"北辺の諸氏族"のなかにあっても、随一の"騎手"として知られるザリスカリスのラナタといえど、"荒れ野"をただ一夜にして踏破せんというのは、およそ狂気の沙汰とおぼしかった。
「さりながら、」
と、ラナタは危ぶむ人々に告げた。「ほかに手だてがあろうか?」
「否、ほかになし!」同胞らは無念そうに声をそろえた。
「されば予は参らん、かたがた、わが道行きに困難の多からぬよう祈りあれ」
「うべない仕る!!」
ことの起こりは、一ト月前にさかのぼる。
"有翼の公"と謳われる征服者レティスジェラヴァントの大軍勢が、"北方諸国"を侵し、劫略、狼藉のかぎりを尽くした。
たまりかねた諸侯は、"北辺"の種族に助けを求めた。彼らが生と死のことわりに知悉する、古き存在だと心得ていたからである。
"北辺の諸氏族"はこころよく救援を引き受け、デリュン、ミーファソータ、ザリスカス、エレデイルといったおもだった氏族が駆けつけた。彼らは死者に仮の命を与え使役するわざに長けており、蘇った戦死者の群れによって"有翼の公"の軍団は撤退を余儀なくされた。
それは良かったが、蘇らされた死者のひとりが偶然にも"十三の月の夜"の生まれだったために"凌駕者"へと化生するという、不測の事態が起こった。
"凌駕者"は死者の軍勢をひきいて北方諸国を蹂躪し、いまや敵無しのありさまだった。
事態を憂えた諸氏族の氏ノ上らは、氏神の降臨をあおぎ、智慧を請うた。
『"十三の月の夜"に生まれた者の魂は、やはり十三の月の夜に滅ぶ。"凌駕者"となったそ奴もそのときに滅びよう』
「それは、いつのこととなりましょうか」
『さ。そこな若木が朽ちるころか!』
「それではいかにも遅うございます。他に良い手はありますまいか」
『なくもない。月どもは心地よい音色に目がないゆえ、純精銀の琴で艶やかな曲を奏でれば、その調べにいざなわれて詣でよう』
「その純精銀の琴とは、いずこに?」
『"荒れ野"のただ中、"化石乙女の高楼"に。したが我が子らよ、急くがよい。明晩となればもはや星ぼしの地図は移ろい、月どももた易くは参れぬであろうから』
かくて氏ノ上たちの協議のすえ、"疾きもの"ラナタが"高楼"への使者に選ばれたのである。
「さ、参るとしようか、相棒殿!」
『措け。うぬを相棒にした覚えはないわえ』
「死んでも性根は収まらぬか! 死地にはもってこいよなあ……」
ラナタは、おのれの支配下にある屍竜"長虫卿"ヴァッソウスに打ちまたがるや、愛用の魔槍を抱え込み、
「いざゆこう! 宵はいまだ浅いが、暁にはもはや遠くない!」
『忙しないことよ……』
"長虫卿"は、骨ばかりとなった翼を雄々しく広げるや、甲冑をまといし巨躯を震わせ、土煙をあげながら駐屯地より駈け出した。
「ラナタ! ラナタ……おんみの行く先に、"善き風"が吹くように……!」
残された一族らが、声の限りに叫ぶ祈りを聞きつつ、ラナタは天を仰いだ。
夕闇の降りんとするに、はや暇はなかった。
"荒れ野"へ向かわんとするラナタとヴァッソウスであったが、"暮れの渓谷"に差し掛かったおり、早くも妨害者と遭遇を果たした。
"凌駕者"によって、"高み"より招聘された翼竜の乗り手どもである。
彼らは火を吹く長槍を手に次々と飛来し、ラナタを討ち取らんものと肉迫してきた。
「推参なり、禿鷹ども!」
ラナタは魔槍"破滅の因"を縦横に振るい、迫り来る翼竜騎士どもを蹴散らかす。
彼の上背をゆうに超える長さのこの槍は、古代の魔神の遺物であり、投擲すれば最低でも三人の命を奪わねば持ち主の手に戻らぬ魔性の武器である。ゆえにラナタも、よほどのことがなくばこれを持ち出すことはなく、ふだんは現世と妖精郷のはざまに封じられている。檻より出されたこの魔槍は、今や存分に血を味わい尽くすべく前後に左右に上下にと獅子奮迅のはたらきを見せていた。
「退け! 悪しき妖魔のそっ首は、俺が頂戴つかまつろう」
そう自軍に呼びかけたのは、斑鱗の竜を駆る銀髪の騎士である。白皙の相貌、澄み渡る碧眼。両手に白金色の大剣を携え、轟然と鞍にまたがった様は、あたかも"高み"の歴代の覇王らさながら。
「竜の騎手! 名を聞いておこうぞ」
「妖魔風情に名乗るは惜しいが、物質界(このよ)の名残に聞かせてくれよう。"高み"にその人ありと謳われし、"白栄えの士"ディシジョンとわがことよ」
「なれば不足はなし、存分にかかって参るが良い」
「もとより、遠慮はせぬ所存よ!」
ディシジョン、翼竜を駆って迫りゆけば、ラナタ魔槍を狙い定めて投げ放つ。
ヤッ! と気合一閃、太刀を振るって払えば、"破滅の因"は軌道を逸らされ、周囲にいた騎士どもを屠り去った。その間に、"白栄えの士"はラナタへと斬撃を浴びせ掛ける。佩剣を抜き放って受け止めたラナタ、続けざまに繰り出される太刀をどうにか逸らす。そうするうちに、魔槍が帰還する。
「気をつけよ、"白栄えの士"よ、わが戦友が参るぞ!」
ディシジョンの注意が槍に向けられた、と見るや、ラナタは彼の懐に飛び込み、その身に抱き着いた。騎士が驚く間も与えず、ラナタ叫んで
「来い!」
うなりをあげて飛来した"破滅の因"は、ラナタもろともディシジョンを刺し貫き、先端部は背中から突き出した。
「莫迦な……貴様……は……」
「美しいな、御身は……たださえ美しかったが、死にゆく御身は、なおのこと美しい。さあ、わが友となり、わがために"死に生きよ"!!」
ラナタは咳き込みながら、ディシジョンに口づけ、その口内におのが血と唾と呪いとを注ぎ込んだ。
ひとたびは虚ろとなったディシジョンの瞳に、これまでとは異なる"気"が宿り、"精気"が蘇った。その眼が、哀しげに曇り、ラナタを見やった。
「……こういうことか?」
「さよう。……どうかな、気分は」
「最悪だ。……」
かくて、"高み"屈指の騎士を傘下に加えたラナタが、残存の竜騎士どもを敗走させるのに、さまで時間を費やすことはなかった。
後の世に、"ラナタの暗夜行"として知られる冒険譚の、まずは一節で御座います。