鳳正会

鳳正会は旧町名でいえば土取場永町、土取場城端町の町会である。
往時(金沢大学医学部創立以前の明治中期まで)は土取場撞木町という町もあった。
この町の呼び名は『つちとりば』であるが地元の人は『ツットリバ』とも呼んだ。
この土取場の名の由来は(1)城下の内外総構の土手を作った時、この地の土を取った(2)犀川の堤防を築いたとき、この地の土を取った(3)瓦を焼く土を取ったなどの説があり、判然としない。

さて、この土取場の名称が文献(改作所旧記)に見える最初は寛文4年(1664)というから随分古くからの町である。
そして元禄9年(1696)には土取場は金沢の地子町の一町となっている。
文化8年(1811)の金沢町絵図名帳にはこの町の住民の氏名と職業構成もあきらかである。
そして、その頃前述の3町のほか土取場一ノ小路などの5町があり合計8町にも及んでいた。

明治4年(1871)前述の8町が種々吸収合併して土取場永町、土取場城端町、土取場撞木町となり、撞木町は明治34年(1901)以降この地に建設された金沢医学専門学校(現・金大医学部)の敷地に吸収された。
昭和39年(1964)これらの伝統ある町々が吸収合併され、石引1丁目の中に包含されてことはかえすがえす残念なことであった。

なお、この地にあった永順寺は明治38年、菊川に移転、また等願寺が明治中期小立野地区(三区)の市会議員選挙投票所に使用されたこともあった。
鳳正会の町会名は終戦前から古くからの町会名である。
その詳細は明かではない。