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2002.12.26
七回休み。
……と、まぁ、休みはほどほどにして。
それにしても、文章を書く行為が一種の精神の発散だとすれば、わたしの精神は張り詰めているんだかたるみきっているんだか、どうにも判然としないところがある。
人間の感情はなまものである、がゆえに時には死ぬこともある。
喜びが死ねばすぐにわかる。愉しみが死んでもすぐに気付く。
しかし悲しみや哀れみは死んだとしてもなかなかそうとは知れない。
それらは無駄な感情だから? そうとはいえまい。
人間界の悲劇の多くは、他人の悲しみを理解できなかったり、哀れみとさげすみの区別がつかなかったりすることで生まれているわけだから。
物語 がこの世に在る意義のひとつは、受け取り手の感情に生命を与えることにある――と、そんなことを思った。
2002.12.19
紅茶とおでんとショコラミントの日
必要があって、いろいろとお菓子の名前を探したりしていたら、どうにも<甘ったるい菓子を吐くほどに>むさぼりたい>という衝動に、駆られてきたので、毒消しに――というわけでもないけれど、酒や肴を調べていたら、これはこれで、<ブッ倒れて泡を吹きながら白目をむくほどに>呑みたくなってきてしまったので、やむなく、可愛い猫の画像でも探して、和んでやろうと思ったら、あまりの愛らしさに、<ストレスのせいで全身の毛が抜けるほどに>猫を撫でまくりたいというつよい欲求がふつふつと、湧くというよりは沸いてきたので、やむにやまれず、気分転換にピアノの曲を探していたら、むらむらと<鍵盤が床にめり込むほどに>激しく演奏したくてしたくてたまらないという、心持ちになってきたので、もはや進退きわまり、けっきょく、甘い菓子を白目をむき毛が抜け床にめり込むほどに食らうことを、決めたのでした。
2002.12.18
悶々と鬱々と
さても浮世は渡り難し、というところ。
酒に逃げられるのならとっくにそうしているのに、そうなっていないのは、せんずるところ、ぼくは溺れられないらしい。
2002.12.17
1年前の喜びは忘れたが、10年前の憎しみは憶えている。
憎しみはなにも生まない――というが、果たしてそうかねぇ? と思う。
もちろん、ひとを憎むことがいいことだとは思わない――そうせずにすむのなら、きっとそれがいちばんいいにちがいない。が、もとよりそんなことは不可能な話で。
ひとの感情のなかでも、憎悪というのはもっとも評判のわるいものの一つだろう。
これより下なのは、嫉妬とか、恐怖とか、まぁろくでもないものばかりなところで。
が、他人を妬む気持ちを糧に発奮することもあるし、恐れることを知らない人間は無謀なだけだ。
ひとを憎むことは、むろん負の感情発露だが、これは多くの感情のなかでももっとも強烈なものといってよかろう(ちょっと喜ぶ、すこし怒る――ということはあっても、ちょっぴり憎む、すこしだけ憎む、なんてことはないはずだ)。
この激しい感情衝動と対決し、自制心でもって抑制することは、孤独で辛いことだけれども、乗り越えることができれば、そのぶん強い意志をやしなうことができる。
憎しみはなにも生まない――しかし、なにかを育てることは、きっとある。
2002.12.16
死霊術者の娘
“蒼首の”ルゼメントといえば、〈湖畔〉でその名を知らぬ者はまれ。
灰色の長衣に真っ青な襟巻きをまとい、各地をさすらう彼女は、他でもない忌まわしき死霊術の使い手。
そのわざはものいわぬはずの屍を笑わせ、肉なき骸骨を踊らせる。
「彼女は城をもっていてそこには無数の死せる従者がいるそうな」
「それどころかその城は数え切れぬほどの人骨で出来ているとか」
「さても人の域を越えた世にもまがまがしい存在ではあることよ」
と、世の人々はくちぐちにいった。
