Yukiyoshi's web -ゆきよし日記 
 2005年の日記です
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2005/08/14 (日)  能登へお墓参り
2005/08/13 (土)  本屋さんで立ち読み
2005/08/12 (金)  選挙に向けて議員団会合
2005/08/10 (水)  早朝の会合
2005/08/08 (月)  衆議院解散
2005/08/07 (日)  白峰焼畑農業
2005/08/05 (金)  木倉町風鈴まつり
2005/08/03 (水)  八田與一の伝道者
2005/07/31 (日)  
2005/07/28 (木)  誰のための合併
2005/07/24 (日)  スペシャルオリンピックスバーベキューパーティ
2005/07/23 (土)  子供たちの成長
2005/07/18 (月)  出張の効用
2005/07/10 (日)  あるべき姿
2005/07/07 (木)  北海道行政視察
2005/07/03 (日)  八田與一の旅打ち上げ及び反省会
2005/06/29 (水)  杉並区長山田宏氏講演会
2005/06/26 (日)  子供
2005/06/21 (火)  議会質問二日目
2005/06/19 (日)  議会開会週
2005/06/12 (日)  東京・横浜
2005/06/02 (木)  東京日帰り
2005/05/28 (土)  広貴の運動会
2005/05/26 (木)  特別委員会の内容
2005/05/23 (月)  会派視察内容決定
2005/05/22 (日)  田植え
2005/05/20 (金)  夜の会合
2005/05/18 (水)  児童クラブのお話
2005/05/16 (月)  議員総会
2005/05/15 (日)  軽度発達障害勉強会
2005/05/13 (金)  6月議会の日程決定
2005/05/11 (水)  台湾疲れ
2005/05/10 (火)  八田與一の旅
2005/04/24 (日)  おもしろ自転車の贈呈式
2005/04/21 (木)  議員総会
2005/04/20 (水)  金沢尾山ライオンズクラブ30周年
2005/04/17 (日)  竹薮の手入れ
2005/04/14 (木)  図書館で読書
2005/04/12 (火)  倫理法人会花見
2005/04/10 (日)  今日は、広貴の誕生日
2005/04/08 (金)  倫理法人会役員会
2005/04/06 (水)  家族で外食
2005/04/02 (土)  小学校6年生の作文
2005/04/01 (金)  新年度、心新たに
2005/03/27 (日)  自衛隊友の会
2005/03/22 (火)  モーニングセミナー若手シリーズ一段落
2005/03/17 (木)  『蛍の光』と竹島問題
2005/03/15 (火)  スペシャルオリンピックス表敬訪問
2005/03/13 (日)  住宅内見会
2005/03/12 (土)  議会質問を終えて−友引のお葬式番外−
2005/03/11 (金)  議会質問
2005/03/06 (日)  代官山ヒルサイドテラス
2005/02/28 (月)  県市予算勉強会
2005/02/25 (金)  来年度予算案内示
2005/02/24 (木)  宅建業界との勉強会
2005/02/22 (火)  風邪をひいたようだ
2005/02/19 (土)  鏡花作品の朗読
2005/02/15 (火)  若手モーニングセミナー
2005/02/10 (木)  勉強し直し
2005/02/07 (月)  スペシャルオリンピックス世界大会表敬訪問
2005/02/06 (日)  スペシャルオリンピックス評議員会
2005/02/01 (火)  政策投資銀行
2005/01/29 (土)  「ハインリッヒの法則」からみた回転ドア事故
2005/01/27 (木)  古き良き時代のソフトバンク
2005/01/24 (月)  渡部昇一氏の講演
2005/01/22 (土)  広貴と図書館へ
2005/01/20 (木)  視察帰り
2005/01/15 (土)  強制換羽
2005/01/12 (水)  会派予算要望
2005/01/08 (土)  挨拶回り
2005/01/05 (水)  日本における『ニュースの天才』
2005/01/03 (月)  新年を迎える


2005年08月14日 (日)  能登へお墓参り

 朝5時に起きて、妻方のお墓参りに、内浦町まで行く。

 漁師町ということもあり、今朝とったばかりの、サザエをはじめ魚介類で歓待していただく。

 広貴や真由子も、田舎ということもあり、虫かごも持っていったが、こちらの方の収穫はあまりなかったようだ。天候も雨混じりで、何年か前は、帰りがけに海水浴も楽しんできたが、今回は、海を眺めるだけ。それでも、子供たちは充分喜んでいた。

 お土産に、やはり、サザエやイカ、それに、もぎたてのトマトをたくさんいただく。

 丸一日仕事になったが、この時期の恒例行事。とは言っても、ここ二年ほどは、私の方がスケジュールが調整できず、お伺いできていなかった。これからも都合がつく限り、お墓参りは続けていきたい。

 来週からは、選挙モード。17日には事務所開き。 


 
 
2005年08月13日 (土)  本屋さんで立ち読み

 午前中にお葬式に参列。

 その後、少し時間があったため、本屋さんに入り、お目当ての本を探す。最近の本屋さんには、椅子も置いてあり、少々の立ち読み(?)なら許されるようだ。読み込んでいるうちに、概ね理解し、結局買うこともなくなった。申し訳ないと思い、パソコン雑誌を一冊買う。

 その後、ある方にお会いし、色々とご指導をいただく。
 自宅に帰ると、知人の会社の社内報が届いていた。毎回、社長さんの強い想いが感じられるもので、私もいつも楽しみにしている。業務的なことばかりではなく、社長の価値観というものを、色々な観点から述べられている。また、手作り感もあって、私のレポートを思い起こし、親しみも感じる。読み込む。

 資料も整理。

 すっかりご無沙汰してしまっている、次のメルマガに取り組む。大変な大掛かりなものになってしまいそうだ。今回はピンポイントを絞って、次回以降、いくつかに分けて、まとめたい。

 テレビで、民主党の岡田代表が出ていた。完全に小泉改革の陰に隠れてしまっている。本当は、小泉総理がやっていることを、岡田民主党に多くの国民が期待していたのではないだろうか。岡田代表は少なくとも、郵貯、簡保の民営化は以前から言っているのだから、ここは、小泉総理のように、はっきりと言ってしまった方が良いのではないか。そして、「あり方論」で、小泉総理と議論を戦わせて欲しい。そのことを国民は望んでいる。


 
 
2005年08月12日 (金)  選挙に向けて議員団会合

 朝、馳浩を支援する議員団の会合。組織の枠組みは固まったようだ。私は、与えられた役職をしっかり担っていきながら、自分がやるべきことをしっかりとやっていく。

 午前中、役所内で仕事。

 午後一に、地元の方の陳情を受ける。宿題をもらった。担当の課長は今日はお休みなので、月曜日にすぐ対応したい。壁は低くはなさそうだ。

 その後、いくつか回る。自然、選挙の話になる。つい二三日前の逆風が嘘のように、凪いてきた。これまでの各マスコミの世論調査においても、郵政民営化の理解は進んできているとは感じてきたが、ここにきて、はっきりとしてきた。郵政民営化に反対する人の声を全く聞かなくなった。相手陣営の支持者の方たちでさえ、はっきりとそうおっしゃるかたが多いようだ。もっとも、民主党の岡田代表も、賛成論者なんだから、それも当たり前か・・。だからこそ、民主党は、郵政民営化を争点にはしたくないのであろう。

 夕方、図書館に頼んであった資料をいただきに行く。久し振りの玉川図書館であったので、館長のところにご挨拶に行く。
 まちづくりのことや、活字文化振興法に関して意見交換。一時間以上になってしまった。私も予定外だったが、館長にも時間をとらせてしまった。申し訳ない。選挙が終ったら、また、時間を取ってもらって、色々と教えを請いたい。

 お通夜を早い時間に一ついかせていただき、その後、掃除の会の会合。私は、末席に座っているだけ。当日は、きちんとお役に立ちたい。


 
 
2005年08月10日 (水)  早朝の会合

 早朝より、会合。金沢市倫理法人会本年度最後の役員会。次年度の新役員も参加されての会合。私自身、金沢市の役員として最後の出席。9月の新年度からは、違う立場で、力になりたい。

 午前中、ある件で役所で人と会う。お世話になって申し訳ない。その後、ある学校関係者と打ち合わせ。その後、関係部署に同行し、話を聞いてもらう。決してハードルの高くない点もあれば、簡単にいかない点もある。私としては、できるだけ早くに正確な情報をお伝えすることだ。

 昼食は、お世話になっている方のレストランで食事。美味しかった。

 その後、役所でいくつか打ち合わせをして、知人のところに回る。今日は、一ヶ所のところで話し込む。選挙のことで色々と心配いただく。私としては、私のやり方で頑張るだけ。

 夜、ライオンズクラブの会合。本当に久し振りだ。何人かの方からも言われてしまった。決してなまくらしているわけではないが、結果として、そうとられてしまっても仕方がないくらい、ご無沙汰であった。皆さん、気を遣っていただきありがたい。

 その後、ご無沙汰しているお店に顔を出す。疲れていたこともあり、早々に失礼する。



 
 
2005年08月08日 (月)  衆議院解散

 本日の国会にて、衆議院の解散が決定。いよいよ衆議院議員選挙に突入。この暑い夏にとんでもないとおもいながらも、こういう状況になった以上、自分の与えられた環境の中で、精一杯努力したい。

 日中、選挙とは違う予定で、何人かの方のところのお伺いした。話は自然と選挙の内容。皆さん、暑い中大変だねぇとおっしゃられる。

 夕方に議員総会。夜にも会合。選挙の話が結果的に中心になる。

 月末に考えていた、家族での夏休みは当然中止。もっとも、今年の夏は、これまでにさんざん子供たちと過ごした。とは言っても、それらにしても、これまで日常の穴埋めのようなものかもしれない。いずれにしても、夏休みは終った。


 
 
2005年08月07日 (日)  白峰焼畑農業

 昨日は、毎年恒例の、白峰での焼畑のお手伝い。というより、遊びに行っていただけ。ここ何年も続けて参加させていただいているので、子供たちも慣れたものである。真由子は、妻のお腹にいるときから参加だ。
 今年は、子供たちにとって調度いい川もすぐ近くにあり、川で遊ぶ。
 途中から大雨にあたられたが、充分楽しい行事である。このような経験は、他では絶対出来ないことなので、本当に嬉しい。

 本日は、早朝から、子供たちをそれぞれの行事に送り、私は葬儀に参列。そこで、岡田参議院議員と会い、しばらくよもやま話。もっとも、他の人もいたため、自然と衆議院の解散に話題が及ぶ。

 葬儀のお参りを済ませ、次の予定へ。その後、木倉町の風鈴まつりへ。たくさんの人でにぎわう。これまでも何回か来てはいるが、今年がもっとも盛況な感じがする。お世話されている方たちの努力が、報われているのだと思う。知り合いの方たちが多く、ビールや食事をたくさんいただく。家族で行ったが、子供たちの友達及びその母親たちも来てくれた。皆さん喜んでいただいたようだ。

 一度帰宅し、泉が丘商店街のてんこまつり。こちらも知り合いが多く、何杯もビールをいただく。
 
 夜、泉野校下の盆踊り。本当は昨晩の予定であったが、雨で順延。たくさんの方が来られていた。ここ数年で一番の人ではなかったか。このような地域の行事は日曜の方が出やすいのだろうか。

 家族で軽く食事をして、家に帰る。お祭りのはしごで疲れたなんていってはいけない。



 
 
2005年08月05日 (金)  木倉町風鈴まつり

 昨日は、暑い中、日中は色々と走り回る。夕方から、能登島の花火大会。
 知人が大変なおもてなしをしていただく。家族で、楽しませていただく。子供たちも大喜び。
 帰宅も深夜になり、シャワーを浴びる元気もなくすぐ就寝。
 今朝もちょっとしんどかったが、遊びで、疲れたとは言っていられない。午前中に、スペシャルオリンピックスの件で、遊学館高校にお伺いする。温かい応対をしていただき、感謝である。

 午後に議運。9月議会の日程が決定。引き続き行われた議員総会で、9月議会質問希望者も確認。今回は、会派内で質問希望者が多いため、私は遠慮させていただく。ただ、関心あるテーマもあるため、どなたかにお願いし、取りあげていただくかもしれない。
 その後、ある商店街関係者と打ち合わせ。現場の方でしか知りえない情報を、色々と教えていただく。きちんと対応していきたい。

 自宅に一度戻り、食事をしてから、家族で木倉町商店街の風鈴まつりにお伺いする。知った方も多く、落ち着く。
 明朝も早いこともあり、途中で失礼する。日曜日にはもう一度、イベントに寄らせていただくつもり。

 テレビで、「火垂るの墓」をやっている。高校のときに、この作品を読み、胸がかきむしられるような辛い思いをした。その後、アニメ映画になったことも知ってはいたが、あまりにつらすぎるために、観ようという気にさえならなかった。前半だけ、子供たちと観て、佳境になる手前で私は、テレビから離れる。

 しかし、本当に、あの野坂昭如があのような作品を書いたのだろうか。野坂も若い頃はいい仕事をしていたようである。



 
 
2005年08月03日 (水)  八田與一の伝道者

 昨晩は、知人のちょっとしたことに対する激励会。久し振りに何人もの仲間が集まって、美味しいお酒を飲んだ。
 私は、早朝より活動していたため、少々疲れもたまり、二次会で失礼する。

 本日、午前中に、八田與一墓前祭に一緒にお伺いした方とお会いし、八田與一にまつわる色々な資料をいただく。八田與一の伝道者として、私を後継者の一人と認めていただき、多くのご助言をいただく。
 その中で、「海を渡り夢をかなえた土木技術者たち」という、小学生向けの絵本をいただく。
 八田與一だけでなく、パナマ運河建設に貢献した、日本人技術者青山士、鴨緑江に世界最大のダムを作った久保田豊の三名を取りあげて、分かりやすく紹介している。大変素晴らしいものだ。市販されていないということなので、なんだか大変もったいない。青山士、久保田豊に関しては、私も近いうちにメルマガで取りあげたい。

  午後、接客。その後、いくつかお伺いしなければいけないところにお伺いし、帰宅。


 
 
