不景気に思う
最近の日本経済は不景気のどん底だそうです。
この不景気の原因はいろいろあるでしょうが、
その不景気の原因の一つに
お互いの足の引っ張り合いということがあげられます。
日本では賃金水準が跳ね上がり、
地元で作れば人件費が高くついて儲からない。
それで人件費の安い後進国に工場を造って、
安い製品を作って儲けようとする。
ところが仲間を出し抜いたつもりが、
そのうち後進国がその技術をマスターして、
同じような製品を作って逆に日本に輸出してくることになる。
そうなると業界全体が太刀打ちできなくなってしまう。
つまり儲けるために相手を出し抜いたつもりが、
本当は自分で自分の首を締めているということになってしまうそうです。
不景気だ不景気だと世間では言っていますが、
その不景気の原因のひとつが周りの仲間を出し抜いて
自分だけが儲かりたいというところにあるというのは、
何とも皮肉なことです。

仏法では『因果の道理』ということを言います。
これは原因があれば必ず結果があり、
結果があれば必ず原因があるということです。
さしずめ好景気という因が不景気という果を作り、
また不景気という因がいずれは好景気という結果をもたらすというのが
真実なのではないでしょうか。
ところが人々は好景気であれば永遠に好景気が続くと思い、
不景気ならば永久に不景気が続くように思うもののようです。
蓮如上人は「人はあがりあがりて、おちばをしらぬなり。
ただつつしみて、不断、そらおそろしきことと、
毎事に付けて、心をもつべき」と仰っています。
つまり「わたし達は調子に乗って有頂天になっている時は、
いつ何時、
どん底に落ちてしまうかもしれないということを忘れてしまっている。
ただ用心して、絶えず、
人の将来や世の行く末などはうかがい知ることは出来ないんだと、
事々につけて注意をしなければならない」と仰っています。
わたし達は景気が良ければずっと景気が続くものと思い込み、
健康であればそれがいつまでも続くように思っている為に、
いつも期待は裏切られ人生は行き詰まってしまうのではないでしょうか。

平家物語の有名な冒頭は
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」です。
仏法の真理の一つである諸行無常、
つまり万物は常に流転してやむことがないという真理は、
釈尊の時代から現代に至るまで変わりはありません。
ですから蓮如上人は、
目先の利益に捕らえられ、
楽だけを追い求める人生を送っているわたし達に対して、
真実に目覚める為に、
仏法は聴聞することに極まるんだと教えられています。
なぜならば、
石のような硬いものでも、
柔らかい水がいつかは穴をあけることができるように、
わたし達のかたくなな心でも、
一生懸命仏法を聴聞すれば、
いつかはその教えが心に至り届いて、
信心を得て大いに喜ぶことができるようになるんだと教えられています。
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