白山町会

町々をそのまま町会名としたが白山町は藩政期には波着寺門前と呼ばれていた。
明治4年(1871)波着寺の山号をとり、白山町とした。

波着寺は眞言宗高野山派に所属する寺院で、もと越前の一乗谷にあった。
前田利家が越中府中(武生市)に在住の時、祈祷所として保護した。
前田利家が金沢に入ったのちは住職空照を招き、はじめ、現在の兼六園に該当する場所に寺院を与え、寺院を建立したが元和5年(1619)現在地に移転させていた。

皇国地誌(明治初年に著わされた地誌)によれば「上石引町中間ヨリ西ニ入リ縦横数町トナリ、或ハ死道トナリ、或ハ一本松ニ通ス」と記載されている。