水子供養
わたしの寺の前には有名な産婦人科の病院がありました。
おかげで人に寺の場所を教える時は、
○○病院の前といいますと、
大概すぐわかってもらえます。
前が産婦人科の病院だけに時々人から
「お前の寺は水子供養で忙しいんじゃないの?」
とからかわれることもあります。
ところが住職になってから25年近くも経ちますが、
水子供養にきた人は一人だけです。
それというのも、
真宗の寺では水子供養というのは行っていません。
何故なら供養しなければ不幸になるとか、たたりがあるというのでは、
自分の子供であった水子を
悪魔のようにたたる恐ろしいものに考えているのですし、
それから逃れたいと願うのは、
自分自身の利己心にもとづくものだからです。
人工中絶したという罪はどのような方法でも消えたり、
減ったりするものでは無いと思います。
むしろ自分の都合によって人工中絶してしまった子供が、
わたくしを目覚めさせようと、
我が子にまでなってくださった諸仏であったといただいて、
いのちの尊さに気付いて仏法聴聞に励んで欲しいものです。
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