、土が保水性がないので植えた人が責任を持たなければと思う。

 手が草むしりで痛い。明日はお休みしよう。 草むしり人夫

7月31日

 今日も暑くなりそう。 昨日は早朝から私園で、草むしり。

草刈り機で刈れない、木々の回り、斜面の草、道路沿いののり面に植えたサツキの周りの雑草を手で引き抜いた。

抜いた草は、木々の回りに集めて乾燥と浸食防止の土留めのようにしていった。

サツキは根が浅く細かいので、まだ、安定した根張りにはなっていない。

週末には一度水撒きをしないといけないようである。

一日かけて、どうかな 私園の面積では、1割程度が終わったかな。

今日はお休みしているので、明日はまた、頑張って、残りのアジサイの周りの草刈りと、

花が終わった後のアジサイの剪定を終わらせよう。

そうこうしているともうお盆ですね。 みんなで集まれるかな。

新しく立った小屋付近には、今頃から一月程、オロロやアブ、ヤブ蚊が飛び回る。

何とかしたいものである。 

2018年1月9日

     10月半ばから私事で作業を中断している内に、冬を迎え、雪や雨の日が続いたまま、新年を迎えることとなった。

     早、10日近くなり、漸く落ち着いてきたが、作業に懸るには天候が悪いので、自宅での待機が続いている。

     桜の大木の切り戻した幹から、沢山芽吹いた枝の大半は、徒長枝と立ち枝が多いので、整理しなければならない。

     しかし、アルミ二段ハシゴの上での作業となるので、一人でやるのは怖いので、義兄達の手助けが居る。

     途中で中断している水路作りも大変な作業である。そして、堆肥の撒き出しと盛り土の撒き出しも冬場仕事である。

     休んでいる間に体力も落ちてしまったようなので、焦らずに少しずつ春に向かって始めていくこととしたい。  

12月6日  10月の半ばから私事で故郷へなかなか行けなくなり、時々天気を見ながら、私園の見回り程度しか出来なくなった。                                      

     12月に入るもあまり変わりがないので、紅葉を見に行ったり、落ち葉の片づけしかできない日が続いている。

     天気も悪く寒い日々が続くので、あまり無理はせずに天気と事態が好転した時に出来る範囲で作業することにしたい。

     木々や下草植物などは自然の気候、風雪に耐えて春を迎えると思うので、彼らの自力に任せたい。 

11月3日 文化の日、漸く私園の紅葉が始まった。入り口付近から少しずつ赤くなりつつある。
     まずモミジ葉の紅葉を写真に撮ってから、作業にかかった。
     我が家で一夏グリーンカーテンとしてそしてミニトマトを沢山食べさせてくれたトマトを刈り取って
     私園に運んできたので、堆肥囲いの最上部に積み込んだ。
     その後、ヒラドツツジとアジサイの挿し木苗を10本ほど、暗渠水路沿いに植え込んだ。
     表土は5pほどでその下は、堅い石だらけの盛土になるので、植え穴の部分だけ30p程まで掘り込んだ。
     その穴に堆肥を半分と砂を半分混ぜて植え床とし、掘り取った苗木を改良土の中に植え込んだ。
     苗の間の地面には、ヒガンバナの球根を10p間隔で1球ずつ植え込んだ。
     来年の秋には私園の1/4はヒガンバナだらけになり、3年ほど経つと真っ赤な絨毯に変るだろう。
     帰るころ、ナメコを採取して、家路に着いた。

10月26日 晴れた一日ヒガンバナを植えた新しく盛り土した川縁の土地を囲むように、
     タマリュウの苗を、線状に配置して、砂の土留めの役割をして貰うことにした。
     タマリュウは一年中、緑の葉を茂らせているので、ヒガンバナが夏眠に入った夏場に、

     カバープラントとして機能するのである。
     園内にはあちこちに自然に繁茂しているタマリュウがあるので、その範囲を広げていきたい。
     また、園路の縁取りにも使えるので、自生している所の株分けで広げることもしたい。
10月24日 台風通過後の私園の様子を確認してきた。川縁の土砂が流されていたが、酷くはない。

     他に枯れ枝が少し落ちたが、これも少ない方である。

     川縁のヒガンバナを株分けして、園路に沿って沢山花が咲くように植え付けた。

     春までにはそれぞれの球根が大きくなるだろう。

     そして、土留めの役割も果たしてくれるだろう。 

     今後は園路の完成と水路掘削の続きが残っている。 

10月14日 同窓会から帰り、私園の草むしりに、一汗かいてきた。
     春に植えた斜面のサツキの葉色が良くなかったので、斜面に流れ落ちた土を戻して、手のコブシで固めてみた。
     管理人は、本来迷惑な雑草という植物はないという考え方であるが、クズや背高泡立草等侵略的な植物は、

     出来るだけ駆除している。
     チドメグサやドクダミ、オオバコもなるべく無くしたいが、彼らの方が強いから、多分無理だろうな。

10月11日 ヒガンバナの植え替え。200球ほど川縁の空き地に10p間隔程度にバラバラに配置。秋には花が咲き、分球するはずである。

10月9日 先日から、かかり始めてきた排水溝掘り、何とか掘削し終えた。
      排水管の口径分ほどさらに掘り下げて、周囲を砕石と砂で埋め戻す予定
      さらに上流側へあと10m程、今度は開削水路として掘り上げて、ホタル水路にしたい

10月7日から8日まで  農道沿いのマツと珍しい多行松の剪定 サルスベリとイチイの剪定

10月2日〜5日 私園南側の地下水位の高い部分の排水溝掘削作業

     雨が降ると水が溜まり、掘削すると直ぐに水が湧き出す部分に排水暗渠パイブを敷設することとし、手掘りで深さ50pほどの溝を掘削している。

     数日掛かる予定である。 溝が完成したら、メクラ暗渠パイプを入れ、砕石も入れて、埋め戻しは砂を使用する予定。

     こうすれば、排水効果が出て、歩きやすくなるはずで、樹木の生育にも良い環境になるはず。

     川縁にヒガンバナを150球ほど新しく植え付けた。 その川縁にベンチを設置する平地を盛り土整地することとし、粗方完成した。

       

9月29日 ヒガンバナ区画の草むしりと片付け2  

9月28日 ヒガンバナ区画の草むしりと片付け  

9月26日 草むしりと片付け キンモクセイ満開 

9月24日 草むしり 午後バーベキュー 義兄達来る

月22日 ヒサカキの中木の剪定  毎年しているもので、農道から一番目立つ木である。

    ボケの木の剪定 2本の小木 見晴台の草むしりと、生家の庭に繁茂していたヒメイワダレソウをグラウンドカバープラントとして敷き詰めた。

    農道南側園地内の園路の草むしり開始 金木犀が咲き始めていい匂いがする。 彼岸花は5分咲きになる。

9月21日 農道北側園地 織部灯籠の脇で花ワラビの株を二つ見つけて残した。 

9月20日 生家の庭のヒメイワダレソウのコンクリート面に広がった群落をはぎ取った。 生家の前庭の花木の剪定と草むしりをして私園に運搬した。

9月19日 歯医者に行った後、私園の草むしり。