鷹匠会

旧石引町の通りの南西側に位置する両側に鷹匠町があったことにより、その町名から町会名を鷹匠会をした。

旧鷹匠会の由来は、寛文2年(1662)にこの地に鷹匠組の屋敷や鷹部屋が置かれた(金沢古蹟志)ことによる。
それ以前の鷹部屋は並木町の前田兵部屋敷地にあった。(金沢古蹟志)

元禄6年(1693)には石黒源左衛門ら20余名の屋敷地があった。(侍帳)

明治4年(1871)の町名の改正で上・中・下の鷹匠会となった。
旧金沢史(稿本 金沢市史・市街編第二)によれば、上鷹匠町については「二十人町4番丁の西北に並行し、中石引町に通じ、又中間西北に通じて中鷹匠町に達せり」と記述し、中鷹匠会については上鷹匠町の西北に並行し、西南中欠原町の界に達せり」と記述されている。

昭和39年(1964)4月、住居表示の改正で鷹匠町は石引2丁目及び石引4丁目の一部となった。
なお終戦前、町会名として鷹和会と称していた時代もあった。