しかし真に恐るべきは生者より死者。
手におえぬわざわいを招く死者があれば、彼女は呼ばれずともやってくるのだ。
「つまりさ」
と、彼女の相棒、というよりは〈押しかけ保護者〉であるデロディマはいう。
「お前さんは『歩く葬式』みたいなもんだな。お前さんがやってくれば、生きてる人間は慶び、
死者は観念する。手間のいらないことだ」
「あなたはいつも厭なことをいう」ルゼメントはこの奇矯な道連れを難じた。「わたしだって、好きこのんでそうしているわけじゃない」
「どうあれ」と、デロディマ。「お前さんの家業はそういうさだめなのさ。厭なら廃業して――人並みに恋でもしてみるかね」
ルゼメントは長大息した。恋を夢見るには、彼女はいささか熟れすぎていた。
「そう嘆くことはあるまい」とデロディマ。「お前さんはあと一万ばかりの夜を経れば、この世からおさらばできるのだから。ねたましい話さ」
死霊術師の娘は苦笑した。「そんなことをうらやむのは、あなたくらいのものでしょうよ!」
デロディマは〈不死者〉である。いったいいつの時代から生きているのか、当人も知らない。
寿命や病気はおろか、刃物や天災をもってしても、かれを滅ぼすことはできない。
もっとも、かれ自身はべつだんそれを幸いともしておらず――実際問題、世に倦んでいた。
デロディマがルゼメントの先祖と接触したのは、かれこれ数代前だという。
以来、かれはこの一族につねに関与しており――いまはルゼメントの連れだった。
それは彼女たちが卓越した死霊術師、いわば〈死の達人〉であり、いまは無理でも、いつの日か、自身に死をもたらしてくれるのではないか……そう信じて、影のように付き添っているのだ。
ルゼメントには、この瀟洒な、しかし老成したまなざしをもつ男の心境はよくわからない。――そもそも、飽きるほどには生を重ねていない。
だが、死にたくても死ねない、消えてなくなりたいのにそうできない……という苦衷は、いささか忖度できるものだった。彼女が手がけた〈死人〉関連の事件には、しばしばそうした事態が見られたからである。
その少女――厳密には、かつて少女だったもの――は、ちょっとした難物だった。
生前、情人に裏切られた彼女は、悲しみと憎しみのあまり、生きながら死者となり、男を祟り殺した。それは、まぁ良かったが(もとより良くはないが)、彼女は〈死〉を通過せずに死者となったために、きちんとした死者として認められず、冥界からも締め出しをくっていたのだ。
「そういうわけで――」彼女は憂い顔でいった。「あたしに、〈死〉を与えてくれませんか」
彼女は若気のいたりと反省しており、冥界で相応の罪をあがなうことを願っていたが、それも現状ではかなわぬ。
頼まれたルゼメントも、こうした状況は初めてであり、たいそう難儀したが、ふと思いついた。
「では、この人にとり憑いてください。そのうえで、わたしがかれを殺します。そうすればあなたは〈死〉を体験できる」
無茶なことをいう、とデロディマはぼやいたが、たっての願いに断わることもならず、いやいやながら引き受けたのだった。
準備がととのうと、ルゼメントは短剣をふるってデロディマを刺した。まさしく致命の一撃。
デロディマは死んだ――いや、〈死〉を通過した。
しかしかれはそのまま引き返し、娑婆の人となった。
おかえり、とルゼメントがいった。
デロディマは、「ただいま」と答え――すこし笑った。
2002.12.15
冬にありては夏に焦がれ
曇天がつづき、寒空の下ですごしていると、どうにも気分がふさがっていけない――という人がいる。
それはまぁ、わからないではないが、あたりが暗いからこそみずから明るく輝こうとか、寒いからこそ自分で熱く燃えてやろうなんて思うこともあるわけで、つまるところはその人の資質――というよりはふだんの心がけなんだろう。
