マンガびとの館

■#03 マンガを批評することとは? その1

シナリオを批評すること

 たとえば、映画なんかがよく「小説を超えた」とかなんとか、オッチョコチョイなことをいう人いる。「この壮大なストーリー」「深遠なテーマ性」「こまやかな心理描写で人間の内面を深くえぐりだす」など、恥ずかしげもなく情緒的なフレーズが連打されているが、こういったたぐいの映画批評をみたことはないだろうか? あったとしたら、ちょっと疑った方がいいと思う。素直に信じた君は純朴もホドホドに。
 これらの評論には、ぼくはおおきな疑問符をつけざるを得ない。いったい、これってなんだ? と。

 たとえば、歌がある。自分が好きになった歌をよく思い出してみよう。どういうところが好きなんだろう? たまに「感動的な歌詞」「あの歌詞には考えさせられた」と、「歌詞がいい」という感想をきくことがある。ぼくはそいつも信用しないことにしている。いや、もちろん感想なんだから、個人の自由だけど、そいつの感性を信用しないのも、ぼくの自由だ。それにぼくは歌詞自体の効用をバカにしているわけではない。歌詞に書かれた内容にしかシンパシーを感じられない、そういう感覚の持ち主を、ぼくはうさんくさく思っているだけだ。

 それはどういうことかというと、「こいつは映画だろうが歌だろうが、そしてマンガだろうが、どんなメディアに接するにも物語的な情報しか感じられない」ことがアリアリとわかるからだ。

 物語が悪いわけじゃない。そりゃそうだ。だけども、映画だろうが歌だろうが、そしてマンガだろうが、すべての価値が物語性のみに帰結してしまうのだったら、いったいそれらはなぜ別々の分野に区分されてるんだ?? それらが個別に分野として自立しているのは、その分野、固有の表現が存在するからに他ならないわけだ。
 もう少しくわしくいうと、歌詞の意味だけを論じること自体が、その歌自体にとって無意味なことであって、歌詞の構成や曲との関連性から、テーマ性を論じなければ、なにもみえていないことと同義だとすら思っている。
 映画にとってシナリオのテーマ性だけを論じるも同じ、マンガにとってのそれも、もちろん同じ事なのだ。ドラマツルギーの、ある一側面についてしか語られていない。それらはすべてシナリオ批評のうちの一部ではあるかもしれないが、作品自体の批評にはけっしてなりえないと思う。



マンガの固有性

 よく思い出して欲しい。マンガや映画、アニメ、あるいは小説なんかを語ったりするときって、みんなシナリオ批評してないか? ストーリー批評と言い換えてもいいが、けっきょくシナリオしか見てないんだったら、べつにマンガだ、映画だ、と表現形式にこだわることはない。紙芝居でもおばあちゃんの昔話でもいいわけだ。
 でも実際には、マンガでおもしろかった話を、そのままおばあちゃんが語っても、そのまま紙芝居にしても、おもしろくない。おもしろくするには、おばあちゃんの語りのテクニック、紙芝居の技法など、やっぱりその分野固有のテクニックが必要になる。
 なんでシナリオが高度だからって「マンガというメディア」を論じたことになるのか? そのマンガ家の考えた、ストーリはすばらしいかもしれないが、そのストーリがどのように表現されているか、マンガというメディアと、マンガ家との関係性についてはまったく語られていないからだ。マンガ固有の技法から考えてこそ、ストーリを含む「マンガ」を論ずることができると思う。

 マンガの批評で、ろくでもない話がたくさんあるが、なかでも最悪のパターンが、登場人物の行動批評だ。
 「このキャラクターの行動には矛盾がある。作中で語られているように、とても純粋な気持ちからの行為とはいえない。」
 とかの感想文でしかないレベルの批評が、くさるほどある。彼らにはその先がまったくみえていない。

 学校の国語の授業をおぼえているだろうか? 小説の読み方をどうならったか、あるいは試験問題はどんなものだったか。ほぼあらすじを要約したり、主人公の気持ちになって感想を書いたりと、物語に自己投影させたものだったはず。それで小説がわかるのか? 小説という分野の形態は何も生み出さないのか? そんなはずがないだろう。
 そこでは、いわゆる「自分探し」しかなされていない。ここでも、小説というメディアの内包する特質と、作家の関係性はまったく重視されていないことに気づく。

 マンガは、シナリオだけでも、絵だけでもない。絵と文、それにマンガメディア自体のもつコード、すべての関係を総じて「マンガ」という。シナリオの批評をするにも、作者がどう考えたか、それを絵でどう表現したか、マンガの手法としてどのように表現されたか、それらすべてを加味した上での批評でなければならないのだ。マンガというメディアの価値は、べつにシナリオだけにあるのではないから。
 だからこそ、ぜんぜんどーでもいい話を書いたものでも、すごくおもしろかったりする、そんな作品に出会った経験はみんな一度や二度はあるだろう。でも、逆にシナリオはすばらしくとも、マンガというメディアの特質を生かしきれていないため、駄作になりさがった作品は、いくらでもあるのだ。この傾向は、最近では原作つきの作品に、多くみられるが、それらは小説でもシナリオでもない、マンガだからこそおきてしまう不幸であるわけだ。

つづく
2000/05/05
2001/03/07(改稿)


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