共和会

共和会は旧小立野新町と旧松下町との合同の町会名である。
現在(昭和39年以降)の住居表示では小立野3丁目と石引2丁目の一部である。
共和会という町会名は、大正4年(1915)で小立野の各町のうちで、上石引町の石引大四会とともに町会の成立は古く、今から85年前の結成である。

共和会の母体である小立野新町の起源は藩政時代の元文5年(1740)に小立野新町に火災があったとの記録がその初見である。
その後、藩政期の度々の資料に小立野新町の存在を示す資料が散見されるが特に文化8年(1811)の金沢絵図名帳に小立野新町の住民1人1人の所在とその職業が明示されている資料は貴重である。
一方、松下町は明治2年(1869)に金沢の町の1町となった町で藩政時代には横山蔵人家中の屋敷地であったところである。(蔵人は横山家の支家で一万石、人持組)大正5年(1916)にはこの町の戸数52戸、人口242人と記録されている。