2005年07月31日 (日)  

 ここしばらく慌しく過ごす。
 昨日は、いくつものスケジュールが重なり、いずれも途中で失礼してしまう。本当に、かえって失礼であったかもしれない。

 昨日の午後、JC主催の経済フォーラムに出席。基調講演で宮台慎治先生の講演をお聴きする。大変、気付きの多い話であった。誰でもが漠と感じていることを理路整然とご説明していただく。大変ためになった。ちょっと整理し、自分の言葉に置き換えて説明できるようにしたい。
 その後、パネルディスカッション。時間もあまりなかったこともあり、ほとんど意見らしいものは言えなかったが、人様の話を聞かせていただくのが目的。楽しかった。

 その後、「あした元気になぁ〜れ」の中田監督を囲んでの食事会。映画の話から、私たちが自分のまちのことをあまりにも知らなさ過ぎるという話になる。私も反省。ここでも教えていただいたことを、もう少し調べてみたい。

 長坂台校下の盆踊り。いつも思うのだが、地域のボランティアの方たちには、本当に頭が下がる。

 本日は、朝は、ゆっくりした。日中に用事を片付けてから、妻と真由子とで、デパートに買い物。広貴はキャンプに行ってはいるが、家族で、買い物も久し振り。

 夜、自宅で食事。


 
 
2005年07月28日 (木)  誰のための合併

 昨晩は会合で夜遅くまでかかった。食事をしたり、お酒を飲んだりする元気もなく、家に帰り、シャワーを浴びて寝る。
 
 朝起き会の受付だけをし、木曜日もモーニングセミナー。さすがに、ちょっと疲れる。こちらは時々にしよう。

 午前中に、以前金沢市にお住まいで、現在はかほく市にお住まいの方とお会いする。田舎住まいの良い点とそうでない点を、色々と話される。しかし、その良い点も、合併のせいでなくなりつつあるという。時代の流れや生活習慣の変化も大きな理由なのであろうが、合併がその勢いを強めたことは間違いないようだ。人それぞれの主観もあろうが、それなりに説得力のある話であった。誰のための合併なのか、今さらながら、ふっと考えてしまった。

 午後、県庁で会合。終え次第、野々市へ。用事を済ませ。自宅へ戻り、たまっていた資料整理。パソコンの具合が芳しくなく、何度も滞る。

 今日は、久し振りに自宅で夕食。広貴は、再びキャンプに行ったため、妻と真由子とで食事。


 
 
2005年07月24日 (日)  スペシャルオリンピックスバーベキューパーティ

 早朝、真由子と仏壇用のお花を買いに行く。お参り。

 早朝から、妻は子供と出かけ、私は自宅でたまった仕事の整理。昼食を自宅で食べた後、家族で出かける。

 妻と真由子とは、「あした元気にな〜れ」の映画を観る。私は既に試写会で観ている。私は、かほく市で一つお伺いしなければいけないところにお伺いし、その後、スペシャルオリンピックスのバーベキューパーティ。相変わらず、ボランティアの皆さんには頭が下がる。今回、ボランティアのバンドの方たちに出演していただく。私もよく知っている方たちばかりだが、いつもと違う趣向でしていただき、アスリートの皆さんも大いに盛り上がる。さすが、スペシャルオリンピックスをよくご理解いただいている方たちだ。

 その後、私は会合を一つ。酔っ払った。


 
 
2005年07月23日 (土)  子供たちの成長

 今週一週間はハードだった。
 月曜日には出張から帰ったばかりで、少々疲れ気味。その翌日の火曜日から三日続けて朝四時過ぎに起き、五時過ぎに自宅を出る。そのまま、毎回夜の会合。

 水曜日には、金沢市倫理法人会200社達成及び分封。金沢市中央倫理法人会設立。私はあまり力になれなかったが、それでも、深い感慨を覚えた。多くの方の力を感じた。
 その翌日の第1回モーニングセミナー。大変緊張感のある素晴らしいものであった。
 今後も継続的な発展が期待できる。私も微力ながらもその発展の一翼を担えるようになりたい。

 今日土曜日。広貴はキャンプに出発。二泊三日。従兄弟や友達も一緒ということもあって、喜んで行ってくれた。いつの間にかすっかり成長している。

 夕方、真由子の園の夏祭り。浴衣を着て出かけていく。私も途中から見に行く。真由子が音楽に合わせて飛び跳ねるようにして踊っている。終わった後、楽しかったぁ〜、としみじみ口にしている。
 真由子も成長している。



 
 
2005年07月18日 (月)  出張の効用

 出張等を挟んでいたこともあって、しばらくご無沙汰。

 視察出張で、他自治体の多くのことを学んでくることも大事なことではあるが、私個人にとっては、「金沢」というリアルワールドを離れるということに、一つの意味があるような気がしている。とは言っても、日中の拘束時間が長いため、何か特別なことができるというわけではないが、一番大きいのは、何といっても、移動時間でたっぷり読書の時間が取れるということであろう。

 今回も、オーソドックスな小説から歴史ものなどいくつもの書物を再読、再々読することができた。新たなエネルギーになっているような気もする。

 移動の車中(機中)、ほとんど静かに本を読んでいる私を見て、他の議員のみなさんは、私のことを勉強熱心だと勘違いして褒めていただくが、視察内容に沿ったものは、実は、ほとんど全く読んでいないことが多い。

 連休も終わり、明日から、またリアルワールドの日々。
 この夏は、しっかり勉強しよう。



 
 
2005年07月10日 (日)  あるべき姿

 10日ほど前から、咳が激しい。普通ならほっておくところだが、出張が続くこともあり、医者に行く。レントゲンまで撮ってもらったが、とりあえずは、やはり、ほっておくしかないようだ。

 一昨日、石川にもJリーグのチームを作ろうという会合に参加。中心になられている方の純粋な思いが伝わってきた。問題は、これからどんな人がコーディネートするかだろう。極めて政治的なテーマでもあるので、その点も、注意していくべきではないだろうか。

 サッカー協会が川渕会長になってから、「Jリーグ百年構想」というものが出された。一言で言えば、地域でサッカーを育てていこう、もしくは、サッカーを通して地域作りに参画していこうという趣旨と理解している。何年か前に、こ、の構想を捕らえて議会質問をしたことがある。改めて、調べてみたい。
 柔道では、「柔道ルネッサンス」というキャッチフレーズを掲げ、柔道の原点に戻り、普及に繋げていくという運動がなされている。

 いずれにしても、あるべき姿を目指して、「本物」を求めていこうということであろう。

 私も、そのことを念頭において、これまでの種種雑多な活動を、一度整理してみたい。そして、近いうちに、まとめて発表できるようにしたい。


 
 
2005年07月07日 (木)  北海道行政視察

 4日から6日までの三日間、北海道に視察に行ってきた。

 旭川市にお伺いし、旭山動物園に行ってきた。言うまでもなく、ここ数年、爆発的に入場者を増やしている動物園である。特に昨年度、夏休みの7、8月には、あの上野動物園の入場者を上回って日本一になったという。
 多くのマスコミにも取り上げられているので、私も関心を持っていた。
 なぜ、動物園というどこにでもありそうな、差別化をしにくそうな分野において、しかも、交通の便が悪い北海道の地方都市でそれほど大きな変化があったのか。
 私も事前に幾つか調べて、それなりに分ったつもりではいたが、実際の現場を見て、改めて痛感することが幾つもあった。
 動物の習性、本能を活かしていきながら、入場者の方を楽しませる。詳細は、機会を見てまとめてみたいが、結局は、「本物」が求められているということであろうか。

 帯広市では、「帯広百年記念館」を見学。これは、予想外(失礼)に勉強になった。本当に面白かった。何といっても、ご説明にあたっていただいた、学芸員の方が良かった。本当に、ご自分の仕事に誇りを持っていることが伝わってきた。また、大変分かりやすくご説明もいただいた。
 帯広というよりも、北海道の歴史、また、そこに繋がる開拓の歴史、中国、ロシアの歴史等々、短い時間ではあったが、大変勉強になった。こちらも改めて勉強したい。

 大変実り多い、行政視察であった。

 北海道のお土産は、子供たちから頼まれていたもの。北海道限定の「ハイチュウ」「ぷっちょ」。空港で見つけてきた。
 広貴も真由子も大喜び。「お父さん、ありがとう」。
 子供たちを抱きしめる。



 
 
2005年07月03日 (日)  八田與一の旅打ち上げ及び反省会

 この一週間は、夜の会合が多く、少々疲れがたまったような気がする。
 特に昨日は、午後3時頃から飲みっぱなしで、8時頃には、眠たくてしょうがなかった。

 昨日は、午前中は、金沢スイカまつり。昨年に続いて2度目の参加。昨年は、担当常任委員会だったので、一応、来賓もどきであったが、今年は、真由子と二人で、お客さんとして参加。親子でスイカの早食い競争。真由子が、穏やかながらも、競争という意識があってのスイカかぶりつき。可愛い参加賞をもらって、親子で喜んで帰る。たくさんの人。
 
 今日の午前中は時間が空いたので、家族で出かける。と言っても、私は午後から仕事なので、ちょっとした買い物。
 
 午後、アスペの会の勉強会。他の会合もあり、途中で失礼する。一つ頼まれごとの報告をして、次の会に行く。

 夕方からは、「八田與一の旅」の皆さんと、打ち上げ及び反省会。ほぼ、全ての方たちが来られた。それだけ楽しい旅であったのだろう。機会があれば、来年以降も、私は参加したい。

 明日から、総務常任委員会の視察。その準備もあるため、早々に自宅に戻る。



 
 
2005年06月29日 (水)  杉並区長山田宏氏講演会

 昨日は、杉並区長山田宏氏をお招きしての勉強会。

 山田区長は、私が東京在住時代に大変お世話になった方である。私が、身近に接した初めての政治家であろう。山田区長には失礼な言い方になるかもしれないが、私は、無意識の内に、政治家として、山田区長を真似ているところがあるのかもしれない。山田区長の講演を聴きながら、何となくそう感じた。
 卵からかえったばかりの赤ちゃん鴨が、最初に見た動くものを母親だと思い、ずっと後をついて行くのと同じかもしれない。

 勉強会の後、区長を囲んで、役員の皆さんと食事会。金沢の雰囲気を楽しんでいただく。
 
 皆さんから、私の話がパッとしない旨、厳しくご指導いただく。もっと、しっかりしなくては。

 今朝、山田区長に21世紀美術館を見ていただき、その後、小松空港までお送りする。

 昼、役所に行き、頼んであった陳情の答えをもらう。

 実は、今日は結婚記念日。ということで、家族で食事に出かける。といっても、焼肉屋。結婚記念日と言っても、主役は子供。子供の好みでの食事。


 
 
2005年06月26日 (日)  子供

 先日、友人のご子息がお亡くなりになられた。小学校3年生であった。

 報せを受け、すぐに、ご自宅に弔問に行く。お布団に横になっているお子さんの髪型が、広貴と同じ髪型であった。同年代の男の子は、この時期、同じような頭をしている。その頭を見ただけで、こみ上げてくるものがあり、言葉が出ない。

 お通夜、お葬式と出させていただいたが、多くの弔問客同様、涙が止まらなかった。
 お葬式に、クラスのお友達が皆で、最後のお別れに来ていた。亡くなられた子供にとっても、嬉しかったであろう。また、お友達にとっても、貴重な体験になったと思う。子供の命は、こんなにも尊いということを感じたはずだ。

 お葬式の最後の、お父さんとお母さんのお言葉を聞くと、また、涙が止まらなくなる。

 子供は宝である。私も子供たちに何をしてあげられるのか、何をしてきたのか、今一度考え直し、子供との時間を大切にしたい。


 
 
2005年06月21日 (火)  議会質問二日目

 本会議質問二日目。今回、私は三日目。ということで、昨日と今日の二日間の質問で、私と重複するテーマもいくつもあった。重複したテーマは割愛して、明日を迎えよう。

 今週は全て夜の会合が入る。さすがに明日は質問日ということもあり、今日はご遠慮させていただく。体もしんどい。

 今朝のモーニングセミナーは105名。勢いはすごい。朝食会も私は付き合わせていただく。
 その後、議会へ。他の議員の皆さんの質問を聞く。


 
 
2005年06月19日 (日)  議会開会週

 この一週間は、本当に慌しく過ぎたような気がする。
 月曜日に本会議開会。つい先般、急に、議会質問をすることになったこともあり、この段階では、取り上げるべきテーマもきちんと決まっていなかった。結局、普段からの問題意識で、一気に書き上げる。レベルはクリアーできているはず。

 木曜日、ライオンズクラブの納会で温泉旅館に行ったはいいが、会合が重なり、宴会の終わり頃に到着。翌朝、5時過ぎに帰る。朝方、さっと風呂につかっただけ。温泉に行って、かえって、大いに疲れた。温泉の宴会は、あまり良い飲み方にならないので、本当に翌朝は辛い。その度に、反省するのだが、その度に繰りかえす。

 昨日の土曜日、映画「明日元気になーれ」の試写会。私の関係者も何人も来てくれた。映画はもちろん、原作者の海老名香世子さんのご挨拶も良かった。主題歌を歌う、林明日香さんの歌も良かった。これだけ揃って、あの値段は安いぞ。
 その日の夜、不定期にお会いするメンバーと飲み会。というより、声掛け人は、同じ人なのだが、今回は、初めての方たちが多かった。お隣に21世紀美術館の関係者の宴会もあり、一部、合流。楽しかったが、それだけに、飲み過ぎた。その後、酔った頭ではあったが、原稿を整理する。質問予定原稿も皆さんにお送りする。
 
 今朝は、目が覚めたら7時過ぎ、思わず寝過ぎ。

 午前中、原稿をチェックしていると来客。色々と資料をいただく。
 午後、真由子の日舞の舞台。今日は、うまく踊れたようだ。帰りに、ご褒美でミスタードーナツでシェークを買ってあげる。夜、食事の後、兼六園にてホタルの鑑賞会。クルマを止めるところもなかろうということで、私が妻と子供達を送って、しばらくの間、ドトールでコーヒーを飲みながら、原稿チェック。


