| マンガびとの館 |
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| ■#02 マンガは芸術か? その2 |
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□いつかマンガは芸術になるか? その1 さて、前回では芸術という言葉が、「ジャンル」を指す場合と「価値あるもの」という意味で使われる場合がある、ということを指摘しておいた。そこで今回は、じゃあ実際、マンガを「もはや芸術だ」という場合では、いったいどういう意味でつかっているのか考えてみたい。 まず、「芸術」という言葉を単なるジャンルを指す言葉として考えているひとなら、「マンガは芸術だ」とはいわないのはわかってもらえたと思う。念のため、補足を兼ねておさらいしておこう。
●ジャンルを指す意味 たとえば「音楽」というジャンルがあって、その中にクラシックやポップスがある、というのとまったくの同等。 ちょっと馴染みがないかもしれないが、芸術というジャンルがある、そう思えばよろしい。なぜなら、芸術業界というものが、他のジャンルと同じように存在するから。 ●価値付けする意味 この意味で日常的に使われている。あたかも「社会的に価値が高いと認められている」ということがまるで前提であるかのように「マンガは芸術だ」なんてタワゴトは、もうイイカゲンに飽きました。オレは。 現在マンガは、あえて分類するなら「サブカルチャー」「カウンターカルチャー」と呼ばれるジャンルにあると思う。まぁなんでもいいけど。ともかく、そこからわざわざ芸術分野に区分をかえたって、なんの意味もないと思う。「音楽」という分野を「建築分野」に加えてくれっていっても意味ないのと同じで。 だけども「価値あるもの」として考えるなら話は別で、なんとしても「お芸術さま」の仲間に加えてもらわなければと、ある意味、当然かもしれない。ようするに芸術という権威の傘に組み込まれたい、そんな欲求からくる衝動だ。もちろん、それ自体は、ぼくは否定しない。自分が価値あるものと信じるマンガというメディアが自他共に認められるというのは、そう悪いことではないだろうから。 □いつかマンガは芸術になるか? その2 本来、マンガは上述したように、「カウンターカルチャー」とよばれているメディアだった(ハズ)。このカウンターカルチャーの説明は、いろんな人がやってるのでどこかで目にすることもあるだろうからくわしく説明はしないが、ここでは大雑把に「若者むけの反権威主義」なメディアといっておこう。そしてその宿命として、そのメディアで育った若者たちが、権威ある立場になるまでに歳を重ねていくことによって、その寿命を終えてしまうという、短命なメディアでもある。その延命処置として「つねに新しい世代を取り込んでいく」必要があるわけだが、残念ながら、それでも「サブカルチャー」としては生き残れない宿命の星に生まれたメディアだ。 マンガの「サブカルチャー」としての寿命は、実はすでに尽きつつあるわけだ。死兆星は誰にでも輝く。 たとえば、いま「芸術」分野といわれているメディアを見て欲しい。いま芸術とはいえ、基本的にすべて娯楽であるという事実を、忘れているかも知れない。けど、かつてはそうだった。たしかにいま芸術分野は、すでに形骸化した斜陽産業で、とても娯楽として機能しているとは信じられないかもしれないが、かつては絵画だろうが小説だろうが、立派に娯楽として主流だったのだ。 それらのメディアが芸術になったのは、つまり「価値あるもの」として社会的に、通俗的に認めさせたのは、ある意味、絶えようとしているメディアとしての寿命をのばさせるものでもあるのだ。つまり芸術というのは、神格化したイデオロギーにくわえることで延命させるという方法論であって、単なる保護団体のようなもと考えればスッキリとわかりやすいのではないだろうか。 「マンガは芸術だ」という言葉は、マンガ自体を読まないので、その価値を判断できない人に使う言葉であるが、一方でマンガびとがそんな言葉を使うと、方便にうっかりひっかかってしまったお調子者みたいに思えてしまう。 マンガにもいつか芸術という手厚い保護が必要となる時が、いつかかならず来るはずだ。それはいやでもやってくる。「マンガは芸術だ」というセリフは、その時までとっておいてもよいんじゃないだろうか。
2000/03/30 |