マンガびとの館

■#07 マンガの定義ってなんだ? その3

コマのはなし

 たとえばマンガはコマで構成されている。
 そのコマがあることを基準に論ずるなら、複数枚の絵の連続性(コマ構成)でもって、何がしかの意味を表現する、あるいは解釈させることで成立する、といえそうだ。
 しかし、これとて1コママンガという例外が生じる。
 とはいえ、現代マンガにおけるコマ構成という手法の存在の意味は「絵の連続性によって、時間の流れを表現するもの」であることから「1コママンガ」は、コマ構成の存在意義から考えれば、そう重視する必要のない例外である。
 それは、そもそも現代マンガの始祖とされる手塚作品のもっとも重要な役割は、コマを表現したい時間や空間にあわせて分節したり、コマの区切りを拡大縮小したり、と自在にコントロールすることであるからだ。

 また、たとえば北斎漫画というものがある。鳥獣戯画と並んで、マンガの始祖と呼ばれるものだ。(これらは、どちらが時代的に早いかの問題でなく、スタイルとして同等である。)
 コミカルに描かれていることから「漫画」と名付けられているが、すでにこの時代でいう漫画と現代マンガでは、大きな隔たりがある。
 「漫画」は北斎漫画でいうところの「コミカル」「ユーモア」といったニュアンスを表すものであり、そしてそのニュアンスはすでに、ここまで多様化された現代マンガの様式を定義づけることはできなくなっている。
 余談であるが、ぼくが「漫画」と表記せずカタカナ(べつに平仮名でもいいのだが、グローバルスタンダードということで)で「マンガ」と書くのは、その意味からである。
 始祖とされる「北斎漫画」はすでにマンガの一様式としての存在でしかない。



マンガとはなにか

 このように、さまざまな定義を検討してきたが、結局はつねに例外が存在し、決定的なものはない、ということを確認してきた。
 しかしながら、例外はあくまでも例外にすぎず、例外の存在を理由に、メディアの定義づけそのものの無意味、意味を問うつもりはないし、また例外に縛られてなにも結論付けられないわけでもないだろうということも、同時に示しておいた。

 さて、ここで現代マンガにおける、ぼくなりの定義を提案したい。

 マンガは、複数枚の絵の連なりをコマによって表し、それらが意味としてかたちなすものであるとする。例外はあるにしろ、少なくとも、マンガの始祖を北斎漫画に求め、また手塚系の現代マンガが、映画を準拠枠に発展してきたことから考えれば「一枚絵」および「映画」の組み合わせとすることが妥当であるし、また「絵本」「絵物語」等と区別することにもなるからである。

 これ以上の条件の絞りこみは、メディア間の特徴を否定するものになるだろうし、これ以上、条件を付与することも現在のところ、難しいのではないか。
 まず、上記の定義づけを骨組みとし、その後、個別の要素、たとえば「コマ割り」「動線」「オノマトペ」「フキダシ」等、現代マンガを特徴づける様式を、さまざまな角度で個別に、あるいは総合的に検証することが望ましいだろう。  たとえ、ストーリのみの言及であっても、定義として「複数枚の絵によって、意味をかたちなすもの」という前提を忘れてはいけないだろう。

2000/09/02
2001/03/07(改稿)


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