まわりに合わせ、他人から与えられた状況を受け容れているだけの人は、事態が行き詰まったときおのれで何とかしてみせる、道を切り開いてみせる……という気概に欠けているように思える。
つねひごろ、自身の状態をよりよく、より適したものにしようと努めている人は、きっと逆境にあっても落ち着いていられるのだろう。
――そうありたいものだけど、さても容易ならざることではあるわけで。
2002.12.14
わからないことがあります。
どれだけの叡智をもっていようが、とうていこの世のすべてを把握し、たなごころに乗せて語ることなどできるはずがない。
なんとなれば天地はあまりに広く、そこに満ちている情報は途方もなく膨大なのだから。
したがって、世の中ぜんたいをさも理解し尽くしているかのように「語る」やからは信じるに値しない、ということに気付いたのは、けっきょく、世界を知ろうとして挫折したからだともいえる。
そうしなければ、ついになにものかを知ることはできそうにもない。
2002.12.13
夜行閑話
それは、きっと夜のなかでしか生きられないものなのだろう。
夜毎、日が沈むころに息吹き朝方には生を終える、そういうもの。
「旅をしています」
「何処から何処へ?」
「かの場所から、あの場所へ」
「かの場所とは?」
「生まれた場所」
「あの場所とは?」
「死ぬ場所」
「なぜここにいる?」
「理由はべつに」
「あの場所とは何処?」
「死んだ場所が、つまりあの場所ですよ」
そしてかれは死んだ。
旅の途中のつもりだったのだろうが、じつは、すでに到着していたのだ。
2002.12.12
削られる日々
ぶらぶらと道端を歩いているうち、風に吹かれたり雨に打たれたり雪に降られたりすると、何やら『カリカリカリ』と削られるような音がする。
ときには削りとられ、飛散する自分自身の破片が眼の端にうつることもある。
のみならず――街中で人の波をかきわけるときには、ことのほかたくさんの破片が散る。
人ごみに巻かれるとひどく消耗するのは、きっとそのせいにちがいない。
いっそなにもかも吹き飛ばしてしまいたい、と思わないでもないけれど、そうもいかず、けっきょくきょうもカリカリと身の削れる音を聞いている。
2002.12.11
ユキゲシクフユヅラク
気のせいか、来る年来る年、この時期には『雪とは何か』みたいなことを書いているなぁ……と思ったら、はたして前の冬も、その前の冬も、そのまた前の冬も、同じようなことを書いていたのでした。
どうやらぼくにとって、いつまでたっても雪は「いつもの」にはなってくれそうにもありません。――
2002.12.10
冬の朝
じたばたしているうちに、とうとう、真冬のただなかとなりました。
もう何度目の冬でしょう。それにしたって、何度体験しても馴れません――この雪は。
あまりにもあっさりと、屋根が道路が木々が白く蓋われていくので、これは雪が積もっているんじゃあなくて、隠されていたモノ、これまで見えなかったモノが見えるようになっただけなのじゃないか……そんなとりとめのないことまで、考えてしまいます。
たいがいのものごとは、はたから見るぶんには良いけれど、「日常」に組みこまれてしまうとやっかいになる場合が多いのですが、雪もやはり、視覚的には美しくもあるし、しんしんと降りつづける様子は一種神秘的、荘厳なたたずまいさえ、感じさせますが、ああまた雪かきをしなくては――とか、帰り道が難儀だな――とか考え始めると、どうも、よくありません。
そうはいってもしかし、ものごとの本質、その精髄を識るためにはじっさいに触れてみるほかはないわけで、まったくままならないものです。なにもかも。
冷えてきました。
凍えるまえに、休むとしましょう。
あなたも、お気をつけください。それじゃ。
2002.11.05
教導団長への手紙
そちらはどんな塩梅ですか。こちらは、ずいぶん寒くなってきました。
いつも思うことですが、冬に夏が、夏に冬があればいいのに。
