捨閉閣抛(しゃへいかくほう)
捨てよ、閉じよ、閣[さしお]け、抛[なげう]て。
四箇格言というものは法然がやったことなのである。
阿弥陀仏以外はすべて自力の修業であって、密教もこれに含まれる。
●「捨てよ、閉じよ、閣[さしお]け、抛[なげう]て」を意味する。日本浄土宗の開祖・法然(源空)が著した『選択集』の趣意。
仏語。法然が選択集に、浄土門と正行をすすめて聖道門と雑行を否定した、その否定の用字(捨雑、閉定散門、閣聖道門、抛諸雑行等)をまとめたもの。
●難行道・易行道(なんぎょうどう・いぎょうどう、実践が困難な修行と易しい修行のこと)。易行という語は、もとは龍樹作とされる「十住毘婆沙論じゅうじゅうびばしゃろん」の中の巻第五「易行品第九」にあり、そこでは、菩薩の修行に関して、阿毘跋致[あびばっち](不退)に入るのは困難であるが、諸仏の名をとなえるといった易行があると説かれている。2〜3世紀ごろ、インド大乗仏教の理論的大成者である龍樹(ナーガールジュナ)は、『大智度論』および『十住毘婆沙論』において『般舟三昧経』の所説について言及している。曇鸞・道綽・善導[どんらん・どうしゃく・ぜんどう]はこれを『往生論註おうじょうろんちゅう』で独自に解釈し、菩薩が不退(不退転:修業を放棄しない事)を求める修行に難行・易行の2種があるとし、浄土教を易行道とした。さらにこれを法然(源空)は『選択集』で恣意的に解釈し、「聖道・浄土・難行・易行」の4旨を建てた。易行というのは、楽な道という意味である。難行道を聖道門[しょうどうもん]、易行道を浄土門とし、聖道門を排除した。つまり阿弥陀仏以外は、苦しい修行であり、楽をしたい人は念仏を唱えよという意味である。
●「十地経」じゅうじきょう(菩薩の修業を十段階に分けたもの)は華厳経の「十地品」として編入されている。この十段階は、空海の「十住心論」にもえいきょうを与えている。
●立正安国論:抜粋(問答形式:客と主人)
立正安国論 第4問道 謗法の人と法について 客は変わらず憤って言った。賢王は天地の道理によって万民を導き、聖人は道理を明らかにして世を治めるものです。世の高僧たちは天下の帰依するところであり、彼らが悪僧ならば賢明な王が尊敬し信ずるはずがありません。また聖師でなかったならば賢人や哲人が敬うはずもありません。今賢人や聖人が尊敬するのを見ても、今僧たちが偉大な存在であることがわかります。どうしてあなたはでたらめなことを言って、むやみに彼らを謗るのでしょうか?いったい誰を指して悪僧だというのでしょうか?詳しくお聞かせください。 主人は答えて言った。後鳥羽上皇の時代に法然というものが選択集を現しました。この書物が、釈尊のとかれた聖教を破壊し、多くの人々を迷わせる原因となったのです。その選択集には次のようにあります。道綽禅師は仏教を聖道門と浄土門の二手に分け、聖道門を捨てて浄土門に帰依せよと述べた。その聖道門には大乗と小乗の2つがあり、大乗の中には顕教と密教、権教と実教の相違がある。道綽禅師は小乗と大乗の中の顕教と権教とをさして、聖道門としたが、 わたくし法然がこれに準じて考えたところ、密教と実教も聖道門に含まれるべきである。そうしてみると現在の真言、禅、天台、華厳、三論、法相、地論、摂論しょうろんの八宗は、すべて聖道門として去るべきである。 また曇鸞法師の往生論註には、おそれつつ龍樹菩薩の十住毘婆沙論を読むに、菩薩が悟りを求めるのに2つの道がある。一つは難行道、もう一つは易行道であると説かれている。ここに言う難行道とは聖道門、易行道とは浄土門のことである。浄土宗を学ぶもの是非ともこのことを知らなければならない。たとえ以前から聖道門を学んでいる人であっても、もし浄土門を信じる志があれば迷わず聖道門を捨てて、浄土門に帰依すべきである、とあります。 また選択集には次のようにも書いてあります。善導和尚は修行法を正行、雑行の2つに分け、雑行捨てて、正行に帰せよと述べた。第一に捨てるべき読踊雑業とは、観無量寿経、大無量寿経、阿弥陀経の浄土三部経以外の大乗、小乗、顕教、密教の諸教を信じたり読んだりすることである。次いで第3の礼拝雑業とは阿弥陀仏以外のすべての仏、菩薩、諸天善神を礼拝し敬うことである。わたくし法然が考えるに、この善導和尚の文によれば是非とも雑行を捨てて正行を専修すべきである。 どうして100人のうち100人が確実に往生できる専修念仏の正業を捨てて、1000人に1人も往生できない雑業に執着する必要があろうか?修行者はよくよくこのことを考えよ。とありますまた次のようにも書いてあります。