| マンガびとの館 | ||
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| ■河合克敏 +++『帯をギュっとね!』(小学館)+++ その4 | ||
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□前半のまとめのごあいさつ え〜と、まずはこれまでずいぶん活発な議論を展開していただけたことにお礼申し上げます。 ありがとうございます。 とりあえず、前半終了とよべそうな状態まで来たか、と思います。 今のところは、英気を養って、後半も張り切って行きましょう。 そこで、これまで感想ですが、議論が活発で、活発すぎてすっかり迷走し果ててしまいました(^^; ということで、管理者としてこれまでのマトメを作成いたしましたので、ご覧くださいませ。 まず、時系列に沿ってまとめました。 次に、テーマごとにまとめました。 テーマごとのマトメは、管理者の解釈で勝手につくりましたので「これは自分の意図と違う」ということも あるかもしれません。 その場合は、もう一度、過去ログをよぉ〜く、お確かめいただいた上で、かつ、まだ間違えている、と 確信をもって指摘できるものに限り、帯ギュ掲示板にて、お知らせください。 間違いが確認出来次第、修正いたします。 また、このマトメのログを見ていただけるとお気づきかと思いますが、 同じ発言が別のテーマにもある、つまり、ひとつの趣旨の発言が2〜3箇所にわたって存在する 場合があります。 その理由は以下の2点の内、どちらかです。
●ひとつの発言の意図が絞れていない(発言がかみあっていない)。 また、テーマ別のマトメのほうに、含まれていない発言も多々あります。 その理由は以下3点です。
●はなから対立していない ●だれの反論もない。 ともかく、このテーマ別発言集を見ていただければ、自分や他の皆様の思想的ポジションが 一目瞭然(になっていればいいのですが)です。 これらを踏まえた上で、後半も張り切って行きたいと思います。 もちろん、後半といえども、前半の続きを論じることも可能です。一応、会議の最後にもおたずねしますが。 それらのご判断は、皆様にお任せです。 では、箸休めにマトメのログをごらんください。 □前半のまとめ:時系列 【もぐたん】 ●描きたいテーマは「楽しく行こうぜ!」 【るっちょり】 ●連載当初に「俺はこういう話を描きたいんだ」っていう明確なヴィジョンが無くて(楽しくやろう、というメッセージは分かるが、それだけではドラマにならないということもあって)、次第に次第に方向性が見えていった。 ●試行錯誤というのか、過渡期。 <追記> ●主人公のキャラ設定の不安定さ(ガラの悪い少年だったはずなのにいつのまにかニコニコちゃんになってる)が大きい。主人公の登場シーンっていうと、やっぱりその印象をいかにアピールするかっていうことでもある。 ●バックボーンが感じられないまま「楽しくやろう」って言ったってうすっぺら。 【aoyama】 ●他の柔道マンガに比べた時、作中における主人公の比重が小さくなって、代わりに脇役の動向が細かくかき込まれている。 【wat】 ●描きたい題材としての柔道と、書きたいテーマとしての仲間の2つとも、最初から見えていた。 ≪指摘≫「柔道」は当然ですが、「仲間」の方は1巻P76で龍子先生が、「仲良しグループ一号」と言っている。 【もぐたん】 ●「団体としての柔道」を描きたかった。 ●描きたいテーマが楽しさであったためより細かな脇役の設定、言い換えればリアルな生活感が必要になった。 ≪理由≫集団で練習や試合を行うという行為に「楽しさ」を見いだせる。 【his】 ●「ポスト・ラブコメ」時代の先駆け的作品。 ●「スポ根」の価値観とはまったく別の世界を提示した。 ≪指摘≫「餃子耳は根性でなく、医学で治療しろ」(どこにあるかみつかりませんでした。スミマセン)とか「うさぎとびは疲労骨折をおこす」(7巻裏表紙めくり) 【もぐたん】 ●巧は読者の体現。あえてキャラを付けないという方式。 ●普通の現実の高校生を考えると部活を始めるバックボーンと言うものはそんなに強く存在しない。 ●後半が盛り上がった理由は物語の進展と共に主人公達が自ら戦う理由を勝ち取っていったから。 【his】 ●「帯ギュ」は「DQ」式 【wat】 ●(サンデーは)実体験に即した一種独特のリアリズム ≪理由≫『サンデー』は「脱・ラブコメ」に躍起になっていた。 ●巧の情報量は少ないゆえに限られた「情報」は精巧であらねばならない。それはやや破綻(小さなミス)。 【るっちょり】 ●「楽しい柔道」をアピールするにしては随所に好戦的な巧のキャラに「こなれてない」感アリ。 バックボーンがしっかり出来ていないのでキャラの破綻が起こる。 「強くなることを楽しもう」を提唱する核になる人物にやや一貫性がないためにイマイチ不自然。 【もぐたん】 ●読者の体現という新しい試み。それを選択した理由は、弱点を補う長所があるから。 【るっちょり】 ●>後半が盛り上がった理由は物語の進展と共に主人公達が自ら戦う理由を勝ち取っていったから。 ありふれた高校生活のなかでの青春、という路線では「全国制覇」まで辿りつけない、ということが良く分かる。 この流れを、作者は最初から頭に入れて描いていたのか?ということになると「イントロが長い印象」になる。 【もぐたん】 ●前半は「戦う理由」というものがなにか曖昧。 ●目的というのは生きていく上で初めからあるものではなくだんだんと出来てくる物。 【his】 ●巧のキャラクターの整合性を求めすぎる気がする。「整合性」無き作品で「名作」はある。 ●「バックボーン」というのは動的につくられるものであるが、 >ありふれた高校生活のなかでの青春、という路線では「全国制覇」まで辿りつけない わけではない。 【るっちょり】 ●巧の場合は「不自然さ」がつきまとっている。 ≪指摘≫ 1巻10Pの巧のセリフ「サンキューおっさん。」というセリフと、11巻26Pの巧のセリフ「初対面で「こいつら」だって」 ●少年漫画にある種「本来こうあるべき」というような規範になるものの考え方の提示が欲しい。 【his】 ●少年漫画にある種「本来こうあるべき」というような規範になるものの考え方の提示を求めてはいけない。 ≪理由≫焚書思想 ●(1巻表紙めくり)対象のメタ化である。ここから、チーム内の対立っていうエピソードはかなりはじめから、構想のなかにはあっただろう。 【もぐたん】 ●斉藤と皆との意識の差というのはあそこで初めて出てきたんだけどそこには唐突さよりもある種の必然性が感じられる。 ≪理由≫サンデーの方針は、物語とは一つの大きな流れであるとし、作り方がすごく丁寧。 【wat】 ●>巧の場合は「不自然さ」がつきまとっているので はっきりした「ミス」だ。 ●「オビ4コマ」、あとがき等、本編ではない材料から、あれこれ考察することは「邪推」 ≪理由≫ 読み手は作家自身の情報を断片的にしかしらないから。全てを知らない のに全てを知っているかのように書くのは不遜。 作品はそれ自体で完成品。 完成品でないとすれば、それは作家や出版社の手抜きであるか、倫理観の欠如である。 【るっちょり】 ●ひとつの作品について言う時なるべく「その作品の中だけで」考えるべき。 他作家のの作品と比べたりとかあまりしたくない。 ●同一作家の前後関係はあり。 【aoyama】 ●粉川巧の性格付けについて、人格という点では、不整合な点が多々見受けられる。 しかし 「粗暴な少年」⇒「柔道は礼に始まり礼に終わる」という伝統認識に対する疑念 「楽しい柔道の探求」⇒「厳しい修行と勝利至上主義」に対するアンチテーゼ 「初対面でこいつらだって?」⇒「体育会系の先輩後輩ののり」に対する不快感 であり、作者の代弁者である。 【もぐたん】 ●読者の体現かつ作者の代弁者。 ●「整合性がないからこれはミス」ではなく整合性が無くっても一向に構わない。 ≪理由≫普通の人間にしても、同じ人格でいられるわけではない。 違和感はミスではない。 【るっちょり】 ●>「粗暴な少年」⇒「柔道は礼に始まり礼に終わる」という伝統認識に対する疑念 「柔道やってるからってみんながみんなそんなに礼儀正しい訳じゃない」ということなら納得。 ●>「楽しい柔道の探求」⇒「厳しい修行と勝利至上主義」に対するアンチテーゼ 言葉だけで表現されているようで、(「うへえ俺ならこんなふうに出来ないよ」くらいのことを 巧が嬉々としてやってるシーンとかがあまり描かれてない)実感として「コイツ楽しんでる!」というふうに思えてこない。 ●>「初対面でこいつらだって?」⇒「体育会系の先輩後輩ののり」に対する不快感 納得。 ●>「整合性がないからこれはミス」 と言っている訳ではなく、それゆえに作者自身がこの連載のなかで「試行錯誤」していたのではないか? ●迷いながら成長して行く主人公、というのもあるし、それはそれで 充分読者の共感を得るものではあるし、みんながみんな強く理想をもって生きていける訳じゃない。 しかしこの作品の場合、巧は「周囲の意識を変える」ほどの確信犯な訳だから、もうちょっとキャラが強くてもいいんじゃない。 【his】 ●物語に接するとき、2通りの接し方がある 【フィクションとして捉えて楽しむ】場合と、 【現実に置き換えるなど、自分の過去経験、知識等と照らし合わせて読み解く】場合。 ●「リアリティ」という概念とは、完全に「読み手の経験、知識」に支えられているものであって、 みんなにとって、同じではない。 ●「フィクションとしての矛盾や非整合性」でもって完成度をはかることはまちがい。 ≪理由≫マンガの魅力はシナリオだけが生み出すものではない。 【るっちょり】 ●「フィクション」として読んだ場合、「作りこみが足りないような気がする」 巧がどんな人間であっても、「巧としての存在感」が強ければいい。 「目的」というのは生きていく上で初めからあるものではなくだんだんと 「出来てくる」物で、納得している。 ●>日本的体育会系部活動に対する批判の擬人化、という点で首尾一貫している。 ところがそれを納得させるために描くべき「悪しき習慣」にはあまり触れてない。 だから巧の言動が薄っぺらに見えてしまう。 また「礼に始まり礼に終る」という伝統認識、これは何ら疑念を抱くべき ものではない、むしろこれからも守っていくべきもの。 【his】 ●るっちょりさんの発言は以下の3つだ。 @主人公のキャラクター性が強いマンガがいい Aストーリに矛盾(違和感)を感じる B武道は礼儀作法を重んじて欲しい このうち、A納得済 @、Bについては【現実に置き換えるなど、自分の過去経験、知識等と照らし合わせて読み解く】場合ではないか? 【るっちょり】 ●@は個人的な意見だ。 Bは軽んじていい理由はない。 【his】 ●@〜Bはどれも別問題であるにもかかわらず、未整理で錯綜している。 @、Bも個人的感想だ。 【yang】 ●スポ根路線を「疲れる」で否定(「BSマンガ夜話」『タッチ』) ●ジャンプ=電車の網棚 マガジン=ラーメン屋 サンデー=アニ研 と比較されるように「帯ギュ」の視点は体育会系より、 文化系部活のノリ。だから武道精神論はそんなに大事ではない。 ●巧の存在が薄いのもゆうきまさみ〜踊る大捜査線に受け継がれる、一歩引いた視点 【his】 ●世代的な読みの格差から「帯ギュ」の印象がかわる。 □前半のまとめ:テーマ別 T・テーマについて 【もぐたん】 ●描きたいテーマは「楽しく行こうぜ!」 ●「団体としての柔道」を描きたかった。 ●描きたいテーマが楽しさであったためより細かな脇役の設定、言い換えればリアルな生活感が必要になった。 ≪理由≫集団で練習や試合を行うという行為に「楽しさ」を見いだせる。 【aoyama】 ●他の柔道マンガに比べた時、作中における主人公の比重が小さくなって、代わりに脇役の動向が細かくかき込まれている。 ●巧は読者の体現。あえてキャラを付けないという方式。 【his】 ●「ポスト・ラブコメ」時代の先駆け的作品。 ●「スポ根」の価値観とはまったく別の世界を提示した。 ≪指摘≫「餃子耳は根性でなく、医学で治療しろ」(どこにあるかみつかりませんでした。スミマセン)とか「うさぎとびは疲労骨折をおこす」(7巻裏表紙めくり) ●(1巻表紙めくり)対象のメタ化である。ここから、チーム内の対立っていうエピソードはかなりはじめから、構想のなかにはあっただろう。 