金沢市南部地区公民館「2月研修」
とき:2007年2月10日(土)
じかん:14時00分〜16:15分
ところ:西南部公民館
講師:谷口 正幸氏
石川県社会教育委員、県公連顧問
  
 
▼氏は現在82歳。車いすで登場し、年末に風邪をこじらせ万全な体調でないと話されたので、大丈夫かなと思ったが私たちは退屈せず2時間強の講演に聞き入った。気力一杯の講演には最初から最後まで圧倒され続けであった。
 
▼氏は、昭和23年に鶴来町の公民館主事を皮切りに生涯、公民館活動に関わりたいとの強い意志で今日まで勤め上げられ、公民館活動の現状と課題について各地で講演活動を精力的に説いている。
 
公民館は生涯学習活動のための中心的機関・施設
であるという認識から、氏の青年時代の公民館活動は決まったルールもなく、手探りで何んでも実施してきたと言う。 
 「自動車免許取得のための1年通しの講習会」
 「議会人になるための地方自治学級」
 「謡・仕舞いの学級」
 「お見合いからハネムーンまでの学級」
 「ご臨終から初七日までの学級」
 「仏壇の飾り方」
 「○○神社から△△神社までの探索学級」
 「花一杯運動」
 「時間励行運動」
 「若妻学級」
 「仲人学級」など
常に地域の人たちと接触し、アンテナを張り巡らし、その時々に応じた学級を開催してきたと言う。
▼時間励行運動では、いわゆる鶴来時間(金沢時間)を無くすため、人を待たすことは人の時間を盗むことであり、一種の犯罪行為であるとの意識付けをしてきたこと。
▼若妻学級では出産・育児の案内を本人でなく姑さんに連絡して本人が出席し易い雰囲気作りをしてきたこと。など地域密着で実施してきたこと。
 
家庭における教育力の向上のための公民館としての役割
を考えてみる。
▼先ず、何故、家庭の教育力が低下しているかを5年前の総理府の調査から拾った。その主な内容は、
 @過保護・過干渉・甘やかせ過ぎの親の増加
 A良い・悪いの判断の出来ない基本的な生活習慣・態度が欠如していること
 B子どもに根気強さ・忍耐強さ・意志強さ・我慢をさせる「欲求抑止の耐忍性」などの「心のブレーキ・ハンドル」が欠如していること
  ・我慢について氏は、自分の息子に言って聞かせたことの紹介があった。子どものとき、どうしても欲しい玩具があり駄々をこねたことがあった。「だれださんが持っている。」と妻を困らせていた。
  ・私は言った。「欲しい物を何でも買えば、本当に欲しいとき買えなくなるぞ」と50回言ったら買ってやると言った。
  ・最初の2、3回は勢いよく言ったが途中、べそをかき涙ながら小声で言っていた。側で見ていた妻も兄も涙して見ていた。
  ・最後の50回目を言ったので200円出して、玩具を大事に使うのだぞと言って次男に渡した。すると、受け取ると思った次男からは「要らない」と言ってきた。
  ・「何んで」と聞いたら「本当に欲しい物でないから」と言ったそうである。
  ・この話は私の心に残った一番の財産であるという。その次男は今、某金融機関の支店長をしているそうである。
 
▼次に、教育力低下の要因として 
 C「しつけ」や教育に無関心の親の増加などがあげられる。
  「しつけ」では氏はこのように説明した。
  ・子どもが初めて失敗したときは、「何でだっちゃんことしたがや」と感情的に怒るより、愛情を込めて指導の心を持って叱責すべきである。
  ・2回目の失敗は、愛情を込めて注意する。
  ・3回目以降の失敗は、愛情を込めて訓戒や正座をさせる。
 
  よくこんなことを言う親がいる。
  ・学校から帰ってきた子どもに教育させるため塾に行かすと言う。そういう一体学校は給食を食べる所かと? 
  ・家で子どもの教育をするので学校で「しつけ」をしてくれと。
   1+1=2 2×6=12ならまだしも 分数も2階立てになり、αβγとなるとからっきし駄目になる。
 