貞元入蔵録という目録には、大般若経六百巻から法常住経までの顕教、密教の大乗経、総じて6307部、2883巻が記されているが、これらは皆、観無量寿経が説く所の読踊大乗の一句に入ってしまうのだ。まさに知るべきである。 方便の教えとして説かれた随、他意の経には一時的に定善、散善による救済の門が開かれているが、真実の教えたる随自意の経が説かれれば、それらの門は閉じられ廃止されてしまう。ひとたび開いて以後、長く閉じられないのは、ただ念仏の一文だけであると、さらに次のようにあります。念仏の行者は至誠心、深心じんしん、回向発願心の三心を備えるべきである。 観無量寿経にはこの三心を備えよと説かれているが、善導和尚の観無量寿経しょの中には、もし仏法の理解と修行の不同を主張して、浄土念仏を否定する邪見雑行の人があれば、その難を防ぐために一つの例えを示そう。西方に向かって歩み始めた旅人に対して、東岸にいる軍属が「その道は危険なので引き返せ」と叫んでいう。彼らこそ浄土念仏を妨げる別解、別行、悪見の人たちなのだと。 わたくし法然が考えるに、ここにいう別の見解や別の修行、異なる学問や主張等とはまさしく聖道門を指すのであるとあります。また、選択集の結びの文には、そもそも速やかに生死の苦しみから離れたいと思うならば、二門のうちまさに聖道門を差し置いて浄土門に入りなさい、「浄土門に入ろうと思うならば正行、雑行の修行法のうち、まさに雑行の修行をなげうって、正行の念仏を選び取りなさい」と記されています。 これらの選択集の文章を見ると、法然は曇鸞、道綽、善導の誤った解釈を引用して、聖道門と浄土門、難行、雑行道と易行道を立て分けています、その結果、法華真言をはじめ釈尊一代の大乗経6307部、2883巻およびすべての仏、菩薩、天神をみな聖道門、難行、雑行の中に入れてしまい、それらを捨てよ、閉じよ、差し置け、投げ打てと説いているのです。この捨閉閣抛の四字によって、多くの人々を迷わせ、その上インド中国、日本の高僧や仏弟子すべてを、軍属と呼んで罵ったのです。 これらの誹謗の言葉は法然自らよりどころとする浄土三部経の、ただし五逆罪を犯した者と正法を謗るものは救いから除くという阿弥陀仏の誓いに背き、釈尊一代の肝心たる法華経の比喩品の「もし人が法華経を信じずして謗ったならば、その人は死後に阿鼻地獄に落ちるだろう」という戒めに迷うものです。 今また世は末代に入り、人は凡夫ばかりで聖人など言いません。皆迷路に入り込んで悟りの正しい道を見失っていますそして悲しいことに誰もその迷いから目覚めさせようとせず、痛ましいことに誤った信仰が広まるばかりなのです。このようにして神は国王から下は万民に至るまで皆頼るべき経は浄土三部経のほかになく、頼るべき仏は阿弥陀の三尊の他にはないと思い込んでいるのです。 振り返ってみますと伝教、義真、慈覚、智証らの先師たちは、万里の波濤を越えて唐に入っては聖教を、各地の山川をめぐっては尊い仏像を我が国に将来し、あるいは比叡山の頂に堂塔を立てて安置し、あるいは深い谷に堂社を立てて崇めてきました。すなわち比叡山の東塔には薬師如来、西塔には釈迦如来が安置されて以降は現在未来までに及び、横川には虚空蔵菩薩と地蔵菩薩が祀られて来世までも人々を導いています。 それゆえ国主は群や郷を寄進してその燈明を輝かし、地頭は田園を寄進して供養してきたのです。ところが法然の選択集が広まったせいで、人々は教主釈尊への信仰を忘れ、西方の阿弥陀仏を尊い伝教大師から付属のつづく東方の薬師如来を差し置いて、ただ四巻三部の浄土教だけを信じ釈尊の一代五時の教典はむなしく忘れ去られてしまったのです。 このようにして人々は、阿弥陀堂でなければ供養せず念仏僧でなければ布施もしないようになってしまいました。その結果仏道は寂れて屋根は苔むし、僧房は荒れ果てて庭には雑草がはびこる始末です。そのような光景を見ても人々は守り惜しむ気持ちもなく、御堂を立て直そうとも思わない。このような状況なので十持の聖僧も、どこかへ行って帰らず、守護の善神も去って戻らない。これらはもっぱら法然の選択集が原因なのです。 悲しいことに、ここ数十年の間、百千万の多くの人々が法然の魔縁、悪説にたぶらかされて、仏教のの正邪に迷っています。誰もが謗法を好み、正法を忘れています。これでは守護の善神が怒らないわけがありません。皆が円満で正しい法華経を捨てて、偏った浄土念仏を信じています。これでは悪鬼が乱入しないわけがありません天変地異を鎮めようとするならば、多くの祈祷を行うよりも災難の根源たる法然の専修念仏を禁止することが先決なのです。 |