そうすればきっと、退屈することもなく、日々をすごせるような気がするんです。
このあいだのことは、もうお話しましたっけ。
ええ、ぼくの居場所についてですけれど。
ときおり思うのです、ぼくのいるべき場所は、本当にいなくてはいけない場所は、どこか別にあるのじゃあないかって。
らちもない想像だと、お思いでしょうね。
そんなことを考えるのは、“いまいる場所”で自分のやるべきことをやっておらず、責任を転嫁しているだけにすぎないと、お思いかもしれませんね。
きっと、それは正しいことなんでしょう。
だからぼくは、“この場所”を“その場所”に変えるため、少しづつでもやっていこうと、思うのです。
もうすぐ、雪がやってきます。冬のさきがけに。
2002.10.10
異世界装置
いまいる世界に飽きたなら、異世界へ行ってみるというのもいい。
といっても、よその家にせよ外国にせよ、なかなか自分が行きたいと思う場所はないものだ。
そういうわけで、ちょっと気軽に異世界へ行ってみるわけにもいかない。
だが、なに、そう考えることはない……自分で異世界をこしらえてしまえばよい。
最初に必要なのは、やはり土台となる世界である。
それを壊す。
そしてじっくりとこね、ひねり、戻す。
しかるのち、自分の願うとおりの世界を造っていけばよい。
……と、簡単に書いたが、じっさいやるとなると容易なことじゃあない。
それゆえ……
装置が必要になるのだ。
その装置というものは、機械ではない。いってみれば『しくみ』そのものといってよい。
この世のからくり、宇宙の外郭、時空の秘せられた姿。
それを会得することができたなら、随意に、異世界を『生む』ことができる。
異世界を生むことは容易である。が、それを維持することはむずかしい。
2002.10.09
妖精病院
夜中に目を覚ました。
ぞぞ、と悪寒がする。
アッ、と思って鉢植えを見ると、ぼくの妖精がぐったりとしていた。
どうしたんだい、と問いかけても、返事がない。
ああ、とか、ううむ、とか、か細くうめくばかりだ。
きっと病気にちがいない……と思ったぼくは、あわてふためき、
妖精をびんに入れ、家を飛び出した。
隣のコンビニに飛びこんだ。
「ペットは持ちこまないでください」バイトのあんちゃんに叱られる。
派出所に飛びこんだ。
「そんなものは管轄外だな」追い出された。
牛丼屋に飛びこんだ。
「肉は足りています」やはり、追い出された。
どうしたものか、と悩んでいると、
やはり妖精を連れた通行人がいった。
「やぁ、あなたの妖精は病気のようだ。妖精病院に連れていくべきだ」
そこでぼくはいった。「その病院はどこにあります」
「さあね」とその人は肩をすくめた。「私も知らない」
よく見るとその人は幽霊で、連れている妖精も幽霊だった。
なるほどこれなら病院とは縁がなさそうだ。
しかたなくぼくはコンビニで買っておいたカッターで喉を掻っ切った。
これでぼくと妖精はずっといっしょにいられるだろう。
ああ。妖精が、びんから出て、飛んでいってしまった。
なんてこった。ぼくはついていない。
。
2002.10.01
死人狩り
♪フェンシヴァのラマソンは凄腕の狩人
といっても、よのつねの猟人じゃない
なぜって、ラマソンが狩るのは死人だから
とはいっても、死体を狩るのじゃない
墓を討つわけでもやはりない
ラマソンが狩るのは、生者のなかの死者
フェンシヴァのラマソンは凄腕の狩人
「もし、そこの御方――」
呼びとめたのは路傍にうずくまるフード姿の女、呼びとめられたのは旅装の男。
呼びとめられた告は夕暮れどき、呼びとめられた場所はひとけのない街道。
男は自分を呼んだ女を、じろりとにらみつけた。「何だ」
女がいう、「私は流れの星占い師ですが、あなたはたいそう強い星をもっていなさる! よければその星をお教えしましょうが」
男は、鼻で笑う。
「つまらん手だ。凶事を占って、それを避けるお守りでも売りつける気であろう。そんな見え透いた言葉にひっかかるものかよ」