▼「しつけ」は親子愛のある家庭で行うべきである。
 家庭と言う言葉には家には父、母、子ども、祖父母がおり、庭には花が咲き、鳥のさえずりがあり、風がそよぎ、月明かりに照らされることにより、子どもにも情緒、思いやり、知恵が湧く豊かな心が育つところである。また、苦しい・楽しい・いろいろな姿のあるところでもある。年に1度の墓参りや情緒のある生き方を大事にしたい。そういう家庭が大事である。
 
▼子どもを育てるには豆を育てるのに例えられる。
 先ず豆をまく、芽が出る。つるが真っ直ぐ伸びていく。放っておけば地面に這う。ここで親が手を差しのべ、棒を立てる。つるは回りながら上へ伸びていく。途中不必要な芽は摘む。大きくなって素晴らしい実になる。こんな例である。
 
▼人生の挨拶として「おあしす」と言う言葉がある。
 お:おはよう、おやすみ 
 あ:ありがとう 
 し:失礼しました 
 す:すみません 
 感謝の心、反省の心、道徳心、信仰心が必要である。手と手を合わせるとしわがよるので幸せという。
 
▼いじめ、不登校、犯罪の低年齢化など家庭でのしつけ教育などを公民館活動に取り入れれる分野も広がってきていると思う。
 
▼今後の公民館活動は「ためになる活動」から「暮らしに役立つ活動」そして、地域に根ざした「間に合う・儲かる」公民館活動へと転換すべきである。住民からの声を大事にし、学習意欲をもり立てる工夫が必要である。
 
▼何か、氏の独特の話術に吸い込まれた2時間15分であった。いつまでもお元気であることをお祈りします。
                 文責 新神田公民館 畑下副館長