 
 
2005年06月12日 (日)  東京・横浜

 9日から本日12日まで、東京・横浜で出張。
 
 9日には、世田谷区にある発達障害支援センターにお伺いする。
 日本自閉症協会の石井哲夫会長のお話をお聞きする。その他、現場も見せていただき、現状のご説明も受ける。市議として何ができるかをきちんと把握していきたい。まだまだ勉強しなければ。

 その後、地元選出の国会議員の先生方とお会いしたりして、色々とご指導いただく。

 10日の午後から、皆さんと別れ、東京の知人とお会いする。久し振りにお会いし、ゆっくり話し込む。お互い時間もそれほどなかったこともあり、ゆっくりといっても、一時間くらいか。
 その後、私は横浜に行く。

 夜、神奈川県知事の松沢成文氏のシンポジウムに行く。こちらも久し振りにお会いする。奥様もお変わりなくお元気そう。今年中に金沢に来ていただけるとのこと。今から楽しみだ。

 シンポジウムの中で、パネルディスカッションがあり、その中で、いくつか印象に残ったキーワードをひかえる。実は、翌日の講演で一部使わせてもらったが、もう少し膨らませて、再度講演等で使おう。

 11日、山下公園の近くのホテルに行く。金沢市倫理法人会のメンバーと合流。11日の夜に私の講演があり、翌12日には、中野会長の講演。

 昼食は中華街。しかしすごい人だ。それに何度来ても、中華街は分らない。地元の方に道案内をしていただいたが、その方も、地元の人間でもしばらく来ないと分らなくなるくらいですとおっしゃっていた。
 昼食は、バイキング。中華街でバイキングのお店は始めて行った。最近、増えてきているとのこと。おいしかった。

 その後、ホテルで休憩してから、夜の講演。

 一時間ちょっとの間、八田與一関係の話。このテーマで話し出したら、長くなるのは分っていたので、事前に、過去のメルマガのいくつかをコピーしてお配りする。それを読んでいただくことによって、一時間くらいで話しをまとめる。あっという間の一時間。私の拙い話を静かに真剣に聞いていただいた方たちには、感謝である。もっと学んで、もっと実のある話をできるようになりたい。

 翌12日、日曜日にもかかわらず早朝に起き、横浜市のモーニングセミナー。金沢の中野会長の講話。素晴らしい講話だった。金沢の勢いを示したような内容であった。

 昼過ぎに金沢に戻る。

 その後、少年相撲大会にお伺いする。遅れていったのだが、皆さん声を掛けていただき、恐縮しきり。

 たまっているいくつかの仕事を片付ける。


 
 
2005年06月02日 (木)  東京日帰り

 早朝4時過ぎに起き、新聞をチェックしてから、小松のモーニングセミナーへ行く。たまたまであろうが、金沢のメンバーも何人かいて、本日は17人の出席。久し振りに活気のあるモーニングセミナーだと言って、小松の方が喜んでおられた。朝食をいただき、ゆっくり話をする間もなく、空港に向う。東京へ。

 浜松町の駅で少し時間が会ったので、本屋に入る。同じ本屋さんでも東京の本屋さんと金沢の本屋さんとでは、全く、情報量が違う。いくらインターネットがあるといっても、やはり、本屋さんでの情報というものは、皮膚感覚として常に接する必要があると思う。それだけに、これだけの情報格差は大きい。また、その違いをそれほどの危機感を持たずに過ごすようになってしまったら、なおさらまずい。能動的に情報に触れるようにしていきたい。

 昼前より、ざぶん賞の役員会。昼食の際に、東京大学名誉教授の月尾嘉男先生の制作されたDVDを見せていただいた。大変、興味深く見せていただいた。松下電器のスポンサーでの番組だ。残念ながら、地方では放送されなかったようだが、何とか、多くの人に見てもらえないものだろうか。ここでも、情報格差を痛感。ちょっとした会話の中から、おもしろい刺激的な話も聞かせていただいた。

 その後、久し振りに、三田のまちへ。ある勉強会の場で、色々と説明をいただく。

 午後6時30分の飛行機で小松へ。

 あさから、慌しい一日だった。


 
 
2005年05月28日 (土)  広貴の運動会

 昨晩は、慶應のOB会である、石川県三田会の春の総会及び懇親会。
 学生時代には、さして愛校心というものは持ち合わせていなかったのだが、卒業してからは、高校や大学の同窓会に行くのが楽しい。
 この日も、早めに行って、受付等のお手伝い。先輩方から、色んなご意見をいただく。勉強になった。

 今朝6時30分より、倫理法人会の役員会。たくさんの方が来られる。皆さんのこのエネルギーはどこから来るのか。感心しきりである。

 今日は、広貴の長坂台小学校の運動会。私は、一つ用事を片付けてから、出かける。一応、来賓席なるものを設けていただいていたので、とりあえずは、そちらで、皆さんにご挨拶をさせていただいてから、その後は、父親として子供の様子が見えやすい所に移動して回る。

 来賓席は、全体が見えやすい所にあり、一杯になるのはセレモニーの時だけということもあり、保護者の中には、ご自分の子供をビデオや写真で撮影する為に、堂々と来賓席の一番前に陣取っている人も何人かいた。私はそのような神経は持ち合わせていないので、子供を撮影する時は、来賓席をはずして行う。

 長男が友達と触れ合っている様子が見れて、何となく安心できる。競走やリレーのスタート直前の緊張の面持ちが、親ばかながら凛々しく見える。この緊張感を経ることによって、成長していくのだろう。

 昼に用事があったので、午後は、ほとんど見れなかったが、その日帰宅した広貴は、かっこよかった。


 
 
2005年05月26日 (木)  特別委員会の内容

 朝一に金沢大学へ。
 先生がまだいらっしゃっていなかったので、大学院生の部屋に行き、そこにいた韓国からの留学生の方と話す。やはり、留学までして勉強しようという方は、真面目だ。ああいう人が、国へ帰って、活躍するのであろう。

 遅れて、先生の部屋に行き、色々とご指導いただく。

 私は、本年度の福祉防災特別特別委員会の委員長として、取り組むべき課題を絞り込まなければならない。その件で、午後は、ある人に相談に伺う。大体の目途はついた。一般的な課題ではなく、ニッチなテーマで行く。後は、副委員長さんと相談し、委員会開催の日程を調整。

 その後、もう一人の方にお会いし、大体同じご説明をいただく。

 夜、一つ約束を片付けて、家族で夕食。


 
 
2005年05月23日 (月)  会派視察内容決定

 午前中、会派政調会。6月議会に関して何点か政策的な打合せ。今議会は、会派内で質問希望者も多く、私は、質問はお休み。その分、じっくり勉強をする。

 昼食を挟んで、議員総会。会派視察の内容が正式に決定。
 視察先は、東京都自閉症・発達障害支援センターにお伺いし、センター長の石井氏よりお話を聞く。石井氏は日本自閉症協会の会長も務められ、全国の状況も一番お詳しいであろうと思われる。現場の話を聞きたい。
 しかし、昨年から、発達障害のことを学ぶ機会が多い。学んだことを、きちんと施策に活かしていきたい。

 今議会は、質問をしないので、視察報告書は、私がきちんとまとめたい。 



 
 
2005年05月22日 (日)  田植え

 昨日は、午前中の予定がキャンセルになったので、真由子を連れてお出かけ。途中、本屋さんで、欲しい本を探す。結局、本を買うことはなかったが、本屋の雰囲気に、小さなうちから慣れ親しんで欲しい。

 午後、用事を片付けてから、今度は、広貴と図書館へ。目的の本は見当たらなかったが、他の本を読み込む。広貴も何冊かの本を借りる。

 夕食は、本当に久し振りに自宅で。

 今日の日曜日は、久し振りに走ろう会の練習。広貴も一緒に連れて行く。たくさんの方に声を掛けてもらう。照れながらも、挨拶をする長男を見て、何となく嬉しい。ただ、その後の予定もあり、練習も早々に切り上げて帰る。

 午前中は、真由子と田植えに行く。市の事業に参加。私も初めての経験。長女も長女なりにかいがいしく働く。泥だらけになり、楽しむ。

 午後、自宅に戻り、仕事。
 
 その後、会合に一つ出席。夕食は、こちらも久し振りに、妻の実家でいただく。

 最近、メルマガの反響が大きくなってきた。「八田與一の旅」は、いくつかの会から転載を依頼。また、知らない何人かの方からも、メールで感想をいただく。これが、外国からも来るから、インターネットのすごさを、今さらながら痛感。

 しかし、あまり過大評価してもらっても困る。はずすことも多いからだ。



 
 
2005年05月20日 (金)  夜の会合

 夜の会合が続く。
 昨日は、三件重なったが、二つ目が長引いてしまい、一つが行けなくなってしまった。早々に、難しいと考え、連絡だけ入れさせていただいた。大層気が引け、今日、改めてお詫びの電話を入れ、次回は必ず出席することを約束した。

 本日も二件。ただ、どちらも懇親の場なので、寛いだ気分でいられた。

 マスコミをリタイアされた方たちと、食事をしながらお酒をいただく。金沢の古い政治家の方のお話や、21世紀美術館をはじめとした、金沢の施設と外国のそれとの比較の話、歴史観等々、色々とご指導いただく。多くの有意義なことを経験されたご年配の方たちのお話は、楽しい。
 少々飲みすぎたので、シャワーを浴びてすぐに寝よう。

 
 
2005年05月18日 (水)  児童クラブのお話

 午前中、いくつかご相談いただいた件で、対応する。

 昼、ちょっと色々あって、走り回る。フゥー。

 午後、ご相談いただいた児童クラブの件で、直接お伺いして、お話をお聞きする。私の少ない経験で意見を申し上げる。もっと、直接携わりたいが、色々な関係もあって、そうもいかない。ワンクッションおきながらも、協力していきたい。幸い、以前からよく知った関係者も多そうで、力になってくれるであろう。私も、力を注いでいく。

 夜、会合がいくつか続く。JCのシニア合同例会。例会は出なかったが、懇親会に出席。懐かしいメンバーとあえて楽しい。早々に失礼し、地元の会合。この地元に生活しているはずなのだが、初めて聞く話もいくつかあり、参考になる。宿題もいくつかいただく。

 酔っ払ってしまったので、地元の次の店には行かずに、失礼する。
 
 帰宅し、シャワー浴びて、これを書く。


 
 
2005年05月16日 (月)  議員総会

 朝から役所で仕事。その後、午前中に議員総会。6月議会の確認及び各種連絡事項。6月の会派視察の内容もほぼ決定したようだ。

 午後、支援者の会社に寄らせていただく。自宅に戻り資料整理。

 子供たちと少し戯れて、会合に出かける。金沢市学童保育連絡協議会の総会。総会終了後の意見交換会で色々なご意見を聞かせていただく。初めて聞く話も多く、勉強になる。ただ、発言の中に、事実誤認のものもいくつかあったが、あえて訂正せず、静かに聞く。皆さんの目に見える形での活動もしていないのに、白々しく正論を述べても、嫌われるだけである。行動の中で、誤解を解いていくのも私の仕事だと思っている。しっかりやっていく。
 
 こちらが長引いてしまったので、もう一つの会合には、行けなくなってしまった。意見交換会の冒頭で、司会の方から、「今日は、山野さんもいますので、意見を聞いていただきましょう」と言われてしまっては、中座することもできない。電話で謝った。明日、フォローする。


 
 
2005年05月15日 (日)  軽度発達障害勉強会

 午前中は原稿作成、というより、考えていた。

 昼より、スペシャルオリンピックスの研修会で、福井から平谷先生にお越しいただき、軽度発達障害についての勉強会。
 大変分りやすい話で、私も勉強になった。しかし、先生もお話の途中でも指摘されていたが、ちょっと、かじったくらいで理解できるようなものでもないのであろう。
 私はこれまでも、それなりに勉強してきているつもりなので、多くの学校の先生方よりは理解しているつもりではいる。しかし、実際には、問題にならないレベルなのであろう。だったら、なおさら、ほとんどの学校の先生方は、もっと、ついてこれない。やはり、平谷先生のおっしゃる通り、専門の先生を育て、その先生にお願いするしかないのだろう。難しいテーマだ。

 夜、自宅で食事。子供たちと遊びながら食事。


 
 
2005年05月13日 (金)  6月議会の日程決定

 早朝より、倫理法人会役員会。私は寝過ごしてしまい、電話で起こされて、遅刻して参加。しかし、仕事でもないのに、朝6時から役員会をする会なんてあるだろうか。皆さん真面目なので、引っ張られる。

 9時に県庁に行き、午前中いっぱいは、防災対策の勉強会。海上保安庁の訓練の様子などを見させていただく。このような、一般には目に付きにくい地道な訓練のおかげで、私たちの安全が守られている。

 午後、議運。6月議会の日程が決定。その後、市教委と打合せ。

 ふるさと偉人館に行き、台湾へご同行した、松田館長とお会いする。八田與一に関する資料を、いくつかコピーしていただく。「八田與一の旅」と題して、いくつかメルマガをまとめたい。また、来月、横浜で一時間ばかりの講演をさせていただく。その際も、八田與一のことを中心に話してきたい。そのための、勉強の材料にしたい。

 夜、地元で飲む。地元の柔道関係者と柔道話で盛り上がる。


 
 
2005年05月11日 (水)  台湾疲れ

 9日の深夜、金沢に帰ってきて、10日は朝早くからモーニングセミナー。その後、総務常任委員会、ライオンズクラブ等々といくつものスケジュールが重なり、夜も遅くなってしまった。

 ということもあってか、今日11日は朝はしんどかった。7時過ぎにようやく起きだして、活動開始。

 午前中に、役所でたまっている仕事を片付ける。昼食は、久し振りにらーめん太郎。

 午後には、会合を二つほどやっつけて、一度家に帰る。クルマの中で眠気を感じる。危ない。

 夜、自衛隊友の会の会合。途中で失礼し、児童クラブの総会。終了後、まっすぐに帰宅。

 そんなにハードな一日ではなかったのだが、大層疲れた。
 
 明日も、早朝から出かける。



 
 