「まぁ、そうおっしゃらずに! 減るものでもないのですから」
そう言われ、男はしぶしぶながら女に歩み寄った。と、女の手から珠が落ちた。
おもわず男が手を伸ばす。その瞬間、女は袖口から取り出した短刀を、男の胸に突きたてた。
ぎゃっ、と悲鳴をあげるいとまもなく、男はどたりとあおむけに倒れる。
女はしかし、そちらを見ない。見ているのは、男の影である。
男が倒れたのだから、影もまた消えるはずであった――が、影はこれまでとかわらず、東を向いている。
「待ち伏せた甲斐があったな」女がフードを跳ね上げる。
酷薄なまなざしと怜悧な面立ちがあらわとなる。端正とすらいっていい相貌が、いっそう無情さをきわだたせている。
「フェンシヴァのラマソンである。死してなお生きんとする浅ましき者! 早々に奈落へ還れ」
影が走った。一目散に――
「無駄」銀光一閃、影が地に串刺しとなる。「ということよ」
影がわめく。「なぜおれを追いつめる。おまえたちに仇をなしたことはないのに」
「というのはだな」もう一本の短刀がぐさり。
「生きている人間のなかに死人がいると、それだけでなにかと迷惑なのさ。それだけで、な」
「なぜだ」またぐさり。「ひとに迷惑をかけず、静かにしていることが悪徳だというのか」
そうは言わないさ、とまたぐさり一太刀。
「だがね。あんたたち死人には未来がない。ただ、過去を元手に現在をこなしているだけにすぎない。そういう手合いはどうあれ、ヒトの群れのなかでは有害なのさ。というのは、ヒトは未来を見なければ生きていけない、すくなくとも社会を為すことができぬ。生とはかりそめの状態にすぎず、未来にあるのはけっきょく死にすぎない、ということにうすうす気付きつつもだ。ゆえにあんたたちの存在は、ヒトにとってはたまらなくめざわりなんだよ。わかるかい」
わかるものか、とおめくところへ最後の一本がぶすり。
「つまりは――死人の居場所は墓場しかない、ってことなわけだ」
フェンシヴァのラマソンはその場に死人を埋めて、仕事を終える。
♪フェンシヴァのラマソンは凄腕の狩人
といっても、よのつねの猟人じゃない
なぜって、ラマソンが狩るのは死人だから
とはいっても、死体を狩るのじゃない
墓を討つわけでもやはりない
ラマソンが狩るのは、生者のなかの死者
フェンシヴァのラマソンは凄腕の狩人
2002.08.11
“ひとを知るということは、信じるということですよ”
彼女はそういった。
ぼくが口にした、
“ひとを知るというのはどういうことだろう”
という問いへの、その答え。
相手を知るためには、ことばをかわす必要がある。
しかし相手が口にすることばが正しいかどうか、ほんとうに彼(女)の真実を示しているかどうかはさだかではない。
信じるしかないじゃないですか――と彼女はいうのだった。
つまりは、信じられない相手のことは、知ることもできない。
どれだけ情報を伝えられても、それはただのことばの羅列にすぎず、右から左へと流されるだけ。
だから、と彼女はつづけていう。
“ひとに知られるためには、ほんとうの自分を出さなきゃ、ダメってことですよ”
そうでなければ、ひとの心には届かないのだと。
ぼくは――呑んだ。痛いほどに。
2002.07.11
ぼくが僕であるために
――もっと、楽に生きたいなあ。
――なに、それはとても簡単なことだ! 自分を捨てればいい。それだけのことさ。
――なんだって?
――ひとは自分が自分であろうとするがゆえに苦しむ。それはいわば、内と外、個と衆、小宇宙と大宇宙のあつれきだ。その摩擦により生じる熱が、世界が屹立するためのエネルギなのだ。
だがきみがそのいとなみから離れ、内と外を区別せず、プライバシなどはかえりみず、宇宙の歯車としてふるまうことを選ぶならば労せずして、きみは安穏を得られるだろう。良し、悪しはべつとしてね!