南部地区公民館職員研修平成16年2月14日(土)扇台公民館にて金沢の伝統文化「能楽入門」講師 宝生流能楽師 藪 敏彦氏
南部地区公民館職員研修      扇台公民館にて
  平成16年2月14日(土)   
金沢の伝統文化「能楽入門」 講師 宝生流能楽師
         藪 敏彦氏
▼3年ぶりの大雪の後始末が一段落。講演中は公民館の窓ガラスを叩きつける春一番が吹き荒れた日でした。午後の眠くなる時間帯でしたが講演は堅苦しい話ではなく、各種の太鼓、能面「面(おもて)」の説明や実演などがあり、最後は「高砂やの千秋楽」をして頂き、大変有意義な時間を過ごすことが出来ました。以下、少しでも能楽の世界を知って欲しいとの思いで再録しました。
▼能楽の源流は、田楽、猿楽と言われる遥か10世紀に遡ります。日本最古の芸能として、幽玄美を現代に伝える、完成した大変希有な大変貴重な文化遺産であります。
▼600年もの歴史があるだけに、台本や台詞は江戸時代以前に作られたものが殆どで、演技や型など基本的な部分は観阿弥・世阿弥が完成してから変わっていないそうです。これは、能の完成度が如何に高いかと言うことです。
▼能と言うのは、1番の演目に1〜2時間かかります。藩政時代は朝から晩まで5番の演目を狂言を挟みながらやっていたそうです。テレビの「番組」と言う言葉はここから来たそうです。
▼1番の演目に能役者が25人必要で、狂言役者も含め五番仕立てになると延べ150人近くになるそうです。それが野外舞台で10日も続き、町衆の見物人が4500人観能したそうです。
▼最近は、時間がない人に合わせて薪能(たきぎのう)のように1番組で済ませたりと、伝統にとらわれない柔軟さも見えます。
▼先ず、代表的な幾つかの能面の紹介がありました。
▼「乙(おと)」の面
 「乙」の能面を付けて、会場の男性と女性に両手を挙げて腰を振り、「嫌々(いやいや)」の仕草をして貰いました。女性の嫌々の方が魅力があると思ったのですが、結果は逆で男性の仕草の方が色っぽかったです。「乙」は愛らしさとか、素直さを表す言葉であるそうです。
▼「小面(こおもて)」の面
 これはハイテーンの年代です。「小」は可愛らしい、若くて美しという意味です。これも男女別々に付けて貰いました。女性が付けると病弱な憂いがあり、男性は少し色気がありました。能面の髪の毛「毛書き」がストレート、乱れ、交差などで年代を表現するといいます。「小面」の毛書きはストレートでした。
▼「若女(わかおんな)」の面
 女性らしく少し色気が出てきおり、熟女になる前の段階です。毛書きは少し交差が見られます。
▼「増女(ぞうおんな)」の面
 この面の制作者である増弥阿にちなんで名付けられたとされています。「小面」、「若女」などのような明るさや愛らしさは見られず神や仏の相の面になっています。従って使用される曲目もその主人公が女神・天女・神仙女等の曲に用いられます。
▼「姥(うば)」の面        
 姥はお目出度い「高砂」の尉(じょう)(老翁)と姥(老女)との姿でよく知られているそうです。能における姥は、普通の人ではなく神の化身の心をあらわした面だと言います。
▼「橋姫(はしひめ)」の面
この面は宇治の橋姫伝説から生み出され、平家物語で、嫉妬のため宇治川に身を投げた鬼女の相貌(そうぼう)を表現しています。
▼「泥眼(でいがん)」の面
この面は、女性の生霊・怨霊(おんりょう)を表したものといわれ、女性が成仏し仏となった姿として作られたもので、目に金泥が塗られており、人間界を離れた超人的なものを表現するためであるといいます。 
▼これらの能面は、「悲哀と微笑」など相反する表情を同時に持つなど、私達の心に何とも言えない奥深い満ち足りた気持ちをもたらしてくれます。何百年という歴史を経た今も、能面の内に秘められた高度な精神性の表現技法に魅了されました。今まで漠然と見ていたが能面の種類が沢山あり、それぞれが深く意味を持っていることが分かりました。
▼「能舞台」
 実際に「面」を付けてみました。穴は6つ。目鼻に2つ、口1つ。付けて見える範囲は前方1カ所、左右・上下も足下でも見えない視界不良です。極度の視野狭窄症に陥ったみたいです。
▼舞台の4隅柱のシテ柱、笛柱、脇柱、目付柱それにバックの老松絵、屋根などを目安に、演者[シテ(主役)・ワキ・ツレなど]が摺(す)り足で大きく演じるそうです。能面は桧(ひのき)製ですが、舞台も桧で出来ています。現在も「桧舞台に上がる」言葉がありますね。
▼能面を扱うとき、絶対に「面(おもて)」の表を持つことは禁じられています。桧製で何百時間をかけて作るもので指紋の油汚れを嫌うのです。「面」を付けるときは上にかざしてお辞儀して付け、外すときは、顔面に生じた汗、涙などの水分が「面」の目、口、鼻から「面の表」に出ないように伏せて外すなど細かい気遣いがあります。そのことが何百年も能面が使われている事となります。
▼次に、舞台に向かって左側から太鼓などの配置が決まっているようです。
太鼓(締太鼓)
 先ず左端は太鼓であります。牛皮製で中心部の1番よく叩く所に小さな丸いバチ皮を縫いつけてあります。バチは最初は長いが、磨り減って短く丸くなっていました。厳しい稽古の様子が伺われました。
▼大鼓(おおつづみ)
馬皮製で非常に堅い皮であり、素手で叩くと血だらけになるので指カバーをして叩きます。また皮が固いので直ぐひび割れするそうで、消耗品として認識しているようです。
▼小鼓(こつづみ)
馬皮製で非常に柔かく仕上げてあり、使用時も息を吹っかけて湿らすそうだ。
 
▼能管(笛)以上が4人囃子で5番目が地謡いで構成するそうです。
高砂
 祝言(結婚式)でよく有名な「高砂や」が謡われますが、実際に謡う時は祝言用に替歌するようです。
「高砂や此(こ)の浦舟に帆をあげて。この浦舟に帆をあげて。(返し言葉で忌み嫌う)月諸共(つきもろとも)に出(いで)で汐(しお)の。浪の淡路の島陰や。遠く近く(同、言い換え)鳴尾の沖すぎて、早(はや)住の江に着きにけり。早住の江に着きにけり。(これは返し言葉でない)」と謡うようです。
▼この「高砂や」の最後が「千秋楽は民を撫(な)で萬歳楽(まんざいらく)には命をのぶ相生(あいおい)の松風颯々(さつさつ)の聲(こえ)ぞ楽しむ颯々の声ぞ楽しむ」と言い「千秋楽」と言われています。最後に謡われることから、転じて催し物の最終日という意味に使われるようになりました。大相撲の千秋楽、演劇の楽日などに使われていますね。
▼講演の最後のリクエストで藪講師がこの「千秋楽」を謡い・舞って頂きました。面を着けて1.5uの舞台を摺り足で舞台狭しと演舞しました。氏曰く「能役者は舞台を選ばず」と言って感動的な演舞を間近に見ることが出来ました。
▼春一番以上の強いインパクトを受けた日でした。今後とも能楽に興味を持ちたいと思いました。
      文責 副館長









