考えてみました。《その1》


12月16日に再開され可決した、金沢教区の「御遠忌御依頼の割当基準」に従って、先日自坊に「御遠忌懇志」ご依頼が正式に参りました。割当基準は、通常の経常費御依頼と同じく「門徒割5割、法要座次割3割、賦課金号数割1割、平均割1割」です。・・・あらためて考えてみました。▼


金沢教区の割当基準の話ではありません。

「御依頼額」についてあらためて考えてみて、以下のようなことが思い浮かびましたので記してみます。生意気な意見と捉えられるかもしれませんが、日記ですので、後から自分が見返した時にわかりやすいよう、率直に書いていますのでご容赦下さい。また、あくまで「額」の問題ですので、「御依頼」の仕組みに言及しているつもりはありません。

 ●御依頼額が「高い」か「安い」ということは、(情報開示が充分に行われていない)現状では、いたって主観的な問題である。
 ・・・おそらく、ほとんどの住職が「御依頼額」は高いと感じていることでしょう(この前提が異なっている場合は、以下の文章はお読みにならなくて結構です)。
 次に、では「どのくらい高いのか」あるいは「どのくらいだったら納得出来るのか」。これに対する住職の答えはどうでしょう? それぞれに、さまざまな答えが出てきそうです。この時点で、住職の「主観」による答えとなっているのではないでしょうか。それは、「御依頼額」が「高いか安いか」の問題において、ほとんどの住職は「自分のあずかっている寺」の御依頼額のみを考えがちだからです。
 この時点で、「組全体の御依頼額が高い、安い」「教区全体の御依頼額が高い、安い」「地方御依頼が高い、安い」ということと、「支出面」が十分考慮に入っている場合は、また別の意見が出てくる可能性がありますが、考慮する論拠・情報・資料が与えられていなければ、推測あるいは自分が知り得る「断片的な情報」、または自分の感覚・思いによるしかありません。
 従って、極論をあげれば、「御依頼額は0が理想的」ということが、意見として平気で出てくる(どのような製品・サービスにも、その額の設定にはコストが加味されているという、いたって当たり前のことが抜け落ちてしまう)土壌を生み出してくるのではないか、と考える訳です。
また、もうひとつ「主観的だ」という理由として、住職が変わると、同一のお寺でも「どのくらいだったら納得出来るか」という額にブレが出てくることが想定出来るからです。
 仕組み上、ご門徒から預かった「ご懇志」をどのように取り扱うかは、住職の一存というとことが大きなウェイトを占めます。この際、額はもちろんのこと、その住職の考え方や姿勢が大きく関与します。
 つまり「御依頼額」が「高い」か「安い」かという問題は、実は、その時点の住職にかかっている問題ではないかと考えるわけです。もちろん、人口の過密過疎や、生活環境の変化、門徒意識の衰弱など、客観的な事由を持ち出すことは可能ですが、そのことを加味した上でも、結果的には、「その時点の住職にかかっている問題」という内容は変わらないのです。

 では、「主観的な問題」である「御依頼額」の問題はどう捉えればよいのでしょうか?
 
■その2■に続く(数日後に掲載予定)

Posted: 2003年12月31日(水) at 10:39 PM      


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