――きみはむずかしいことを言っているよ。
――そうかな。
――ああ……でもぼくは、そうつとめるとするよ。世界の鼓動にぼくの鼓動を合わせるよ。なぜって、世界がぼくに合わせてくれるはずはないからね。
そうすりゃ、ぼくはきっと、楽な生き方ができるにちがいないんだ。
――さぁ、そう願うとしよう!(「安楽な生活」は万人の願いだが、誰もがそれを得られたわけではないことをきみは想起すべきだろうがね)
2002.07.10
ふと夜中に魔がさしてふりかえったりすると、いないはずのものと目があったりする。
それはつまり、わたし自身だ。厳密に言うならば、わたしの過去だ。
わたしはいつも過去をずるずるべたべたとうすらみっともなく引きずりながら、生きているのだが、ふだんはそれを自覚することもない。
(もしそうできないとしたら、人生はひどく苛酷になるだろう。いま以上に)
しかしひとりですごす夜、ふとふりむくと、――それは、こちらをじっと見つめている。
それはもう、いやになるほど、熱心にだ。
醜いか美しいか、臭いかかぐわしいか、無愛想か愛想がよいかはこのさい問題ではない。
熱意。その熱意が、難となる。
ほしいままに、おのれの望むままに生きているつもりでも、ふと背後からの視線に気付くと、とたんにずしりと肩が重くなる。
――言うならばそれは、自分が単独で存在しているのではなく、過去からの無数のつみかさね、それは家族であったり故郷であったり、国家であったり世界であったり、種族であったり生命そのものであったり、ともあれまぁ、うんざりするほどの『来し方』との邂逅である。
それは、多少は崇高あるいは敬虔な気持ちにならないでもないことだが、もっぱらひどく気の滅入ることである。
つまりそれは自分自身も、しょせんはこれらの過去、そして見果てぬ未来へいたる『流れ』の一要素にすぎないことを、いやおうなく理解させられるからにほかならない。
このいまいましいシステムから逃れるには、――脱するしかない。
だがそれができれば、もとより苦労はないのだ。
とどのつまり、わたしにできることはシステムへの反逆と逸脱を夢見ながら、定められたレールをずるずるぺたぺたと過去を引きずりつづけるほかはない。――この『重荷』を誰かに託す、そのときまで。
002.05.15 風ぐるい
風は気狂っております
さなくば、どうして飽きもせず倦むこともなく
山野を七海を天蓋を幾度も経巡り得るものか
吹かれたものもまたことごとく気狂うのです
それは細胞ひとつひとつの毛穴すべてがひらくような苛烈な気狂い
一陣狂風すべからく皆狂
と、いって、悲観せずともよろしいでしょう
気狂うた風はひどく驕慢、倣岸にして不遜なれば
地べたを這いずるわたくしたちなど、歯牙にもひっかけないでしょうから
2002.04.26 とりとめのないはなしをしよう
やぁどうも。心はいつもゴールデンウィーク進行のStriderです。
『 黄金週間があって白銀週間や青銅週間がないのはなぜか 』というのはおおむねだれしもいちどは考えることかもしれませんが、それはひとりひとりが答えを見つけ出すべき問題であって、さしあたりわたくしには関係のないことです。
このさいだから告白しておきますと、わたくしこの歳になるまで携帯電話のストラップ。あれの付け方を知らなかったのですね。あれこれいじってみてもいまひとつ要領をえず、ネットで『 ストラップのつけかた 』などと検索してみてもらちがあかない。さりとて人に聞くのも恥ずかしい。
しかたないので携帯電話のマニュアルを見てみたら、なンとあっさり書いてありました。アハ。
こういうのを灯台もとくらしというのですねぇ――
およそ『 作品 』と称されるものならば、なべて『 とりとめがある 』必要がある。
一見とりとめのないようであっても……よかれあしかれ、上下巧拙の差はあれど……ま、なんとかとりとめようとしている。はずだ。
しかし、ときにはほんとうにとりとめのない――意味もなく論旨もなくテーマもなく、骨組みも構成も気にもとめない表現物があっても悪くはないだろう。
それはちまなこになって日々『 意味 』を追い求める人間への諷喩であり……それ以上の割合において、余白としての価値をもつかもしれぬ。
――今は、とりとめのないことばにひたり。
2002.04.25 はずがない筈が無いハズがナイ
はたして一般論なのかどうかはさだかでないが、文章を書くさい、なるべくひらがなにひらいたほうが『くろうとっぽく』感じられるものである。
たとえば上の文を開かなければ、「果たして一般論なのかどうかは定かでないが、文章を書く際、なるべく平仮名に開いた方が『玄人っぽく』感じられるものである。」やはりちょっと、堅苦しい印象はぬぐえないといえるだろう。まぁそれだってけっきょくはバランスの問題なのだけれど……。
一般的には、ひとつの文章のなかでは表記は統一すべきである、とされる。「いった」「言った」「云った」「謂った」……などと書き分けるのはよほどのことだというわけだ。しかしそれでも、その状況や、周囲の文のバランスから使い分けたくなるのもたしかなところではある。
この文のタイトルでいえば「はずがない」「筈が無い」「ハズがナイ」がそれぞれニュアンスが異なるのはもちろん、「はずが無い」「はずがナイ」「筈がない」「筈がナイ」「ハズがない」「ハズが無い」……これらもまた微量ではあるがほんのりとまた『違う』わけなのであって。
トイッテ、ソレをサカシゲにウタイ、アタカモ我コソは文章ノ職人ナリ、ナドと胸をソラスのも阿呆ラシイ話であっテ。
まぁなんだ。……「文は人なり」ってことで……文章を書く者は心せよ、ということですよ。
などとわたくしがいってもまるで説得力がないでしょうが。
2002.04.24 最狂超(スーパー)シスプリファン烈伝
これはべつに卑下でも自虐でもなんでもないのだが、『プロレスファン』でかつ『シスプリファン』というのはかなり業のふかい部類の人間だと思う。げんに両者のファンであるわたくしがそう言うのだからまんざらまちがいでもない。そう思わないかい?