平成14年度「南部地区公民館職員研修」
平成15年2月15日(土) 14時から15時40分
伏見台公民館
「私のと柔道」
金沢工業大学教授 湊谷 弘
これまで、50年有余柔道を続けてきた。
国体出場13回、国外は30国以上にわたり競技や指導をしてきた。
「つちのこ」の話題があった。滅多にお目にかかれない、幻の動物だ。
地道に金沢工大の柔道を指導している。北陸では名門になった。
しかし、全国レベルでは東海・天理・国士舘大学が話題になり金沢工大はあまり話題にならない。「つちのこ」と同じだ。しかし、金沢工大で後継者を育てるのが夢である。
 
▼今から体験を基に指導者からの教えや経験からの話をしたい。
石川県の柔道界を見ると、現在、世界の金メダルを取れそうな候補者が出現している。過去にはなかったことだ。金丸、鳥居、鍛冶選手がいる。今迄になかったことだ。指導者が懸命に努力している結果だ。
 
柔道の過去を振り返ってみる
今日まで120年の歴史がある。創始者は誰かと工大の学生に尋ねた。
野口英世、田中角栄等の珍回答があった。正解は、嘉納次五郎だ。
江戸時代までは柔術と呼ばれていたが、明治時代に嘉納次五郎が講道館柔道として、姿三四郎など4天皇で普及したものである。
プロレスの力道山が、当時最強の柔道家の木村政彦と壮絶に試合をしたことは中年の皆様ご承知のここと思う。
 
柔道の国際化が言われて久しい。今や剣道が世界50カ国に普及しているが、その国を含めて、世界178カ国に普及しており、178カ国の柔道連盟がある。日本はその1カ国である。
日本のルールから世界のルールになっている。
例えば、勝負が1本であったものが有効、効果、判定、柔道着の色など多様に変わっている。外国人が変えているのが現状である。しかし、日本語が普及している。ニュージランドの例。柔道を習っている子ども達は「礼」、「待て」、「一本」、「効果」、「指導」、「注意」、「支えつり込み足」、「腕しき十字固め」などを日本語で覚えている。こんな競技は世界にない。
 
▼試合が終わって礼の話
礼は深くお辞儀をするもの。どうもご苦労様でした。の気持ちでするもの。
握手はお辞儀をしないで、じっと相手の顔を見ながらするもの。相手の視線を避けるのは失礼である。握手してお辞儀をするな、ということである。
イスラムの世界ではお辞儀はアラーの神だけであり、むやみにお辞儀をするなということである。
 
▼此処で質問。テコンドウ、中国拳法、少林寺は武道か
答えは武道ではない。その理由は日本発祥ではないから。礼に始まり礼に終わる。というが、終わった後は、合掌するがけっしてお辞儀をしないで相手を睨んでいる。そこが礼と違う。
こんな中で、柔道が国際化して、礼の文化・日本固有の文化がなくなるかも知れない。相撲は未だかも知れないが、何れそうなるか分からない。
 
体力について考えてみる。
手を見てすぐ分かる。小指の付け根の手のひらが盛り上がっているかで体力が分かる。親指、人差指より、小指、中指が力を支えており、相手の襟を掴んで力の発揮する指でもある。
最近の子どもたちは盛り上がり・ふくらみがない。試してみては如何か。
昔、草履・下駄があった。つま先に重心がないと歩けない。「支えつりこみ」をすると利き足のつま先に自分の体重と相手の体重が加重される。余程練習していないと支えられない。子ども時代からのバランス感覚を養わないと一流にはなれない。
 
