| ■『童夢』の運動表現 The expression of movement in "DO-MU" 01 |
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要旨
□はじめに マンガは、連続する運動をどのように表現してきただろうか。マンガの表現技法を簡潔に説明するなら、イメージとテクストで構成されるものといえる。それらは、一枚のページをコマ枠で分節することで物語を効率よく表現する。呉智英は、マンガを「コマを構成単位とする物語進行のある絵」と定義づけ、さらに「現示性と線条性とが複合した一連の絵」(註1)と展開した。また四方田犬彦は「物語の時間的継起と平面の共時性との関係」(註2)とした。両者のいう「現示性」と「線条性」、「物語の時間的継起」と「平面の共時性」とは、ラオコオン論争でいう「空間的芸術」と「時間的芸術」にあたるだろう。イメージとテクスト、「空間性」と「時間性」の幸せな出会いがマンガである。それらが融合することで「空間的芸術」と「時間的芸術」の境界を乗り越え、再構成されることで、はじめて現代の日本マンガが成立する。 マンガは空間を描き、さらに時間を表現することでひとつのストーリーを紡ぐ。このような表現が可能になったことで、日本マンガは圧倒的な表現力を得たといって過言ではないだろう。その中でも、大友克洋の作品はまるで映像作品のような、極めて具体的な運動性を表現することに成功していると思われ、今日のマンガ表現にとってターニングポイントになっている。 本稿では、大友克洋の代表作『童夢』(註3)をテキストに取り上げる。本作は、団地を舞台に繰り広げられる超能力合戦を描いた傑作である。何が、この作品を傑作と呼ぶに価するのか、私なりの考えを述べると、それは圧倒的な運動性能にあると思う。『童夢』は登場人物に無類の運動性をもたらし、そのダイナミズムを余すところ無く伝えている。 例えば『童夢』p.116からp.123まで、わずか八ページのシーンであるが、躍動感と、不思議な浮遊感、速度感に満ちている。このシーンはチョウさんとエッちゃんが対峙するところから始まる。エッちゃんがチョウさんに語りかけ、チョウさんは団地の手すりの上から飛び降りる。続いてエッちゃんもチョウさんを追うために、飛ぶ。目に見えない超能力で、エッちゃんはチョウさんに攻撃を仕掛けていく。超能力の攻撃は、鉄柵を歪め外灯や石畳、窓ガラスと、次々に破壊してゆき、チョウさんは、恐れながらも軽やかに攻撃を交わし、逃げ惑う。この団地を取り囲むようにして自由に飛び回る様はまさに圧巻である。 さて、このような運動表現を可能にしているものは何だろうか。まず、これらのシーンはコマで構成されており、さらに動線等の手法で運動の軌跡が描かれている。マンガは、コマ構成によって「時間性」を獲得し、運動表現を達成する。運動表現に限ってみれば、動線表現もそうだ。そこで、本稿はコマ構成、およびコマ単体内部における運動表現の、二つの表現構造を考察し、『童夢』の運動表現について言及する。 □1 コマ構成 1-1 コマ構成の意義 さて、マンガの表現手法を可能にしているものはなにか。四方田は「漫画を漫画たらしめているのはコマの存在に他ならない」(註4)とした。コマは、言い換えれば一枚の絵である。その一枚の絵が、同一ページに複数並んで構成されることで関連づけられている。絵が併置されることで、一編のストーリーを補完しうることは、すでにわれわれにとってお馴染の手法であろう。コマ構成とは、時間と空間を結びつける装置である。 マンガは、イメージとテクストの融合体であるが、ただ取り入れるのではなく、テクストのイメージ化、イメージのテクスト化を行う。例えば「描き文字」と言われるデザインフォントを駆使し、絵を記号的に省略し汎用化する(註5)という工夫が為される。しかし、最も肝要なのは、すでに指摘したとおり、それらがコマによって区切られ、併置されていることだ。このような、コマを意図的に並べて一編のテクストを形成する手法がコマ構成である。 1-2 マクラウドの分類型 マクラウド(Scott McCloud)は、コマ構成を「時間性」と「空間性」の表現として捉えており、可能な限りストーリーを捨象した形で分類した。コマを構成するということは、まず基本的に最低二枚以上の絵が必要であるが、その点に着目し、その最小単位である二枚以上のコマの関係性から言及し、コマ構成自体に原理的な規則性を見出すことで、体系化しようとしたのである。 マンガが、イメージとテクストの融合、再構成であるという点から考えれば、コマの大きさやコマの間の隙間の違い、コマの枠線の利用の仕方、さらには、コマ構成をページ単位で捉える視点は、よりストーリーを理解する、ひいては作家の意図を読み解くことに繋がる。 しかし、マクラウドはあえてコマ構成のリズム感を読むような分析に至る前に、コマをなるべく単純化した原子的なモデルとして捉え、純粋にそのコマがどのような時間を表し、空間がどう変化するかという点だけを問題にしている。もちろんマクラウドの方法論ですら、コマの中にどのようなストーリーが描かれているか、ということを読み取ることから始まるわけで、たしかに純粋な意味での「コマ構成そのもの」だけを問題にしているわけではない。「なにが描かれているか」という解釈は、やはり最終的にストーリーに帰結するものだが(註6)、なにをおいても、コマ構成は「時間性」と「空間性」の融合である、という着想は「マンガの枠を越えた視覚メディア論として」、あるいは視覚メディアの発展の歴史そのものから、マンガの手法論を再構築するものだろう(註7)。このような意図のもとに、マクラウドはコマ構成を以下の六つに分類した。