2005年05月10日 (火)  八田與一の旅

 5月5日から9日まで台湾に行ってきた。目的はただ一つ、「八田與一」である。

 とりあえずは、私のこれまでのメルマガや議会質問等をご覧いただきたい。今回の台湾訪問の詳細は、これからメルマガで述べていく。しっかりまとめていく。

 私は感情はあまり面に表わさない方である。しかし、今回は、そのベクトルを崩さないながらも違った。何度も涙した。涙を流さないまでも、深い感慨に浸ることが何度もあった。

 李登輝先生ともお会いできた。許文龍先生ともお会いできた。台湾の日本人学校の子供たちや先生方の様子も知ることができた。

 私のこれからの仕事は、そのことを多くの方に伝えていくことだ。根が怠惰な私であるが、エネルギーを振り絞って、文章をまとめていきたい。私の文章でその感動と一端でも伝えていきたい。

 しっかりやっていく。私の使命である。もしかしたら、私が議員になったのは、このためなのかもしれない。日本人の精神を書いていきたい。


 
 
2005年04月24日 (日)  おもしろ自転車の贈呈式

 23日の土曜日。朝から、竹薮。その後、部屋の掃除。昼食をいただいた後、沓掛参議院議員を囲んでの勉強会。純粋な政策勉強会。大変真面目な先生で、その真剣な取り組みが強く感じられ、私たち後輩も、しっかり勉強しなければと再認識させられた。最も尊敬できる政治家である。ぜひ、この秋にも予想される内閣改造で、力を発揮しやすい閣僚へと期待したい。

 夕方から、インドネシア総領事官の方の講演。現場の人ならではのお話も聞かせていただき、おもしろかった。インドネシアと聞いて、私が最初に思い出すのは、映画「ムルデカ」であり、親日の気風の強い国であるということである。そのことに関連して、近いうちにメルマガをまとめたい。

 懇親会の後、倫理法人会の会員のお寿司屋さんに行く。

 24日の日曜日。朝から、クリーン作戦に家族で参加。犀川べりのゴミ拾い。タバコの吸殻が本当に多い。広貴は、それらを拾いながら、タバコを吸ってもいいけど、ちゃんとマナーを守って欲しいと言っていた。私はタバコを吸わないし、広貴は将来はどうなるかは分らない。しかし、タバコを吸うことになったとしても、きっと、マナーを守った吸い方をしてくれるだろう。というより、きっと、吸うことはないであろう。教育は大切だ。

 その後、金沢尾山ライオンズクラブ30周年記念事業の一環として、教育プラザ富樫へ、おもしろ自転車6台の寄贈式典。早速、子供たちも利用してくれた。多くの子供たちに利用して欲しい。

 今日から広貴がボーイスカウトに正式に参加。 午前中にハイキングに行っていた広貴を、家族で迎えに行き、そのまま昼食。その後、私は家に戻り、部屋掃除。もう少しかかりそう。部屋をきれいにして、パソコンを早く買い換えよう。 


 
 
2005年04月21日 (木)  議員総会

 朝9時に、金沢大学へ。この時間帯の大学までの込み具合が、全く分らなかったため、8時に自宅を出る。十分な余裕があった。
 先生と一時間半、じっくり話し込む。しっかり勉強させていただきたい。

 役所で、会合。その後、議員総会。机に向っていると、眠気が襲ってくる。
 昨晩、地元の方と久し振りにお酒を飲んだ。そんなに遅い時間ではなかったが、ちょっと疲れがたまっているの、したたか酔ってしまった。その影響か。

 図書館に行き、予約してあった本を借りてくる。家に帰り、読む。

 今日は、夜の会合もなく、自宅で夕食。子供たちに本を読んであげる。


 
 
2005年04月20日 (水)  金沢尾山ライオンズクラブ30周年

 先ずは、19日。
 モーニングセミナーは石坂修一県議の講話。表先生のご紹介。県議の真面目な姿勢がそのまま伝わってくる内容であった。その後の朝食会も、長い時間付き合いいただいた。

 朝一で役所に行き、急ぎの用件を一つ片付ける。
 その後、ご支援いただいている方の所にお伺いし、色々と相談に乗っていただく。聞いていただいただけで、何となく安心した。心から感謝。

 所属する金沢尾山ライオンズクラブの設立30周年記念式典及び懇親会。夫婦で、お手伝いさせていただく。満足なお手伝いもできず、恐縮しきり。
 懇親会も途中で抜けて、宅建業界の会合。そちらも途中で抜けて、再び、ライオンズクラブ。またまた途中で失礼し、きんどん会。さすがに、その後は、帰った。帰宅したのは、12時前であったが、疲れきって寝た。

 本日20日は、朝一で、お世話になっている方のところに行き、陳情を聞かせていただく。うまい手立てがあり、早々に対応できた。
 その後、役所に行き、昼食は久し振りに、ラーメン太郎。まちなかの実情を色々と聞かせていただく。
 午後、金沢大学に行き、先生とディスカッション。様々なサジェスチョンをいただく。勉強しよう。

 夜、地元の方と会合及び意見交換会。お酒も入ったこともあり、話が弾む。会合を終えた後、一軒だけ立ち寄り、その後、早々に、帰らせていただく。


 
 
2005年04月17日 (日)  竹薮の手入れ

 昨日は、「ピピ飛べないホタル」で有名な中田新一監督の新作映画について、そのPRの打合せ。6月18日に有料試写会を行う。後援や動員の打合せ。

 その後、支援者との打合せ。

 夕方、神渡良平氏の講演。二回目であるが、優しさが伝わってくる話し振り。ご自分で話しをしながら、涙されることもあり、本当に心のきれいな方なのだと思う。新作「一粒の麦」、ちょっと高かったので逡巡したが、やはり、読もう。

 本日は、朝から、竹薮の手入れ。半日費やした。天気もよく、かといって暑過ぎもせず、山の中は気持ちよかった。
 
 午後、教育研究会未来の講演会。おっしゃっていることはなるほどと思ったが、途中、思わず居眠りしてしまうこともあった。お聴きする方の姿勢に問題があった。すいません。

 その後、図書館に行き、目的の本を探す。「孤島の土となるとも」。いわゆる先の大戦後、B、C級戦犯として乱暴に扱われた方たちのことを詳細に書かれている。その一部を今度まとめたい。

 夜、馳代議士との意見交換会。



 
 
2005年04月14日 (木)  図書館で読書

 午前中に、スペシャルオリンピックスでお世話になった会社にご挨拶。雑談の中で、行政絡みで、興味深い話も聞かせていただいた。ちょっと調べてみよう。

 その後、役所で資料整理。その後、金沢大学へ行き、先生に色々とご指導いただく。こちらも本腰を入れて勉強していきたい。

 一度、自宅に戻ってから、図書館へ。予約してあった本を貸してもらい、そのまま、図書館で読み込む。二冊ばかりをほとんど読み終えてしまうが、借りたばかりのものをすぐ返すのも、何となくかっこ悪いし、再度じっくり精査もしたいので、持って帰る。きっと、もう開かないだろうが・・・。

 野口英世の評伝をいくつか読んでいる。世間一般における、高峰譲吉との知名度の違いを調べたかったからだ。予想されたことではあるが、やはり、そうかという感じ。近いうちにメルマガでまとめてみたい。

 夜、久し振りに自宅で食事。子供たちと夕食は楽しい。


 
 
2005年04月12日 (火)  倫理法人会花見

 三週間ぶりのモーニングセミナー。サボっていたわけではありません。金沢にいなかったもので、物理的にどうしようもなかった。
 会長がどうしても出席できず、私が代わりに挨拶。その後、みやの動物病院の宮野浩一郎先生のお話。いつも、パワフル。話もおもしろかった。今度は弟さんに話してもらおう。

 午前中に議員総会。新年度の会派役員の決定。私は、政調担当。政調会長さんと連携し、しっかり、勉強していきたい。

 午後、スペシャルオリンピックスの件で、支援団体にご挨拶。ありがたい。

 夜、倫理法人会の花見。多くの方に来ていただいた。私は途中から、相談役に連れられて、片町をはしご酒。したたか酔っ払う。それでも、これを書いている。



 
 
2005年04月10日 (日)  今日は、広貴の誕生日

 今日は、広貴の8歳の誕生日。
 私は午前中から会合があり、早々に出かけてしまったので、日中は、遊んでやることはできなかった。夜は、妻の実家で、お祝い会。
 元気に育ってくれていることが何よりだ。

 昨日9日は、午前中は、中学校サッカークラブチームの入団式。
 午後1時からは、広貴と真由子のピアノの発表会。真由子にとっては、初めての発表会。相当緊張したのだろう。4歳の子にとって、緊張という表現ではなく、恥ずかしかったという表現で表わしていた。この緊張感が大切なのだと思う。私は普通の父親としてビデオ撮りに励む。発表会慣れした広貴は、何ということもない顔をしていたが、真由子は、ビデオを見ながら、その瞬間のことを思い出すのか、顔を隠しながら、「恥ずかしい」を繰り返す。精一杯褒めてやる。

 その後、岡田直樹参議院議員を囲む会に呼ばれ、私も少々話してくる。

 夜、サッカー協会の会合、JC卒業同期の会、馳浩代議士を囲む会等々、いくつか重なる。
 ご無沙汰していたあるお店に顔を出すと、高校の同級生に会う。じっくり話をするのは、高校卒業以来か。市外に住んでいるので、票を入れることはできないが、新聞等で常に注目してくれているとのこと。ありがたい。


 
 
2005年04月08日 (金)  倫理法人会役員会

 早朝より、倫理法人会の役員会。真面目な会だ。私にいくつか宿題もいただいた。きちんとしたい。

 先日いただいた陳情について色々調べる。局長及び担当者のご意見もいただく。もう少し動こう。

 午前中、お世話になっている方のご子息の訪問を受ける。色々とお話を伺う。ちょっと難しい。しかし、できるだけのことはしたい。先ずは、私のほうから相談できそうな方に連絡をとる。長期戦になりそうだ。

 ざぶん賞の件でも打合せ。何とか目途がついた。もう少し、詰めたい。

 昼食を自宅でとった後、大和で行われている、大樋年雄展を見に行く。陶器のことはよくは分らないが、よく分らない私でも、作品を拝見していると落ち着くような感じがするから不思議だ。芸術の持つ力だろうか。うまい具合に、会場で大樋さんにお会いすることができ、しばらく談笑する。私に審美眼がないだけに、作品についての話ができないのが残念。李登輝の話をしてきた。何のこっちゃ、という感じ。

 その後、菊水ライオンズクラブのパーティ。曽野綾子さんの講演。ほとんど終わりころだったので、あまり話は聞けなかった。彼女の小品はよく読んでいるので、まっ、いいか。その後、懇親会。

 二次会は、地元のお店に行く。


 
 
2005年04月06日 (水)  家族で外食

 お世話になった方がお亡くなりになられた。お葬式。二年間ほど、入院されていた。一時、良くなられたと聞いていたのだが、残念だ。 

 午前中は、議員総会。その後、年度末から滞っていた案件を整理する。中々難しい。
 
 午後の会合が長引き、時間が読めなかったので、一つ予定をキャンセルした。当日のキャンセルは先方にとっても迷惑この上ないことであったろう。明日直ぐ対応するが、何か、一つ借金を背負ったような感じだ。

 明日から、広貴の新学期。今晩は、私も時間が空いたので、家族で外食に出かける。お世話になった方のお店にお伺いする。美味しくいただく。
 親も子も、明日からは新たな気持ちで取り組んでいこう。


 
 
2005年04月02日 (土)  小学校6年生の作文

 年度始めにあたり、さらに、大リーグ開幕にあたり、企業経営者の間でも有名になっている、ある小学校6年生の子供が、「僕の夢」と題して書いた作文を紹介したい。

―――――

 僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。
 そのためには中学、高校と全国大会に出て活躍しなければなりません。活躍できるようになるためには練習が必要です。僕は3才の時から練習を始めています。3才から7才では半年くらいやっていましたが、3年生の時から今までは365日中360日は激しい練習をやっています。

 だから、一週間中で友達と遊べる時間は5、6時間です。
 そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球選手になると思います。そして、その球団は中日ドラゴンズか、西武ライオンズです。ドラフト一位で契約金は一億円以上が目標です。僕が自信のあるのは投手か打撃です。

 去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。そして、ほとんどの投手を見てきましたが自分が大会ナンバーワン選手と確信でき、打撃では県大会4試合のうちホームラン3本を打てました。そして、全体を通した打率は5割8分3厘でした。このように自分でも納得のいく成績でした。そして、僕たちは一年間負け知らずで野球ができました。だから、この調子でこれからもがんばります。そして、僕が一流の選手になって試合に出られるようになったら、お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢の一つです。
 とにかく一番大きな夢は野球選手になることです。

―――――

 少年の夢は実現し、日本のプロ野球どころか大リーグにおいても、超一流のプレーヤーとなった。言うまでもなく、イチロー選手である。

 この作文のどこがそんなにすごいのか。それは、大リーグでも大成功を治めているイチロー選手の書いたものであるということが、理由の一つであることは間違いあるまい。しかし、そのような皮相的な理由だけではない。当然、その作文の内容に大きな理由がある。

 先ずもって、イチロー選手は、自分の目指すべきものを、「一流のプロ野球選手」として明確に、大目標を掲げている。
 さらに、その大目標達成の為には、「中学、高校と全国大会に出て活躍しなければなりません。」と中期的な目標までもはっきりと視野に入れ、その「活躍」の担保として、「練習が必要です。」と言い切っている。
 小学校6年生で、ここまでの計画作成能力を極めた子がいるであろうか。

 計画作成だけではない。この子は、自分がこれまで行ってきた事象を、客観的に数字で持って把握し、さらに、それらを全てを、自発的な意識の中でとらえている。「自分が大会ナンバーワン選手と確信でき」、「自分でも納得のいく成績でした」と、自発的・主体的な問題意識を完遂した達成感を、具体的に述べている。

