仏事としてのお盆(盂蘭盆会うらぼんえ)

 お盆は釈尊の十大弟子の一人である目蓮尊者<もくれんそ
んじゃ>の故事
がその由来となっています。
詳しくは盂蘭盆会<うらぼんえ>といいます。
この語源はインドの古い言葉でウルランバナといい、倒懸<と
うけん>、すなわち、逆さに吊るされる苦しみを意味します。
さらには、見ること、聞くこと、思うこと、考えることが道理
と逆さまである心の苦しみをもあらわしているのです。

目蓮尊者のように亡き人をしのぶという素朴な感情を離れて供
養ということはありません。
しかし、それが供養だとすれば供養は決して仏事であるとは申
せません。
亡き人を供養することにおいて一人一人が「ここにたまわった生
命の深さ、生命の歴史の重みに出会い、気づく」ということがな
ければなりません。それによって初めて供養がかけがえのない
大切な仏事であると言えるのです。
「親のおかげで、亡くなった人のおかげで」といただけるよう
な生命が見つかっていますか。












 
☆目蓮尊者の故事
 目蓮尊者は長い間修行なされ、どこの世界でも見通せる神通力<じんずう
りき>を得られました。
ある時、亡くなられたお母さんはどうしているのかと神通力で見てみると、
何としたことでしょう餓鬼道<がきどう>にいたのです。
食べ物が欲しくても食べられない世界、そこで苦しんでいたのです。目蓮尊
者はさっそくお母さんを助けようと食べ物を差し上げました。しかしたちま
ち火となってしまい、食べることができません。そこで、目蓮尊者は釈尊に
お母さんを救う方法を尋ねられました。
釈尊は目蓮尊者に「あなたのお母さんはあなたを育てるためにとても重い罪を
侵されたのです。そのため、あなた一人の力ではどうすることもできない。
しかし七月十五日は自恣<じし>、多くのお坊さんが修行を終えて反省しあ
う日。その日にお坊さんに心からご馳走をして供養しなさい」と答えられまし
た。
目蓮尊者が釈尊の言われた通りにするとお母さんは餓鬼道の世界から救われ
たのでした。
目蓮尊者は歓喜のあまり踊りまわりました。その故事にならったのが盆踊り
だそうです。
目蓮尊者は釈尊にお礼の言葉を述べ、さらに多くの苦しんでいる人々を救う
方法を尋ねられました。
釈尊は「七月十五日に誰でもみな亡き人々を思い、多くの人々に供養するよう
に」と言われました。この話がお盆の由来と言われております。


 
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