2 ≪動作→動作≫型 ACTION-TO-ACTION 3 ≪主体→主体≫型 SUBJECT-TO-SUBJECT 4 ≪場面→場面≫型 SCENE-TO-SCENE 5 ≪局面→局面≫型 ASPECT-TO-ASPECT 6 ≪関係なし≫型 NON-SEQUITUR(図1)(註8) 1-3 マクラウド再考 これらの分類は、マクラウド自身も述べているとおり、あまり厳密なものとはいえない(註9)。そこでこの節では、「時間性」と「空間性」において、どのような分類項であるか確認し、再分類したい。 これらの分類は、まず二つに大別できる。カメラワークによる視点の切り替えが行われるものと行われないものだ。マクラウドは読者の補完(註10)にこだわる。1、2の分類型は、視点の切り替えが行われないもので、われわれがコマとコマとの間にある省略された時間を補完するのに、そう苦労はしないだろう。一方、3〜6は視点の切り替えがあり、より深い補完を必要とする。なぜなら、まず前者の群は、「空間性」を問題としないため、時間の推移のみを補完すればよいからだ。そこで前者を「時間系」のコマ構成と分類したい。それに対して後者の群は、まず空間を描写するものである。ここで3〜6を、時間の推移も問題となる型と、そうでない型に区分したい。すると、3、4は「時間性」も表現するが、5、6は時間を問題とするものではないことに気づく。そこで5、6を「空間系」としたい(註11)。最後に、時間と空間、両方を表す3、4の分類型だが、3は対象となる主体が問題となり、空間の大きな変化は問題としない。一方、4は主に空間の大きな変化を捉えることを目的とした分類型である。そこで3を「時間系空間型」、4を「空間系時間型」とする。 このように、六つの分類項を分析すると、「時間系」「時間系空間型」「空間系時間型」「空間型」と、四つに区分できる。このことで、まずはコマ構成が、時間と空間を表現するための構造を為しているという点が確認できた。 さて、ここで1と2が、時間と空間の概念からは明確に区別されないという点に注目したい。マクラウドの説明に拠れば「補完の深さ」(註12)の差、すなわち省略された時間の差で区別するものであるようだ。だとするなら、同じ「時間系」の分類型のなかでも、特に時間を表すものとそうでないものに分けられそうである。そうすると、何を基準に時間性を読み取るかが問題となろう。瞬間、つまりわずかな時間と、一連の動作に必要な時間を、われわれはどう客観的に区別すればよいのか。≪瞬間→瞬間≫型の例にあるように(註13)、人間のまばたきの動作は≪動作→動作≫型ではないのか、といった、さまざまな疑問が湧いてくる。次に、このような分類上の疑問を解決したい。 マクラウドは、運動表現の発展史を語るためにマイブリッジ(Eadweard Muybridge)の連続写真作品(註14)を紹介しているが(註15)、≪瞬間→瞬間≫型と≪動作→動作≫型のイメージの違いを明確にするためにも、ちょうどよい例である。この連続写真は、運動を等分割したものだ。この作品のようなコマ構成は、マンガでもときおり見られる表現で、コマとコマとの間の省略された時間は、たしかにまばたきのごとくであろう。読み手側からすれば、瞬間から瞬間へと連なっているため、≪瞬間→瞬間≫型の例とも思える。しかし同時に≪動作→動作≫型の構成としても成立しており、やはり分類不能に陥る。あえて分類しようとすると、ストーリーに拠った、読み手の主観的な解釈に頼らざるを得なくなり、コマ構成の構造的特徴から分類するという主旨から遠く離れたものになる。やはり、ここではマクラウドの分類にこだわらず、「運動表現」が為されているか、そうでないかという観点を重視すべきではないだろうか。その観点に拠れば、動作を表現しないコマ構成にも時間性を読み取ることはできるだろうが、運動表現のコマ構成における時間との差をはっきりと区別できるし、なにより視覚芸術の成り立ちを踏まえておくという点においても肝要なことである。よって本論では≪動作→動作≫型を、省略された動作の量にかかわらず、運動それ自体の分析表現であると考える。 最後に、分類項の表記について考えたい。≪○○→○○≫型という表記は、コマ構成が成立する条件として最低二枚の絵が必要であるとする、マクラウドの考えがよくわかる。しかしコマ構成においては、コマ単体が「瞬間」「動作」「主体」といった意味を持つわけではない。例えば、≪瞬間→瞬間≫型ならば、コマひとつだけの時点では、それが瞬間を表すコマであるかどうかは決定づけられない。二つ以上のコマの関係性によって、はじめて判明するのである。≪瞬間→瞬間≫型に限らず、コマ構成は二枚以上の絵の組み合わせで成り立つという観点に従えば、本稿において≪関係なし≫型を除いた五つの分類型の表記は、「瞬間型」「動作型」「主体型」「場面型」「局面型」と、それぞれ齟齬のないよう簡潔に改めて使用したいと思う。 1-4 『童夢』のコマ構成
最後に(図5)の例に少し触れておきたい。エッちゃんとチョウさんは、「主体型」の構成を用いて、お互い対峙しあうように描かれている。ここで実際に、彼らが対面していると思っている読み手は多いのではないか。しかし、対面していないのは(図6)を見ると明らかだ。超能力でお互いを認識しあい、白昼、静かに行われる超能力合戦のシーンだ。このコマ構成は、「主体型」のように描かれているが、厳密に区分するなら「場面型」の構成である。 このように『童夢』では、目に見えない超能力を表現する上で、それぞれのコマの意味が錯綜して構成されており、マクラウドの基本的な分類の枠を越えている。
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