 マズローの欲求5段階説の「自己実現」に向って、まっしぐらという感じである。

 多くの企業経営者が、このイチロー選手の作文に舌を巻くのは、将来を展望しての目標を描き、それを実現するための計画を策定し、その実現に向って努力を積み重ねているということだけではない。

 自分の大きな目標を達成することによって、「お世話になった人に招待券を配って応援してもらう」という社会貢献の姿勢までもが、この中において見られることである。なんという社会的知性、人間的理性であろうか。

 教育の一つの理想形が、この作文の中に込められているといったら言い過ぎであろうか。

 チチロー、恐るべし。



 
 
2005年04月01日 (金)  新年度、心新たに

 今日から新年度。陳腐な言い草だが、心新たに取り組みたい。これまで以上に、自分自身に対して、知的にも時間的にも新たな負荷を掛けて、研鑚していきたい。家族と過ごす時間も、これまで以上に、少なくなるかもしれないが、これまで以上に、子供たちと濃密な時間を過ごしたい。また、人と会う時間も積極的に作っていきたい。

 現在、高峰譲吉に凝っている。色々調べれば調べるほど、新渡戸稲造との共通点が、鮮明になってくる。この時代のエリート連中が、自然に身に付けていた、ノーブレスオブリュジェ(高貴な者の負うべき義務)の発露であろうか。
 高峰譲吉に関しては、「金沢」、「日本」、「日米の掛け橋」という観点にこだわって、近いうちにまとめてみたい。



 
 
2005年03月27日 (日)  自衛隊友の会

 24日で三月議会終了。
 
 前日に、お世話になった方がお亡くなりになった。本当に、色々な形でお世話になっていたこともあり、残念だ。しばらくは体調が芳しくないことは聞いてはいたが、心より、ご冥福をお祈りしたい。

 25日、いくつもの予定が重複する。中途半端な出席になってしまった会合もいくつか出てしまい、他の出席者に対して申し訳なかった。
 その中で、環境審議会はおもしろかった。私の全く知らないことも議論され、興味深く聴き入っていた。本当は発言もしなければいけなかったのかもしれないが、できなかった。自分の勉強不足を反省。
 その日は、夜、飲み会を一つ出てから、真面目な会合。このパターンは少々辛い。家に帰ってすぐ寝た。

 26日、倫理法人会役員会。相変わらず、早朝からの会合。真面目な会だ。来年度からの一つの方向性が決まった。私も心改めて、取り組みたい。
 夜、自衛隊友の会の会合。新しい、金沢駐屯地司令の講演を聞く。勉強になった。自衛隊に対して、アレルギーを持つ方たちにこそ聞いていただきたい。それにしても、自衛隊について無責任な発言を重ねる方たちの、その発言を、自衛隊の方たちは真正面から受け、なおかつ、その無責任な方たちを守らなければいけないという、不思議な構造は何とかならないものだろうか。
 その晩は、したたか飲みすぎた。



 
 
2005年03月22日 (火)  モーニングセミナー若手シリーズ一段落

 モーニングセミナーは、石川県倫理法人会始まって以来の最年少講話者。24歳になられたばかりの若い経営者の卵の講話。
 大変、新鮮で、聞いている私が、吸い込まれてしまう。自分が、彼の年齢の時に何をしていたのか、考えただけで恥ずかしくなる。
 しばらく、若手の方たちの講話で続けたが、大変勉強になった。彼らも勉強になったであろうが、一番勉強になったのは、直接声を掛けさせていただいた私であろう。心より、感謝したい。

 今日は、連合審査会。
 私は与えられた25分という時間きっかり、質問させていただいた。教育委員会のあり方については、市長と意見の相違が見られたが、違いがあっていいのであろう。
 他の議員さんの質問も聞かせていただいたが、連合審査会は、一般質問以上に、議員さんの個性が表れる。そういう意味では、通常の議会と違った形での勉強にもなる。

 夜、ちょっと顔を出さなければいけないところにお伺いし、飲み会に行く。ちょっと、疲れもあり、一次会で失礼する。幹事さんに申し訳ない。来月頑張ります。


 
 
2005年03月17日 (木)  『蛍の光』と竹島問題

 自動車で街中を走っていると、小中学校の正門に日の丸が掲げられ、卒業式の看板を見かけるような時期になった。私たちの年代は、卒業式と聞けば、「蛍の光」や「仰げば尊し」を思い出す。
 話は飛ぶが、3月16日、島根県議会では、「竹島の日」制定の条例が可決された。

 全く関係なさそうな、この二つの事象から、私は連想することがある。

―――――

 「蛍の光」は、言うまでもなく、1881年、スコットランド民謡に日本語の歌詞をつけて小学唱歌として発表されたものである。
 一般的には、その二番までしか歌われることはないが、実は、三番と四番とがあることはあまり知られてはいない。

 三番の歌詞は、こうである。

 『筑紫(つくし)の極み 陸の奥(みちのおく)
  海山遠く隔(へだ)つとも
  その真心(まごころ)は隔てなく
  ひとつに尽くせ国のため』

 さらに続く四番。

 『千島の奥も沖縄も
  八州(やしま)のうちの守りなり
  至らん国に勲(いさお)しく
  努めよ我が背つつがなく』

 三番で歌われている、「筑紫」は、要するに九州のことであろう。「陸の奥」は東北地方を指しているという理解で、間違いあるまい。記紀で言うところの日本の国土を表わしているということであろうか。

 四番になると、帝国主義全盛時代に、近代国家に追いつこうと必死な形相の、新興国家日本の姿が透けて見える。

 今から150年前の1855年、日本はロシアと通好条約を結び、ウルツプ島と北方四島との間に国境線を引いた。さらに、その20年後の1875年、樺太千島交換条約で、樺太をロシアに譲渡する代わりに、千島列島を日本のものにした。
 一方、その4年後の1879年には、琉球藩が廃止され、沖縄として鹿児島県の一部とされ、日本に正式に組み込まれている。
 その2年後の1881年に「蛍の光」が発表された。

 それら全てを受けての、四番である。
 
 北は千島列島から、南は沖縄までが、八州(やしま)、つまり日本の領土であり、各地で国の守りにつく兵士や役人との別れを惜しみ、立派な任務達成を祈る歌である。

 先に述べたように、日本が、当時の潮流であった帝国主義に乗ろうとした、もしくは、乗らざるを得なかったという私の意見に、反発を覚える方もいるかもしれない。しかし、日清、日露戦争を経た上で、「蛍の光」の四番の歌詞が次のように変更された事実を知ると、さすがに、考えさせられる。

  『台湾のはても 樺太も
   八州(やしま)のうちの守りなり
   至らん国に勲(いさお)しく
   努めよ我が背つつがなく』

―――――

 いつの時代でも、その時代の価値観というものがあり、また、国際法もしくはそれに準じる国際的慣習というものを基にして、歴史というものが作られてくる。現在の価値観や国際法、国際的慣習で、歴史を判断しようとしても無理があるし、その試みは、たいていの場合、ある意図をもったものである。正しい歴史認識を、最初から放擲しようとしている。

 さて、竹島問題については、本日の多くの新聞・テレビで報道されているので、ここでは詳細について触れることはしない。
 一点のみ。
 韓国の潘外交部長官は、「独島(韓国では、竹島をこう呼ぶ)問題は、領土と主権の問題であるため、韓日関係よりも上位の概念だ」としているが、それは、全くもって正しい。だからこそ、韓国は竹島に軍事力を誇示して占拠している。最大の問題は、日本が50年以上に渡って、この問題に何ら発言をしてこなかったことである。

 明治の先人は、「蛍の光」の歌詞の中にまで、日本の領土のことを歌い、歴史的事実を伝えようとしている。

 ここで、私が「歴史的事実」という表現を使うことに抵抗感を持つ方もいるかもしれない。軍事力で獲得した領土ではないか、平和裡に譲渡されたものではないではないか。その後、軍事力によって、再度失ったものを歴史的事実といえるのか、と。しかし、前述しているように、当時は、帝国主義の世界潮流のただ中である、現在の価値観だけでは推し量ることはできない。慎重に考えなければならない。

 閑話休題。

 日本、韓国ともに一国主義的歴史観で、この問題を論じようとしても解決はつかない。
 今回の島根県の条例が、正しい歴史的事実の議論の契機になることを望みたい。



 
 
2005年03月15日 (火)  スペシャルオリンピックス表敬訪問

 今朝のモーニングセミナーは、全体として、少々、お疲れモード。というより、若い方たちがいなかったので、それだけで、そんな感じがしただけか。ちょっと、気合を入れ直そう。
 会場で朝食をとり、そのまま、役所に。本会議の後、委員会。来年度予算説明。たくさん質問する。

 午後、市長、知事と続けて、スペシャルオリンピックス世界大会において、石川県選手団好成績の表敬訪問。今回、私は、長野に行かなかったので、隅っこに小さくなっていた。それにしても、アスリートたちの頑張りはすごい。市長も知事もおっしゃっていたが、このことが彼らの自信になり、これからの人生に役立つのではないだろうか。

 夕方から、何人かの方のところにお伺いする。
 
 今日は、自宅で食事。朝、子供たちの顔を見られなかったので、夜、一緒に食事ができて嬉しい。

 連合審査会で取り上げる項目は大体決まる。もう少しつめる。明日、市執行部にいくつか確認。


 
 
2005年03月13日 (日)  住宅内見会

 昨日は、午前中に、知り合いの方の会社主催の住宅内見会。家族全員で出かける。きれいなセンスのいい家をみると、自分が住むわけでもないくせに、何となく、晴れやかな気持ちになる。

 その後、私は、一人で原稿作成、というより、そのための準備。途中、図書館に行き、資料を探す。いつものパターンではあるが、必要な資料を探しているうちに、ちょっと目に入った他の本に手を出してしまい。その場で読み込む。そして、そのうちの何冊かを借りてくる。

 松本清張の短編集を借りて来た。中学高校時代に読んだものを、読み返す。清張作品は、映画やドラマになっているものが多く、いくつか、その映像とラッピングしながら、読む。と、そんなことをしている時ではない、資料を確認し、原稿に取り組まねば。

 夜、中学のサッカークラブチームの卒団式。その後、柔道協会の会合。久し振りの片町。それでも、それほど遅くならないうちに、帰ってくる。


 
 
2005年03月12日 (土)  議会質問を終えて−友引のお葬式番外−

 いつもありがとうございます。
 昨日、とりあえず、議会質問を終えました。今回は、ニッチ及び専門的なテーマが中心でしたが、たくさんの方から、ご意見ご助言をいただきました。ほんとうにありがとうございます。それらご意見を、随所に原稿の中に入れさせていただきました。皆さんからいただいたご意見をもとに、これだけ原稿に手を入れたのは初めてというくらい、修正しました。ただ、質問の時間調整がうまくいかず、途中から、相当な早口で話さざるを得なくなってしまい、反省しきりでした。

 さて、取り急ぎ、一点のみ、今朝の新聞記事において、私の質問の主旨と違って取り上げられていたものがありましたので、訂正(私が訂正するのも変ですが)させていただきます。

 一部新聞で、私が金沢市の斎場の休業日が現在、毎週土・日となっているのを改めて、「友引」にすべきである、と述べたように書かれています。
 私の質問原稿を、注意して読んでいただくとお分りいただけると思いますが、私は、そのようなことは提案していません。

 確かに、友引に葬儀を避ける一般市民の感覚及び他都市の状況を、客観的な数値でもって提示してはいますし、本市は、そのことは無視できない課題ではないかという思いではいます。しかし、質問原稿の中でも、はっきりと、『私は、行政が「友引」云々といった因習に拘泥する必要はないと思います』と書いていますし、本会議場でもそう述べました。あくまでも、『この施設の性格からいって、年末年始やお盆の時期はともかくとして、定期的な休日を、しかも土日にしっかりと、休業しなければならないという発想自体が、市民感覚からの著しい遊離を感じています』と問題提起し、毎週土・日に休みにしなければいけないものとしている現状の改善を求めたものです。

 実は、「金沢市斎場条例施行規則」には、斎場の休業日として、質問原稿で書いてあるものの他に、『施設の管理運営上市長が別に定める日』という記述が見られます。私は、土日休業なんてふざけた項目は削り、ここで工夫すればよいと思っています。
 いくつかの政令指定都市及び中核市では、同じような規定を設け、秋頃に、来年一年間の休業日を決め、発表しているところがいくつもあります。その中で、時には「友引」を入れたり、施設の検査・修繕の日が必要であるならば、事前に対応したりすることができます。何度も言いますが、施設の性格からいって、機械的に、土日を休業日とするのは、あまりにも役所仕事に過ぎます。

 市長は答弁で、土日も平日も使用頻度は変わらない、十分対応できている旨述べられていますが、これは、「使わせてやっている」という感覚です。市が対応できているのではなく、私たち市民は、斎場はそこしかないので、対応せざるを得ないだけです。
 普段は二つある斎場ですが、土日は一つですので、平日と同じ頻度ということは、一つの斎場で対応すると、遅い場合は、夜に近い夕刻での火葬になります。ご遺族にとって、最後のお別れです。遠方のご親戚の方も、できるだけ最後までおられるでしょう。全てを終えるのは、既に、夜です。その方たちのことを少しは考えても良いのではないでしょうか。

 質問原稿にも述べていますように、ちょっとした工夫でできることです。どんなに良いことであっても、新たな財政負担が発生する場合は、新潮に対応しなければなりません。しかし、この場合、新たな財政負担や市職員の負担が増すわけでは、全くありません。残念です。

 以前、新聞記者の方から、あなたの質問はちょっと難しすぎるという指摘を受けたことがあります。いくら良い質問だと思っても、独り善がりになっていては何にもなりません。今回も、新聞記者の方に、十分ご理解いただけないような、原稿の言い回しであったと反省しています。構えずに聞いていただいて、自然にご理解いただけるような文章にしていかなければいけません。今後、気を付けます。

 他にも、きちんとご報告しなければいけないものもありますが、取り急ぎ、新聞記事の訂正部分に関してご報告させていただきました。
 繰り返しになりますが、たくさんの方からご意見、本当にありがとうございました。皆さんに助けていただいて、議会質問もできているということ再確認させていただきました。



