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日本での外国人たち |
外国の人たちの、日本での一こまを取り上げてみました。
今では田舎でも見受けられるようになり、身近に感じられるようになってきました。
学んでいる人、日本人と結婚した人、働いている人など、さまざまです。
mえむが出会うわずかな機会では、きわめて不十分なものですが、
ほんの一端でも紹介したいと思い、このページを作りました。
加賀友禅の着物を制作したロシア人女性 |
![]() 第31回伝統加賀友禅工芸展に出品 作品名は「夢の流れ」 人間は自然に恵まれて、 どんなにつらいときでも 四季の美に心は安らぐ そして、 優しい心の中で夢が生まれ その夢をかなえるように頑張って 小鳥みたいに家庭を作って それを守りながら 人間は幸せになる |
ホワンチュク・オリガさんはウラジオストク出身で、着物の勉強は大学の一年生のときに始まりました。初めて日本の着物について発表をして、このテーマに魅力を感じました。そのときからずっと日本の服装の歴史を学び続けて、今でも研究しています。極東国立総合大学を卒業して、当大学の日本歴史研究科に勤めました。そして、修士課程をとって、2007年に研究生として来日しました。この研究プログラムに申し込んだきっかけは友禅染への憧れでした。 2000年に金沢を旅行した時、加賀友禅作家に会う機会がありました。友禅染の工房とその作品をはじめて見て、手に触ってとても感動しました。いつか友禅を習えればいいなと思いました。数年後に再会できて、夢がまた浮かび上がってきました。それからまた数年後に今回の機会を得て、やっと金沢に来ました。 2年間、伝統加賀友禅を勉強して、意欲的に作品に取り組み、振袖も2枚制作しました。図案から本仕立てまでの道は難しくても、持ち前の努力でやり遂げました。師事した作家の推薦で異例の展示会出品となり、好評を博しました。写真の振袖を着たオリガさんの姿をどこかのパーティで見る人は幸いです。 彼女はウラジオストク市で着物の紹介にも尽力しており、日本からの着物を愛好する人たちと協力して「着物ショー」を開催しています。 |
技術研修員 | |
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平成17年度、石川県が受け入れた海外技術研修員は11人。
中国、ブラジル、カンボジア、ラオスから来て、研修内容に応じた各機関で研修を受けます。夏に来日して、まず日本語研修、それから半年の技術研修です。南の国の人は、寒くて雪の降る冬も経験することになります。研修だけでなく、様々な見学や学校訪問などの交流も行います。 mえむはアルバイト先で情報技術の研修に来た二人の青年、カンボジアからのシーネットさん(男性)とラオスからのポンケオさん(女性)に会う機会がありました。二人のまじめさには脱帽です。研修はもちろん、人々に対しても誠実です。休憩時間には周りに日本人が集まり、互いの国の名所や料理などについて話していました。 上の写真は、次項にある国際交流のイベントに参加した時のものです。民族衣装を着て、自国の紹介をしました。 ラオスの女性の衣装は正装で、肩にかけているのは絹の手織とのこと。 ラオス・日本友好協会で働く彼女は、以前にホームステイ先で着物を着たこともあります。また、語学に堪能で、2年間中国に留学し、英語、日本語も上手です。 ポンケオさんの隣は、石川県畜産総合センターで研修を受けているチャンタカンさん。ひとなつっこい雰囲気は動物に対しても同じなのだろうと思いました。カンボジアの旅行社で働くマオ・シーネットさんは日本で買ったパソコンで自国の紹介をし、料理も作りました。 彼らはこのページをUPする今日2006年2月25日、小松空港から帰国しました。家族や同僚たちに、日本滞在についてどんな話が出てくるのでしょうか? |
国際交流のイベント「国際ふれあいDAYS2005inHAKUSAN」 | |
![]() 工芸品などをたくさん並べたロシアのブース。 石川県の友好都市イルクーツク州から来た留学生から、流暢な日本語で「マトリョーシカの中にクイズを書いた紙があります」と、挑戦を勧められました。 試験を受ける学生の気分で選んだのは「ロシアの小学校は何年?」。日本より短かったという記憶しかなくて4年と答えたら、間違い。3年でした。 |
年に一度、石川県国際交流協会主催で開かれるイベント。2005年は10月29日に白山市で。
講演会やショーもあり、県内の国際交流団体紹介ブースもあります。5階のブースでは、国際交流員、外国語指導助手、留学生が自国紹介しているということなので行ってみました。 10数カ国のブースがあったでしょうか。入口近くにラオスとカンボジアからの研修生の姿。 彼らと話したり料理を食べたりしてから、mえむが興味のあるアイルランド、チリ、ロシアのブースに寄ってみました。 日本語ぺらぺらの言語学専攻の人もいれば、日常会話も誰かの力を借りなければならない人もいます。 でも、共通しているのは自国を知ってもらいたいという気持ち。 小雨の中を出かけてきた日本の人々も、今まで知らなかったことを見聞きし、体験して、楽しい一日を過ごせたでしょう。 |
女性剣士誕生 | |
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新潟に県費留学していたウラジオストクからの学生オリガさん。 日本の服飾歴史を研究テーマにしている、落ち着いた雰囲気の女性。自ら想像もしなかった剣道を勧められての、この姿です。 緊張した昇段試験にも合格し、晴れの初段。 新しい自分発見をしたことでしょう。 垂にある名前は漢字を当てはめ「御利雅」と表記。隣のロシア人男性もセルゲイを「世流迎」としている。 | |
一度は着てみたい着物 | |
![]() | 着物姿のエレーナさん。 東京でボランティアの人に着せてもらいました。 日本語を学ぶ人は、日本の衣食住についても知りたがります。 また、日本を紹介、体験してほしいと願う日本人が勧める代表的なものの一つが「着物」です。 どう?似合うでしょう! ![]() |
女性にうれしい「ひな人形」 | 男性も混じって折り紙 |
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わが家が場所を提供した二つの集い。 中国人留学生が多かった。折り紙でアジサイの壁掛けを作ったときは、ベトナムなどからも。 10人ほどの学生(元学生も含む)を招待したのは、長年、留学生の世話や相談にのっている松原さん。全くのボランティアで行っている姿に頭が下がります。 |
mえむ最初の外国人は韓国人 |
昭和30年代、mえむが小学生の時でした。友達も増え、行動範囲もすこ〜し広がって、隣の集落の人の所へも遊びに行くようになりました。ある友達の家へ行くと、おばあさんら家族が聞いたことのない言葉を話していました。韓国語(あるいは朝鮮語)でした。当時、私は南北の区別など分からず、どちらでも構いませんでした。父親は鉄屑などの廃品回収業で、回収物置き場は自宅に接した所でした。 仲が悪くなかったその友達は髪が長く、三つ編みでした。三つ編みが珍しいわけでもなく、私にはうらやましいぐらいでしたが、学校ではなぜか国籍と関係づけて彼女を嫌う人もいました。国交回復の1965年(昭和40年)以前のことで、大人の社会では偏見の残った時代だったのです。 在日外国人の中で最も多い60万人、30%を超える韓国・朝鮮の人たち。日本で生まれ育ってもなお、外国籍ゆえの様々な痛みの中にあったことを知ったのは、mえむが20歳を過ぎてからでした。当事者の話を聞いたとき、あの子供の頃にもっと優しく、親しくしていたら、と思ったのです。 |