マンガびとの館

■#05 マンガの定義ってなんだ? その1

絵のはなし

 そもそもマンガってなんだろうか? よくいう「人間として○○だ」なんてのと同じように「マンガとして○○だ」なんてのがあるけど、「〜として」というのは、ようするに語り手がマンガなどの「〜」にあたる部分の定義が、自分のなかですでに決まっているということだ。
 おい、ホントにそれでいいの? なんせ「定義」なんですよ? 定義ってのは「それが前提になって物事のすべてが語られ、判断されていく」ってことですよ? おいそれと決めていいもんだったわけ? 定義って。
 とはいえ、個人レベルでなら、個々の考えで定義づけしていくことは悪いことではない(手のひら返し)。だからオレもする。ここで定義を模索してみます。

 まず絵があって、それは枠線でかこまれて、それらは「コマ」と呼ばれて、さらにそれらが、ある仕掛けによって関連付けられることで、一連のストーリとして関連づけられ、解釈されて・・・。
 たぶんそんな感じだろうか。
 それらを考え合わせてみると、マンガとは、ひとまず「絵と物語を組み合わせたもの」と仮定できるかもしれない。
 しかし、その条件ではマンガだけではなく、アニメ、絵本、紙芝居、絵画、みな当てはまってしまうので「マンガ」そのものを定義づけるものというよりは、「文学」「映画」など、絵を媒介としないメディアとの区別を目的とした分類であると考えたほうがよいだろう。

 それならば、絵が無ければマンガとは呼ばないのか?
 たとえば、文字のみで構成されたマンガというのはありえないのだろうか? ここでまず、絵について考えてみたいと思う。


『オールナイトライブ』
(C)鈴木みそ アスペクト
 たとえば四コママンガふうにコマを区切ったものに、文字だけでストーリを説明する、といった作品があったとする。これはおそらく「マンガ」と呼ばれるのではないだろうか? たとえ絵が無くても、コマで区切られたりなど、一見マンガ的なフォーマットにのせられていれば、マンガにみえるのではないだろうか?
 これが「絵の無いマンガ」の、もっとも極端な例である。ただ、今のところ、全編、これのみ、というマンガは、ぼくは見たことがないが、しかし、もしそれがあるとしたら、これもマンガとして分類されるように思う。
 そしてその場合、「マンガ」たる所以は、おそらくは「コマ」で分節するという手法にあるだろう。

 ここで具体例をひとつ示しておこう。
 たとえば鈴木みその『オールナイトライブ』2巻で、「文字が主人公のマンガというのはどうだろう?」と提案している。
 これはもちろんギャグとしてなのだが、なにがギャグになっているかといえば「本来、一般的に絵で構成される物語をマンガとしているが、それを文字に置き換えることで起こるであろうアンビバレンツな感覚」を引き起こすことがギャグなのだ。
 これはこれでひとつの重要な指摘をしているように思う。
 また、ここでもうひとつ気づかされるのは、文字も絵も、お互い視覚情報であることには変わりがないため、それらを互いに分け隔てる基準が、実はあいまいであることだ。



マンガ記号のはなし

 文字も絵も、本になったかたちでのマンガでは、どちらも「紙に染みたインク」でしかない。視覚情報というのは、この場合ならそれらの染みの形から、なにかの情報を読み取ることができるものをいう。ただ、文字は「あらかじめ意味の読み方を決められたもの」で、一方、絵は「感覚的に意味を読み取るもの」である。その違いは大きい。
 ところが、マンガにおいては、そうではない。

 これは、いわゆる「マンガ記号論」の発想と合い通じるところがある。
 そもそも、日本の現代マンガは基本的に(レベルの差はそれぞれにあれども)簡略化された絵で表現される。
 それは一般的な絵画とは比べ物にならないほど、記号的であろう。
 例えば、現代マンガの始祖、手塚治虫は自著『マンガの描き方』で「マンガは落書きなのだ」と明言しており、また「自分のマンガは象形文字である」と発言している。
 これらのことなどから、手塚作品の系譜にある、日本の現代マンガのそもそもの基本は、例えば「円のなかに点を2つ、水平に並べて配置することで”顔”とする」など、きわめて極めて記号的なものの組み合わせによってマンガは作られるという考えではなかろうか。
 そして、この考え方こそ、まさにマンガの一番プリミティブなカタチとして、ながく日本人のなかに根付いてきたものであろう。

 さらには、竹熊健太郎は『美術手帖』(1998年12月号)で、こう発言している。
 「マンガは記号的で≪意味≫を描くもの」であり「文字みたいなもの」とし「マンガ家の描く線の個性と呼ばれるもの」は「書き文字の個性に近いもの」でそれはすなわち「書道」のそれにあたるだろう、と。

 これらの考えが、いわゆる「マンガ=記号」論として、一般的に浸透しているものである。すなわち、マンガの絵は記号であって、文字と同じように、あらかじめ意味の読み方を決められたものに近いだろう。

 話を戻そう。
 『オールナイトライブ』で文字が主人公のマンガが提案されたが、鈴木みその例は、やはり「文字」であっても「絵」として扱っていることがよくわかる。マンガには、あらかじめ読み方を決められた記号としての「絵」という意味でなら、マンガには絵が必要であるといえる。
 しかし、ぼくの提案した「文字だけマンガ」(唐沢なをきとか、とっくにやってそう・・・)はどうだろうか?

2000/09/02
2001/03/07(改稿)


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