については、非常に噛む力が弱くなった。工大生に能登一周のサイクリングを課した。日頃のトレーニング不足でギブアップ。帰った宿はサロンパスの匂いがプンプンだ。
旅館で「こぞくら」がでた。骨は誰も食べないで、キュウリをこぞくらのあごに突っ込んであったていたらくであった。日常生活ではそれだけ顎を使わないでいるので瞬発力がなくなってきている。
前回のオリンピックは金が2個しかとれなかった。もっと基本的なことがお留守になっている。
右利き、左利きの場合、顎の歯でどれだけ租借するかで決まるという。左右均等に堅い物を噛めることが大事である。
 
▼国際大会で外国人に負けない工夫は
金をとれるという目的でなく、金をとる目標・夢を常に持つこと。松井選手、井上選手のように意欲を持続することが大事である。更に一流選手としては精神的に素質があることが望ましい。
 
子は親の姿を見て育つ。
何時も飲んで帰って勉強せよといっても何の説得力もない。さらに母親がパチンコしているようでは子は育たない。注意しても聞かないのが常だ。
1日8時間勉強したとか、柔道の練習をしたとか言うが。それは間違いだ。
如何に集中し、ひらめきを出すかである。
高校柔道界の強豪、世田谷学院の柔道練習は1時間程度である。試合で負けたら叩くなんてもってのほかだ。自分で考えた結果・試行過程を重んじるべきだ。結果は後に付いてくる。
指導者は、本人に意欲とひらめきを持たす工夫をせねばならない。
本人は神経質であらねばならない。敗れても他者にはカラットしていても、心底敗因を考えていなければならない。そのため、試合前日は眠れないことがある。そういうものだ。しかし、試合中は眠くならないものだ。
試合には3、4キロ程度の減量は常。水を飲みたい夢が枕元に現れる。湿ったタオルを口にあてて眠るが直ぐ目が覚める。そして試合だ。集中して試合ができた。当時は、手首を掴んだだけで体重を当てることができた。
 
金沢工業大学に入った時の話
小立野で下宿した。給料は2万4千円だった。家賃は1万円、残りでの生活。大変厳しかった。非常勤で県警の柔道の稽古を500円で面倒をみた。現役選手であったので工大まで、トレーニングの一環として走った。全日本級の選手の生き様を見せるためそうした。
ある時、金がないのでパーカーの万年筆を千円で質に入れようとしたが、反対に店主が柔道の湊谷さんなら1万円貸してあげるといわれた。そんな生活もあった。
八番ラーメンの宣伝、家族揃って歌合戦の審査員などに出て、アマチュア規定違反として半年の出場停止を食らったこともある。異種格闘技としてサンボの世界選手権ではソ連の選手を破り優勝もした。血気盛んな時期があった。28歳ぐらいで天理大学、東海大学へ戻る話もあったが、地元で後継者を育成するという気持ちで現在がある。
 
▼柔道のきっかけ
7人兄弟、上に姉4人、男で3番目、家が柔道整骨医で道場があり、5歳から柔道をしていた。よく酒を飲む父親にはこてんぱんにやられていたが、尊敬していた。いつも飲んで言うには6尺2寸の強いやつを負かしたと。自慢していた。家では兄弟に負かされていたので、学校で鬱憤をはらした。そのため、登校拒否になった友達もあったそうな。母親は福野小の育友会の副会長を長くし、表彰を貰った人。それを私の腕白のため辞めざるを得なくなった。もっと家庭での教えがあると。それから私の柔道の稽古が厳しくなった。小・中・高校はとりたてて目立たない人生だった。兄貴、姉は国体選手でよく地元紙にも登場しており有名であった。
 
▼福野高校から金のかからない大学、色々あった中で天理大学に入った。練習は非常に厳しかった。一日に何回も絞め技で気を失い「お花畑」を彷徨った。そのうち、尿を漏らし、始末をしてから再度の練習。またお花畑の上に更に蝶々が飛んでいる素晴らしい異次元の世界。
こんなことを繰り返しているうちに、何くそ魂が醸成され、近畿大会、全日本大会と上り詰めて、皆さんご承知の活躍がすることが出来た。
 
▼今でも、田村、井上、古賀、山下など一流の選手達は私を見ると、きっちりと礼をする。彼らは本当の柔道家だ。柔道の国際化で日本古来の柔術の心が疎かになっているが、嘉納次五郎が唱えた、力一杯努力しみんなと共に栄えようとする「精力善用自他共栄」を思い出し、ここでもう少し踏ん張って、柔道を巻き返したいと思う。