 
 
2005年03月11日 (金)  議会質問

 私の議会質問日。ここ最近にない、手ごたえのない論戦であった。
 一つには、質問項目が多すぎて、時間配分がうまくいかなかったこと。項目の多さは他の方たちと比べて、格段に目立ったわけではないが、私の場合は、議論を理路整然と組み立てていくタイプであるだけに、時間に窮してしまった。途中から、まずいと思い、早口にせざるを得なかった。
 市長答弁も押しなべて、単調なもので、再質問をする気さえしなかった。
 大いに反省して、次回以降に活かしていきたい。
 
 議会を終えてから、用件があったので、何件か、回らせていただく。じっくりお話できたのは数件であったが、しばらく続けたい。


 
 
2005年03月06日 (日)  代官山ヒルサイドテラス

 一昨日、昨日と東京に視察。
 代官山ヒルサイドテラスを見てきた。金沢から、ヒルサイドテラスをご紹介いただいた方と、その方のお知りあいで、小田原で設計事務所をされている方とで、ずっと、歩いてきた。専門家のお二人のお話を聞きながら、勉強させていただいた。

 一人、もしくは同じ思いを持った複数の建築家が、様式は違っても、同じ建築言語をもってまちを創っていく。また、地主にしても、基本的に土地は公共のものという意識を持ち、ノーブレスオブリージュ(高貴な者の社会的責任)をしっかり身に付けていなければならない。
 戦後の農地解放の中、その意識を持った地主は現れにくくなった。

 近いうちに、議会質問原稿及びメルマガで少しまとめてみたい。

 渋谷区の松涛も歩いた。松涛の由来も知って、おもしろかった。高級住宅地の出自というものも、聞きかじりで知ることができた。一度きちんと調べてこちらもメルマガにまとめてみたい。

 今日は、ひたすら原稿作成。


 
 
2005年02月28日 (月)  県市予算勉強会

 午前中、県議会において県予算勉強会。県議会中にもかかわらず、お時間をとっていただいた県職員の方には、感謝である。

 午後、市予算勉強会。

 改めて分ったことであるが、これまで、県市ともに、公共事業の金額は、類似自治体と比べても抜群に多かったということである。
 県市ともに大掛かりな工事が一段落したこともあり、投資的経費は抑えがちである。それでも、やはり、他都市よりは多いという。市民県民感情としては、そうは感じられないが、客観的な数字が物語っている。
 県市ともに言われていたことであるが、ソフト的な施策の工夫によって、行政サービス充実の実感を高めていくことが必要。また、県市連携してやっていくことも大切。
 新幹線のいわゆるストロー現象対策としても、県は、観光施策に力を入れていかれるという。もっとも、県市と連携しやすいテーマである。これまでの反省を踏まえて、期待したい。


 
 
2005年02月25日 (金)  来年度予算案内示

 体調が復活とも思ったが、必ずしもそうでもなさそうだ。
 今日も、昼頃に、やはりちょっと具合が思わしくなくなり、トイレに駆け込んだ。やはり、今週末もあまり無理は出来ない。

 金沢市来年度予算案内示。じっくり勉強して、市民の皆さんに分りやすく説明できるようにしなくては。


 
 
2005年02月24日 (木)  宅建業界との勉強会

 昨日は、風邪からほぼ復活。今日は、完全復活。
 
 朝から、教育委員会の方に、教科書採択のシステムについて、色々と教えていただく。その後、それを簡単にまとめる。他のことと平行しながらやっていたので、午前中いっぱいかかった。

 昼食は、久し振りに、ラーメン太郎。何人もの知った方に会う。

 午後から、宅建業界の方たちとの陳情及び勉強会。私も勉強になった。

 その後、外環状道路に伴って、いただいていたご意見に対する回答を、関係者に説明に行く。何人かの方のところにお伺いし、時間がきたので、次に会合に。

 一つお通夜を済ませてから、環境教育・環境学習推進会議の本年度最後の会合。真面目な会だ。本年度はあまり参加できなかったので、来年度は、しっかり勉強したい。


 
 
2005年02月22日 (火)  風邪をひいたようだ

 昨晩、急に吐き気がして、体調がおかしくなった。今朝、少し身体を動かすと、やはり、激しい嘔吐。
 午前中に、どうしても出席しなければならない会合があったため、妻の運転で、移動する。車に揺られながら、さらに、気持ち悪くなる。何とか、会合を終え、その足で、病院に行く。注射をうってもらうと、心なしか、復活したような気がして、お蕎麦を食べて帰宅。
 その後の予定はキャンセルさせていただいて、寝る。夕方、目が覚めて、少しだけ味噌汁を飲む。 で、これを書いている。

 明日は、今日、キャンセルしたお約束もあるし、他のスケジュールもある。夜の予定はないので、静かにしていよう。
 
 来週、急遽、東京出張。代官山のヒルサイドテラスを見に行く。金沢で、ヒルサイドテラスをご紹介いただいた方と、先方の設計事務所の方とで、色々とご説明いただく。
 都市計画と建築との関係、小さな試みであっても、町全体に及ぼす影響、金沢での適用の可能性等々をしっかり学んで来たい。


 
 
2005年02月19日 (土)  鏡花作品の朗読

 今週も、夜は全て外。ということもあり、今日は、一次会で帰る。もっとも、皆さん、そのようなご様子だったので、安心した。

 今日は、真由子の園での音楽の発表会。年少さんクラスのお友達と、合唱とピアニカ演奏。皆と混じっている様子を見るのが嬉しい。

 その後、広貴と泉野図書館に行く。広貴が本を読んでいる間、私は調べものをしていたが、お目当てのものが見つからず、私も広貴の横で読書。親子で図書館で並んで本を読む。いつまで付き合ってくれるだろうか。本好きな子に育って欲しい。

 午後、部屋掃除。新しい本棚が届いたので、そのスペースを確保しなければならない。最近は、図書館を利用することを心がけている。それでも、本は増えていく。益々部屋が乱雑になっていく。本棚にそれらを整理していくことによって、片付いていって欲しい。

 夜、国際交流センターにて、胡弓の演奏と、鏡花作品の朗読。ともに素晴らしかった。鏡花の作品は、取っ掛かりが、やや難渋するが、次第に引き込まれていく。最後には、何とも言えない切なさが残る。

 その後、懇親会。


 
 
2005年02月15日 (火)  若手モーニングセミナー

 久し振りの日記。そんな書き出しも何回もある。

 モーニングセミナーは若手の講師。27歳。前回は26歳。自分が彼らの年齢の時に、何をしていたかを考えると恥ずかしい限りだ。ぎこちない新鮮なな話の中にも、真摯な姿勢が感じられる。私も、自分の年下の人間から教えてもらうことが多くなる年代になった。

 経済企業常任委員会。たくさん質問した。この内容をもう少し膨らませて、別の機会に取り上げたい。

 その後、調べもの。時間がかかった。その後、今週一つある講演もどきの資料の準備。

 夜、私の結婚以来のお付き合いのある、二つの家族との食事会。本当に久し振りの食事会。子供たちも楽しんでくれていた。これからも時々、一緒に食事会をしようと約束して別れた。

 その後、慶應の仲間が、新しい職場で頑張るということで、励ます会。二次会からの参加。私も、それまでに相当酔っていたこともあり、次は行かずにまっすぐに帰る。三田会の仲間は良い。


 
 
2005年02月10日 (木)  勉強し直し

 今週は、月曜日から水曜日まで飲み会が続いたが、昨日は、サッカー北朝鮮戦のため、早々に解散。私も自宅でサッカー観戦。「ヤタガラス」の原稿を早く書き足さねばと、思った。

 今日、午前中に、議会質問に関して専門家の方にお話をお伺いに行く。ところが、お話をお伺いしていると、私の観点が、何と小さなものかということに気付かされた。いつの間にか、良い議会質問をすることに主眼がいってしまい、普遍的・一般的に昇華するという視点が欠けてしまっていたようだ。気を引き締めて、勉強をし直す。一般市民、民間では、どうしても、当座のことに関心が行きがちになるが、行政は、将来を見越した観点が必要。その方向性を示すのが、私たち議員の仕事だ。

 昼、環状道路及び幹線道路の勉強会。国土交通省及び県の職員に方にきていただいての勉強会。

 その後、役所に行って、職員の方たちと打合せ。
 
 夜、倫理法人会の会員のお店で食事。


 
 
2005年02月07日 (月)  スペシャルオリンピックス世界大会表敬訪問

 今朝、朝起き会に行くつもりが、寝過ごしてしまい、行けなかった。申し訳ない。

 朝一で、スペシャルオリンピックス長野世界大会に出場する選手たちの、市長表敬訪問。世界大会に出場は、すごい。アスリートたちの努力と共に、ご家族やボランティアのコーチの方たちのご努力に、心から敬意を表したい。選手たちの活躍を心から期待したい。

 お世話になった方のお葬式。

 二月に行った視察の報告書をまとめる。ゆっくりやろう。
 
 ある課題で、部課長と打合せ。コミュニケーションが大切。反省。

 夕方、時間が少し取れたので、広貴と遊ぶ。可愛い。私のキャパの中で、子供を見てしまうのではなく、良いも悪いもひっくるめて、今時の子供らしさを見守ってあげたい。

 夜、地元の若い衆と食事。色々と教えていただく。明日はモーニングセミナーなので、私は早々に失礼する。


 
 
2005年02月06日 (日)  スペシャルオリンピックス評議員会

 2月3日は節分。毎年、寺町の神社にて豆まきに参加させていただく。昔ながらの風習だが、実際、神社でこのような体験をさせていただける所も、そう多くはない。山野家の毎年恒例行事になっている。また、その後、同じメンバーで食事会。さらにその後、また、例年のメンバーで、片町に行き、同じお店をはしごする。お店の方も心得たもので、お土産の豆を楽しみに待っていてくれる。もう何年、同じことを繰り返しているだろうか。大変楽しい。

 4日。議運が開かれ、3月議会の日程が決定。私は、一般質問をやらせていただく。会派の皆さんのご理解があってのことだ。しっかりと、取り組みたい。

 5日。日中に、お世話になった方が褒章を受章された、そのお祝いの会。建築士の方なので、何人か見知った建築士の方とお会いする。また、嬉しいことに、久し振りの友人とも会い、談笑する。その後の会合もあったので、飲み過ぎないように気をつける。

 夕方から、私の支援者の方にお集まりいただき、ご指導をいただく。緊張する。この緊張を糧に、成長していきたい。

 今日6日。午前中から、スペシャルオリンピックスの評議員会及び総会。トーチランが終ってからは、あまり、会合に出ていないので、申し訳ない。今日も、総会に出られなくて恐縮。

 午後、岡田直樹参議院議員の会合。ホテルには、すごい人。竹中平蔵大臣が来られるということもあり、SPもマスコミもすごい。
 
 夜、10日遅れの、妻の誕生祝い。広貴のお友達のお店に食事に行く。私と広貴とで支払いをするということになり、広貴の貯金箱からもいくらかの出費。


 
 
2005年02月01日 (火)  政策投資銀行

 昨日は、午前中に、教育問題のことについて意見交換に出かける。
 私のメルマガについて、大層なお言葉をいただき恐縮しきり。「ハインリッヒの法則」について、私の原稿をプリントアウトし、コピーしたものを社員に渡して、説明したという。おことわりせずに申し訳ありませんと謝られたが、こちらが、恐縮するばかりである。どうりで、受付で、私の名前を言うと、女性の方が頷きながら迎えてくれた。

 午後、私用を片付けてから、ホテルインへ。倫理法人会の、倫理経営講演会。多くの方に来ていただいた。いい雰囲気だ。

 今朝、起きると一面銀世界。モーニングセミナーの出席数も悪かろうと思ったが、50人近くもの方が来られた。すごい。
 午前中に、政策投資銀行に行き、いろいろな資料をいただくと同時に、まちづくりについて、様々なご助言をいただく。こんなに近くに、頭脳集団がいたのに、これまでほとんどお付き合いがなかった。もったいないことをした。これからは、積極的にお付き合いをお願いしていきたい。

 午後一に、陳情。できるだけ早くに調べて、ご報告したい。

 夜は、予定が入っていないので、家族で食事。寒さ厳しいこともあり、私から鍋物をお願いし、家族で、鍋をつつく。



 
 
2005年01月29日 (土)  「ハインリッヒの法則」からみた回転ドア事故

 今月26日、昨年3月に起きた、六本木ヒルズで、6歳の男の子が亡くなった回転ドア事故に関して、六本木ヒルズを運営する森ビルの幹部らが書類送検された。
 六本木ヒルズは、2003年4月のオープン直後から、回転ドアでの事故が多発し、昨年3月の死亡事故までの一年の間に、報告されただけでも32件もの事故があったという。十分、今回の事故が予見されたにもかかわらず、安全な対策をとらなかったというのが、嫌疑とされている。

 特に、2003年12月には、6歳の女の子が頭と右ひざをドアに挟まれ、警備員らが助け出そうとしてもドアが動かず、4分後にようやく救出された。その時には、女の子の黒のタートルネックは血まみれになり、すぐに、救急車で病院へ搬送されたが、右耳の後ろを11針も縫ったという。既に軽傷なんていうものではない、大事故が起きていたのだ。

 現在、六本木ヒルズでは、ほとんどの回転ドアは撤去もしくは使用が停止されているという。当然のことである。
 国土交通省と経済産業省も、専門家らによる検討会を設置し、再発防止のためのガイドライン(指針)を作成したようである。

 昨年3月にこの死亡事故が起きる前までの1年の間に、32件の事故が報告されていたということを受けて、私を含めて、労働災害で有名な「ハインリッヒの法則」を思い出された方も多いようだ。実際、ある報道でも、そのことが触れられていた。

