一松会

一松会は旧町名一本松の町名から町会名とした。
一本松は藩政期から、金沢町の地子町の一町であった。
明治に入ってもそのまま永くその町名が続いたが、昭和39年(1964)の住居表示の改正で、石引2丁目と笠舞3丁目の中に吸収され永い伝統の町名は消失した。

一本松は小立野台地の西方の麓に位置し、小立野台地側にのみ家屋があったため一方町と呼んだのが誤って一本松になったのではないかとも云われている。(金沢古蹟誌)元禄9年(1696)の金沢町名書に笠舞一本松の町名で所載されている。
明治4年(1871)戸数64(加賀藩史料)、明治13年(1880)には、この町に戸長役場がおかれたこともあった。

アジア太平洋戦争(1941〜1945)中、この町の町会が隣町の上欠原町と一緒になり、朋友会を名乗ったこともあったが戦後、同町会から分離・独立し一本松を名乗るようになった。