マンガびとの館

■#06 マンガの定義ってなんだ? その2

物語とかキャラのはなし その1

 ここで物語について、すこし考えたい。

 いわゆる「物語」とはなんだろうか。ここでは仮に「起承転結があって、なにやら一連の情景を示すようなもの」とでもしておこう。少なくとも一般にはそう呼ばれていると思われる。
 そして、これがあって、コマ構成のカタチなど、マンガにあるような要素で文字を区切っていけば、おそらくそれは、マンガと呼ばれる。

 では、ここで考えたい。
 本当に、ここでいう「物語」なくしてはマンガという形態は成立しないのか?


『マンガ学』
(C)Scott McCloud
美術出版社
 スコット・マクラウドは『マンガ学』で、マンガのコマ構成の組み立てという、これまで類型化されずにきたものを、みごとに系統だてた。再考の余地は充分あるにしろ、ぼくはまず、その試みに敬意を表したい。
 そのなかで、マクラウドはコマ構成パターンを6つに分類している。
 その詳細は割愛させていただくが、6つ目に「無関係型」という項目を設けているところに注目したい。
 これは、コマの前後、あるいは全編の関係性で解釈しても、そのコマが独立して無関係である場合を指している。
 この「無関係型」のコマで、全編構成されている作品に佐々木マキなどがいる。

 では、この「無関係型」のコマで構成された作品は「ストーリ」がないのだろうか。
 マクラウドは「無関係型」を東洋の「間の芸術」に近いと、感想を述べている。
 この意見の賛否はさまざまあるだろうが、少なくとも「間の芸術」と呼ばれるものは、一見なにも関係のないような情景を挿入することから、叙情的なものを鑑賞者に補完させる役割として使用されるものだ。
 すなわち、マクラウドのいう「無関係型」とは、全く何も関係がないわけではなく、もっとも補完が要求される、あるいは解釈によって、はじめて完成するコマ、といえるのではないだろうか。
 まったく、「無関係型」とはいえ、まったく無意味に存在するコマはありえない、といえる。
 すなわち、もしなにかの意味を解釈することまで「物語」の範疇にふくめるとするならば、マンガに限らず、あらゆるものは、すべて物語に吸収されることになる。



物語とかキャラのはなし その2

 一般に、ストーリをより生かすための「キャラを立てる」という言い回しがある。それはいったいどういうことだろうか。
 まず、そもそも「ストーリとキャラ」を関連付けることの困難さを示す例として、「無関係型」の存在がある。
 「キャラを立てる」ということばの意味すら、はっきりとした定義をさだめることができないのだが、ここではひとまず「キャラクタの性格付け、属性を明示することにより、読者にそのキャラクタを印象付けること」としよう。おそらくこれで、齟齬はないはずだ。

 ここで、問題となるのはこの部分ではないだろうか。
 「読者にそのキャラクタを印象付けること」。すなわち「読者」主体の発想である。
 これは「マンガが読者に読まれる」ということを前提におくことが第一義であり、そこからもわかるように「キャラを立てる」という発想は、「読者−作品」がひとまとめとなった発想である。
 これらの発想を必要とするのは、「マンガを読む読者」か「マンガを読ませる側の人間」であり、どちらも「マンガ」そのものではなく、問題は”人”なのだ。
 すなわち「キャラ」は決して「マンガという形態」を定義づけるものではない。これは自信をもって断言しておこう。

 これらの関係性を論ずる場合、何を対象に論ずるのか、問題を明確にしておく必要があるだろう。それほど、マンガは多様である。

 さて、ここまでで、なにが言えるだろうか。
 「マンガとは、絵と物語を組み合わせたもの」ということだろうか。
 実はそうではない。
 ここまで言及してきたことで言えることは、「マンガを形作る要素を、限定していくことがいかに困難であるか」ということだ。なぜならそれは、あらゆるケースに例外が生じてしまい、ひとつの決定的な結論を導きにくいからだ。

 ようするに定義づけることは難しいということなのだが、とはいえ「定義なんてありませ〜ん」というのも、なさけないというか、自分なりの定義づけくらいは出来ると思うので、次はそのハナシにいきたい。

2000/09/02
2001/03/07(改稿)


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