―――――

 「ハインリッヒの法則」とは。

 「1:29:300の法則」とも呼ばれている。米国のハインリッヒ氏が、労働災害の発生確率を分析したもので、保険会社の経営に役立てられている。それによると1件の重大災害の裏には、29件のかすり傷程度の軽災害があり、その裏にはケガはないがヒヤリ、ハッとした300件の体験があるというものである。日本では、ハインリッヒを文字って、「ヒヤリ・ハット」の法則ともいわれている。
 同じように、ビジネスにおける失敗発生率としても活用されており、例えば1件の大失敗の裏には、29件の顧客から寄せられたクレーム、苦情で明らかになった失敗がある。さらにその裏には、300件の、社員が「しまった」と思っているが、外部の苦情がないため見逃しているケース、つまり認識された潜在的失敗が必ず存在するといえる。
 一言でいえば、小さな失敗なら、上手く隠すこともできる。しかし、その原因を根治しないと、後々300倍の痛手になって返ってくるというものだ。

 具体例をあげる。
 職場の隅っこに、紙くずが落ちている。社内の整理整頓がなされていない。社内で挨拶をしても、生返事しかしない社員がいる。家庭で、いつも置いてあるはずの所に、新聞が置かれていない。そんなことは、大したことではない。会社がつぶれることもないし、家庭内に何の影響もない。しかし、そのようなことが、改善されることなく積み重なっていくと、トラブルが表に出てくる。

 お客様の所に、間違った商品、連絡が行ってしまう。社内で、ちょっとしたことから、言い争いがおきてしまう。新聞を読もうと思った夫が、すぐに見つけられず、家族に不満をぶつける。それらに対して、根本的な改善策ではなく、当座の対処療法しか施さない。

 すると、今度は、信頼関係を構築できなくなった、大切なお客様から契約を打ち切られる。優秀な社員が会社を辞めてしまう。会社の危機。夫婦、親子内で修復できない状態になってしまう。離婚。家出。

―――――

 ハインリッヒという人は、労働災害の専門家である。労務を管理し、データを分析する方であり、される側の人間ではない。ハインリッヒの法則をビジネスの観点からいえば、それは、サービスを供給する側からの法則であり、受け取る側のものではない。それはそうであろう。CS(顧客満足)なんていわれ出したのは、1980年代くらいからであろうか。

 おもしろい数値がある。「サービス・マネジメント」という、マーケティングについて書かれた本からの引用である。顧客の側からみた、ハインリッヒの法則ともいえる。

 『ある提供されたサービスに対して不満を持った顧客の96%は、その企業に対して何も言わない。一般にクレームが1件あると、問題を抱えた顧客が他にも24人存在することになり、そのうち6件は深刻な問題である。』

 つまり、1:29:300の法則における29のクレームは、不満をもった顧客のうち、わずか4%が発するクレームにしか過ぎないということだ。29件のクレームが発せられたとするなら、実は、不満をもった顧客は単純計算で725人いるということになる。

 なるほど、顧客としての自分を振り返ると納得ができる。
 あるレストランで食事をする。味なり価格なりサービスなりに対して、そのレストランに不満をもつことはよくある。私を含めてほとんどの人は、よほどのことがない限り、直接クレームをつけることはしない。二度と、その店に行かないだけである。96%だ。

 こういう趣旨の記述もある。
 『企業とのビジネスに問題があると感じた顧客は、平均9〜10人にその事実について話す。特にその13%は、20人以上にも話をする。』
 
 その数値はともかく、確かに、そのレストランの話になれば、厳しい意見を吐いてしまうであろう。

 『苦情を訴えた顧客の54〜70%は、問題が解決されれば再びその企業とビジネスをしようとする。特に問題が速やかに解決されたと顧客が感じるときには、その数字は95%にまで上昇する。』

 私は、まず、クレームをつけない方だが、仮にクレームをつける4%に入った場合、先方が速やかに対応していただければ、逆に、責任を感じて、再度そのレストランに足を運ぶことになるであろう。

 本来の、ハインリッヒの法則が表わす通り、重大な失敗を回避することに留意することが一番大切であることはいうまでもない。しかし、万が一、そのような状況に陥ってしまった場合は、とにかく、スピード感を持って対応することが、非常に重要なポイントになってくる。

―――――

 森ビルほどの大会社の労務担当者が、「ハインリッヒの法則」を知らないはずはない。32件という事故の報告を受けても、小さな女の子が、血まみれの事故にあったということを聞いても、取り返しのつかない事故、事件に繋がりかねないというところにまでは、思いは至らなかったようである。

 私は、私の長男と同い年である男の子が犠牲になった、今回の六本木ヒルズでの事故を報道で知って、とても穏やかではいられなかった。胸が引き裂かれるような思いであった。

 その子の葬儀の際、祭壇には、ピースサインをした笑顔の遺影と、4月から使うはずだった真新しいランドセル、好きだった絵本、幼稚園の修了証などが並べられたという。
 この年齢の子がいる家庭ならどこでも、この時期には小学校入学の準備は万端に整えているはずである。

 ランドセルのほかにも、制服、ズック、文房具等々、数多くの夢、希望。
 ご両親は、一生、それらを大切に守っていかれることであろう。



 
 
2005年01月27日 (木)  古き良き時代のソフトバンク

 昨日、ソフトバンク時代の上司が仕事で金沢に来られた。
 夜、その先輩と久し振りに楽しいお酒をいただいた。
 その先輩のお母様の幼馴染が、たまたま金沢におられて、私のことを支援いただいていたこともあり、その先輩とともに、その方のところにお伺いした。その方は大変喜んでいただき、いきなり、私たちの目の前で、先輩のお母様に電話をされて、今、目の前にあなたの立派なご子息がおられるのよ、本当に、嬉しいと涙を流さんばかりに話されている。その先輩からも、お前のおかげで思いがけず親孝行ができたと感謝していただいた。
 お酒を飲みながら、ソフトバンクの古き良き時代の話で盛り上がる。孫社長と会議で、好きなことを言っていたのは私たちが最後で、それ以降は、社長は雲の上の人になってしまっている。当時のお客さんのこと、同僚のこと、エピソード等々、人生一丁上がりのような話ばかりであった。楽しかった。痛飲した。

 本日は、午前中から、私を支えていただいている方たちと打ち合わせ。皆さん、社会的にも立派な方たちばかりで、私のために、時間を使っていただくのは、本当に申し訳ない限りである。きちんと、期待に応えていきたい。
 午後、打ち合わせ。役所でも、打ち合わせ。自宅に帰り、原稿。
 
 夜、お世話になった方の社長就任パーティ。やっぱり、立派な方たちばかりで、盛大な楽しい会であった。
 
 その後、地元で一杯飲んで、帰る。今、これを書いている。


 
 
2005年01月24日 (月)  渡部昇一氏の講演

 母の祥月命日で、お参りに来ていただく。
 その後、真由子を園に送っていく。今日は、あっさり、先生の元に行く。少しくらい、すねてくれた方が嬉しいような気もするが、やはり、喜んで園に行く姿が一番嬉しい。

 その後、会合。一時間半、色々な話を聞かせていただく。スケールの大きい方はいらっしゃるものだ。刺激を受けた。この刺激を仕事に活かしていきたい。

 役所でいくつか用件を片付けてから、自宅へ。その後、すぐ出かけ、また、色々とご助言をいただく。市政の勉強に役立ついくつかの資料をいただき、また、分厚い本も貸していただく。借り物の本なので、早く読まねば。感想もお伝えせねばならない。本は、自分で買ったり図書館で借りたりするより、人から借りた方が、プレッシャーがかかって良いかもしれない。いわゆる「積読」や、読まずに返すということもあるまい。

 夜、渡部昇一氏の講演。しかし、年をとられたなぁ、というのは一番の感想。一時間半立ちっぱなしで話され、内容も重厚なものだった。今年で75歳だという。立派なものだ。

 夜ご飯は家で、子供たちと一緒に食べる。ちょっと遅くなったが、嬉しい。明日のエネルギーになる


 
 
2005年01月22日 (土)  広貴と図書館へ

 昨晩は、飲み過ぎた。家に帰ってきたのは、二時頃だったろうか。今朝は、子供たちの騒ぐ声で目が覚めたが、布団の中でグズグズして、結局、行動を開始したのは、八時過ぎ。反省。

 馳代議士の新春国政報告会。乾杯までホテルにはいたが、その後、退席し。交通施策のフォーラムに出席。時間を間違えて早く行き過ぎたために、ドトールコーヒーまで歩き、コーヒーを一杯。美味かった。
 他の用事もあった為、最後までそのフォーラムには出られなかったが、主催者の努力の割りには、出席者が少なく残念。もうちょっと、色々な意味で考えた方が良い。

 用事を片付けた後、広貴と玉川図書館に行く。広貴が自分で読む本を捜し、椅子に腰掛けて読む。私も自分で捜し、広貴の横で読む。
 親子で図書館で並んで本を読む。


 
 
2005年01月20日 (木)  視察帰り

 17日から19日まで、行政視察。
 私が段取りをして、政調会長をはじめ、会派の2、3期のメンバーで行く。
 視察報告書を今週中にまとめたい。しかし、当たり前のことではあるが、真面目な視察だった。ちょっと、ハードではあったが、ためになった。

 日中は、役所に行き、たまった仕事を片付ける。上手くいかないことも多い。ため息をつく。

 夜、教育問題についての勉強会及び懇親会。色々と話をさせていただいた。もっと、勉強しなくては。もっと、文章力もつけたい。どうすればよいのだろうか。とりあえずは、ひたすら、本を読み、文を書く。それしかないのだろうか。

 明日も仕事だ。


 
 
2005年01月15日 (土)  強制換羽

 今年は酉年。「トリ」にちなんだ、話題を一つ。
 本当は、新年早々に、お送りしたかったのだが、どうしても、落し所がしっくりこなかったので、なかなか発信できなかった。実は、これまでも、同じような理由で躊躇し、結局、時機を逸して、出さずじまいのメルマガも数多くあった。
 今年のメルマガのささやかな思いとして、できるだけ、月二回発信を目途にできればと考えている。しっくりこない落し所も含めて、お送りしてしまう。

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 「強制換羽(きょうせいかんう)」という言葉がある。

 卵からひよこが孵り、やがて、成長した鶏たちは新鮮な卵を産むようになる。若い鶏たちは、栄養価の高い、日本人好みの卵を産む(ように管理されている)が、初産から、10ヶ月後くらいから、卵質が低下した卵が増えてくるという。

 養鶏業者はどうするのか。

 その鶏たちに餌を与えないようにするという。人間でいう、断食である。しかも、当たり前のことだが、鶏の意思は関係ない。強制的に、断食させられる。

 鶏たちの本能が働く。生きていくために、少しでも無駄なエネルギーは消費しない。当然、卵は産まなくなる。羽も少しずつ落ちてくる。そんなところに栄養をまわす余裕はない。この段階で、弱い鶏の中には、死んでしまうものもあるという。

 養鶏業者もプロである。ある段階にきたら(体重の25〜30%減少が目途だという)、再び餌を与えだす。鶏たちも、必死に喰らいつき、少しずつ元気になってくる。古い羽から新しい羽に、すっかり生えかわり、再び、卵を産むようになる。この時の卵は、最初のものと変わらないくらい、栄養価の高い卵であるという。

 これを「強制換羽」という。
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 大変、含みのある話だと思う。(鶏たちにとっては、迷惑この上ない話だが。)
 以下、しっくりこなかった落し所を二つ。

 その一。
 人間誰しも、失敗や挫折はある。
 受験での失敗。スポーツ等での苦い敗戦。社会人になってからの仕事上、もしくは、人間関係での、大きな挫折。私の職業でいえば、選挙での落選、等々。
 そんな時であっても、実は、それは、社会から、天から、市民から与えられた、「強制換羽」の機会なのである。
 その苦境は、鶏たち同様、自ら望んだものではない。しかしながら、自らの責任であるという点においては、鶏たちとは全く違う。大切なことは、その間、悪態をついたり、現実から逃避してしまったりといった、無駄なことに時間や気持ちを費やすのではなく、ひたすら、次に必ず訪れるであろうチャンスのために、新たなエネルギーを蓄積する。たとえ、ささやかなものであったとしても、好機がきたならば、それを、しっかりととらまえて、活かしていく。苦しい「断食」の際に、しっかりと蓄えてきたものが基になって、以前同様、否、それ以上の素晴らしい成果を生み出していけるように。
 ・・・・・・。

 その二。
 現在、自分は、誰にも負けないだけの努力をしてきているし、実績も残している。スポーツ、勉強、仕事、さらには、様々な人間関係等々。
 自分がこの立場を抜けてしまうと、きっと、この組織は立ち行かなくなる。間違いなく、このチームは弱くなってしまう。売上は大きく落ち込んでしまう。上手く回転していたものが、滞ってしまう。だから、自分は、絶対に引くわけにはいかない、と一人、思い込んでしまっていることが、決して少なくはない。

 ところが、実は、その自分の思い込みとは相反して、必ずしもそうとは言い切れない場合も、やはり少なくはない。

 むしろ、そうこうしているうちに、だんだん、「卵質が低下した卵」が増えてくることに気付かなくなってしまう。裸の王様。
 最近の大きな経済界の話題で言えば、ダイエーの中内氏や西武の堤氏などがあげられる。ちょっと前の、ヤオハンの和田氏もそうだ。NHKの海老沢会長もそうか。

 どこかの段階で、大所高所から、強制換羽の機会が与えられることが必要かもしれない。そのことが、次なる、大きな飛躍に繋がる。

 「経営の神様」といわれた、松下幸之助は、生まれつき身体が弱く、会社の規模が大きくなるにつれて、仕事を人に任せざるを得なかったという。そのことから、事業部制をひき、多くの仕事とそれらに伴った責任と権限とを、委譲していったという。生来の病弱さが、「強制換羽」の機会になったといえる。
 
 ホンダの本田宗一郎には藤沢武夫が、ソニーの盛田昭夫には井深大が、それぞれ、「強制換羽」の役割を果たしていたのかもしれない。

 本田宗一郎は、退任が決まった後のある会合で、藤沢にいった。
 「まあまあだな」
 「そうまあまあさ」と藤沢。
 「幸せだったな」、「本当に幸せでした。心からお礼をいいます」「おれも礼をいうよ。良い人生だったな」。
 ・・・・・。
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 「その一」の方は、理屈では分ってはいるが、やはり、そのような状況には、できるだけ、なりたくはないという保身の気持ちが起きてくる。それだけに、そのようなことで結論付けても、偽善的に過ぎるし、何といっても、書いていて白々しい。