どちらも、おせじにも『高級な』嗜好とはいえぬ。プロレスはスポーツとしてはいかがわしすぎるし単純な娯楽としてもあまりに難が多い(そもそもいちがいに「プロレス」といったってその範囲は非常に広いのだが、ここではそのへんには言及しないことにしますね)。WWFくらいに突き抜ければまた別ではあるけれど。
さてまたシスプリも、「お兄ちゃん大好き」のひとことで片付けるにはあまりに曖昧で茫漠としたシロモノであり、どうにもスッキリと素直に支持するのははばかられるブツである。
つねに屈折がある。
いつも忸怩たる想いがある。
無邪気に愛したいのに、赤心から賞賛したいのに、それができない。
こんな難儀なものは、好むべきではないのかもしれない。
それでもまあ……あえてムリヤリによいところを探すなら、どちらも常時、個々の判断を要求されるので思索力が鍛えられるということはあるかもしれぬ。
「長州力新団体旗揚げはあるのか?」「タイピングシスプリ発売中止の真相は?」などといった疑問はつねに供給されるわけで、余人にとってはどうでもいいそうした問題に必死で頭をつかい、同好の士と論議をかわす……まぁ、脳味噌を眠らせておくよりは使っておいたほうが、いざというときに役立つかもしれないので、何もしないよりはきっといいだろう。
ところで『ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン』に登場するエンリコ・プッチ神父は、気持ちが高ぶったときなどに自分を落ち着かせるため素数を次々に思い浮かべていくという特徴を持っていた。なかなかイイ味のキャラだったけど、いかんせんそのう、ちょっと……って、それはいい。
素数。その数じたいと1以外では割りきれない数。それはどこかプロレスやシスプリに通じないところがあるとないとでいえばないではない。
もっともプッチ神父は敬虔な信仰者だったから、プロレスもシスプリも愛することはなかっただろうけど。
……あるいはお気づきだろうが、わたくしいいかげん締めに入りたいのにいいオチが出てこないでいる。
まぁなんだ……日記も、プロレスやシスプリや素数のように、割りきれないというか、なんか鬱屈したまま終わるのもいいと思うのでしてね。
2002.04.23
とにかくつねに思っていることは、自分はもちろん、誰も知らないものを見つけ出したいということだ。
それは何も有益なもの、価値あるものである必要は、さほどないのであって、
結果的にそれが益になったり得になったりすればそれはそれでいいのだが、
そうならなくてもいっこうさしつかえないのである。
さてまた、そのものがより得難いもの、まれなものであればそれはより望ましい。
わたくしの願望とはつまり、海辺をさまよい、だれも見たことのないようなふしぎな漂流物……
たとえばそれは貝殻であったり海草であったり深海魚の死体であったり謎めいた箱だったりするかもしれないが……
を見つけてきて、こんなものがあったよ……と伝えたいということにほかならない。
もちろんこれはたとえ話であって、じっさいにはこれほどことはシンプルではないし、
純粋でもまたない。
名誉欲よりももっとずっとしまつにおえない、粗野で凶暴なそれは衝動なのである。
2002.03.08
あらいやだ。もう3月でしてよ。
だいぶ暖かくなって……それより何より、雪がとけてくれて大安心。
雪はすさむよ。やっぱり。
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