【wat】 ●(サンデーは)実体験に即した一種独特のリアリズム ≪理由≫『サンデー』は「脱・ラブコメ」に躍起になっていた。 【yang】 ●スポ根路線を「疲れる」で否定(「BSマンガ夜話」『タッチ』) ≪反論≫ 【るっちょり】 ●連載当初に「俺はこういう話を描きたいんだ」っていう明確なヴィジョンが無くて(楽しくやろう、というメッセージは分かるが、それだけではドラマにならないということもあって)、次第に次第に方向性が見えていった。 試行錯誤というのか、過渡期。 ●>後半が盛り上がった理由は物語の進展と共に主人公達が自ら戦う理由を勝ち取っていったから。 ありふれた高校生活のなかでの青春、という路線では「全国制覇」まで辿りつけない、ということが良く分かる。 しかしながら、この流れを、作者は最初から頭に入れて描いていたのか?ということになると「イントロが長い印象」になる。 ≪Re:反論≫ 【wat】 ●描きたい題材としての柔道と、書きたいテーマとしての仲間の2つとも、最初から見えていた。 ≪指摘≫「柔道」は当然ですが、「仲間」の方は1巻P76で龍子先生が、「仲良しグループ一号」と言っている。 U・巧のキャラとストーリについて 【るっちょり】 ●主人公のキャラ設定の不安定さ(ガラの悪い少年だったはずなのにいつのまにかニコニコちゃんになってる)が大きい。主人公の登場シーンっていうと、やっぱりその印象をいかにアピールするかっていうことでもある。 ●バックボーンが感じられないまま「楽しくやろう」って言ったってうすっぺら。 ●「楽しい柔道」をアピールするにしては随所に好戦的な巧のキャラに「こなれてない」感アリ。 バックボーンがしっかり出来ていないのでキャラの破綻が起こる。 「強くなることを楽しもう」を提唱する核になる人物にやや一貫性がないためにイマイチ不自然。 ●>後半が盛り上がった理由は物語の進展と共に主人公達が自ら戦う理由を勝ち取っていったから。 ありふれた高校生活のなかでの青春、という路線では「全国制覇」まで辿りつけない、ということが良く分かる。 しかしながら、この流れを、作者は最初から頭に入れて描いていたのか?ということになると「イントロが長い印象」になる。 ●巧の場合は「不自然さ」がつきまとっている。 ≪指摘≫1巻10Pの巧のセリフ「サンキューおっさん。」というセリフと、11巻26Pの巧のセリフ「初対面で「こいつら」だって」 ●>楽しくたって強くなれる!という理想。 言葉だけで表現されているようで、(「うへえ俺ならこんなふうに出来ないよ」くらいのことを 巧が嬉々としてやってるシーンとかがあまり描かれてない)実感として「コイツ楽しんでる!」というふうに思えてこない。 ●「目的」というのは生きていく上で初めからあるものではなくだんだんと 「出来てくる」物で、納得している。 しかし「フィクション」として読んだ場合、「作りこみが足りないような気がする」 巧がどんな人間であっても、「巧としての存在感」が強ければいい。 ●迷いながら成長して行く主人公、というのもあるし、それはそれで 充分読者の共感を得るものではあるし、みんながみんな強く理想をもって生きていける訳じゃない。 しかしこの作品の場合、巧は「周囲の意識を変える」ほどの確信犯な訳だから、もうちょっとキャラが強くてもいいんじゃない。 【wat】 ●巧の情報量は少ないゆえに限られた「情報」は精巧であらねばならない。それはやや破綻(小さなミス)。 【もぐたん】 ●前半は「戦う理由」というものは、たしかになにか曖昧。 ≪反論≫ 【もぐたん】 ●普通の現実の高校生を考えると部活を始めるバックボーンと言うものはそんなに強く存在しない。 ●後半が盛り上がった理由は物語の進展と共に主人公達が自ら戦う理由を勝ち取っていったから。 ●斉藤と皆との意識の差というのはあそこで初めて出てきたんだけどそこには唐突さよりもある種の必然性が感じられる。 ≪理由≫サンデーの方針は、物語とは一つの大きな流れであるとし、作り方がすごく丁寧。 【his】 ●巧のキャラクターの整合性を求めすぎる気がする。「整合性」無き作品で「名作」はある。 ●「バックボーン」というのは動的につくられるものであるが、 >ありふれた高校生活のなかでの青春、という路線では「全国制覇」まで辿りつけない わけではない。 ●「ポスト・ラブコメ」時代の先駆け的作品。 ●「スポ根」の価値観とはまったく別の世界を提示した。 ≪指摘≫「餃子耳は根性でなく、医学で治療しろ」(どこにあるかみつかりませんでした。スミマセン)とか「うさぎとびは疲労骨折をおこす」(7巻裏表紙めくり) 【aoyama】 ●粉川巧の性格付けについて、人格という点では、不整合な点が多々見受けられる。 しかし 「粗暴な少年」⇒「柔道は礼に始まり礼に終わる」という伝統認識に対する疑念 「楽しい柔道の探求」⇒「厳しい修行と勝利至上主義」に対するアンチテーゼ 「初対面でこいつらだって?」⇒「体育会系の先輩後輩ののり」に対する不快感 であり、作者の代弁者である。 【るっちょり】 ●「フィクション」として読んだ場合、「作りこみが足りないような気がする」 巧がどんな人間であっても、「巧としての存在感」が強ければいい。 しかし「目的」というのは生きていく上で初めからあるものではなくだんだんと 「出来てくる」物で、納得している。 【yang】 ●巧の存在が薄いのもゆうきまさみ〜踊る大捜査線に受け継がれる、一歩引いた視点 V・武道の心得(?) 【るっちょり】 ●>日本的体育会系部活動に対する批判の擬人化、という点で首尾一貫している。 ところがそれを納得させるために描くべき「悪しき習慣」にはあまり触れてない。 だから巧の言動が薄っぺらに見えてしまう。 また「礼に始まり礼に終る」という伝統認識、これは何ら疑念を抱くべき ものではない、むしろこれからも守っていくべきもの。 ●少年漫画にある種「本来こうあるべき」というような規範になるものの考え方の提示が欲しい。 ●>「楽しい柔道の探求」⇒「厳しい修行と勝利至上主義」に対するアンチテーゼ 「柔道やってるからってみんながみんなそんなに礼儀正しい訳じゃない」ということなら納得。 ●武道は礼儀作法を重んじて欲しい。これを軽んじていい理由はない。 ≪反論≫ 【his】 ●少年漫画にある種「本来こうあるべき」というような規範になるものの考え方の提示を求めてはいけない。 ≪理由≫焚書思想 ●武道における礼儀作法は、個人的に重んじてくれ。 ●世代的な読みの格差から「帯ギュ」の印象がかわる。 【yang】 ●ジャンプ=電車の網棚 マガジン=ラーメン屋 サンデー=アニ研 と比較されるように「帯ギュ」の視点は体育会系より、 文化系部活のノリ。だから武道精神論はそんなに大事ではない。 W・考察方法について 【his】 ●(1巻表紙めくり)対象のメタ化である。ここから、チーム内の対立っていうエピソードはかなりはじめから、構想のなかにはあっただろう。 【るっちょり】 ●同一作家の前後関係はあり。 ≪反論≫ 【wat】 ●「オビ4コマ」、あとがき等、本編ではない材料から、あれこれ考察することは「邪推」 ≪理由≫ 読み手は作家自身の情報を断片的にしかしらないから。全てを知らない のに全てを知っているかのように書くのは不遜。 作品はそれ自体で完成品。 完成品でないとすれば、それは作家や出版社の手抜きであるか、倫理観の欠如である。 【るっちょり】 ●ひとつの作品について言う時なるべく「その作品の中だけで」考えるべき。 他作家のの作品と比べたりとかあまりしたくない。 X・整合性について 【るっちょり】 ≪指摘≫ 1巻10Pの巧のセリフ「サンキューおっさん。」というセリフと、11巻26Pの巧のセリフ「初対面で「こいつら」だって」 【wat】 ●>巧の場合は「不自然さ」がつきまとっており はっきりした「ミス」だ。 ≪反論≫ 【もぐたん】 ●「整合性がないからこれはミス」ではなく整合性が無くっても一向に構わない。 ≪理由≫普通の人間にしても、同じ人格でいられるわけではない。 違和感はミスではない。 【his】 ●「フィクションとしての矛盾や非整合性」でもって完成度をはかることはまちがい。 ≪理由≫マンガの魅力はシナリオだけが生み出すものではない。
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