 「その二」の方は、その前提である、大きな成功体験、否、努力さえも十分しているとはいえない私には、僭越に過ぎる。細木数子じゃあるまいし、そんな、無責任で放縦なことを断定的に書くことはできない。だから、途中で書くこともできなくなってしまった。

 文章にしてしまうと、何ということもない、味気ないものになってしまったが、ちょっとしたスピーチで利用してみると、それほど悪くないネタである。

 私は、これまで何度か、スピーチで使ったが、聞き手の方たちが、ぐっと関心を持って、引き込まれてくるのを、ひしひしと感じた(ような気がする)。

 二月くらいまでは、使えるネタである。


 
 
2005年01月12日 (水)  会派予算要望

 移動した成人の日のため、先週末は三連休。
 10日の祝日は、久し振りに日中に時間が取れ、雪も降ってきたので、子供と一緒に、医王山にスキーに行く。妻と広貴はスキーに、私は、真由子と一緒に「そり」を楽しむ。真由子は楽しみながらも、途中からなまくら癖が顔を出し、坂の上に登るときも、そりに乗ったまま、私に引っぱらせる。
 帰りに、少々遅い昼食をとる。家族でとる。

 昨日は、新年第一回目のモーニングセミナー。であったのに、何と寝過ごして欠席してしまった。天気が良ければ、突っ走って、かろうじて滑り込むこともできたかもしれないが、あの天候で、それもかなわない。大いに反省。
 役所でたまった仕事を片付ける。
 午後、経済人の方たちと、まちづくりに関しての打ち合わせ。私よりも若い方たちばかりであったが、皆、私よりもしっかりしている。勉強もしている。彼らに教えてもらいながらも、私も、しっかり勉強していきたい。
 夜、会合でしたたか飲みすぎる。

 本日は、昨晩のお酒が、少々残っていたが、活動開始。昼、議員総会の後、会派の予算要望。


 
 
2005年01月08日 (土)  挨拶回り

 昨日で、新年のご挨拶はほぼ、一段落というところか。お世話になっている方はたくさんいるので、本当は、もっと回らなければならないのだが、来週以降になると、「あけましておめでとうございます」という挨拶も、何となく、しっくりこない。

 いただいた年賀状の整理も、まだきちんとできていないので、早々に、終えたい。
 部屋も整理し、できるだけ早く、新しいパソコンに買い換えたい。
 来月早々に控えた講演の準備もきちんとしたい。 いつも言っていることだが、頭の中で貯まったままになっている、いくつものメルマガのネタをきちんと文章にしたい。
 今年の色々な意味でのスケジュールを明確にしたい。
 
 それらを、今週から来週にかけて、目途をつけよう。


 
 
2005年01月05日 (水)  日本における『ニュースの天才』

 人気ジャーナリストによるスクープ記事捏造という、衝撃的な事実を題材にした米映画「ニュースの天才」が、東京はじめ大都市では既に上映され、好評を博しているという。

 その映画の中で、実在するスーパージャーナリストをモデルにした主人公が、「僕は、『読者が求めているニュース』を書いてきたのだ」と言い切っている場面がある。
 社会に影響力を持ちうる、ジャーナリストとしての大いなる自負と、鼻持ちならない不遜とが感じられ、日々、多くの情報に、一方的にさらされてばかりいる立場の私たちにとっては、複雑な思いにさせられてしまう。

 先日、あるニュースに触れた私は、「読者が求めている」、否、「読者を(無責任に)おもしろがらせる」ことだけを目的とする報道が、この後、センセーショナルにばら撒かれるのではないかという危惧の念を感じた。

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 先月、12月の上旬頃に、埼玉県教育委員会の新しいメンバーに、明星大学の高橋史朗教授が選任される見込みであるとの報道がなされた。高橋氏が、扶桑社から出された「新しい歴史教科書」を主導した「新しい歴史教科書をつくる会」の元副会長であることをもってして、既に、さも大問題であるかのような記事であった。先に述べた「危惧」ではなく、既に、それそのものであったような気さえする。

 埼玉県議会でこの人事案件が正式に承認された、12月20日の翌日のある新聞には、そのことについて、特報として、センセーショナルに大きなスペースが割かれていた。しかも、「揺れる『中立性』?」「教育委員だれが決める?」などという、「?」を多用する、スポーツ新聞張りの大見出し付きである。さらに付け加えて、高橋氏の教育委員任命に反対して、抗議のデモをしている団体の写真も、大きく掲載されていた。その写真にあったプラカードの文言は、ひたすら、「!」の乱れ打ちである。「高橋史朗にNO!」「教育委員にするな!」「知事は法律違反をするな!!」etc。やっぱり、スポーツ新聞だ。東スポを思い出した。
 デスクの激しい気分の高揚が感じられると同時に、記事をまとめた記者の、「僕は、『読者が求めているニュース』を書いてきたのだ」という声がこだまする。明らかに、ある意図を持った記事である。しかも、見出しに「?」を濫用することによって、誘導尋問的に世論操作を企図したものである。

 一方では、幸いなことに、その『読者が求めているニュース』に対して、冷静に、理性的に検証しようという報道も、いくつか見られる。

 それらいくつかの報道を参考にしていきながら、この問題を整理し、教育の中立性、教育委員会のあり方について、考えてみたい。
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 今回、高橋史朗氏の県教育委員就任について、反対団体が問題にしている点は、大きく次の二点である。

 1.今回、例として取り上げた新聞記事の大見出しにあるように、任命にあたって、「教育の中立性」はどのように担保されたのか。
 2.高橋氏は、扶桑社から出された「新しい歴史教科書」を主導した「新しい歴史教科書をつくる会」の元副会長であり、現在も会員である。そのような人が、教育委員では、教科書採択の公正が侵害されるのではないか。

 他にも、相当、感情的な議論もあるようだが、論評に値するものは以上二点であろう。

 さて、一つ目。
 恥ずかしながら、今回の問題が起きて、私は、初めて、教育委員会の法的根拠というものをじっくり精査した。

 教育委員会は、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」によって、その存在が担保されている。そのうち、委員の任命についての制約は、第四条三項、「委員の任命については、そのうち3人以上が同一の政党に所属することとなってはならない。」と、第十一条五項の「委員は、政党その他の政治的団体の役員となり、又は積極的に政治運動をしてはならない。」だけである。(もちろん、破産者とか禁固以上の刑、職務違反云々とかいうものもあるが、それらは常識以前のものとして、ここでは触れない。)

 つまり、第四条三項の規定は、一人一人の教育委員が、どのような思想信条、政治的立場を取っているかを問題にしているのではなく、五人で構成される合議体の決定・執行機関である教育委員会総体として、特定政党の政策に左右されないということを意味しているのである。個々の教育委員に、政治的中立を求めているものではない。その証拠に、第十一条五項にある、「委員は、政党その他の政治的団体の役員となり、又は積極的に政治運動をしてはならない。」とは、個々の教育委員の政治的活動を前提にしており、あくまでも、その行き過ぎに注意喚起を促しているものである。

 そもそも、教育委員会制度は、戦前の教育制度の反省から、住民自治で政策決定することを前提に、昭和23年から、市民が直接委員を選ぶ「公選制」として始まったものである。委員一人一人を選挙で選んでいたのである。委員個々が自分の政治的立場、教育的思想を明確にすることによって、選挙によって決められていたのである。ところが、実際には、55年体制のもと、政治的イデオロギー対立が教育の場に持ち込まれることが少なくないこともあって、昭和31年から現在の、自治体の首長が「任命」し、議会の同意をもって「承認」とされる制度になったのである。もともとが、委員個々人は、政治的、思想的立場を明確にされていたのである。そうでないと、選ぶ方が困ってしまう。

 もう一つ、そもそも論で言えば、何の教育的、政治的思想を持たない委員たちで教育委員会が構成されてしまっては、単なる烏合の衆の集まりとなってしまい、これまでにも多々見られた、様々な圧力に、唯々諾々として従属する「仲良しクラブ」に堕してしまいかねない。
 残念ながら、そのような教育委員会が少なくないがために、文科相の諮問機関である中教審からでさえも、その存在意義が問われているのである。

 高橋氏の任命において問題があるとするならば、高橋氏がある政党の党員で、埼玉県教育委員会には、既に、その政党の党員である教育委員が二名存在している場合だけである。
 私は寡聞にして、その議論を耳にしたことはない。高橋氏はどの政党の党員でもないという報道を見かけたが、私はその確認をしてはいない。するまでもないであろう。

 「?」や「!」を濫発する、感情的な物言いはさておいて、教育委員会に求める、「教育の中立性」とは、以上の議論につきるのである。

 二つ目。
 教科書採択の公正が侵害されるという意見を述べる方たちは、先の法律の第十三条五項「教育委員会の委員は、自己の従事する業務に直接の利害関係のある事件については、その議事に参与することができない。」を、その根拠に、過去、教科書監修者の経歴を持つ高橋氏は、教育委員としてふさわしくないとしている。

 しかし、教科書の執筆者・監修者であっても、教育委員になっている例は、決して少なくはないという。例えば、東京都文京区では、教育委員である上智大学の猪口邦子教授は、教育出版の中学校社会科教科書の執筆者で、しかも、文京区では、その教育出版の教科書が三年前から採択されている。それでは、先にあげた法律に抵触するのではないかと思われるかもしれない。

 実は、法律をよく読めば書いてあるのだが、この第十三条は、教育委員会の「会議」の持ち方、進め方を規定したものであり、教育委員の任命とは全く関係はない。
 この規定に従い、文京区では、中学校社会科教科書の採択の議事に限り、猪口氏は一時退席しているという。第十三条の二項においては、そのことを前提としての規定も記されている。それはそうであろう。教育委員の仕事は教科書採択だけではない。猪口氏はその他多くの議事において、大切な役割を果たしているに違いない。
 議論を混同してはいけない。

 そもそも、高橋氏は確かに、「新しい歴史教科書をつくる会」の会員ではあるが、来年度採択を検討される教科書には、執筆者としても監修者としても、全く関与していないという。何のことはない、今回の場合、問題にしている前提そのものが存在していないのである。

 以上、できるだけ感情論は排して、法律に基づき、一般の議論に耐え得る検証を加えてきたつもりである。
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 実は、今回の問題が起きるまで、私は、高橋史朗氏なる人物をほとんど全く知らなかった。その著作はもちろん、執筆された文章すら読んだことはなかった。

 私が問題提起したかったことは、「高橋史朗」、「埼玉県」、「教科書」などという、具体的個別的なテーマではなく、「教育委員会のあり方」、「マスコミ報道のあり方」といった普遍的一般的な課題である。

 教育委員会のあり方については、私は過去にも、このメルマガで問題提起をしている。(「教育委員会のあり方」参照
 今回のテーマは、さしずめ「教育委員のあり方」といったところであろうか。

 さて、問題は、マスコミ報道の方である。先に例にあげたもののように、今回の高橋氏の任命にあたって、一部で見られる報道は、明らかに、偏りが見られる。記事は、いかにも多くの市民が反対しているように書かれているが、法に基づいた理性的な決定を反故にしようとしているのは、明らかに、衆を恃んでデモ行進を行ったりして威嚇行動に出ている人たちである。私は、扇動されて声をあげている方たちの善意を疑うものではないが、あまりにも無防備に過ぎる。

 もちろん、デモ行為自体は、憲法で保障された表現の自由の範囲内で行われる限りにおいては、正当な権利である。私は、その行為そのものを否定しているのではない。
 私は、今回のデモを直接見たわけでもないし、あくまでも、この偏った内容の新聞記事内で、必要以上に大きく扱われている写真からの判断でもあり、いくらか曇った目で見てしまっているのかもしれない。

 先にも書いたように、その写真に写っているプラカードには、「高橋史朗にNO!」、「教育委員にするな!」、「知事は法律違反をするな!!」なる言葉が見られる。これでは、主義主張でも何でもない。単なる、個人に対する品のない誹謗中傷であり、不勉強なマスコミ受けを狙った示威行為である。知事は、法律を守っているし、そのことをそうでないように喧伝し、理性的な合法行為を否定しようとしているは、そのプラカードを担いでいる彼ら自身である。中には、「上田知事は恥を知れ、マスコミと市民をだましてるぅ!!」なんていうものまであった。そのまま、まっすぐ、自分たちにかえってきている。

 再度繰り返すが、そのような意思表示であっても、法律に則ってデモ行為を行うこと自体については、私は、権利としては、理解しているつもりである。しかし・・・。

 弱者に立ったふりをして(もしくは、そう思い込んで)、自分たちの意見と違う声を消し去ろうという、威嚇的行為を繰り返すことは、全体主義、ファシズムを彷彿とさせかねないものである。そして、そのような行為を、空疎な正義感で、勉強不足のまま、大掛かりに報道しようという姿勢に対しては、私たちは、良識とバランス感覚とを持って、しっかりと対峙していかなければならない。

 「ニュースの天才」は、米娯楽映画の世界だけのものではない。


 
 
2005年01月03日 (月)  新年を迎える

 穏やかな新年を迎えた。久し振りに落ち着いた年末年始を過ごすことができた。多くの方に感謝したい。

 元日も早い時間から、ご挨拶すべき神社に初詣をすませることができた。母のお墓、山野の本家のお墓、妻の実家のお墓ときちんとお参りもし、今日3日には、羽咋に行き、母の実家のお墓参りもさせていただいた。それぞれ、ゆったりした気持ちでさせていただいたのは、初めてかもしれない。毎年、こうありたい。

 今年の目標をいくつか立ててみたいが、当座のことに気を取られて、なかなか進まない。といっているうちに一年があっという間に過ぎ去ってしまう。今週中に挨拶回りを終えて、来週中には、何か文章にしてまとめてみたい。


 
 

ゆきよし日記
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